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第三話 お嬢様学園の食堂とは

色々と忙しくて全く更新できませんでした……

楽しみにしてくださってた方、本当にすみません。

 授業ではやはりわからないところが多々あり、頭を抱えることも多く。

 休み時間になれば、クラスメイト達――どころかいつの間に噂が広まったのかほかのクラスの生徒にまで群がられ、年頃の少女達のアグレッシブさに振り回されっぱなし。

 ついでに学校という慣れない環境のストレスや、女子達の距離の近さや無防備さゆえのドキドキ、女装がバレないかという緊張感や危機感など、心身両方への様々な負担が重なり合った結果――


「……つ、つか、れた……っ!」


 シノブは疲労感に包まれながら、吐き出すようにそう呟いていた。

 態勢もぐったりと机の上で項垂れるという、なんだか疲れた事務職の人間を想起させるような、覇気のないくたびれた格好である。

 机に突っ伏していないのはギリギリの意地なのだろう。


「あはは、そりゃあ休み時間のたびに質問攻めにされたらそう言いたくもなるよね。午後からは実習だけど、大丈夫? 体力残ってる?」

「ま、まあ、何とか……どっちかっていうと精神的に疲れた感じだし……」


 隣から心配そうに声をかけてくれるアリッサに苦笑と共にそう返しながら、シノブはため息を一つこぼす。

 実際、肉体的な疲労で言うならばパラス・アテナのギルドメンバーたちによる特訓――特に終わるころにはズタボロで骨の五、六本は確実に折れている格闘訓練とか、毎回体に風穴があいたり、腕や足が斬り飛ばされかける剣術訓練とか、流星群のごとき魔術の乱射をひたすら避け続ける回避訓練とか、力加減の分からない奴らの特訓――のほうが百倍きつい。


 精神的なものは……質が違うから何とも言い難いところだろう。


「というか、午後から実習っていうのはむしろありがたいかな。ぼ……私は体動かす方が得意だから」

「おっ、やっぱりわざわざウィステリアを選ぶだけあって、シノブも実践派? いやー、私も魔術理論とかああいうのはいまいち苦手でさー」

「……まあ、座って勉強するよりは楽しいし」

「だよねだよね! やっぱり魔術は使ってこそだし!」


 うんうん、と大仰に頷きながらそういうアリッサにシノブは小さく笑いを零す。

 明るく、元気で、ざっくばらんなアリッサという少女はいい意味でシノブの持っていたお嬢様のイメージからかけ離れており、シノブが無意識のうちに持っていた隔意や不安を見事なまでに壊していた。


「あ、ところでシノブ、お昼ご飯は軽く済ませちゃうほう? それとも――」



 ――キュルルルル~……



 そういえば、とアリッサがシノブに向けた問いかけを遮るように、シノブのお腹が可愛らしく、しかしよく聞こえる大きさでメシをよこせと自己主張の声を上げた。


「……」


「……」


 まるで図ったかのようなタイミングの良さに、二人は思わず顔を見合わせて口をつぐむ。

 二人の間に何とも言い難い沈黙が流れる……が、それはアリッサの小さな笑い声によってすぐに破られた。


「ふ、ふふっ……これは聞くまでもなかった、かな?」


 クスクスと笑いながらそう口にしている彼女の笑いにも、言葉にも、侮蔑や嘲笑の色は見られない。

 先のいろんな意味でやや行儀のよくない出来事も彼女にとっては純粋に面白い出来事だったらしい。


「じゃあ、お昼はしっかり食べるってことで学食行こっか。案内するから一緒に食べよ?」


 楽しげな声でそう誘いながら、アリッサはにっこりと満面の笑みを向ける。

 その朗らかで明るい笑顔は先ほどまで羞恥や気まずさが占拠していたシノブの心にするりと入り込んできて、胸に暖かな感情を抱かせる。

 彼女の問いかけに半ば無意識のうちに頷きを返しながらも、シノブは思わずその向日葵のような可愛らしい笑顔に見惚れていた。

 そんなシノブに追い打ちをかけるがごとく、アリッサは席から立ち上がる。


「うん、それじゃ……行こう、シノブ!」


 そんな明るい声とともにシノブの右手が温かい熱が触れ、くいっと軽く引かれる。

 正面から流れてきた穏やかな風がふわりと頬をかすめ、柑橘系の爽やかな香りがシノブの鼻孔をくすぐる。

 視界にウィステリアの白と紫紺の制服が広がり、その隅でスカートが翻り健康的な白い太ももが一瞬露わになっているのが見えた。

 アリッサがシノブのそばに立って手を取っている……言葉にすればただそれだけの状況だが、それによってシノブが感じた「女の子」はあまりにも多かった。

 ドクンと心臓が大きく跳ね上がり、火をつけたかのように顔が赤く染まる。


「あ……えっと……」


 同世代の女子に慣れていないシノブはどう返すべきか、どうすればいいのか一瞬迷う。

 女の子ってこういう時はどう答えているんだ?

