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私、改造します!

 懲りずにどこかへ応募しようと思って書き始めたモノですが、いきなり投稿するよりは、いろいろな人に見ていただいて、勉強してからの方がいいだろうという事でこちらに公開する事にしました。

 現状(2019.8.23)でまだ未完成ですが、ストーリーはほぼできているので完結はさせるつもりです。

 まずは、できているところまで順々に公開していきたいと思います。本当は全部完成してから出したかったのですが、こうしないと自分のモチベーションが維持できそうになかったので……。


 なるべく明るい作品になる様に努力していきますので、よろしくお願いいたします。

 もし仮に、自分の自己紹介をするとしたら、こうだ。

「俺の名前は並森 幸太郎。高校2年生です。よろしく」

 単純明快、難しい事など何もない。

 他に何か無いのかって?

 ……。

 そうだ。他には何もない。

 俺はごく普通の男子高校生で、人に向かって特別誇れる事なんて思い浮かばない。

 勉強ができるわけじゃ無いし、スポーツができるわけでも無い。家は金持ちでも貧乏でもないし、昔はお殿様だったとか、有名な名家だったとかも無い。特にイケメンでも無いし、不細工でも無い。特徴と言える特徴が無い。

 何故、そう自分を定義できるのか。

 例えば、小学生。俺は少年野球をやっていた。全国に何万といる球児達と同じ様に白球を追い、汗を流し、泥だらけになっていた。レギュラーになりたかった俺は、自分で走り込みや素振りもやったし、それなりに努力をしたと思っている。けど、俺はレギュラーにはなれず、補欠としてベンチに座り、グラウンドで駆け回るチームメイトに声援を送っているだけだった。たまに代走や代打で出番があればいい方だ。

 例えば、中学生。俺はサッカー部だった。どうして野球ではなくサッカーなのかと言えば、当時流行っていた漫画に影響されてという、どうしようもない理由だ。漫画の主人公にあこがれた俺は、レギュラーを目指した。部活が無い時でも走り込みや、ドリブル、シュートの練習を欠かさなかった。おかげで、チャンスが巡って来た。ある練習試合でスタメンに選ばれ、活躍次第ではレギュラーになれる。俺は当然、全力で頑張った。

 けれど、俺は大馬鹿野郎だった。シュートを何としても自分で決めようと焦り、仲間から突出してはボールを取られ、それで余計に焦った俺はとにかくボールを追いかけるだけになった。結果、チームの足を引っ張るだけになった俺は、前半戦も終わらない内に交代させられた。チームの俺への評価は、どん底になった。

 当然、チャンスは二度と巡っては来なかった。

 例えば、高校生。俺には行きたい学校があった。その学校は地域でも有名な学校で、その学校の制服が何とも格好良く、どうせ学生生活を送るなら自分もその制服を着たいと思った。つまらない理由だ。相当な学力も求められたので、俺はまたまた頑張った。模試では合格レベルと判定され、俺は自信たっぷりに試験会場へと向かった。

 けれど、俺は受験に落ちた。

 今通っている学校も、第二志望ではあるが、決して悪い訳じゃない。だが、前世紀から代わり映えのしない制服、学ランって奴だけが好きになれない。正直、ダサい。自分自身が格好悪く思えてくるし、毎日鏡を見るたびに、溜息が出る思いだ。

 何が言いたいのかと言うと、俺はいつでも頑張って来た。だが、思い通りに行った事は一度も無いという事だ。

 だから、俺は理解した。

 自分には何の特徴も無い。才能なんか無いのだ、と。

 いや……、実際には、少し違う。

 俺の前には、常に、俺より先を走っている奴がいた。

 例えば、少年野球。俺は小学4年になってから野球を始めたが、チームにはもっと小さな頃から野球を始めた奴らがいた。レギュラーになったのはそんな奴らばかりだった。

 例えば、サッカー。俺は中学生になってからサッカーを始めたが、同じ部には小学生からサッカーを始めた奴らがいた。レギュラーになったのはそんな奴らばかりだった。

 例えば、高校受験。俺が勉強熱心になったのは3年生の時、せいぜい1年だけ。俺が行きたかったあの学校に受かったのは、もっともっと前から熱心に勉強してきた奴らだ。

 あいつ等に追いつけないのは、当然だ。俺より先に始めたという事は、俺よりも多くの時間、努力を重ねて来たという事で、追いつくためにはあいつらが積み重ねて来たものを凌駕する何か、才能だとかを持っていなくてはならない。

 俺には何も無かった。

 この点に関しては本当にはっきりと断言できる。何故なら、俺自身、それなりに、他人から感心されるくらいには努力をしたと自負しているからだ。

 そう。俺は頑張った。努力ってやつをした。だが、あいつ等との差は埋まらなかった。

 何故なら、あいつ等もまた、出来得る限りの努力をするからだ。

 俺が走れば走っただけ、あいつらはもっと前に走っていく。

 だから、結局、差は埋まらない。

 俺じゃあいつ等には追い付けない。

 テレビを見れば、自分とさほど変わらない様な年の人が活躍し、メディアからもてはやされている。俺には眩しい光景だ。

 絶対に手の届かない、雲の上の人達だ。

 素直に凄いと思うし、その立ち位置に至るまでに、人知れず様々な努力を積み重ねてきたのだろう。尊敬するべきだ。

 そして、自分がそういった人達に追いつく事はできないし、頑張ったからと言って、必ずしも自分の望みが叶うわけでは無いと言う事を、俺は、中学を卒業するまでに学んだ。

 だから、俺は、頑張らない事に決めた。

 だって、そうだろう?

