勇者は笑って人を射る。(美少女とは地上最強の生命体であるべき)
~プロローグ
--あなたはどんな人間ですか? --
と、尋ねられたかどうかは、知らないが。
極東島国の作家が、自分のことを、こう表現したそうだ。
「有機交流電燈のひとつの青い照明です」
俺なら自分のことを、こう言うね。
「遠いお山のようなものです」
と。
おそらく、
「痛いの痛いの飛んで行け。遠くのお山に飛んで行け」
を、一度も耳にすることなく育った大人はいないだろう。
遠いお山とは、『痛いの痛いの』が飛んで行く、とてもとても有名なあの山である。
もちろん「遠くのお山」というのは、想像の産物なんだけど、もし実在するとして想像してみてほしい。
いつも通り平和な毎日を過ごしていた「遠くのお山」さんに、ある日突然、『痛いの痛いの』が降ってくる。
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つまり、俺という人間は。
平穏と質素に、そして平民のテンプレみたいに穏やかに生きていたにも関わらず、何者かの意志により、突然空から『痛いの痛いの』が降ってくる、遠くのお山のような存在。
--要するに、こういうことだ。
<<< ノアとグレンの珍道中シリーズ (勇者は笑って人を射る) >>>
時刻は昼を少しまわったくらい。
季節は秋にはいり日差しはだいぶ優しくなってきたとはいえ、まだまだ直射日光は体温を上げるには十分なわけで、俺はひたいに滲んだ汗を黄色いハンカチでぬぐった。
去年、母にプレゼントされたハンカチをズボンの前ポケットにしまいながら、2メートル先を歩く旅の仲間に声をかける。
「ねえ、ノア。この道であってるよね」
あまり大きな街道ではないが、それでも他の人を見かけなくなってずいぶん経つ。
この山道はアドバルとニャルロゴーを繋ぐ街道で、どちらも中規模程度の都市であり、ここまで人を見かけないのは不自然な気がしはじめていた。
道を間違えたのだろうか。不安がよぎった。
「私が道を間違えるはずないでしょ」
と。前方を歩く旅の仲間、ノアは足を止めることなく歩きながら言った。
「じゃあさ、少しでいいから休ませてよ、ノア」
俺の背中には、肥満体の子供か河原の石でも入っているんじゃないか、と疑いなるぐらい、大きくて重い鞄が張り付いている。
全身から噴き出す汗は、季節のせいではない。
「鞄が重くて死にそうだよ」
ノアの私物がほぼ100%詰まった鞄を背負って山道を歩いているのだ。少しは座って休んだとしても、奴隷商人でさえ許してくれるだろう。
前方を闊歩する、ヴィジュアル系バンドの『おっかけ』を思わせる、ロリータ・ワンピースの背中に向かって、俺は人道的な提案をした。
一方、声を掛けられたノアは、立ち止まり、手にした純白の日傘を傾けて、俺を見る。
ガラス玉のような紅い瞳に、呆れるほど長いまつげ。白い肌に小さな唇は、西洋の人形のように愛らしい。ふわりとウェーブのかかった長い白髪が、木漏れ日を浴びて、透明感のある光りを放っていた。
本性を知る俺でさえ、ドキリとしない時はない。かなり不本意ではあるが。
そんな極上の美少女が振り返り、俺に向かって微笑んだ。一流の画家だって描けない、天使のような微笑み。
その天使様が口にした言葉は。
「ぶっ殺されたいの?」
どうやら俺は、ぶっ殺されるようなことを言ったらしい。
「まあ、いいわ。天気がいいから許してあげる」
言ってノアは、ふんっ、と鼻を鳴らして近づいて来た。
何故が日傘をくるくる回しながら。今日は機嫌が良いらしい。
俺は背中の鞄を地面に下ろした。その鞄に、ノアは座る。これがノアの、休憩のスタイルだ。
俺はというと、だいたい立って休むのだが、今日ぐらい疲れてしまうと、地面に腰を下ろして、膝を抱える。
俗にいう、体育座り、って奴だ。
見た目はアレだが、落ち着くのだから、仕方がない。しばらくはそよ風を感じながら、疲労回復に専念するとしよう。
「ねぇ、グレン」
鞄に腰掛けて、退屈そうに、足をぷらぷらさせていたノアに呼ばれて、俺は返事をした。
「なんですか?」
「お腹が空いた」
俺もお腹が空いていたが、あいにく食料は尽きている。
「つぎの街までは、あと一刻ほどです。我慢し……」
-----ひゅんっ-----
「え……?」
我慢して下さい、と言おうとしただけなのに、俺のおでこの中心には、太い氷の棒が突き刺さった。
ノア程度の力量ともなれば、魔法を発動させるのに必要な詠唱はカットできる(らしい。本人談)
ということで、なんのモーションもなく、ノア様は魔法で氷の槍を出現させると、俺のおでこに向けて発射させたのだった。
「ぐひゃはははははh」
いたいけな俺のおでこに、冷気系の魔法をぶっ放した加害者は、腹を抱えて大爆笑。
しかも、指をさして。
「ちょ~ウケる。ユニコーンみたい~。ユニコーン。あはははははh」
ひどくね?