 僕は本当は女の子じゃないのに、こんなふうに触れ合ってていいんだろうか?


 そんな疑問が頭の中をよぎる。


 だが、女同士ではスキンシップが多いのはギルドにいたころから知っていたし、そもそも今更手を払うのも不自然なうえ失礼というもの。

 それに、初対面であるにもかかわらずこうもまっすぐに好意を向けてくれるのだ。

 たとえ隠し事と偽りだらけの関係にしかなれないとしても、自分の心のままに、その好意に答えたいと思うのはきっと間違っていないだろう。

 そんな風に考えながら、シノブはアリッサの手を軽く握り返した。


「……うん、そうだね、アリッサさん」

「うんうん! じゃあ早くいこう!」


 シノブの口から飛び出た声は照れや緊張が混じって固くなっており、浮かべた笑顔もややぎこちない。

 それでも、そんなことは気にしないといわんばかりにアリッサは楽し気にそう返し、シノブの手を引いたのだった。


 ☆ ★ ☆


 魔術学園などの高等教育機関は基本的に貴族や裕福な家が通う場所である。

 そのため、学業とは関係ない生活の基礎部分――学食や学生寮などにも十分以上の資金を投入して豪勢に作られていることが多い。

 そしてそういったところは実践派を掲げるウィステリア学園も他の学園と大差ない。

 つまり何が言いたいのかといえば――


「ふわ……すっご……」


 ――そこに足を踏み入れたシノブが、思わずそんな言葉をこぼしてしまうほどにウィステリアの学生食堂は立派だった。


 上流階級御用達の超高級料理店と同じ広さ……とまではさすがに言えないが、ちょっとした料理屋など目ではないほど広い床面積。

 そんな広い食堂には四人掛け、あるいは六人掛けの長机が狭すぎない程度の間隔を置いて並べられている。

 机と机の間、窓際や壁際にはぽつぽつと観葉植物が設置されており、青々とした葉を茂らせて見る者の目を楽しませる。

 天井や壁にもちょっとした装飾が施されており、壁の高い位置にいくつも存在する嵌め殺しの飾り窓が食堂の中に柔らかな日差しを導いていた。

 そんな文字にすると華やかなように思える内装も全体として見れば落ち着いたシックな雰囲気にまとめられており、リラックスして食事がとれる場所としての工夫があちこちに見て取れた。


 昼休みが始まってからいくらかの時間が経っているからか、すでに席の半分ほどは制服を身に着けた女子達で埋まっている。

 彼女らがそれぞれ目の前にある料理に舌鼓を打ちながら、思い思いに談笑を楽しんでいるため食堂はざわざわとした騒がしい空気に満ちているが、それすらも穏やかに包み込んでしまうような上品さがこの食堂にはあった。


「すごい……いや、本当に、なんて言うかこう……すごい」


 いろいろと感じてはいるものの、知識や語彙の不足や衝撃の大きさからとにかく凄い凄いとシノブは繰り返す。

 目を丸くして、ポカンと口を開けているという淑女にあるまじき――そもそもシノブは淑ではないが――表情を浮かべたシノブにアリッサは小さく苦笑を零した。


(ふふっ、なんか懐かしいかも。初めてここに来た推薦組の子って大体こんな反応してたよね)