 今更何かを頑張り始めたところで、先に走り出した奴らには絶対に追いつけない。

 自分の望み通りになる事なんて無い。

 だったら、辛い思いをしてまで頑張る必要なんてない。

 周りから決定的に置いていかれない様に、程々に努力するくらいで十分だ。

 なにより、楽でいい。

 こうして俺は、肩肘張らない、気楽な学生生活を送っている。


 そんな俺にも、1つだけ、自慢できる事がある。

 犬を1匹、助けてやった事だ。

 黒毛のゴールデンレトリバー、いわゆる黒ラブで、数年前、俺はそいつが川で溺れて、流されていくのを見つけた。きゃん、きゃん、と苦しげな悲鳴をあげながら流されていくそいつを、何となく放っておけないと感じた俺は、一緒にいた友人が止めるのも聞かず、川に飛び込んでいた。

 俺は泳ぐのはさほど得意では無かったが、どうにか犬を捕まえると、弱り切ったそいつを何とか岸まで運んでやった。でかい犬だったからかなり苦労した。

 幸い、犬はすぐに目を覚まし、俺が助けてやったというのが分かるのか、感謝する様に俺の顔を舐めまわし、ブンブン、ブンブン、千切れんばかりに尻尾を振っていた。俺は全身びしょ濡れの上にそいつに顔をべたべたにされたが、まぁ、助けられて良かったと思っている。

 たかが犬1匹、と侮るなかれ。俺が助けてやったその犬は、なかなか凄い犬だった。

 そいつはアメリカンというタイプの血統書付きの黒ラブで、俺はよく知らないが、犬の品評会だか、何かの大会だかで何度も賞を取った名犬だった。カウンセラー犬としても活動していたらしく、飼い主の婆さんと一緒に、あっちこっち様々な施設を巡っていて、多くの人達を癒し、その筋ではかなり有名な犬だった。人命救助をしたとかで、警察だったか、消防だったかから賞状をもらった事もあったらしい。

 川で溺れていたのも、その日、上流で川に流されてしまった子供を助けようとしたからだった。救助のために駆けつけていたお巡りさんから話を聞いたところ、犬のおかげで子供は助かったが、犬の方は川の速い流れに捕まってしまい、流されてしまったとの事だった。

 そういう犬だったから、俺は助けた犬からだけでなく、その他たくさんの人達からも感謝された。生まれてこの方、あれほど誰かから感謝されて褒められた事は無かったし、これからも無いだろう。

 世の中には凄い犬もいたものだ。俺とは大違いだ。

 そう思った俺は、ふと、ある事に気付く。

 あれ?そういう事は、もしかして、俺って……。

犬以下、なのか?

 ……。

 何だか、無性に惨めな気分になって来た。

 ああ、もう。考えを変えよう。


 ふと、あの犬は今、どうしているんだろうと思う。

 俺が助けたあの犬は、あの後、ちょくちょく俺の通っていた中学校を訪れていた。元々、日課の散歩コースが近くを通っていたとの事で、俺に助けられたのをきっかけに、少しコースを変えたっていう話だった。

 どうやら犬には俺がそこにいるという事が分かったらしく、散歩の途中にごねてごねまくり、飼い主が折れたらしい。

 犬は、ちょうど部活が終わる頃くらいにやって来て、いつも、居残り練習をしている俺の姿を、楽しそうに尻尾を振りながら眺めていた。

 俺は少し気恥ずかしい思いだった。相手が犬にも関わらず、だ。犬はいつもグラウンド脇に婆さんとやって来て、俺のいる方へ常に顔を向け、俺の一挙手一投足をも見落とすまいとしているかの様だった。俺がその日の居残り練習を終えるまで犬はその場に居座り、俺が帰ると犬も帰った。婆さんにとってはかなり迷惑だったろうが、その犬の飼い主だった婆さんは、木陰に腰かけて本を読んだり、編み物をしたり、犬と一緒になって俺の練習を眺めたりして、時間を潰していた。何とも飼い犬に甘い婆さんだった。

 あんまり犬が熱心に俺を見ているので、俺は一度、犬の視線を振り切れないかと試してみた事がある。あっちこっち走り回ったり、ジャンプしたり、フェイントをかけてみたり。どんなにやっても犬の頭はまるでミサイルの様に俺を正確に追尾し、決して振り切る事はできなかった。

 だが、不思議な事に、その犬は、俺が頭を撫でてやろうとしたり、おやつをあげようとしたりすると、決まって逃げ出してしまうのだった。

 よく分からない奴だった。俺としては、せっかく縁もあったのだし、毎日熱心に練習を見学しているので、仲良くなってもいいと思っていたのだが。

 それに、実を言うと、俺は犬が好きだ。俺が助けたあの黒ラブに限った事ではなく、犬全般が好きで、飼ってみたいと思っていた。

 だが、家庭の事情でそれが許される事は無かった。だから、俺自身が本物の飼い主になれるわけではないものの、その犬と仲良くなれれば、一部だけでも夢がかなうと思ったのに。

 一度、犬とボール遊びをしたり、一緒に走り回ったり、風呂に入れてやったりして見たかった。これも、叶わない夢だ。

 いつしか俺は中学3年生となり、部活を辞めて勉強に専念する様になった。必然、グラウンドで俺が練習をする事も無くなり、犬と会う事も無くなった。

 犬はしばらく後になっても学校のグラウンドに顔を見せていたが、いつの間にか来なくなり、以来、その犬がどうなったのか、俺にはまるで分からない。

 しかし、きっと、幸せにやっているのだろう。

 あの犬は何せ、名犬だ。いろいろな人から大切にされている。飼い主の婆さんもいい人そうだった。不幸せな未来など微塵も考えられない。

 きっとそうだ。俺とは違うのだから。

 ……。

 自分でも、少々、卑屈過ぎるとは思う。

 ああ、ダメだ、ダメだ。

 気楽にやろうって、決めたじゃないか。

 頑張り過ぎず、程々に。他人は他人、自分は自分。マイペースでやればいいんだ。


 俺がこんな風に回想しているのは、昔、よく通った河川敷の、堤防道路の上を歩いているからだ。

 代わり映えのしない、いつもの放課後。いわゆる帰宅部に所属する俺は、暇を持て余した結果、中坊だった頃の通学路へ寄り道して家に帰る事を思い立った。気分転換にはちょうどいいと思えたからだった。

 何せ帰宅部だから、時間はたっぷりとある。少々寄り道しても何も問題ない。多少帰宅時間が伸びたからと言って、とがめだてする様な人も家にはいない。

 しばらくぶりに通る道だったが、特に変わった点も無い。1、2年でそうそう何かが変わるわけもない。堤内地にはありふれた住宅地や田畑が並び、堤外地に作られた広場では、地元の野球少年や、サッカー少年が、俺がそいつらに混ざって走り回っていた時と同じ様に、走り回り、汗を流し、泥だらけになりながら練習をしている。

 初夏の空。晴れた空にはもこもことしていて何とも柔らかそうな白い雲が漂い、その下で駆け回っている青少年たちは、日差しを浴びて何とも眩しく見える。

「初々しいねぇ」

 自分も十分若者だというのは知っているが、俺は自嘲するような笑みと共に、そう呟いた。


 突然、俺が呼び止められたのは、俺がそうやって午後のひと時をのんびりと堪能していた時だった。

「幸太郎さんっ! 並森 幸太郎さんですよねっ! 」

 聞き覚えの無い声だ。

 俺が声の主を振り返ると、そこには1人の少女が立っていた。

 年は俺と同じくらい。俺が今通っている学校のセーラー服姿だ。

 声に聞き覚えは無いが、学校の知り合いか何かだろうか?

