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第四話 魔術学園の実習(物理)

 さて、アリッサ以外にもカナデという知己ができた昼休みも終わり、午後の時間。

 午後は実習の時間ということで、シノブたちは屋外にある魔術演習場に集まっていた。

 まあ、魔術演習場などと言う仰々しい呼び方をしてはいるものの、その実はむき出しの地面が平坦に続いているだけの広場でしかなく……要するにただのグラウンドである。

 このウィステリアは授業で魔術を使う機会が多いため、同じようなグラウンドと広い空間を確保した屋内演習場が敷地内にいくつも存在しているのだが、それはさておき。

 そこに集まった女子達はめいめい勝手におしゃべりをして授業の開始を待っていた。

 楽し気に会話してクスクスと笑う者、どよんとした空気を纏っている集団、泣き言を漏らして周りにいさめられている者……様々だ。

 そんな中でシノブはというと、どうにも落ち着かない様子でそわそわと周りや自分の格好を気にしていた。


「……シノブ? どうしたのさっきから?」

「あ……アリッサさん……いやその、本当に制服で、というかこのスカートで実習するんだなって……」


 そう言いながら、シノブは短いスカートの裾を引っ張る。

 ウィステリアの制服は膝上丈の短いスカート、それもヒラヒラしたプリーツスカートである。

 そのデザインが実習における動きやすさを考えての事か、それとも決めた人間が好きモノだったのかは定かではないが……普通のスカートでも恥ずかしさが抜けないシノブにとってこのデザインは非常にありがたくない。

 その上、それなりに動かなければならなかったり、魔術の余波による突風が予想される実習でもこの服装であるというのは輪をかけてありがたくなかった。

 誰が好き好んで下半身をひらひらと無防備にさせておくものか。

 そんな風に暗にスカート丈に対する不満をにじませると、アリッサは小さく首を傾げた。


「うーん、私は好きなんだけどなぁ、スカート……」


 とはいうモノの、そういえばカナデもスカート丈に文句を言っていたなと思い出す。


 ――このスカートで動くのは……こう、はしたないと思いますわ……


 入学したばかりの頃はもじもじしながらそう言っていたカナデも、今ではそれなりに慣れているように見える。

 まあ、カナデやシノブのように大人しいタイプには不評なのかもなー、などと考えながらアリッサは笑みを浮かべた。


「まあ、ヒラヒラして気になるかもしれないけど、あまり気にしないでも大丈夫だよ。ここには女の子しかいないしね」

「――女の子しかいないから大丈夫じゃないし、目の毒なんだけど」

「ん? 何か言った?」

「ああ、いや、何でもないよ、なんでも……」


 不思議そうに首をかしげるアリッサに慌ててそう口にするシノブ。

 思わず漏れてしまった呟きは幸運なことに聞かれてはいなかったらしい。

 ごめんよ、男がココに一人いるんだ――なんて考えながら、シノブはハハハ、と乾いた笑いを零した。

 そんなシノブに怪訝な顔を向けながらも、アリッサはまあいいかと続きを口にする。


「まあ、スカートはともかくとして、ウチの制服は実習のため……どころかどう考えても実戦を想定して作られてるからね。制服で実習なのも自然というかむしろ当然というか」

「そうなの?」

「そうだよ。生地は防刃防魔の特性を持った特別製。それに何種類ものエンチャントをかけて熱や冷気、電撃に酸、それから誘惑とか精神異常に耐性を持たせた上に、衝撃拡散、破損補修、状態保持なんかもかかってるから破れても元に戻るし、汚れても楽々に綺麗にできるってわけ」

「えぇ……? 無駄に手が込んでるというか……通りで高いわけだ……」


 そう言いながらシノブはどこか呆れたようにため息を吐く。


 まだシノブがパラス・アテナにいた時、事務方に掛け合ったことがあるのだ。

 任務に必要なものは自費で揃えるから、発注をかけたものの値段を教えてくれと。

 その時、今回は潜入という特殊な任務のためこちらの経費で落としますから、という言葉と共に手渡された領収書の写し――そこに記されていた制服の値段は普通の服を買うよりもケタが二つ三つ多かった。