 シノブの表情を見てほんの一か月前のことを思い返しながら、アリッサはシノブの手――教室で繋いでから今まで繋ぎっぱなしである――を引っ張る。


「シノブ、シノブ、ここに居たら邪魔だからお昼取りに行こう?」

「あっ、うん、そうだね……」


 半ば放心状態のまま、アリッサにそう返す。

 そして引っ張られるがままに彼女に付いていったシノブは、半分上の空のままに生徒たちの列に並び、勧められるままにアリッサと同じシェフのおすすめランチを注文する。


 出来上がったそれを受け取った二人は、金属のプレートを手に手近な机に向かい合って席に着いた。


「……って、ちょっと待って」

「ん? どうかしたー?」


 何とも言い難い表情で口を開いたシノブに、アリッサはシチューにスプーンを入れながら首をかしげる。


「いや、その……ついスルーしてたけど、ここ魔術学園だよね? なんでセルフ……?」

「さあ? わかんないけど、ウィステリアではずっとこうだったらしいよ」

「えぇ……魔術学園、それも女子校で、しかもこの学食でセルフサービスって……」

「まあ、ちょっと不釣り合いな感じはあるけど、ここではずっとそうらしいし。ああ、でもガーディニアやカミーリャなんかじゃ学園が沢山メイドさん雇ってて、いろんなことしてくれるって話は聞いたことあるから、ここが特殊なんだと思うよ?」


 梔子の花ガーディニア椿の花カミーリャ……無論、それそのものの事ではないだろう。とはいえ、なんとなく聞き覚えがある名前にシノブは小さく首をかしげる。


「ガーディニアにカミーリャって……あの女子校の? 名前は聞いたことあるけど……」

「そそ、ガーディニア学園もカミーリャ学園も由緒正しきハイソなお嬢様たちの花園ね。ウチとは違って良いトコの子しか入学できない、本当のお嬢様学校ってところね」

「へえ……なんかすごそう」


 興味がない……というわけでもないが、いまいち想像がつかないシノブは首をかしげながらぼんやりとそう口にする。

 そんなシノブの言葉に大きく頷きながらアリッサは言葉を続けた。


「実際すごいらしいよー? まあ、私も又聞きなんだけど……校舎が滅茶苦茶広いとか、敷地の中に川や森があるとか、コンサートホールがあって楽団を呼んだり生徒の発表会をしたりしてるとか、学校の施設に美術館があって鑑賞会を定期的にしてるとか、ご飯は毎日フルコースだとか……」

「え、ええ……? 学校の話、だよね……?」

「うん、わかる。すごくわかるその気持ち。私も初めて聞いた時おんなじこと思ったもん」


 アリッサの話に目を丸くするシノブに同意するようにしみじみとそう口にする。

 そして小さく肩をすくめるとやや呆れたような調子で言葉を続けた。


「でもまあ、そういう肩肘張った感じより、ウィステリアのこういう形式のほうが私は気に入ってたりするんだけどね」


 ある意味気楽だしねー、と呟くように口にしてアリッサは手元のシチューを口に運ぶ。

 口の中に広がる濃厚な味わいにふわりと幸せそうな笑みが浮かんだ。

 そんなアリッサにシノブは不思議そうな声を上げた。


「それはちょっと意外、かな。アリッサさんはもっとこう、豪華というか、贅沢な暮らしに慣れるイメージがあったし……」

「ああ、よく言われるよー。まあ、ウチは大きな商会っていっても、大口の取引なんかだとお父さん直々に交渉に出たりするし、お兄ちゃんは見習い扱いでいろんなところに行商に出てるし……昔からそういうのに付いていってたから色々と慣れてるんだ」

「なるほど、そういうこと……でも、アリッサさんは旅慣れしてるからいいとしても、他の……例えば貴族の子とかにはどうなんだろう? あんまり受けはよくない気がするけど」