太さが手首くらいある氷の槍が、人の頭部に刺さっているんだぞ。
てか、刺したのはあんただし。なぜそこで抱腹絶倒できるの?
「笑ってないで、どうにかして下さいよ」
うららかな秋の山道の途中で、純白の日傘をさしたゴスロリガールと、頭に氷の槍がぶっ刺さった人間。まわりに人がいなくて良かったと思う。
俺の体はとある事情(100%ノアが原因)から、切っても刺しても炒めても死ぬことはない。時間が経てばくっ付くし傷は癒える、血も出ない。
もちろん死なないだけで、切るのも刺すのも炒めるのも、あと部位をちぎるのも勘弁してもらいたいのだが、時々この美少女の皮を被った鬼畜は暇つぶしのように、このような無意味な暴力をふるう。
今回も暇つぶしかなにかで、こんな所業にでたのかと思っていたら…。
ノアは、たっぷり笑ってから、鞄から腰を上げて、キュートに微笑んだ。
「失敗しちゃった。てへ」
失敗って、あーた。
なにをしようとしたら、こんな地獄の黙示録みたいな惨劇が生まれるんだ。
「本当は、アレを狙ってたの」
そう言って、俺の後ろを指した。
「あれって?」
俺は後ろを見た。
大小様々な木々が茂る雑林には物静かな時間が流れているだけで、強力な攻撃魔法をぶっ放すような危険な存在は見当たらなかった。
「なにもありませんよ」
「あいかわらず。ヘタレの定型文みたいな男ね」
ヘタレは、いまは関係ないし。
「そこにいるのは分かってるのよ! 隠れてないで、出てらっしゃい!」
尊き神様を讃える賛美歌のように、清らかな声は森の中に吸い込まれた。
直後。
枯れ枝の折れる音とともに、木と木の間から、一人の男が姿を現した。
「恥ずかしかねー」
黒とも焦げ茶ともつかない汚れた服を着た、小柄な男だ。年齢を分からないが、かなり年上に見える。
俺の父親ぐらいか。
服はぼろぼろだし、顔も赤黒く汚れている。みすぼらしい、というより汚らしい。
男は俺を見るなり、粘着力のある笑みを浮かべながら、近づいて来た。
「兄ちゃん、ずいぶん珍しいアクセサリーを付けてるけどよー。高そうだね。ブルーサファイアかい?」
氷の槍のやりとりを見ていなかったのか、距離があって会話までは聞こえなかったのか、男は俺のおでこを見てアクセサリーと思ったようだ。
アクセサリー、だと?
いえ、ただの氷の塊ですが、なにか。
さっきから体温で溶けた水滴が、目に入ってツライですよ、実は。
と言いたい気持ちを、堪えて。
「今、王都で流行ってるんですよ」
こんな物騒な物が、実は頭に、直接刺さっているなんて夢にも思っていないであろう男は、ヘラヘラと感じの悪い笑みを浮かべ、匂いそうな服を風に揺らしながら、さらに近づいて来た。
失礼かも知れないが、都会のホームレスだって、もっと小綺麗にしてるし、愛想笑いにも品があると思うぞ。
「ちょっくら、見せてもらってもええかね」
「それ以上近づくな」
返答をしたのは、ノアだった。
しかも、ビシッと中指を突き立てて。
おいおい。
ここが、ジャンクフードとベースボールをこよなく愛する『自由の国』だったら、絶対にやっちゃいけない行動だぞ、ソレ。
俺の人道的な心配を余所に、白髪の美少女様は、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「それ以上近づないで。……あんた匂うのよ。薄汚い死の匂いがね!」
死の匂いって?