 というよりも、魔術処理を施した防具を一式そろえるのと同じくらいはしていたため目を剥いて驚いた記憶があるのだが……話を聞いてみれば納得できる。


 これは制服だが、その機能は完全に防具なのだ。なるほど、高いわけだ。


 などとシノブが考えていると、定刻になったらしく時計塔の鐘の音が周囲に響き渡る。


 そしてそれに遅れること少し、一人の女性が少女らの前に姿を現した。

 輝く様な短い金髪を揺らしながら悠々と歩いてくる彼女は、ジャケットとスカートという制服からマントを取ったような服装をしており、腰には短いワンドを差し、手にはバインダーを携えている。

 鼻筋の通った美しい顔立ちをしているが、キリリと引き締まった顔の造形や鋭い目つきのせいもあり、どちらかといえば格好良いという形容が似合う。

 見ているだけで惚れ惚れしそうな美しい歩き方――つまり、重心がぶれずに安定した歩きができているということは、おそらく武術か何かを修めているのだろう。

 引き締まったウエストと鍛えられた身体が醸し出す健康的な色気といい、武人然とした独特の雰囲気といい、女子生徒に人気がありそうな先生だなとシノブは思う。

 実際、生徒のうち何割かは彼女に向けて熱っぽい視線を送っており、場の空気もどこか熱を帯びているように感じる。

 ウィステリアでも一、二を争う人気教師であり、担当は近接戦闘。

 そんな彼女の名前はブレンダ・トライセンというそうだ。

 ……演習場への道すがらアリッサに聞いていたことだったが、誇張が過ぎるというわけでもないらしい。

 とはいえ、数は少ないが結構淀んだ空気を纏っている生徒もいるのだが……まあ、すべての生徒に好かれるなど幻想なのだ。是非もなし。

 おそらくは彼女自身の魅力分以上に彼女のやり方を苦手としている者たちなのだろう。

 そんな周りの空気にシノブが小さく苦笑しながらトライセンを眺めていると、ふと彼女と目が合った。


「……」


 切れ長に吊り上がった鋭い目つきと、見定めるような色を湛えたエメラルドの美しい瞳……それが醸し出す圧力に怯んで――いるはずもない。


 その程度で怯んでいては、パラス・アテナの本部で生活などできるはずもない。

 そもそもシノブを育てた連中は強面から笑顔が恐ろしい美人までより取り見取りだったからして、彼女一人でビビっていたらパラス・アテナでは心臓が止まって死んでしまう。

 まあ、そんなシノブの事情はともかくとして、そのはほんの数秒シノブを見た後、何事もなかったように視線を元に戻す。

 そして生徒たちの正面まで歩いてくると、静かに足を止めた。

 生徒たちと向かい合い、鋭い目つきで集団をぐるりと見回して彼女は口を開く。


「さて、実習のたびに予告してきたからよもや忘れているバカはおらんと思うが、今日からは実戦式の実習になる。これまでお前たちは身体強化の使い方と強化状態の体を十全に動かす方法を学んできた」


 そんなトライセンの言葉にシノブはなるほどと小さく頷く。

 生粋のお嬢様――がどれだけこの学校にいるかは怪しいところだが――がそんなことを知っているはずもないし、また才能ある平民も身体強化すら知らずに入学しているものがほとんどなのだろう。

 そのあたりの基礎となる技術を身につけているのは自分のような例外中の例外を除けば騎士家系に生まれた少女たちくらいしかいまい。

 そんな風に考えながら、シノブは彼女の言葉に耳を傾ける。


「今日からはそれを下地とした近接戦闘の実習を始めることになる。言っておくが、自分には関係ない、必要ないなどと思うなよ。軍属を目指している者、戦場で騎士が護ってくれるなどと思うな。あそこは自分の身体だけが頼りになる魔境だ、動けないものから死んでいくと思え。技術者を志してしている者、確かにお前たちが前線に出ることはまずないだろう。だが、戦場に触れることなく一生を過ごせるだろうという甘い見通しは捨てろ。前線に足を運ばすとも、お前らのいる場所が戦場になる――それは卒業後にお前たちが名をあげれば、決してあり得ないことじゃない。そうなったとき、最低限でも動けなければ磨いてきた腕と頭は血の中に沈むことになるだろう」