 普段、なるべく人と目を合わせないように生活している俺だったが、この時ばかりは確認のためにしっかりと相手の顔を見た。

 驚いた。

 結構、かわいい子だ。

 犬の耳の様な形の癖毛を持つ黒髪に、透き通った黒の瞳。年相応に幼さも残る顔立ちをしている。アイドルとか、モデルとか、そういう職業につく人達の様な飛びぬけた美人、というわけではないが、もしクラスの席替えで隣の席にでもなろうものなら、内心でガッツポーズをしたくなる様な子だ。

 だが、やはり見覚えの無い子だった。俺は必死に記憶を呼び起こし、小学生だった頃のクラスメイトや、中学生だった頃のクラスメイト等、昔の知り合いの子に似ている子はいないかと思い出そうとしたが、該当する様な誰かは思い当たらない。

 俺にとっては謎の美少女であるその子は、唐突に俺の名前を呼んだ後、感極まった様に瞳を潤ませ、頬を赤くして、小刻みに震えながら突っ立っている。

「俺が並森 幸太郎だけど……、えっと、何か、俺に用? 」

 俺はどうにか返事をしたけど、戸惑いを隠せなかった。

 だって、そうだろう? 見ず知らずの少女、それも割と好みの子が、何の前触れもなく、唐突に俺を呼び止め、感極まった様に瞳を潤ませているのだ。

 そもそも、俺は女子と会話をする事に慣れていない。そりゃ、たまに話をするような女子はいるし、話した経験が皆無、という訳でも無い。彼女はいないが、友達と呼べるくらいの奴だっている。だが、初対面の相手に対して、何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか分からない。

 クラスには女子といつも楽しそうに話している奴もいるが、俺にはとても真似できそうにないし、気の利いた話題や、冗談の言い方だって分かりやしない。

 ああ、うん。こんな俺だから、人から見て印象が悪いっていうのは分かっている。けれど、俺にはどうしようもできないんだ。努力しても、必ず成果に結びつくってもんでもないだろう? これは俺の経験上から導き出された結論だ。

 そういう訳も重なり、俺は今、緊張している。

 見知らぬ人間に話しかけられたという事と、その子が美人だという事。俺は何だか無性に喉が乾いた様な気がして、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 しかし、おかしな事もあるものだ。放課後の帰宅途中、たまには帰る道を変えてみようと思い、中学生だった頃の通学路まで足を延ばしてみたら、これだ。俺はただ、景色のいい川沿いの堤防道路を久しぶりに歩こうと思っただけなのに。

 そう言えば、あの黒ラブを助けてやったのも、この近くだったか。

 そこでふと、俺は、自分が奇妙な事を考えているのに気が付いた。

 あの時助けた黒ラブと、今目の前にいる少女。

 どことなく、似てい、る?

 いやいやいや、そんな訳はない。

 今目の前にいるのは間違いなく人間の女の子で、犬じゃない。

 だが、確かに俺は、似ていると思っていた。

 どこがそう見えるのだろう?

 ……。

そうだ、目だ。

 黒くて大きくて、人を疑う事を知らない、真っ直ぐで純粋な瞳。それが似ているんだ。

「やっと……。やっと、見つけました。」

 俺が考えを巡らせている間、ずっと沈黙していた女の子は、再び口を開くと、そう、絞り出す様に言った。

 それから、

「幸太郎さん! 幸太郎さん! 幸太郎さーんっ! 」

 そう叫びながら、真っ直ぐ、躊躇なく、俺に飛びついてきた。

 俺は避けられなかった。少女がそんな行動に出るなんて予想もしていなかったし、少女の動きはあまりにも素早かった。

「おっ、おいっ、ちょっと? 何なんだよっ!? 」

 俺は戸惑いを深めながら、少女の肩をつかんで引き離そうとする。

 だが、少女は容易には離れなかった。

 俺がショルダーバックを片手に持っていて、少女を引き離そうとするのに片手しか使えず、満足に力が駆けられなかったという事もある。

 さらに、咄嗟に掴んだ少女の肩が、思っていた以上に細くて、思い切り力を込めてしまったら、壊れてしまいそうだと思えたのも、理由だった。もっとも、女の子の肩なんて掴んだ事は今まであるわけもなく、比較対象は親父の肩だ。

 そして……、正直に言おう。俺はこの状況を、ちょっと喜んでいた。

 そりゃ、そうだろう?

 自分の好みの女の子が、理由はともかく、自分に抱き着いてきてくれているのだ。はっきり言って、俺は彼女を引きはがすより、自分から積極的に抱きしめ返したいと思っている。

男の物とは違う、柔らかな感触がすぐそこにある。

 だが、それはダメだ。いけない事だ。

 相手は彼女でも何でもない、見ず知らずの誰かだ。欧米では挨拶代わりにハグを交わすそうだが、ここは欧米ではない。日本だ。

 俺が内なる欲望と戦わなければならなかった時間は、思ったよりも短かった。少女は抱き着いて来た時と同じ様に唐突に俺から離れ、不思議そうな視線で俺を見上げた。

「幸太郎さん」

「な、何すか? 」

 少女に呼びかけられた俺は、自分の邪な考えを隠蔽するべく、どうにか笑顔を形作った。もっとも、ぎこちない笑顔で、作り笑いなのがバレバレだったかもしれない。

「サッカー、辞めちゃったんですか? 」

 俺は、ぎょっとした。

 この子は見ず知らずの子だ。少なくとも俺はこの子を知らない。

 ならば、どうして俺がサッカーをやっていた事があると知っている?