 シノブの疑問に対してアリッサが口を開くよりも早く、澄んだ鈴の音のような美しい声が横合いから響いてきた。


わたくしは最初のうちは少々戸惑いましたけど……慣れてきた今になってはこういった雰囲気のほうが好みかもしれませんわ。肩肘張らずに楽しく食事ができますし」

「ああ、まあカナデはそういうタイプだしねぇ」


 突然の出来事に驚いているシノブをよそに、アリッサは平然と言葉を返す。

 二人が声のした方へと視線を向けると、そこには学食のプレートを手にした黒髪の少女が立っていた。


「シノブさん、アリッサさん、相席をお願いしてよろしいかしら?」


 そう口にしながら、気品ある所作で軽く会釈をする美しい少女。

 目の前にいる黒髪黒目の少女に、シノブは非常に覚えがあった。


「んー、私は全然かまわないけど……シノブはどう?」

「えっ……と……ど、どうぞ?」


 シノブは突然のことに戸惑いつつも、小さく頷きながらアリッサの隣を指し示す。

 しかしなぜか彼女はシノブににっこりと笑いかけると、シノブの隣の椅子を引いた。


「私、折角ですしシノブさんの隣に座りたいのですが……いけませんか?」

「あ、えっと……いえ、問題ないです……」


 シノブ的には割と問題がある(主に気恥ずかしいとかそういう理由)があるのだが、にこにこと邪気のない笑顔を向けられながらそう言われてしまうと頷かざるを得ない。


 ……というか、よくよく考えてみればアリッサの隣に座られるとシノブは美少女二人の視線に正面からさらされることになるため、どちらにしろ恥ずかしいことに変わりはないという残念な事実に気付いてしまい、シノブは小さく溜め気をついた。

 そんなシノブのため息に気付かず、少女はそれでは失礼いたしますわ、と口にしながら軽く礼をしてゆっくりと椅子に腰かける。

 その所作一つ一つが丁寧で気品に満ちており、たとえその手に持っているものが――学食のランチというにはいささか豪華すぎるとはいえ――学食のランチプレートであっても、その立ち居振る舞いは上品で優雅な、まさしくお嬢様といった雰囲気を醸し出していた。


 そんな彼女を見て流石は本物のお嬢様は違うなー、などと感心しながら、シノブは目の前の少女を改めて見つめなおす。

 何より目を引くのは、制服を押し上げて激しく自己主張をしているその胸だろう。

 大きく育っているそれは男だけでなく同性である女子の目も大いに惹きつけそうだ。

 そして髪……これもまた個性的で、シノブと同じ宵闇のような黒髪をしており、生来の髪質なのか緩やかなウェーブがかかっている。

 穏やかで優しげな印象の整った顔をしており、大きな黒いたれ目と整った柳眉がその印象を一層強くしている。

 ふわふわとした髪型も相まって、森をそよぐそよ風のような、あるいはゆったりと流れる小川のせせらぎのような、心が落ち着く様な不思議な空気を纏っているように感じる。

 そして同時に、やや中性的なシノブとは似ても似つかない顔付きではあるが、どこかシノブと似た不思議な雰囲気を漂わせてもいた。


「その、シノブさんは私の事……」

「うん……覚えてる。教室で話しかけてこなかったから、逆に記憶に残ってるよ」


 そう言いながら、シノブは教室でのことを思い出す。


 そもそも、この国には黒に近い髪をした人はそこそこいるが、シノブやカナデの様に真っ黒の髪を持った人は少ないため、それだけでまず目立つ。

 また、クラスメイト達がシノブの周りに集まっていた時、そこから少し離れた場所でシノブに話しかけたそうにしながら、困ったような笑みを浮かべていたのがシノブの印象に残っていた。


「ああ、よかった。ここで知らない、なんて言われたらショックでお昼が食べられなくなってしまうところでしたわ」

「さ、流石にそんな失礼な事言わないよ……」

「ふふ、失礼。ほんの少しばかりアリッサさんの意地悪が移ってしまったようで」


 そう言って彼女は右手で口元を隠しながらくすりと笑いを零す。

 しかし次の瞬間、何かを思い出したようにアッと小さな声を上げる。

 そしてカナデは小さく咳払いをすると、その美しい顔にどこか気まずげな表情を浮かべながら再び口を開いた。


「失礼、私としたことが名乗りもせずに無作法をしましたわ。私は天道奏……こちら流に言うならばカナデ・テンドウですわね。少々ご縁がありまして、蒼城皇国より留学してまいりましたの。よろしくお願いしますわ、シノブさん」


 そう言いながら軽く頭を下げるカナデにつられるように、シノブも頭を下げる。


「あ、その……はい、よろしくお願いします。えっと……」

「どうぞ、親しみを込めてカナデとお呼びくださいな」

「じゃあ、カナデ……さん」

「呼び捨てにしていただいても構いませんのに……」

「いや、さすがにそれはちょっと……」


 おっとりおしとやかな口調や雰囲気のわりにぐいぐいと距離を詰めに来る彼女に、少々引き気味にそう返すシノブ。

 そんなシノブの姿に、カナデは小さく肩をすくめながら返した。


「あら、それは残念。振られてしまいましたわ」


 そう口では言うものの、彼女の声はどこか楽し気な響きを伴っており、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 カナデにとってはそう呼んでくれれば御の字程度の事、彼女なりのコミュニケーション方法なのだろう。

 そんな風に考えながら、シノブは目の前の昼食に手を伸ばす。


(この子がセド父さんが言ってた留学生、か。確かあっちの国では結構なお家柄の生まれだって言ってたっけ)


 品のある動作も、おしとやかな雰囲気も、彼女の生まれの良さの表れなのだろう。

 しかし、実践主義という言葉から連想する――実際のウィステリアがどういう学校であるかはともかくとして――ウィステリアのイメージとは全く合いそうにないのだが、どうして彼女はここへの留学を決めたのだろう?