 そう言いながら、トライセンは再びぐるりと生徒たちを見回す。

 ウィステリアに入学するような少女たちはたいていが向上心が強いタイプだ。

 それゆえ、少女たちはみな真面目に彼女の言葉に耳を傾けているが……の言葉を本当の意味で理解できたのかといえば、おそらくは否だ。

 まあ、この場にいる大半は戦場からも世間の後ろ暗い部分からも離れて育ってきた乙女たちなのだからそれも仕方ないだろう。

 そんな少女たちを見ながら、トライセンは続きを口にする。


「ま、それから……お前たちは皆、女だからな。家だの地位だの能力だのがなくとも、それだけで狙われるに十分な理由になる。だからこそ、私の実習もしっかりと受けろ」


 その言葉で、少女たちの空気が少しだけ変わった。

 女だから狙われる――それは実戦ではどうだとか、軍ではどうだとか、将来がどうだとか……それよりも確実に実感を得られる話だ。

 そういった身近で実感を得やすい、役に立つ例を挙げられると授業に身が入るのは当然のことといえよう。

 とはいえ、アリッサを筆頭に嫌なものは嫌だといわんばかりの表情を浮かべている生徒も何人かいるのだが、それはそれ。


「さて、それではさっそく授業に入る。とりあえずお前たち、演習場の真ん中に並べ」


 そう言ってトライセンはくるりとシノブたちに背を向けた。

 彼女が向かっているのは、演習場の中央付近……つまりは、ついて来いということだろうか?

 そう考えながら彼女の後を追い始めたシノブだが、その考えは正しかったようで他の生徒たちもわらわらと彼女の後を追って歩き始めていた。



 ――と、そんな感じで始まったトライセンの実習授業。

 勝手がよくわからないし、とりあえず後ろの方で情報収集を……などと考えていたシノブなのだが……


「ああ、そういえば今日から新顔がいるんだったか……編入生、シノブ・エインズワース、来い」

「えっ」


 先生直々の御指名により、シノブの目論見はあえなく木っ端微塵に粉砕された。

 思わぬ言葉に変な声が口から飛び出て、体が一瞬固まる。

 しかし次の瞬間我に返り、慌てて返事の声を返す。


「は、はいっ!」


 小走りでトライセンの正面に向かい、先生と向かいあって立つ。

 クラスメイト達の視線が自身にそそがれているのを感じ、むず痒いような感覚に陥る。

 トライセンが指示した並び方だと、シノブたちを中心にクラスメイト達が扇状に広がった形に列を作っているため、彼女たちから二人の様子がしっかりと見える。

 逆に言えば、シノブからも見られているのがしっかりと分かるということでもあるわけで……注目されるのに慣れていないシノブにとっては非常にありがたくない形だった。


「えっと、えっと……トライセン、先生? ぼ、私は何をしたら……?」

「ああ、お前にはこれから私と模擬戦をしてもらう」

「……は?」


 さらりと何でもないことのように言われたその言葉に、シノブは思わず目を丸くする。

 もぎせん、もぎせんとはあの模擬戦だろうか。どういう流れでそうなったのだろう。

 シノブの混乱をよそにトライセンは言葉を続ける。


「ルールは単純、武器の不使用と身体強化以外の魔術の使用禁止。私かお前、どちらかがいわゆる有効打を当てれば終了だ。簡単だろう?」

「は、はい、そうですネ……」

「……ちなみに、コレは別にお前を特別扱いしているわけじゃないぞ。お前の後は全員が同じことをするが……お前は前回の手合せの時にいなかったからな。今日の一番槍だ」

「はい、はい? ……はい!?」


 ――なるほどそうなんですね。待ってください、全員と今言いました? いや、というか、前回って言いましたか、今!?

 そんな意味を込めたはい、の三連発……いわゆる圧縮言語である。

 シノブの考えも正しいし、疑問も驚きも正当なものであるといえるのだが、残念ながら圧縮言語では伝わらない。

 当然である。


「……お前は初めてだから今一度言っておくが……徒手空拳は基礎の基礎であり、お前たちが最低限修めるべき技術だ。何しろ身一つで十全に学んだことを生かせるからな。これなしに武器を振るうことは私が許さん」

「は、はい……」

「ふむ、分かったら構えろ、編入生。今のお前を見てやろう」


 その言葉と共に、周りの空気が重くなる。

 トライセンの射貫くような視線が、清廉な水のような澄んだ戦意が周囲に満ちていき、ピリピリとした肌を突くような緊張感が辺りを包む。

 いつもギルドで稽古をつけてもらうとき、あるいはメンバーたちと模擬戦をするときと同じようなこの感覚……それを肌で感じたシノブは内心苦笑いを浮かべていた。


(参ったなこれは……全力は出すわけにいかないし……)


