うさぎの御茶会
「どうしてガーシュウィンなのだ!」
灰兎のランスロットがまんまるの手でスピーカーを指し、がなる。レディの前で冷静さを欠く紳士に対し、対面のメアリは肩を竦めるだけだ。
今日は白兎のメアリが「気分転換に」とアメリカ文化を強引にお茶会に持ち込んできた。机の上に置かれたお茶菓子もフォーチュン・クッキーであったが、しかしメアリの主人のお手製とあらば無碍にするわけにもいかず、ランスは仕方なくピアノを叩くアメリカ人の音楽家に怒りをぶつけることにしたのだった。
嗚呼ジョージ・ガーシュウィン、君のその高い鼻、薄い唇、撫で付けられた髪・・・!
「この横顔のジャケット、当時の『ピアノ・ロール』よ。喜ぶべきところじゃない?それに別に私、貴方と違ってステイツを敵視していないもの」
「せめて大陸の音楽を流してくれ!無難にショパンなどで良いではないか!」
「ランス、囚われ過ぎよ。ここはキャメロットではないのだし、現代の騎士はもっとグローバルでないと―」
白兎のメアリが赤い紅茶を静かに混ぜる。
「―またうっかり服を血で染めかねない。ほら、既に目が血走ってるわよ」
メアリはいつもランスロットの名前をいじる。そのことにランスロットはすっかり慣れっこであったが、しかし気が立っているとどうにも自制がきかず、つい憎まれ口を重ねてしまうのだった。
「・・・君だって『ブラッディ・メアリ』じゃないか」
メアリが笑う。
「私はフランス兎よ。発音も『マリー』が正しいわ」
それはそれで別の曰くがつくのではないか。しかもこの”おやつどき”にぴったりのものが。
そう、おやつどきだ。二体は現在ティータイムの真っ最中なのである。
ティータイムは大事だ。イギリスには天使の名前と同じぐらいティータイムにも名称があり、細分化されている。アーリーモーニング、ブレックファスト、イレブンジィズ・・・短針の動きに合わせて繰り広げられるパーティ・スケジュールに、イギリスの紳士淑女は大忙しで紅茶を啜る。それは兎のぬいぐるみとて同じだった。ランスロットは一時間おきにボウタイを変えてお洒落して、文字通り小さなお茶会に臨む。
「フォーチュン・クッキーなど紅茶には合わんと思うがな。スコーンにチョコクリームを塗ればそれで良いではないか」
「まったく。本当に好きね、チョコレート。おみくじなんてなくても貴方の運命の相手はチョコクリームで決まりでしょうね」
「否定はしない」
「でも、アメリカの食の質に関してはイギリスにも責任があるんじゃない?元々は自分達の国だったっていつも自慢してるじゃない」
「それは・・・」
アメリカの食事は不味いが、しかしイギリスの食事だって、ランスロットが贔屓目に見ても不味い。どう不味いかは味よりもヴィジュアルで表現した方が伝わるかもしれない。まず皿の上に第一に存在するのはタラだ。分厚い揚げ衣でサイズを水増しした、所謂フィッシュ・アンド・チップスというやつである。その隣に黄色い何かをぐちゃぐちゃにしたものが早朝に意義なく生まれた水たまりのように無造作に配置され、ついでに焦げたトマトと、キャロットと、「苦しみの豆煮込み」が並ぶ。「苦しみの豆煮込み」は悪意なき古典文学である。倫理的承認のない無垢な暴力は許されるのか、そういったことに問題提起した意欲作と言える。
(これ以上は語るまい・・・)
イギリスはファンタジーの土壌が豊かで、傑作小説も数多く輩出せしめているが、そういった物語の中で登場するやたらにグロテスクで過剰に形の崩れた食べ物の数々は、実は彼ら当人たちにとってはいたって当たり前の普通の食べ物なのである。昆虫食を伝統とする部族が固い足の節くれが喉につっかかることに疑問を抱かないように、イギリス人もまた「苦しみの豆煮込み」に苦しみを見出さないのである。
「と、とにかく、今日のティータイムにちゃんと紅茶があって良かった」
そこに来て紅茶は癒やしだった。あらゆる意味で多義的な癒やしだった。まず紅茶の発酵した茶葉というのが、口の中を翻弄する油分をさっぱりと切り払ってくれる。脂肪や蛋白質の消化も助けてくれるので胃にもありがたい。茶葉の生成には手間がかかるため、良い茶葉を嗜むというだけで上品であるという勲章もついてきてくれる。何より美味しい。そう、これが一番大事だ。イギリスでだって美味しいは大事なことなのである。
「この場において唯一紅茶だけが茶会を茶会足らしめてくれている」
「たしかに、紅茶って妙に尊厳があるわよね。アメリカからは拾い辛いものが詰まっている気がする」
その通りだ、とランスロットは頷いた。最近はイギリスがEUを離脱し、経済圏から放逐された影響で紅茶の輸入が割高になり、ランスも紅茶かチョコ、どちらかを諦めなければならない窮地にあった。長い耳を抱えながら夜を明かした末、彼が手にとったのは運命のチョコレートではなく、紅茶だった。それほどに英国紳士にとって紅茶は必要なものだったのだ。
「この香りを嗅いでいる時だけは、諦めたチョコホイップ・ケーキのことを忘れられる・・・」
ランスロットは湯気で鼻先を湿らせた後、アッサムを口に運んで一息ついた。不思議と心が落ち着いてくる。アメリカが火種となり広がりつつあった怒りの戦火もすっと冷め、澄み渡る泉のように心穏やかになる。思えばアッサムに舌鼓するのはいつ以来だろうか。
メアリが持ちだした手作りフォーチュン・クッキーも、その遊び心に愛情すら感じてきた。フォーチュン・クッキーとは、クッキーの内部に運勢が書かれたおみくじが閉じ込められたお菓子だ。アメリカ人はこの小道具を使って朝や夜などをより明るくしたり暗くしたりする。ランスロットは心境を一新すべく、自分もフォーチュン・クッキーを一つ手に取り、食べてみることにした。半分に割ると中からおみくじが出てくる。
「なになに・・・『運命の相手にそっぽを向かれる』?」
「まあ!見て、ランスロット」
メアリが微笑み、少しだけ割ったクッキーの中をそっと見せてくる。中に収まっていたのはくじではなく――。
「チョコ!」
「たぶん貴方のために彼女が入れておいてくれたのね。でも残念、私が割ったんだから私が責任を持って食べなくちゃ」
「待ってくれ、マリー!そんな、そんなことをしたら現代のランスロットがまた血で服を染めることになるぞ!それに何も実際のマリー・アントワネットもお菓子が好きというわけでは――」
「貴方が言ったのよ、私は血染めだって。あむっ」
嗚呼、君のその高い鼻、薄い唇、撫で付けられた髪・・・!
「ビー!お茶の時間よ!」
「はい、マ・・・おかあさま!いま行く!」
母に呼ばれて、ビーは急いで片付けを始めた。おままごとに使うティーセットも、二体のぬいぐるみも、もとの場所に戻してあげる。そして部屋のドアを開くとふり返り、友人たちに手をふった。
「じゃあね、ランスロット、メアリ。またあしたのティータイムに」