 そして、今は辞めてしまった事も、どうして分かる?

 俺はさっきまで、この子に話しかけられて浮かれていた。抱き着かれて、心臓がドキドキし、全身が火照る様な心地でていた。だが、そんな気分はどこかへ消え失せた。今は、この少女が薄気味悪い存在に思えてくる。

 この子は、何者だ?

「どうして、辞めちゃったんですか? 」

 俺の困惑にはまるで気づかずに、少女は純粋に疑問をぶつけて来た。

「……。君には、関係ないだろ」

 俺は、つっけんどんに返事をするしかない。

 ただでさえ、目の前のこの少女が怪しく思えて来ている。それに、そもそも、誰かも分からない様な他人に、どうしてそんな事を話す必要があるっていうんだ?

 俺は軽く少女を突き飛ばす様にして距離を取ると、彼女から顔をそむけた。

「なるほど。分かりました」

 一体何が分かったのだろうか。少女は自身の手の平をぽんと打つと、高らかに宣言した。


「決めました。私、幸太郎さんを、改造します! 」


 ……。

 は?

 訳が分からない。

俺を、改造するだって?

 聞き間違いで無ければ、彼女は確かにそう言った。

 俺が唖然とした視線を向けるのにも構わず、少女は両手でガッツポーズを作り、何だか気合十分なご様子だった。

「そうと決まれば! 幸太郎さん、ちょっと待っていてくださいね! 」

 少女はそう言って俺に笑顔を見せると、踵を返し、あっという間に走り去っていった。

「何だったんだ……? 」

 取り残された俺は、相変わらず呆然とするしかなかったが、そのままその場で少女が戻ってくるのを待つ様な事はしなかった。

 とにかく、少女の事が不気味だった。誰かも分からないのに、どうしてか俺の事を知っている。その上、家族や友人で無ければ知らない様な事まで知っている。

 気味悪い。

 俺はそそくさとその場を後にし、帰宅を急ぐ事にした。


 少女の事は、気にしない事にしよう。

 何度思い返してみても知り合いで無い事は間違いないし、関わるとロクでも無い事になる予感がする。さっさと立ち去って、何も無かった事にしよう。

 俺は今日、誰とも出会わなかったし、おかしな事は何も起きなかった。

 そう決めた俺は、これ以上少女について考える事を止める事にした。


 その日は、それから、何事もなく過ぎ去っていった。

 少女については考えないと決めた俺だったが、気味悪いという感覚は消えず、頭の中からきれいさっぱりあの少女の存在をかき消してしまう事は不可能だった。

 おかげで、昨日はよく眠れなかった。

 新しい一日は、何事もなく始まった。俺は眠気を抑えながら朝の準備をし、欠伸をしながら登校して、居眠りしつつ午前中の授業をやり過ごした。テストは当分先だから、今は適当にやり過ごしてもいい時期だ。

 そうして、待ちに待った昼休み。チャイムが鳴るのと同時に机の上を綺麗に片づけた俺は、朝にコンビニで買っておいたパンを片手に、自販機でパック入りの牛乳を入手し、校舎の屋上へと向かった。

 この学校には、食堂も、購買部もある。なのに、何故、俺がわざわざコンビニで昼飯を用意したのかと言えば、食堂も、購買部も、例によって混むからだった。

 特に購買部の込みようは、修羅と言っていい。カロリー消費の大きな運動部の連中が、昼飯だけでなく部活後の空腹を満たすための食料を手にしようと、我先にと殺到する。あの混雑の中に突撃していく元気は俺には無いし、人がはけるまで待っていては商品が無くなってしまう。

 食堂には若干の余裕があり、座る席が無いという事態にはまず遭遇しなかったが、しかし、それは見知らぬ誰かと相席する事を前提とした話だった。隣に誰かが座ろうものならそれなりに窮屈だったし、見ず知らずの相手と相席するのはどことなく気恥ずかしい。

 俺は、1人が好きなんだ。

 そう。1人はいい。

 他人の事を気にしなくていいし、マイペースに、ゆっくりできる。

 余計な事を考えずに、済む。

 俺が通うこの学校は、幸いな事に屋上への出入りは自由だった。世の中には安全のためとか、維持管理の簡略化のために屋上への立ち入りを禁止している学校も多いらしい。だが、この学校は変なところで意識が高く、環境対策を名目として屋上緑化を実施し、リラクゼーションのために生徒に開放している。

 屋上緑化、と言っても、あまり感心する様な事は無い。元々あったコンクリート製の床の上に土を敷き、その上に芝生を敷き詰めただけの事だ。休憩に使える様にベンチやテーブルを配置してあるが、それ以外には何もない。水道関係の設備が設置してあるぐらいだ。

 生徒に開放されているという事は、当然、俺以外にも誰かがいるという事でもあった。だが、階段を好んで上りたがる生徒はあまりいない。おかげで、屋上は学内のどこよりも人が少なく、比較的静かな場所だ。

 それに、俺にはとっておきの穴場がある。そこならば、誰とも関わる事無く、自由気ままに過ごす事ができる。

 と言っても、何か凄い場所がある訳ではない。そこは屋上と校内の出入り口がある昇降口の屋根の上だ。

 俺はビニール袋にパンと牛乳を入れ、軽く上に放り投げて屋根の上に載せる。それから、脇の梯子を上り、いつもの定位置に腰かけた。

 実を言うと、この、昇降口の屋根の上は、上ってはいけない事になっている。理由は転落防止設備が未設置なためで、俺がやっているのは違反以外の何ものでも無いのだが、比較的校則の緩いこの学校では、誰も気にしない。例えここから落ちたとしても屋上の芝生の上に落ちるだけなので、どうせ大怪我はしないしな。

 屋根は鉄筋コンクリート製で、四方を膝丈くらいの高さのコンクリート壁が囲っている。この背の低いコンクリ―壁は転落防止としては全く役に立たないのだが、これがあるおかげで、屋根の真ん中くらいに腰かけると周囲からの視線をイイ感じに遮る事ができる。

