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倭王の軍  作者: 讃嘆若人
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第一章 まだ平和であったころの話

1930年3月3日、大倭帝国首都・筑紫、首相官邸――

「総理!貴方は国家社会主義に対する危機感がなさすぎる!」

 内務省の大方(おおかた)敏夫(としお)官房長は、総理大臣の大庭(おおば)耕造(こうぞう)に、詰め寄っていた。

「財閥解体、農地解放、身分制度の廃止――しかも、ですよ!?彼らは、主権は人民にある、天皇は人民の天皇である、とまで言っている、これは、国体破壊の第一歩なのですよ?」

「それはわかる。しかし、だな・・・。」

「今や、彼らの害悪は、伝染病のように、拡大しています!軍部、官僚、学者――しかも、彼らは表向きは、尊皇・反共を訴えるから、性質(たち)が悪い!官憲が少し目を離すと、大声で『私有財産制度の廃止を!』『打倒!資本主義』を叫ぶのだから。」

「国家社会主義者の多くは、賤民【註一】では、なかったのかね?」

「もはや、そんな時代は、終わっています!良民階級にも、この危険思想が広まっている!」

「とは言っても、君たち内務省による思想統制には、あまりにも目に余る。私の政党でも、院外団【註二】の党員が内務省に不当逮捕された、という訴えをよく聞く。」

「それは、民政党が、院外団に、賤民たちを雇っているからではないしょうか?」

 大方は、薄っすらと、笑いを浮かべながら、そういった。

 民政党は、大倭帝国の歴史ある政党で、大庭が総裁を務める政権与党であった。

 元々は、地方の地主層を支持母体とする、保守政党であった。だが、近年、新興財閥の支援を受けた立憲公民党の台頭で、十年ほど、野党に転落していた。

 その間、内務省は、共産主義運動への弾圧を進めていた。ロシア革命は、内務省にとって、脅威であった。特に、選挙権を有しない賤民階級の人間による政治活動に対して、内務省に所属する警察組織は、厳しい弾圧を行っていた。弾圧は、やがてエスカレートし、良民階級の一般庶民にも向かうようになってきた。

 さらに、立憲公民党の政策で格差が拡大したこともあり、昨年、民政党が約十年ぶりの政権奪還を果たしたのである。その頃、弾圧されていた賤民の活動家は、「反共産主義」の看板を掲げる保守政党である、民政党の院外団である「愛国義兵団」に集団入隊した。彼らの中には、共産主義と大差ない思想である、国家社会主義の信奉(しんぽう)者も多かった。

「賤民のすべてが、共産主義者である、というわけではない。」

「しかし、総理、彼らの多くは、共産主義者でなければ、国家社会主義者なのですぞ?」

「少なくとも、民政党は、共産主義でも、国家社会主義でも、ない!君たちは一体、何が言いたいのかね?」

「総理は、国家社会主義者ではないのですね?」

「ああ、そうだ。国体を破壊するような思想を、私は支持せん。財閥による横暴は是正の必要があると考えるが、国家社会主義には、民政党は、反対なのだ。」

「それならば、総理、『治安警察法』の改正案を、今国会に提出してくださらないでしょうか?」

「うん?どういうことだ?」

 大庭(おおば)は、やや警戒気味に構えた。

 こういう時、官僚というものは、必ず、何かを(たくら)んでいる。だが、下手に彼らの企みを妨害すると、今度は、自分たちが官僚に(ねら)われる。官僚相手には、彼らの企みに気付いた方がいい場合と、気づかないほうがいい場合とが、あるのだ。

「いえ、国家社会主義運動を取り締まりやすくするための改正案ですよ。その代わり、政党の院外団の活動を自由にする条項も盛り込みます。政党が事前に届け出を出して行う集会は、警察官の立ち合いは不要となります。また、政党関係者が逮捕された場合は、直ちに弁護士を呼べるようにもします。一方で、国家社会主義者の過激な運動は厳しく取り締まっていく、というわけですよ。」

「なるほど。」

「これで、例えば、総理のお友達の、愛国義兵団の皆さんが不当逮捕されることは、ありません。木村さんも、賛成してくれていますよ?」

 木村淳蓮(じゅんれん)は、大庭内閣の内務大臣である。

(外堀は、既に埋められたか。内務省の連中が何を企んでいるかは知らないが、二度と、院外団の連中に弾圧をしない、というのであれば、彼らの企みは知らないままにしておこう。)