 ふとそんな疑問がシノブの脳裏の端をかすめる。まあ、人見知りの気があるシノブはその疑問を口にできなかったのだが。


「……あ、これ美味しい」


 そんな自分の思いをごまかすように、小さな皿に盛られた生野菜を口に運んでシノブはポツリとそう零す。

 その瞬間、二人の目がキラリと光った。


「でしょ!? シノブもそう思うよね? 私もこの一月の間ですっかりここのご飯にはまっちゃってさー」

「ええ、ええ、本当にこの学園は腕の良い料理人を雇っていますわ。ここに来るまでにいくつか有名なお店でお食事をしたのだけれど、ここの料理はそれらと比べても全く遜色ありませんもの」

「あ、それは私も思った。私も王都の高級店いったことあるけど、ここの料理はあそこに負けてないよ」

「え、ええ……?」


 王都の高級店だとか、(名家基準での)有名店だとか、突然飛び出てきたシノブにとっては縁もゆかりもない言葉に何とも言えない表情を浮かべる。

 それは、カナデはともかくとして、おしとやかとは程遠い印象のアリッサもまぎれもなくお嬢様であるということを思い出させてくれる会話だった。


 ――イメージしたお嬢様とは違う人たちだけど、やっぱりお金持ちのお嬢様なんだなぁ。


 そんな風に考えながらいつの間にか始まっていた二人の高級料理談義を聞き流していると、突然隣から憂鬱な空気を含んだ重いため息が耳に飛び込んできた。


「ああ、そういえば次の授業は……ハァ……」


 その言葉につられて視線を隣に向けると、手の中でスプーンを弄びながら悩ましげな表情を浮かべるカナデが目に映った。


「どうしたの、カナデー?」

「カナデ、さん? 次の授業に何かあるの……?」


 アリッサのポヤポヤした声と、シノブのどこか不安そうな声を聞いたカナデはもう一度ため息を一つ。

 そのまま指で挟んだスプーンをクルリと一回転させると、眉間に眉を寄せたまま口を開いた。


「……今日でトライセン教諭の初実習からちょうど一月、といえばアリッサさんは思い出すのでは?」

「んー……あ、今日だっけ、あれ。うっひゃあ、シノブ大変な日に入ってきちゃった?」

「そうとしか言いようがありませんわ……ええ、コレは運がないというべき……? いいえ、むしろウィステリア流の一番濃い部分を初日に体感できるのだから運が良いというべきかしら……」


 そんなことを口々に言いあいながら、二人はどこか同情的な視線を投げかけてくる。

 一方、そんな事をいわれる覚えのないシノブは戸惑いを隠せない。


「え、え、ええっと……?」

「ああ、うん、いきなりこんなこと言われたらそうなるよね。でも、うーん……」

「なんというか……受ければ分かるといいますか、受けなければ分からないといいますか……」


 そう言いあいながら、初回の彼女の授業を思い出して何をどう言葉にするべきかアリッサ達は頭を捻る。


 しかしまあ、あの授業で受けた衝撃は大きく――特に穏やかで優しい性格のカナデにとっては非常に大きく――それをうまく言葉にすることは二人には難しく、また同時にあの授業の内容を言葉にしたくはないという思いもあった。


 そのため、二人の口から出た言葉はシノブの期待するようなものではなく、曖昧模糊としたもので――


「まあ、うん、次の実習は……凄いよ、うん。言葉にするのは難しいけど、凄いから」

「ですわね……こればかりは私も説明できる気がしませんわ。ただ……ただ、そう、一ついえるならば……次の実習はしっかりと、心を強く持つこと……それを忘れないように」

「え、ええ……?」


 ――頭の上に疑問符を浮かべたシノブの胸に、不安の影が落ちていくのも仕方のない事だろう。

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