 そうだな、感覚としては、小学生の時に橋の下に作っていた秘密基地の様なものか。誰からも邪魔される事の無い、俺だけの空間という奴だ。

 言っていて、何だか虚しい様な気もするが、俺は深く考えない事にしている。

 友達がいないの? とか、陰気だ、とか言われているかもしれないし、実際そう言われているんだろうが、生憎、俺はこういう奴なんだ。

 まぁ、一匹狼を気取るほど、割り切れてもいないんだが。

 いつもの定位置に腰かけた俺は、さっそく1つ目のパンを取り出し、包装を破って口に咥えた。定番中の定番、焼きそばパンだ。

 ソースと紅生姜の風味を堪能しながら一口目を咀嚼し、飲み込むと、俺はパック牛乳にストローを突き刺し、牛乳を喉へと流し込む。

 ああ、小さな幸せっていうのは、こういう事を言うんだろうな。


「幸太郎さん! 」

 俺は、危うく牛乳を吹き出すところだった。

 間違いない。

 昨日の、あの、謎の美少女だ。

 俺は慌てて立ち上がると、屋根の縁へと向かい、屋上を見回した。

 屋上には、数えられるくらいの生徒達が散らばっていた。ベンチとテーブルに集まって昼食を摂っているグループが2つほど。早々に昼食を終えたのか、芝生の上でキャッチボールをやっている生徒もいる。

 だが、幸いな事に、昨日の少女の姿は見当たらない。

 何だ、空耳か。

 ほっとした俺は、昼食を再開しようと振り返った。

「幸太郎さん、これ、おいしいですねっ」

 そこには、俺の昼食のパンを、美味しそうに頬張っている謎の美少女の姿があった。

 この学校のセーラー服に、動物の耳の様な癖毛を持つ黒髪。にこにこと楽しそうな横顔に、真っ直ぐで純粋な黒の瞳。

 昨日、出会った時と微塵も違わない。

 突然の事態に言葉を失い、思考停止して呆然としている俺の眼の前で、少女は俺の食べかけだった焼きそばパンをあっという間に食べつくしてしまった。

 唇の端についたソースをペロリと舌なめずりしてぬぐい取ったその少女は、無遠慮にビニール袋の中を探ると、2つ目のパンを取り出し、手に持ってしげしげと眺めた。

「くりぃむぱん? 美味しそうっ。でも、どうやって開けるんだろ? 」

 少女はそう呟きながら、パンの入った袋を引っ繰り返したり、引っ張ったり、ひっかいてみたりしている。

 ようやく、俺は正気を取り戻した。

「コラっ、返せよ! それは、俺の昼飯だぞっ」

 少女からクリームパンの袋をむしり取り、俺は声を荒げた。

 俺に怒鳴り付けられた少女は、びくりと肩を震わせると、仁王立ちする俺を見上げ、それから、じわりと目尻に涙を浮かべた。

「ごっ、ごめんなさぃぃっ」

 涙交じりに謝罪して来る少女の犬耳の様な癖毛が、心なしか萎れて見えた。

 何とも憐れでいじらしい。

 ついかっとなってしまったが、怒りはすぐにしぼんで消えてしまった。

 むしろ、逆に、俺の方が少女に対して悪い事をしてしまったかのような気分になる。

 いやいやいや。

 待て待て待て。

 これじゃ、俺が悪者みたいじゃないか。

 俺はこの少女に勝手に昼飯を食べられた。だから被害者は俺だ。それに、少し怒鳴っただけじゃないか。

 だが、少女は、今にも本格的に泣き出しそうに、しゃくりあげている。

「ま、待てよ。パンならやるからっ。だから、泣くなって」

 慌てて俺はパンの袋を開くと、少女に向かって差し出した。

 少女は尚もしゃくりあげていたが、しばらくすると俺の差し出したパンに顔を近づけてスンスンと匂いを確かめた。犬みたいだった。それから、一旦、俺の顔色をうかがい、ようやく落ち着いたのか、おもむろにパンに齧りついた。

 いや、待て。

 何で、自分でパンを受け取らずに、俺の手から食べるんだ?

 俺は状況を飲み込めず、唖然とする他は無かった。

 だが、少女はそんな俺にはお構いなく、旺盛な食欲を見せ、むしゃむしゃとクリームパンを食べ進めていった。ぺろりと平らげた。最後に、袋からはみ出て俺の指についたクリームを、どこか愛おしそうに舐めとった。

「ぅひゃぃっ!? 」

 少女の舌が俺の指先を撫でる感触に、俺は奇妙な悲鳴をあげた。

 おかしい。いや、ちょっと、かなり嬉しかったけど、これはおかしい。

 確かにパンからはみ出したクリームは舐めたくなるが、普通、他人の指についたものは舐めたりはしないだろう。

 常識外の行動に俺は混乱した。恐らく、顔も赤くなっているだろう。

 何か、こう、フェチっぽいじゃん?

 恋人同士でもやらないよ、こんな事!

 だが、少女は、それがさも当然の行為であるかのように平然としていた。むしろ、何故俺が顔を赤くしながら硬直しているのかを理解できないらしく、きょとんとした、不思議そうな表情をしている。

 冗談じゃない。

 いろいろとおかし過ぎる。

 いったい、俺の平穏な日常はどこに行っちまったんだ?

 俺が固まっていると、少女は関心を俺からビニール袋へと戻し、そこに入っていた最後の小袋、カレーパンを取り出し、俺へ向かって差し出した。

「幸太郎さん。これっ。これも、食べてみたいです! 」

 上目遣いの、おねだりする様な視線だった。

 俺が袋を開けてやれば、少女はそれを、クリームパンと同じ様に、美味しそうに食べるのだろう。そしてまた、俺の指を舐めるのかもしれない。

 ……。

 ちょっと、いいかもしれない。

 ……。

 いいや、やっぱり、ダメだ!

 誘惑を振り切り、わずかに冷静さを取り戻した俺は、少女からカレーパンの小袋を奪い取りながら叫んだ。

「あほかっ! 」


 深呼吸。

 そう、深呼吸だ。

 とにかく落ち着け。落ち着いて状況を整理し、何が起きているのかを理解しなければ。

 だが、何をどう理解すればいいんだ?そもそも、理解したところで、この状況にどう対処すればいいんだ?