「おいらは怪しい者じゃねーすよ。ケケケ」
男は歩みを止めなかった。すでに手を伸ばせば届く距離まで来ていた。
「あんた今まで、何人殺したのよ」
へっ。殺した?
「チッ。綺麗な顔に似合わず、勘のいいお嬢さんだぜ」
男は吐き捨てながら、腰に手を回すと、でっかい包丁を出現させた。
「金を出しな!」
手を伸ばせば届くぐらいの至近距離でナタみたいなでかい包丁を出されたもんだから、
「ひぇ~。助けて~」
俺はびっくりして後ろに倒れてしまった。そして地べたを這ってノアの後ろに逃げ込んだ。
「情けない兄ちゃんだな。女の背中に隠れるのかい」
包丁男は、俺の選んだ最善策をバカにしてきた。
笑いたければ、笑うがいいさ。けどな、ノアの背中こそが、世界最高峰の安全地帯なんだよ。
ま、時々は最悪の爆心地にもなるが。
「遊んであげてもいいけど、超お腹空いてるから、手加減しないわよ」
すみません。あなたが手加減しているところを、見たことないんですが。
「いいから。金目の物を全部出しな!」
「金目の物ねー。なんかあったかしら。ねぇ、グレン?」
いやいや、そこは俺にふる所ではないだろう。てか、頼むから巻き込まないで。
「なんとかしてよ、ノア」
「ぐだぐだ言ってねーで、その兄ちゃんのおでこに付いてる宝石をよこしな」
男はイライラしたいるようで、包丁をぶんぶん振り回しながら威嚇してきたが、ノアは優美なしぐさで日傘を閉じながら、俺の方を向いた。
「あ、コレのこと?」
ノアはなにを思ったのか、俺の頭髪をわし掴みにしてきやがった。
「痛いの、ノア。やめて」
「あんた、コレが欲しいの」
「痛いよ、ノア……放して……」
なにこの、公開処刑?
城の外壁さえ小指で穴を開けてまう規格外の握力が、俺の貴重な、一個しかない頭部を鷲づかみして前後に揺らしはじめた。
あ、いや、そんなに揺さぶったら--
-----バキッ
首の骨が、爽やかな音を立てて断裂する。
俺は痛みのあまり、声さえ出なかった。
人間てさ、すげー痛い体験をすると悲鳴どころか声が出なくなるの知ってる?
収穫されたばかりの頭部を、ノアは面倒臭さそうに見つめて。
「いつも通り、根性のない首ね」
その光景を見ていた男が、口をぱくぱくさせながら後ろに数歩下がった。
「お嬢ちゃ、え、え、頭がとれて、あ、ひと、ひと殺しー!」
尻もちと同時に叫んだ。
「人殺しとはずいぶんな言い方ね。私はまだ、誰も殺したことはないわ」
まだ、の部分は聞かなかったことにして。
頭部を引きちぎられた俺も、数秒が経ち、痛みが少し引いた。
「むちゃ言わないで下さいよ。ノアの握力に堪えれる生物がいるとしたら、ブラックパール=ドラゴンぐらいですから」
「それもそうね」
左手に日傘、右手に生首を持った美少女が、小さな舌を出して、天使のように笑った。
こんなエンジェル・スマイルの美少女が、数分前に人のおでこに極悪な攻撃魔法をぶっ放したり、頭部を収穫できるんでしょうか?
