第一章 まだ平和であったころの話4
4月20日、連邦内務省――
大方官房長は、出雲国内務省からの報告に唸っていた。
「要するに、手遅れだったわけだな。」
「手遅れというよりも、手出しができなかった、というほうが正確かと思います。」
警保局図書課課長の木下が言った。
「まさか、大社庁がリークしたのか?」
「はい。幸いにも、出雲国以外の新聞はこのことを報道していませんが、問題は――」
「縁結びとか何とか云って、反治警法運動に来ている若者が、なぜか、出雲に集結していることだな?」
「ええ。出雲国の新聞各紙は今回の件で、連邦政府に否定的な報道を行っています。」
「そもそも、どうして、筑紫まで抗議運動に来た青年や学生が、わざわざ出雲まで行っているのかね?」
「出雲に行っている活動家は割合的にはそれほど多くないとも言われていますが、何しろ、今回の抗議運動は若者の絶対数が多いのが特徴でして・・・・・。割合的に少ないとはいえ、縁結びのうわさに心が動かされる若者の数は決して少ないとは言えず、相当数が出雲に渡って行った模様ですね。」
そういいつつ、木下は一つの雑誌を大方に見せた。
「これは?」
「出雲の観光名所を案内する雑誌です。若者向けの雑誌で、『縁結びは出雲』という特集が組まれているのです。さらに、筑紫から格安で出雲に行く方法まで。」
「要するに、筑紫に今回の抗議行動で連邦全土から多くの若者が集まったことをいいことに、出雲の観光業界の連中が売り込みに来たわけだな。」
「はい。」
「で、運悪く、その時に出雲国で連邦公安局の人間をヘマをやらかして、連邦全土に出雲から集結していた若者らにそのことが知られてしまった、と。」
「そうです。いくら本土や他の加盟国で情報統制をしても、いずれ、このことは連邦全土に広まるでしょう。」
「おまけに、尾びれや背びれが付くことも、明白だな。」
「官房長、失礼ながら、今回の件が起きた最大の理由は、『治安警察法』の審議が長引いていることだと思います。中々政局が動かないので、帝都まで来た若者も退屈してしまい、出雲旅行などとしてしまっているのでしょう。さっさと強行採決してしまえば、みんな故郷に帰るはずです。」
「しかしだな、もう既に帝国議会の会期は一度延長している。そもそも、今回の件が審議に入ることが遅れたのは、大庭総理がなかなか煮え切らない態度だったからだ。」
「それはそうですが、もうすぐ会期も終わります。まさか、会期再延長でもする気ですか?」
「いや、待て。安心しろ。俺には考えがある。」
4月21日、新羅国保安隊参謀本部――
参謀本部を、重たい空気が張り詰めている。
保安隊の参謀たちの席には、数枚の書類が置かれている。そのうちの一枚は、新羅国政府の情報局から送られたものだ。
内容は、出雲国の国宰(連邦政府の総理大臣に相当。「出雲国首相」ともいう。)が「竹島」【註】に上陸しようとしている、速ければ23日にも上陸の予定、というものだ。
竹島は、北緯37度30分0秒、東経130度52分0秒に位置し、72平方キロメートル程度の無人島だ。
連邦国家とは言っても、加盟国同士の境界が明確に決まっているわけでは、ない。中世・近世から国境地帯の農民や漁民による「領土争い」があったが、その一部は近代化された後も未解決のままであった。
その最大のものが、竹島を巡る領土問題だ。竹島はかつては于山国という独立国家であったが、6世紀初頭に新羅に服属した、とされている。一方、出雲国は竹島は古代からの出雲の漁民の領土であった、と主張している。また、渤海国も竹島の領有権を主張しているほか、任那国にも領有権主張をする勢力がある。
中世には竹島や付近の諸島は海賊の拠点にもなった。近代化以降は、連邦政府の命令で竹島の無人化が命じられたが、新羅国と出雲国の保安隊の船舶がたびたび睨みあっていた。さらに、任那国も「漁民保護」を名目に近海まで保安隊の船舶を出すこともしばしばであり、比較的抑制的な渤海国も含めると連邦に加盟する4国の間で複雑な問題が展開していた。
そこに、出雲国の国宰が上陸するというのは、重大な問題である。少なくとも、新羅国としては許容できることではないが、かといって下手に動いて内乱になっても困る。
誰も、何も言いたがらない。
自分の責任にしたくないからだ。
複数の参謀が、一番若い参謀に目配せをした。若い参謀は、何度も声を出すのをためらっていたが、会議が始まって3時間ほどたって、ようやく声を上げた。
「ここは、政府の意向を尊重した方がよろしいのではないでしょうか?」
新羅国政府の方針は、「下手に動くな。内乱を避けよ。」だ。
現実問題として、帝国連邦を維持するためには、それ以外、手段がない。ただ、民族も歴史も違う出雲相手に矛を収めるのは、新羅人のプライドが許せなかっただけだ。
「彼はそう言っているが、異論はないかね?」
参謀総長が言った。
「異論がないようであれば、これに決するが。」
異論など、当然、ない。ここにいる人間の多くが、内心では政府方針に賛成なのだ。ただ、それを表立って言えないだけだ。
「では、政府の方針を尊重する、というのを参謀本部から新羅国政府への回答とする。」
参謀総長がそう宣言すると、参謀会議は散会となった。
【註】鬱陵島のこと。史実では明治時代に松島に改称。
4月24日、筑紫――