 座り込んだ俺は、頬杖を突き、悩みに悩んでいた。

 少女はと言うと、相変わらず、俺の眼の前にいる。

 幻でも無ければ、俺がいつの間にか生み出してしまった幻覚とかでもない。指先を撫でたあの感覚はあまりにも生々しく、はっきりとその感触が残っている。

 分からない。

 どうして、コイツは俺の前にいるんだ?

 何のために?

 俺は、こいつの事を知らない。本当に、何も知らない。

 だから、こいつをどう扱ったらよいものやら、さっぱり分からない。

 俺の悩みの種の少女はと言うと、俺の悩みなどそ知らぬ風に、美味しそうにカレーパンを頬張っている。もちろん、彼女自身が自分の手で持って、だ。そうやって食べるものだと、ついさっき俺が教えた。袋の開け方も教えてやった。

 困った。本当に、困った。

 俺はここで、昼食をさっさと済まし、後は昼休みが終わるまで昼寝をしようと思っていたのに。その予定が、俺の平穏なひと時の予定が全部パーだ。

 ふと、俺は気づく。

 そう言えば、昼飯は全部、こいつに食われてしまった。

 空腹を思い出したとたん、腹の虫がぐぅと鳴る。

 カレーパンを食べ終え、自身の指についたカレーソースを舐めとっていた少女は、俺の腹の虫の声に気付いた様で、音の正体を探る様な視線を俺へと向けてくる。俺は、憮然とした表情を少女へと向けた。

 やがて、少女は音の正体に気付いた様で、あっ、と声を漏らした。

「あっ。じゃ、ねーよ」

 俺は、少女を睨みつけてやった。

 おのれ、俺の昼飯を。安らぎのひと時を台無しにしやがって。

 食い物の恨みは恐ろしいと言うが、いつかこいつに思い知らせてやりたい。

 俺に睨まれながら、少女は、視線をあっちこっちにさまよわせている。どうすればよいのか、何やら考えこんでいるらしい。程なくして少女は何かを思いついたらしく、ぱっと表情を明るくし、ぽんっと手の平を打った。

「思い出しました! 幸太郎さん、こちらをどうぞ! 」

 そう言って少女が俺に差し出したのは、ちょうど二段重ねの弁当箱が収まりそうな包みだった。

 少女はいそいそと包みを開くと、案の定、中身は弁当箱だった。ちゃんと箸もついているし、ご丁寧な事に、お手拭きまで入っている。

 少女は弁当を包んでいた布を広げ、その上に弁当箱を広げた。少女が蓋を取ると、片方は白米の上に梅干しが乗った日の丸弁当で、もう片方は、大きめの具材がゴロゴロ入っている筑前煮だった。

 見た目、うまそうだ。実に、うまそうだ。

 俺の腹の虫が、再び、勢いよく鳴った。

「えっと……、食って、いいのか? 」

「はいっ」

「えっと……、本当に? 」

「もちろんですっ」

 俺の問いかけに、少女ははきはきと答えた。

 そうか、そうか。

 遠慮しなくていいのか。

 ならば、やる事は一つだ。

「いただきます」

 俺は合掌すると、箸を手に取った。


 筑前煮の鶏肉をすくいあげ、俺は、躊躇なく口に運ぶ。

 具は大きめだったが、一口で収まる大きさに整えられている。食べ応えと食べやすさを両立させた、絶妙な大きさだ。

 口に含むと、口の中に醤油と、様々な具材、そして出汁が混然一体となったいい香りが広がる。味付けは薄めで、俺の好みでは無かったが、だが、その分具材の風味が生きている。

 肉は、柔らかく、ジューシーだ。味も良く染みていて、鶏肉の旨味と風味に、他の具材と出汁の風味が加わり、実に奥深い味わいを生み出している。

 次に、俺は、筍を箸に取った。

 口に含んで咀嚼すると、シャキシャキとした食感。灰汁っぽい感じは微塵もなく、小気味よい歯ごたえを存分に楽しめる。鶏肉と同じ様に味も良く染みていて、ごはんがたまらなく欲しくなる。

 それから俺は、白米を一口。普通の炊いたご飯だったが、筑前煮との相性は抜群だ。食べ進めている内に口の中が脂でくどくなってきたら、真ん中にでんと乗った大粒の梅干しでさっぱりと口直しができる。

箸が、どんどん進むぞ!


 うまい。

 もう一度言おう。

 うまい。

 何度でも言おう。

 うまい。

 これは、いいものだ!

 俺は、夢中になってその弁当をむさぼった。

 俺は普段、お世辞にも良い食生活は送っていない。

 昼はコンビニのパン。夜はスーパーの弁当。カップラーメンの日もある。朝は食べたり食べ無かったり。たまに自炊もするが、本当に気が向いた時だけ。それが俺の食生活だ。

 そんな俺にとって、その弁当の味は、正に衝撃的だった。


 半分ほど弁当を食べ進めた時だった。

 俺は、少女が、物欲しそうな顔でこちらを見つめている事に気付いた。

 どうやら、彼女もこの弁当を食べたいらしい。

 パンを3つも平らげておいて、まだ食う気なのだろうか?言っておくが、少女に食べられたパンの内の1つは、放課後に小腹が空いた時のおやつにしようと思って買ったものだったんだぞ?

 自分のお昼をすっかり食べられた事もあり、俺は少女の熱い視線に気づかなかったフリをして、弁当を食べ進めようとした。

 だが、少女は、何とも切なそうな目で、俺の胃袋に消えて行く料理達を眺めている。物欲しそうに半開きになった口からは、今にも涎が垂れそうだ。

 ええい、分かった、分かったよ。

 そんな目で俺を見るんじゃぁ無い。

「えっと……、食べたい? 」

 俺の問いかけに、少女は答えなかった。

 その代わり、

「あーん」

 俺に食べさせてくれとねだる様に、大きく口を開いた。

 その瞬間、俺の全身に電流が走った。


 それからの数分間について、俺は記憶を失っている。

 気づいた時にはすっかり空っぽになった弁当箱があり、箸を持ったまま呆然としている俺の眼の前には、満足そうにしている少女の姿があった。

 馬鹿な。

 一体、何が起こったっていうんだ?

 まさか、俺は、少女が求めるままに、弁当をひたすら、無心に食べさせ続けたとでも言うのか?