 かといって、こういう場面で手を抜くのも性に会わない。

 自身の掌に視線を落としながら、シノブは小さく息を吐く。


(とりあえず、全力を出すわけにはいかないけど……)


 瞼を落とし、小さく深呼吸して思考と呼吸を整える。


 あまりごちゃごちゃと考えてもダメだろう。こういう時はいつも通りに……枷はつけても手は抜かない。


 ――具体的には、学生では習得が難しい高等技術の使用禁止と身体強化の出力を絞る……それ以外は本気で。


 そうこの戦いにおける方針を決めて、シノブは身体強化魔術を発動させる。

 普段魔力を保持している霊体から肉体へと魔力が流れ、満ちていく。

 意識が、感覚が鋭く研ぎ澄まされていくのを感じながら、シノブはゆっくりと目を見開いた。

 ――その一瞬、あふれ出る戦意の高さが形を成したかのようにシノブの黒い瞳が紅に煌く。

 同時に、体に染みついた無手の構え――こぶしを握り、両手を胸の辺りに寄せる構え――を取る。

 トライセンに負けず劣らずな気合の入った鋭い瞳、体からにじみ出るような戦意、身に纏うのは研ぎ澄まされた細剣のような鋭く冷たい戦意。

 自身に注目しているクラスメイト達が息を呑むのを感じられた。


「ほう……」


 明らかに慣れているシノブの動き、そして鋭い視線と身に纏う空気にトライセンはおもわず感嘆の息を零した。

 本人は隠せているつもりなのだろうが……口の端がややつり上がっているのが見える。

 骨のある相手が見つかって嬉しい……といったところだろうか。


「エインズワース、先手は譲ろう。好きに打ってくるといい」


 構える様子も見せずにそう口にしたトライセンに、シノブは眉をひそめる。


「どういうことですか?」

「何、コレは模擬戦だが、お前の実力を測る試験の様なものでもあるからな。言っただろう、今のお前を見てやろうと」


 そう言って彼女は左手を顔の高さまで上げると、挑発するように人差し指と中指を立てて手招きするように二本の指をクイクイと動かした。

 ともすればわざとらしさすら感じられそうな気取ったしぐさだが、鼻に付く感じは全くない。

 それどころか格好良さすら感じさせるあたり、生徒たちに人気なのもうなずける話だ。

 やはり美人は何をしても絵になるということだろうか。

 実際、シノブのクラスメイト達も彼女のしぐさに顔を赤くしたり、小さく黄色い声をあげている者もいるくらいだ。


 ――だからこそ、というべきか……彼女のそれを見たシノブの眉がピクリと動いたことに気付いたものは、そう多くなかった。


「さあ来い、エインズワース」

「なら、お言葉に甘えまして――!!」


 その言葉を言い終わるのとほぼ同時、演習場に空気を裂くような破裂音が響き渡った。

 小さな風がふわりと少女たちの顔を撫で、髪をなびかせる。

 その一瞬の出来事を見ることができた生徒はそう多くないだろう。


「なるほど、やるなエインズワース」

「……当てるつもりでいったんですけどね」


 双方息一つ乱さず、まるで何事もなかったかのような平然とした口調……だがしかし、先の一瞬の出来事をトライセンの姿勢が何よりも分かりやすく示していた。

 腰を落として片足を後ろに下げた姿勢に、胸の辺りを庇うように置かれた左手……シノブのほうへと向けられたその左手の平は赤く変色している。

 手のひらに感じるジリジリとした痛みを感じながら、トライセンはこみあげる笑いをかみ殺した。

 身体強化の魔術は運動能力を上げるだけではなく、体のあらゆる性能を向上させる。

 つまり、耐久力も相応に向上させるため少女の拳など痛痒すら感じないはずなのだが……シノブの一撃、あの鋭い右拳による正拳突きはその防御を突き抜けてきたのだ。

 それも、教師である自分のそれを。この編入生が持つ実力の高さに頬が緩みかけるのも致し方ない事だろう。


「意外と痛かったぞ、今のは」

「平然と防いでおいて、よく言いますよ」

「そう簡単に貰っていたら教師失格だろう? それじゃあ、今度は――」

「――今度も、コッチの番です」


 そんな言葉と共に、シノブの姿が再びブレる――少なくとも、周りの生徒たちからはそう見えていただろう。

 しかし、正面にいたトライセンはしっかりとその姿を視界にとらえていた。

 大幅に強化された脚力を生かした高速のステップインから、腰だめに放たれる右正拳突きストレート


(――速い、がさっきと同じでは芸がないぞ?)


