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「おわかりいただけましたか?」という言葉による弊害について、オレ達はもっと真剣に考えるべきだ

 とある仕事の昼休み、オレは会社の外に出て、どこかで飯を食うことにした。


 「ちょっと昼飯行ってきます」


 昼時間帯も注文電話が鳴りやまない、弁当会社の事務。事務はたった3人という少人数でまわす、零細企業。だからたった1人休んでいる時でも、なかなか会社を抜けられない。

 でも今日は3人いる日。いつもは真面目に昼休み返上で電話応対なのだから、たまにはいいだろう。


 「おお。オレも後で抜けたいから、戻ってきたらよろしくな」


 「はい、わかりました」


 たまに外出しても、戻ってきたら入れ替わりで他の社員が出ていくこともある。少人数の事務あるあるだとは思う。



 オレは会社の外のオフィス街を抜け、食堂やチェーン店が立ち並ぶエリアを歩いていた。


 「何にしようかな……」


 もうコンビニ飯も飽きた。近頃は弁当男子という、弁当を自作する男が増えてきているそうだが、自分は料理が好きというわけでもない。

 そもそも、うちの会社は終業が夜8時。電車に乗って家に着く頃は9時。そうなると、風呂に入って飯食って、適当にテレビとネットサーフィンであっという間に夜0時。次の日は6時に起きなければならないからすぐにベッドに入る。

 こんな生活のどこに料理する時間があるというのだろうか。


 となれば、朝仕事の行きがけに飯を買っていく他にない。

 だからたまには、ゆっくり外食したってバチは当たらないだろう。



 街は牛丼を食べに行く外回り営業マンや、女同士優雅に連れ立ってランチに行くOL、公園でコンビニおにぎりをかじる、何か訳ありな雰囲気のサラリーマンと、いろいろな人々がいた。

 いずれも大企業に勤める、きちんと昼休みが保証された人達なのだろう。


 オレだって、本当はもっと一流の会社に入りたかった。というより、子どもの頃からもっとデカいことを成し遂げる人間になりたかった。


 何を成し遂げたかったのか? と言われれば、とくにやりたいことなんてない。とにかく起業して社長になるとか、何かのスポーツで注目されるとか、俺のどこかいいところに目をつけて美しい女性が恋に落ちてくれるとか、そういうビッグな人生を意味もなく望んでいた。


 でも実際は、なんとなく入学した大学も中の下、就活はエントリーシート段階で落ちまくり。スポーツは中学時代に卓球、高校時代にテニス、大学時代にバスケットボールと、統一性がなく、いずれも補欠止まり。父に似て冴えない顔をしているせいか、女性にもモテたためしはない。

 いわゆるオレは普通の、ごくありきたりの落ちこぼれだった。所詮はビルの一階分を借り切って経営している、中小企業にやっとこさ引っかかるのが落ち。

 たまの休みはゲーセンで音ゲーに没頭したり、パチンコに入り浸ったりと実りのない日々。こんなオレにビッグな夢が訪れるわけなんてなかった。




 ボーッと街を歩いていると、ふと一件の洒落た雰囲気のカフェを見つけた。

 表に出ている看板を見ると、ランチタイムの安いセットが出ている。どれもこれも1000円前後でオムライスやドリア、スパゲティが食べられる。それに今の時間ならサラダやスープ、コーヒーも付いてくる。


 「うん、ここにするかぁ」

 男が一人カフェ飯というのも虚しいが、値段の割にボリュームが気に入った。


 古びた雰囲気のカフェは、扉も自動式ではなく、ドアを開けばちりんちりんと鈴の音が鳴るのが風情あっていい。

 「いらっしゃいませ」

 と、店主が挨拶をした。続いてウェイトレスがタタタッと小走りでやってきて、

 「お一人様ですか?」

 と聞いてきた。ウェイトレスは昭和時代の、千疋屋フルーツパーラーのようなレトロかわいい制服だ。髪は二つにおさげにしてある。

 「はい。 あ、喫煙席で」

 「かしこまりました」

 今時喫煙ができる飲食店は少ないので、こういうところは貴重だと思う。

 

 周りを見れば蓄音機が古い外国のレコードを流し、カウンター傍の食器棚には、店主の趣味なのかアンティークの値打ちしそうな食器が並んでいる。

 そして出窓には清潔な白いカーテンと、グリーンの植物が飾られていて、オシャレ。

 とても感じの良い店だが、オレの他に客はいない。昼飯時だというのになんだか妙な気がしたが、まぁガヤガヤしていなくてオレ的には○だ。

 