 状況からして、恐らくそういう事なのだろう。だが、俺は何も覚えていない。

 本当に、何も覚えていないんだ。

 くそっ。何ていう事だ。

 何も覚えていない何て。

 恋人同士がそうする様に、女の子にあーんさせて弁当を食べさせた時間を、一生俺には縁が無いと、想像すらした事がなかった甘々な瞬間を、まるで覚えていない何て。

 何て、何て、もったいないんだっ!

 ……。

 いやいやいや、違うだろう、俺。

 確かに何も覚えていないのは誠に遺憾ではあるのだが、そんな事より重要な事があるだろう。

 そうだ。思い出せ。

 そもそも、この少女は、一体、何者なんだ?

 その場の勢いで素直に食べてしまったが、この女の子に弁当を作ってもらう理由が、俺には無い。何故この少女は俺に付きまとい、弁当まで作ってくれたのか?この点をはっきりさせる必要がある。

「なぁ……、今更だけど、君は、誰なんだ? 」

 俺は箸を置くと、単刀直入に少女に尋ねた。

 満腹してご満悦だった少女は、まず、きょとんとした、不思議そうな表情を俺に向けた。

「覚えてないんですか? 幸太郎さん、私、すずみです。夕凪 すずみです」

 なるほど、この少女はすずみと言うのか。

 俺は新たに得た情報を元に、自身の記憶を呼び覚まそうとしたが、やはり、すずみという名前の少女に心当たりは無かった。あまり縁がなく、名字でしか覚えていないクラスメイトも結構いたが、夕凪、という名字には馴染みがない。

「あの……、覚えて、無いんですか? 」

 渋い顔をして悩みこんでいる俺の表情から、俺が彼女をさっぱり覚えていない事を悟ったすずみは、ややショックを受けた様な、何とも残念そうな表情で俺の顔を覗き込んだ。

「わりぃ。全然、覚えていないんだ。……小学校、いや、保育園の時の知り合い? 」

 すずみの残念そうな様子に、俺は申し訳ない気分になった。とりあえず、覚えていないという事は、記憶にないくらい小さな頃の知り合いかと思い、俺はすずみに確認してみる。

 すずみは、首を左右に振った。

「幸太郎さん。本当に覚えてないんですか? あの……、私、幸太郎さんに、川で溺れていたところを助けていただいたのですが……。」

 何だって?俺が、川で溺れていたところを助けた?

 俺が川で溺れているところを助けたと言えば、思い当たることは1つだけ。わんこの、黒ラブが1匹だけだ。

「なぁ……、夕凪さん。何か、勘違いしてないか? 俺が助けた事があるのは、犬だぞ? 」

 すずみはとても嘘をつく様には見えなかった。うまい弁当を(結局、半分しか食べられなかったが)ご馳走になったわけだし、あまり彼女を疑いたくは無い。しかし、俺は彼女を疑わずにはいられない。俺が昔、川で溺れていた犬を助けた事を断片的に知って、話をでっち上げたのではないか? 何らかの思惑で、俺を騙そうとしているのではないか? いや、何か罠に陥れられる様な覚えは全くないんだが。

 そんな俺の疑念など素知らぬように、すずみはぱっと表情を明るくした。

「それです! 私、その時に助けていただいた、すずみです! 」

 んなわけがあるか。

 何度も確認するが、俺があの時助けたのはわんこで、人間じゃない。今目の前にいるのは人間にしか見えない。つまりそんな事はあり得ない。

 しかし、俺の思考はそこで、引っ掛かりを感じた。

 確か、あの時助けた犬の名前は、何と言っただろうか。

 ……。

 いや、そんなはずが無い。

 そんなわけがない。現実的にあり得ない。

 だが、今、俺の記憶は、すっかり忘れていた、あの時助けた犬の名前を、はっきりと鮮明に思い出していた。

 あの黒ラブの名前は、そう。すずみと言った。

 頭が痛くなってきた。

 少女、すずみがやはり作り話をしているとしてしまうのが、一番現実的で論理的な回答である様に思われた。だが、俺には、この少女が嘘をついている様にはどうしても思えなかった。少なくとも、彼女は、心底その様に信じ込んでいる様子だった。

 だが、そんな事はあり得ない。あり得ないはずなんだ。

 俺が額に皺を寄せて悩みを深くしている間に、すずみは何かに気付いた様な顔をした。それから、確かめる様に自身の右手を見、左手を見、身体を見て、納得した様にぽんっ、と手を打った。

「あぁ、分かりましたよ、幸太郎さん。私が犬の姿のままじゃないから、思い出せなかったんですね? 私、神様に、人間の姿にしていただいたんです」

 俺の頭痛が、もう一段階悪化した。

 神様、だと?

 人間にしてもらった、だと?

 荒唐無稽である点を除けば、確かに、すずみの言う事は合点がいく。すずみが元々犬で、俺があの時助けた黒ラブで、それが人間の姿になったのだとしたら、俺が彼女を知らないのも道理だし、家族や友人でも無ければ詳しくは知らないであろう、俺の唯一と言っていい武勇伝を知っていてもおかしくは無い。

「いや、おかしいだろ。犬が、人間になるなんて」

 俺は、到底信じられなかった。

「いいえ。本当です」

 しかし、すずみは自信ありげに断言する。

「すずみは、善行を積み、徳を施し、悪を遠ざけ、自ら精進に励み、それを神様に認めていただいた結果、人間にしてもらったのです」

 自信たっぷりにそう言われたところで、信用できる道理など存在しない。

「信じられるわけが無いだろ、そんな事。おとぎ話じゃあるまいし」

「でも、本当なんです! 」

「だから、そんなのあり得ないって言ってるだろ! 」

 つい、俺は声を荒げてしまった。

 俺の大声にびっくりしたのか、ショックを受けた様子で、すずみは既に瞳を潤ませている。涙腺が決壊するのも時間の問題だろう。ひっく、ひっくと、小さくしゃくりあげているすずみの肩が、小刻みに震えているのが分かる。犬耳の様な癖毛が、怯えた様に萎れている。

 俺は、慌てた。

 すずみを泣かせようとか、そういうつもりは全く無い。

 ただ、あまりにも荒唐無稽な話に、俺の理解が追い付かないんだ。

 犬が人間に、何て、あり得るわけが無いだろう。到底、信じられない。だが、すずみが嘘をついている様子は無い。

 むしろ、すずみが、変な嘘をついている方が話は分かりやすかった。その場合は、彼女がどんな思惑で俺に近づいたのかという疑問は残るものの、犬が、神様に人間にしてもらったという、荒唐無稽で非科学的な話について考慮する必要が無くなる。