 その攻撃を危なげなく受け流すトライセンに、今度は左の拳が飛ぶ。

 彼女の瞳に一瞬驚きの色が浮かぶが、流石に教師だけあって実力は高く危なげなくそれを防ぐ。

 しかし、そこからさらにシノブは拳を伸ばして連打を放った。

 右、左、右右、左、右、左……彼女の防御をかいくぐるために狙いを散らした素早い連打。

 一撃入れた方が勝ちというこのルールを考えれば実に正しいやり方だろう。

 しかし、それで押し切れるほどウィステリア学園の教師は甘くはなかった。

 胸、肩、鎖骨、顔、脇腹に鳩尾……あちこちに飛んでくる拳を彼女は残らず防ぐ。

 素早い連打とそれに対応する防御。

 息もつかせぬような攻防が続く中、トライセンの目がそれを目ざとく見つけ出す。

 シノブの拳がやや大降りになったわずかな隙、そこに滑り込ませるように彼女はシノブの顔面に拳を飛ばす。


 ――それを目にしたシノブの目が、再び紅く煌く。


 その瞬間、トライセンは確かに見た。シノブの体が、その手がこれまで以上に速く動いたのを。

 二つの拳が交錯し、空気を裂くような破裂音が鳴り響く。


「ぶっ――」

「ぐっ――」


 連打の合間と意識の隙間を縫うような鋭い一閃。

 瞬きするような間の攻撃。顔に向かって飛んできた鋭く素早い拳に、シノブはかろうじて自分の手を間に挟み込んで防御することができたが勢いを殺しきることはできなかったらしい。

 一瞬、シノブの上体が反り返り、顎が跳ねる。

 ふらりと一歩後ろに下がったシノブ……ガードのうえから打ち抜かれたのだろう、その鼻はやや赤くなっており、一筋の鼻血が流れていた。


「隙あり、とは言えないな。それなりに本気だったんだが、防がれてしまった」

「いや、そうでもないんじゃないんですかね」


 ぐい、と手の甲で鼻血をぬぐいながらぶっきらぼうにそういうシノブ。

 女の子らしさの欠片もない、口が裂けても上品などとは言えない仕草だが授業の内容が内容ゆえに仕方ない。


「まあ、そうかもしれない。とはいえ、私の方もこれではな……」


 そう言って顔をしかめながらトライセンは張り詰めた雰囲気を霧散させ、護るように脇腹に回していた手を外す。

 そして、その手を上着にかけてペロリとめくり上げた。


「見ろ、コッチも防いだとはいえ、結構なものをもらってしまった」


 そう言いながら彼女はよく見ろと言いたげに自分の体を指差す。

 引き締まった白いウエストのやや上、右わき腹の辺りが赤く変色していた。

 それは間違いなく、シノブが最後に放った打撃によるものだった。


「というわけで、この模擬戦は引き分けだ。それでいいな、編入生」

「は、はい……」

「ん? どうした、赤くなって」

「な、何でもないです……」


 服を戻しながら、不思議そうに首をかしげるトライセンにシノブはうつむきながらそう返すしかない。

 何しろ、目の前で若い女性が美しい素肌を無防備にさらしていたのだ。赤くもなろう。

 顔に添えられたその手からぽたぽたと紅い雫が滴っていたのは、果たして彼女の拳のせいか、それとも不意打ち気味に魅せられた素肌のせいか……それはシノブのみが、いや、シノブですらわからないことなのかもしれない。

 クラスメイト達から向けられる健闘をたたえる拍手に包まれながらも、いまいち締まらないシノブなのだった。




「――シノブ、エインズワース」



 そんなシノブに向けられる、一つの鋭い視線があったのをシノブは気づいていない。

 ざわざわと揺らめくような風に、蒼銀が舞っていた。

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