出雲での情報は、筑紫の活動家らの間には既に入っている。若手の活動家の中には、「縁結びの神社を汚すとは!」という本質から逸れた反応が多かったが。
噂には、尾びれに背びれが付いていた。
「連邦政府は出雲大社を壊そうとしています!これは、国譲り以来の伝統を破壊する暴挙です!しかし、内務省による検閲を恐れてどの新聞も報道しておりません!」
路上でそう叫ぶ男がいた。通行人の中には、立ち止まって「内務省の暴虐を許すな!」と叫んでいる者もいる。
「内務省への反感がここまで高まっているとはなぁ。」
広野が、隣を歩いている小林にそう話しかけた。
「いくら内務省でも、大社を破壊することはないとは思うが、九州では情報統制が徹底されているから余計に政府のいうことが信用できないんだろな。」
少しでも政治に関心のある人間は、情報統制の存在には気付いている。特に今回は、出雲国で発行されている新聞がいち早く九州に持ち込まれたのだから当然だ。
「だけど、私の地元だと、みんな政府の発表を従順に信じていたんだけどなぁ。」
「広野は内秦だったっけ?総漢だと、連邦政府を揶揄するような風刺画や小説が新聞にラジオをにぎやかにしているからな。」
「そうなんだ。」
「落語とかもある。あ、落語は内秦にもあるか。」
「そうだな。まぁ、内秦よりも日本の大阪の落語が一番面白いと定評だが。」
「そんなに日本は落語が有名なのか?」
「ああ。内秦からも、落語を聴きに日本に行くものが絶えないぐらいだ。」
「そういえば、九州の落語はどういう感じなんだろうか?」
「うん?気になるか?」
「うん。一度、聴いてみたいと思っていた。」
「だけど、落語は高いからなぁ。」
「まぁそうだな。」
そう言いながら歩いていると、また遠くから喧噪があった。
「号外!号外です!」
「出雲国首相が竹島に上陸しました!」
若い男たちが新聞を配っている。
「連邦政府は出雲国に断固抗議の意を表明!」
群衆が新聞を求めて群がっていた。
「おい、広野、また出雲で騒ぎが起きたようだぞ。」
「そうだな、全く、最近は大きいニュースが多いよな。」
二人はその様子を遠巻きに見守っていた。
同日、出雲国宰官邸――
原生太郎・出雲国首相による記者会見が開かれていた。
「本日、我が国は村上義男連邦公安官の身柄を連邦政府に引き渡すこととしました。連邦公安官が大社に侵入するというのはあってはならないことであり、出雲国政府としては今後も連邦政府に対して厳正な対処を求めて生きたいと思います。」
そう言った後、原生は記者を見渡していった。
「また、昨日、私は出雲国固有の領土である竹島に上陸し、一泊して今朝に帰って来ました。保安上の理由で秘密にしておりましたが、現地の地質学的調査も行い写真も撮ってまいりました。」
記者の間でどよめきが広まる。
「竹島は連邦政府の政策により無人島となっておりますが、出雲国の領土であることは歴史的にも明白です。私たちがこの度調査したところによると竹島は開墾すると数千人の人間が居住でき農耕に適した土地もあることが判りました。出雲国政府としては連邦政府に対して竹島開発の許可を求めていく所存であります。」
原生が一通り言い終わると質疑応答の時間となった。記者の一人が質問する。
「厳正な対処を求めるといいつつ、村上公安官の身柄を連邦政府に引き渡すというのは矛盾していないでしょうか?」
「これは帝国連邦における出雲国の地位を総合的に考慮した結果であり、決してこの問題において連邦政府に妥協したという訳ではございません。」
煙に巻くような答えであるが、連邦政府の権力の強大さは記者も十分把握している。それ以上の追求はなかった。
別の記者が質問する。
「竹島の領有権は新羅国も主張していますが、その件についてはどう考えておられるのでしょうか?」
「新羅国は連邦加盟国ですから今後も親善を深めてまいりたいというのが我が国の見解です。ただ、出雲国の領土を侵害するが如き行為は、連邦・国の内外のいずれの勢力によるものであっても徹底的に排除する所存です。」
「徹底的な排除とは?」
「仮に実力で我が国の領土を侵害するものがいれば、こちらも保安隊の実力によって彼らを排除する、ということです。」
同日、出雲国内閣書記官室――
「厄介なことになったな。」
内部参事官がつぶやく。
「そうだな。お前のお望みの戦争が始まるんじゃないか?」
木佐参事官が応えた。
「バカ言うんじゃない、一体、どこと戦うかもわからん戦争ほど怖いものはないぞ?」
「ああ、竹島問題のことか?」
「そうだ。」
「あれは、原生首相の単なるパフォーマンスだよ。」
「パフォーマンス?」
「そうに決まっているだろ。大社問題で弱腰と思われたらたまらんから竹島上陸で強硬な姿勢を見せつけているんだ。」
「そうか、じゃあ実際に新羅国と戦闘になる可能性はないな。」
「新羅国だってそこまで馬鹿じゃない。まぁ、多少の抗議はするだろうがな。」
「問題は連邦政府との関係だな・・・・。」
「だが、それもあんたが期待したような戦争にはならん。連邦政府も出雲国政府も世論が忘れるのを待つだろ。」
「おお、そうか。そういうものか。」
「あんたは我が国の官僚機構を見くびりすぎだな。千年以上連邦を維持してきた官僚機構だ、国民の扱い方など赤子をあやすよりもたやすくできる。」