 だが、俺自身、そう断言してしまう事ができずにいる。

 何故だろうか。

 自問自答し、やがて、俺は気づく。

 俺自身、すずみが、あの黒ラブに似ていると、そういう印象を持っているからだ。

 最初に会った時、確かに、俺は、すずみの純粋で真っ直ぐな瞳を、あの時助けた黒ラブと似ていると思ったのだ。

 あまりに荒唐無稽で、あり得ない話ではあるが、俺は、ひとまず、そういう事にしようと決めた。

 何より、すずみを泣かせてまで、彼女を疑うのは、やりたくは無い。

「分かった、分かったよ。とりあえず落ち着けって」

 俺はすずみをなだめる様に両手の平を彼女へ向け、なるべく声を優しくした。

「お前は、あの時俺が助けたわんこで、どうにかして人間になった。そういう事にしておく」

 だが、それだけでは、すずみは落ち着きを取り戻さなかった。まだ、しゃくりあげている。

 俺は困ってしまって、後頭部をガシガシとかくしかなかった。

 あー、やはり、これを言わないとダメか。

「えっと……、お前の事、すぐに思い出せなかったのと、疑ったの……、その、悪かったよ」

 俺の謝罪の言葉で、すずみはようやく、落ち着きを取り戻した様だった。

 もちろん、繰り返し言うが、俺は彼女の言う事を心底信じ込んだ訳ではない。ただ、泣かれるのが嫌だと思っただけだ。

 すずみはようやく、目尻に浮かんでいた涙を袖でぬぐった。

 とりあえず、彼女の正体についてこれ以上探るのは止めよう。気にはなるが、しつこく尋ねてもいい結果になるとは思えない。それに、他にも確認しなくてはならない事がある。

「その……、弁当、美味かったよ。ありがとうな。夕凪さんが、作ってくれたのか? 」

「はい。お婆ちゃんが作ってくれたのを思い出しながら、作りました」

 俺の問いかけに、すずみは頷いた。

 そこで、俺は気づく。

 よく見れば、すずみの手には、いくつも絆創膏がまかれている。肌色に溶け込んで目立たないタイプの物だったから今まで気づかなかったのだが、恐らくは、料理をする際に包丁で指を切ったのだろう。

 俺は、情けない気分になった。

 あの弁当は、自分の指を傷つけながら、一生懸命にすずみが作ってくれたものだったという事だ。味が素晴らしかったのはもちろん嬉しいのだが、何より、それだけ一生懸命になってくれたという事が有難い。

 俺は、そういう事をしてくれた相手を、もう少しで泣かせるところだったのだ。

 こんなに自分を情けないと思った事は、そう何度も無い。

「なぁ、夕凪さん。どうして、俺に弁当を作ってくれたんだ? 」

「それは……、幸太郎さんに、元気が無いみたいだったので。お婆ちゃんが言っていました。美味しものをたくさん食べれば、人は元気になれるものだって。健康は、良い食生活からだって。お婆ちゃん、口癖みたいに言っていました」

 そう言えば、最初に出会った時、すずみは、俺の事を「改造する」とか言っていた。あれは、こういう事だったのか?

 だが、俺は健康そのものだし、毎日健やかに過ごしている。

「俺を元気にする? 俺はほら、この通り、元気だぜ? 」

 俺は両手を左右に広げ、大きな動作で上下に振り回して見せる。

「弁当は美味かったし、正直、嬉しかったけど、余計な心配だよ」

「いいえ。……幸太郎さんは、私が知っている幸太郎さんは、もっと元気がありました」

 しかし、すずみは頭を振った。

「今の幸太郎さんは、元気が無いです。どうして、サッカーを辞めちゃったんですか? 」

 俺は、すずみの問いかけには応じず、努めて笑顔を作り、なるべく朗らかでのびのびとした声で彼女に問い掛ける。

「夕凪さんは、どうして、俺がサッカーを辞めたって分かるんだ? 」

「土の匂いが、しませんでしたから」

 なるほど。自分は元々犬だった、と言うだけあって、すずみの鼻はよく利くらしい。確かに、サッカーを熱心にやっていた頃の俺なら、土の匂いがしただろう。しかし、今は帰宅部だから、土と触れる様な場面は無い。

 しかし、何故、サッカーを辞めたのか、か。

 答えづらい事を聞く。

「それは……、夕凪さんが気にする様な事じゃない」

 俺は、昨日と同じ様に、つっけんどんにそう答えた。

 この話題は、これ以上続けたくはない。

 その時、俺にとっては都合のいい事に、昼休みがもうすぐ終わる事を知らせる予鈴が鳴り響いた。

「さて、と。昼休みももう終わりか。俺、教室に戻るから」

 俺はすずみにそう言うと、そそくさと立ち上がり、今はゴミ袋となったビニール袋を持って、梯子のある方向へと向かった。

「あっ、待ってください! 」

 すずみが慌てた様子で俺を呼び止めるが、

「待たないよー。次の授業に遅れちまうからなー」

 俺はビニール袋を持っていない方の手をひらひらと振って見せ、すずみを無視した。

 そんな俺の背中に向かって、すずみは言い放つ。

「幸太郎さん! 私、あきらめませんから! きっと、幸太郎さんを改造して見せます! 」

 ……。

 あー、そうか、そうか。

 言っておくが、俺は今の生活に満足しているし、すずみの思い通りに改造されるつもり何てこれっぽっちも無いんだ。

 だが、すずみの声は本気のものだったし、俺がどんなに拒絶しようと、無視しようと、決してあきらめないぞという強い意志が込められているのが良く分かる。

 けどな、すずみ。俺はもう決めたんだ。

 気楽に生きるって。

 何かに必死になって、辛い思いをして努力しても、結局は無駄なんだ。

 無駄だったんだよ。

 俺は、すずみを振り返らなかった。

 そして、梯子を下りながら、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

 胸の内に渦巻く感情を、そのまま抑え込んでおく事ができなかったからだ。

「ぁーぁ……。俺、カッコ悪ぃよな」


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