 大庭は、内務省の、掌中(しょうちゅう)に、落ちた。




【註一】 大倭帝国の被差別階級。大倭帝国は、大きく分けて、宗教的権威を有する神民、貴族と庶民で構成される良民、被差別階級の賤民の、三つの身分が存在する。

【註二】 政党が議会外に有する軍隊的組織の一つ。集会や政治運動の会場の護衛が本来の任務だが、敵対勢力との暴力抗争を起こすこともある。








1930年4月15日、南京――

 南京も、次第に、暑くなってきた。

 中華民国国家主席の汪兆銘は、ある男を待っていた。

 今、汪兆銘は、内外に敵が多かった。

 彼は、華南を統治していた、腐敗していた大明帝国の政治に、怒りを覚えて革命運動に参加し、今、こうして、国家主席の地位を手に入れている。

 孫文の死後、一時的に主席となった蒋介石は、華北に成立していた中間人民共和国に戦いを仕掛けた。汪兆銘は、華北との戦争には反対していたが、蒋介石は聴く耳を持たなかった。中国が、南北に分裂してから、二百年以上の月日が流れているのにもかかわらず、今頃になって統一しようとする蒋介石の考えが、汪には理解できなかった。しかし、あくまで、古代のような強大な「中華帝国」の復活を目指す蒋介石は、汪兆銘のことを「分裂主義者」と呼んで非難した。

 結果、戦争の最中に、蒋介石は、国内の共産党員に暗殺された。彼の政敵であった汪兆銘は、直ちに国家主席に就任して、中華人民共和国との和平を実現した。

 北部は中華人民共和国、南部は中華民国、それで、何の問題もない、というのが、汪の考えだ。なにしろ、華北と華南とでは、食べるものから違う。二百年の間に、お互いの標準語も変わってしまっている。それを、今さら、統一しよう、などといっても、しゃべる言葉も食べるものも違う国民を、統一などできる訳がない。

 そんなことより、汪兆銘は、()える民衆を救うことが、何よりも、不可欠だった。

 汪は、富裕層の全財産を没収し、貧民救済に当てることを強行した。当然、こうした強権政治には、反発も来る。特に、旧蒋介石一派からの反発は、大きかった。

 だが、汪はイタリア王国の政治家であるムッソリーニの手法を模倣(もほう)し、中華民国をファシズム体制の全体主義国家として、反対勢力を徹底的に弾圧した。しかし、民衆からの支持は厚かった。

 今、汪が待っているのはドイツの国家社会主義の活動家であるアドルフ・ヒトラーと倭国から亡命してきた里高隆一の二人である。

「里中様が到着しました。」

 一人の官吏が報告した。

「ヒトラー閣下も来られました。」

 別の官吏が報告した。

「よし!いよいよ、歴史的な会談の始まりだな!」

 汪は意気揚々と腰を上げた。








同日、帝都・筑紫――

 帝国議会は、物々しい厳戒体制であった。

 連邦各地から10万人近い群衆が集まり、「憲政擁護」の旗を掲げていた。彼らは、連邦政府が帝国議会に提出した『治安警察法』改正案に抗議して集まっていたのである。

 政府は、共産主義団体や国家社会主義団体の全面的な取り締まりを目的に『治安警察法』の内容を強化し、最高刑を死刑にするほか、警察による権限を大幅に強化する内容の『治安警察法』改正案を提出していた。

「なんか、凄い熱気だなぁ。」

 瀬戸内地方を統括する大倭帝国連邦加盟国である内秦(うちまさ)国から上京した広野光彦は、集まっている群衆の感覚に驚いていた。銃を構えて完全武装した警察に向かって、思う存分に罵詈雑言を浴びせているのだ。