と。
次の瞬間。俺の頭部は強烈な衝撃を受けて、眼球が乾きそうなほどの速度で空中を滑走した。
「なっ!!!」
包丁男のみぞおちを的確に捕らえると、速度を保ったまま、大きく後ろに吹き飛ばす。
大量の土煙が、空へ巻き上がる。
それを見ていた加害者は拍手と歓声を上げた。
「すっげー。ワイヤーアクションみたい!」
男の体は数十メートル後ろの巨木にぶつかり止まり、頭部は投げ出されるような形で、地面に落下した。
「ノア、なんてことをするの…」
耳も鼻も、顎にいたっては、骨が砕けたような激痛を感じる。最悪だ。
うっすら開けた目に、首なし胴体が、よっちらよっちら歩いて来るのが見えた。
その胴体が、地面に転がった頭部を拾い上げると、慣れた手つきで首の上に乗せる。
「助かった」
ほどなくして、頭部と胴体が繋がった。
「どーお。楽しかったでしょ」
人外レベルの筋力を持つ加害者は、再び差した日傘を回しながら、まるで『あなたのために素敵なプレゼントを用意したのよ』とばかり、極上の笑顔を披露した。
そんなキュートでスイートな天使の笑顔を見せつけなれたら、どんな苦言が口にできるだろう。
俺は、顔や浅葱色のシャツに付いた埃を、手で払うしかできなかった。
なんて自分は、無力なんだ--
「あの人、生きてますよね?」
「当然よ。人間の体が、あんなことぐらいで死ぬわけないじゃん」
えーと。
死んでもおかしくないぐらいの、壮絶な出来事だったと思いますが。
とは、言えませんでした。
「生きてますよ……ね」
ノアを疑っているわけではないが、重力を無効にする威力で吹き飛ばされた包丁男。--ご臨終でも不思議ではない。
俺は被害者に近づいて、びくびくしながら足の先で、肩あたりをツンツンした。
すると--
「あ、動いた!」
ちょびっとだけ、右手の指が。
良かった。生きてる。
「なーんだ。生きてたんだ」
まるで、死んでも良かったのに、というように、不満げに眉を傾けて、ノアは地面を蹴った。
やっぱ、殺す気だったんだ、この人。
まっ、この美少女の手に掛かれば、病死以外の死亡なら、魔法の力で生き返すことも可能なわけで。
むろん、無条件ではないが--
俺は、包丁男の口に無理やり回復草をねじ込みながら、ノアを見た。
「逃げますよ」
この男が、山賊か強盗まがいの物乞いかは分からないが、一方的な暴行事件なだけに、通報されたら厄介だ。
加えて、俺の秘密を知られたわけだし。
「逃げるの? なんで私が」
なんでって、そりゃー。
「先月から法律が変わったのを、忘れたんですか」
急いで鞄を背負う。靴の下に違和感を受けて、足元に目をやると、砕けた氷の破片が散乱していた。
どうやらノアに頭部を蹴られた時、衝撃でおでこの氷が砕けたらしい。
手でおでこを触ってみると、元の傷ひとつない綺麗なおでこに戻っていた。
法律が改正されたのは、ノアが原因だというのに--本人は、すっかり忘れてしまったらしい。
「ノアがあまりにも、市民にリンチまがいの暴行を働くものだから、こんな変な法律ができたんだよ。……『蘇生致死罪』覚えてますよね」
蘇生致死罪とは、読んで字の如く。傷害や殺害等で危害を与えておきながら、加害者自身が医療治療や蘇生魔法を施して、被害者の健康を取り戻したとしても、危害を加えた者は法による裁きを受けねばならない、という法律だ。
要約すると。
被害者の傷を治療や魔法で治したとしても、加害者の罪は消えない、ってこと。
「それがどーしたのよ。なんか文句でもあるの?」
どの表情筋を動かしたら、こんな、地底から蘇ったヒドラの二番目みたいな形相が作れるのだろう。
「あ、いや、だからですね。男が起きる前に逃げた方が良いかな……と」
迫りくる殺意は、俺の両膝を大爆笑に導いた。
やべっ。オシッコ漏れたかも。
視界の端っこに見えていた、可憐で小さな手の平が、丸く握られた。
嫌な予感がした。
瞬間。
「いっぺん死んどくぅ~?」
一陣の風をまとまった小さな拳が、俺の下腹部を捕らえる。
俺の体は、殴られた下腹部を中心にして、空高く打ち上げられる。瞬く間に、ゴスロリ・ファッションが遠ざかっていった。
「なんでー!!!」
今なら、吹き飛ばされた包丁男の気持ちが、よく分かる。
どうか次の法律改正では、是非、『女の子がグーパンチで、人を殴り飛ばしてはいけません』という、人間味溢れる法案を可決して欲しいものだ。
やがて--不格好な空中遊泳を終わらせたのは、古い巨木の枝が、浅葱色の一部の布を引っ掛けたためだった。
「生きてく自信がない……」
ツーと、頬を滑り落ちるしょっぱい水滴を袖で拭い、俺は巨木から地面に着地した。
-----それから。
一人、次の目的地であるアドバルの街に着いたのは、一刻半を過ぎた頃で、太陽が半分近く地平線に沈んだ時分。
そして、ノアと合流した直後、更なる不幸が大きく口を開けて待ち受けていたなんて、この時の俺は、知るよしもなかった。
アドバルでの話は、また次の機会に。