 広野は吉備第一高等学校に通う田舎出身の学生に過ぎない。彼の地元で警察官に面と向かって悪口を言うと、どうなることかわかったものではなかった。

「お、そこの学生さん、憲政擁護運動に来ているのか、じゃあ、俺と一緒にもっと前の方に行こうや。」

 ふと、一人の大柄な男性から声をかけられた。

 その男を見て、広野は本能的に恐怖を抱く。どうみても、ヤクザとして申し分ない風格を漂わせている。

「どうや、お(まわ)りと戦わんか?」

「いや、まだ捕まりたくはないです・・・・・。」

「なんや、男のくせしてヘタレやなぁ。しょせん、学生さんはプチブルなんか?」

「――私の家はブルジョワじゃ、ないです。農家です。」

「ハハハ、学生さんは細かいことによう気付くなぁ。やけど、俺らからすると、学生もブルジョワもみんな一緒や。」

「一緒にしないでください。ブルジョワなんか大嫌いです!」

「お?あんた、アカなんか?」

「いや、そういう政治思想みたいなのはよくわかりませんけれど――私の住んでいる田舎も、どんどん変わっていっています。私の家だって、年々貧乏になっているんです。」

「それなら、仲間やな。俺なんか、若い頃からマトモな仕事に就けずにヤクザみたいなことしかしてなかったからなぁ。」

 いや、あんたは「ヤクザみたい」ではなくて、本当の「ヤクザ」でしょう、とは言わない程度の常識は、広野も持っていた。

「どうや、俺がおごるからラーメンでも食いに行かんか?」

「お金、大丈夫ですか?」

「知り合いの店や、安心しろ。」

「生命、大丈夫ですか?」

「おいおい、人を犯罪者みたいな目で見るな。安心しろ、堅気の店や。なんかあったら警察を呼んだらよか。」

 先ほどまで「お巡りと戦え!」と言っていたヤクザのセリフとは思えないが、とりあえず広野もこの謎の男についていくことにした。

「あ、九州弁だったんですね。」

「ここは九州やから当たり前やろ。」

「大阪の方の人だと思ってました。」

「大阪、大阪――あ、あの日本の都市やな。そこと九州の方言が似とるんか?」

 日本、というのは、大阪や奈良を中心とした一帯を統治している連邦加盟国である。倭国天皇家の出身とされる磐余彦が建国したとされる。

「似ていますね、というか、そのものです。」

「そうか、あんたも日本の出身か?」

「いえ、私はその隣の内秦国です。瀬戸内海の方の国です。」

「ほう、じゃあ、九州とは近いと?」

「はい。海を越えないといけませんけどね。」

「鉄道に乗っても来れないわけだな。」

 そういって、ヤクザは笑った。

「そうですね。」

「そうか、おい、着いたぞ。」

 広野はやくざ風の男に意外に綺麗な店に案内された。一応、マトモな商売はやっているようだ。

「おっちゃん、学生さんにラーメン二丁!帝都の博多ラーメン!」

「了解!席はどこが?」

「二階で頼む!」

「わかった、じゃあ、案内してやれ。」

 店員はそういうと厨房で料理を始めた。広野はヤクザに案内されて二階の部屋に案内される。

「じゃあ、学生さん、名前を教えてくれんか?」

「広野道彦、です。ヤク・・・いや、おじさんの名前は?」

高村(たかむら)行太郎(こうたろう)や。」

「何をされている人なんですか?」

「政治活動家や。任侠(にんきょう)ともいうな。」

「ヤクザじゃないですか!」

「何を言っとるか?大倭国粋会の理事をやっとる堅気な人間や。」

「真顔で不思議そうな顔をしないでくださいよ!国粋会って、確か連邦全土に名を知れた博徒(ばくと)の集団じゃないですか!」

「学生さんは頭堅いからいかんなぁ。政府の偉いさんも入っとる。」

「そりゃ、知ってますよ!国粋会の幹事の中には、民政党幹部や大臣もいるそうですね!だけど、そんな集団が何で博打(ばくち)をしているんですか!」

「堅いこと言うんじゃない。国を愛する男が集まって賭け事をしているだけだ。」

「というか、国粋会って、民政党系でしょ?どうして護憲運動なんかに参加しているんですか?」

「あのなぁ、俺たちはそんな難しい政治のことはようわからん。ケンセーヨーゴと言ったってな、小学校卒で憲法も読んだことのない人間には、それがどういう意味かは全然分からんけん。ただ、自由の欲しかだけだ。」

「『治安警察法』で自由が無くなるから反対している、ということですか?」

「そうだ。」

「だけど、その『治安警察法』を制定しようとしているのが民政党でしょ?」

「民政党の代議士の先生方も、内心ではこの法案に反対しとる。」

 と、そこで店長がラーメンと客を連れてやってきた。

「高村さん、来たよ。」

「おお、鬼塚(きづか)先生!紹介する、内秦国からきた学生さんの広野君だ。」

 広野は鬼塚と呼ばれた男の方を見た。高村よりかは明らかに年長で、全身からは凄みのあるオーラを醸し出している。

「ほう、内秦国の学生さんかね。所属は?」

「吉備第一高等学校です。」

「筑紫までばくち打ちに来たのかね?」

「そうじゃないです。憲政擁護運動を見にやってきました。」

「そうか、そうか。そりゃあ、結構なことだ。連邦全土から集まった人々の熱気によって、政府も中々審議を強行できないんだよ。」

「そうなんですか?」

「ああ。民政党内部にも、内心ではこの法案に反対の人はたくさんいる。だがな、表だって堂々と内務省に逆らうことは、帝国議会議員であっても無理だ。というわけで、審議時間を極力延長させて、審議未了で廃案にもっていこうとしているし、恐らくそうなるだろう。」

「それはよかったですね。これで、憲政も守られるわけですね。」

「ところが、そうでもないようだ。内務省は、緊急勅令という形でこれを制定しようとしているらしい。」

「緊急勅令?あ、そういえば、憲法にそういう規定がありましたね。だけど、本当にそんなことしていいのですか?」

「していいわけがないだろ。緊急勅令というのはな、国家の緊急事態のためにあるものであって、政府が都合よく法律を制定するためにあるもんじゃない。」

 すると、高村が口をはさんだ。

「俺には学がないからよくわからないが、勅令は天子様が出すもんだろ?天子様がこんな悪法に賛同するとは思えんのだが・・・・・。」

 広野が思わず「それは違う」と言おうとすると、鬼塚が笑いながら言った。

「ハハハ、天子様が賛成されるとは私も思わんよ。うん、天子様なら必ず反対するに決まっている。」

 そういいながら、広野に「お前の言いたいことはわかっている」という顔で目配せをした。

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