 我ながらいい店を見つけたと、上機嫌になったオレは早速タバコに火をつける。

 心地よい音楽を聴いている内に、ウェイトレスが注文を聞きにきた。


 「ご注文はお決まりでしょうか?」

 オレはテーブルに置いてあったメニュー表を指さした。

 「ああ、ランチセットのスパゲッティで。 このボンゴレビアンコね。 飲み物はエスプレッソでお願い」

 「かしこまりました。 お飲み物は食後でよろしいでしょうか?」

 「はい、それで」


 注文を済ませると、再びタバコの煙を燻らした。いつもならスマホをいじるところだけれど、たまにはこうして店の雰囲気を味わうのもいい感じだ。


 最初はオレもそんな感じで、ウキウキと料理が出てくるのを待っていた。ところが、待てども待てどもなかなか料理が出てくることはない。

 イライラしながらタバコを2,3本吸い、外を眺めたり、いよいよ飽きてスマホをいじったりして、時計にふと目をやると、時刻は昼休みが終わる20分前になっている。

 さすがにこれ以上は待っていられないと、店主に声をかけた。


 「あの、注文したもの届いてないんだけど……」

 店主はグラスを拭く手を止め、ふとオレを見ると、少し驚いたような顔をした。

 「あれ……お客さん? ちょっと、お待ち下さい」

 いそいそと店主は奥のキッチンへ姿を消した。しかしなんだ、さっきのオレに対する「アレ、いたの?」的な雰囲気は。


 店主は引っ込んだものの、なかなか現れず、とうとう昼休みは残り10分をきってしまった。

 「ちょっと、いつまで待たせるんですか」

 少々、いやかなりキレ気味で奥のキッチンに向かって叫んだ。すると、店主とウェイトレスが同時に出てきた。

 「あの……スパゲッティ、まだできていないんです」

 と、ウェイトレスが言う。

 「はぁ!? まだできてないって、どういうことだよ」

 その事実に驚いた。

 「オレ、注文してから30分は経過してるよね? スパゲッティぐらいで何でそんなに時間かかるのさ」

 すると、ウェイトレスはケロリとした顔で

 「材料のアサリがなくて、うちの店員が買い出し中です」

 と言い放った。

 そのあまりの堂々とした言いぶりに、オレは呆れながら言った。

 「あのさぁ……ボンゴレビアンコはアサリが主役だよ? アサリがないってことは、最初からボンゴレビアンコは作れなかったってことじゃん! なんでオレが注文した時点で教えてくれないの? できないならできないって、言えばいいじゃん!」

 べつにボンゴレビアンコが作れないことに怒っているんじゃない、作れないなら作れないと最初から言わなかったことに怒っているんだ!と、説教した。

 「オレだって、作れないってわかっていたら最初から他のもの注文していたのにさぁ」

 「はぁ、注文受けた時にはアサリの有無は知らなかったわけですから」

 ウェイトレスはヘコヘコと屁理屈をこねた。でもオレも負けじと反論した。

 「そりゃね、あなたはウェイトレスで料理をしないわけですから、店の材料を把握していなくて当然ですね。 でもね、客にしてみりゃそんなこと関係ないの。 あなたにだって同じ店の一員として客に対する責任があるんだよ」

 「オレだって暇じゃない。 というか、この時間に来ているスーツの連中は、みんな限りある昼休みの時間を使って飯食いに来ているわけ。 そっちのペースでノンビリ料理を作られたら、客はすごく迷惑なわけ。 アンタ、少しは客の立場に立ってモノを考えたことあんの?」


 年下の女の子にグチグチ言うのも好きではないのだが、この子の今後の対応のためでもある。ここは年上としてビシッと言っておかなければ。そうオレは一方的に思っていたらしい。

 女の子はボーッと、オレの話を聞いてんだか聞いてないんだか、うつろな目をしていた。


 「あのぅ、ですからアサリがなかったのはどうしようもないわけで……とにかくいくら言われても、まだできていないものは、できていないんです」

 と、ウェイトレスは面倒くさそうに言った。

 これを聞き、オレは絶望した。この女、まるでオレの言っていることをわかっていないと。

 それにぬぼーっと押し黙ったまま、店主が突っ立っているのも、腹立たしい。

 「ちょっと、店主。 アンタも上司としてこの子に一言言ってやって下さいよ。 この子、オレの言っていることがまるでわかってないじゃないか」

 この子の物分かりの悪さはアンタにも責任あると、遠回しに言ってやった。すると黙っていた店主が、やっと口を開いた。


 「確かに、料理が出てくるのは遅かったのはこちらの責任です。 私から、シェフに厳重注意しておきますので、ご了承下さい」

 オレはこれを聞き、ポカンと開いた口が塞がらなかった。「コイツもか」と。どうもこの二人は、オレがボンゴレビアンコをどうしても食べたくて、でも食べられなかったことについて怒っていると思っているらしい。


 「あの、何か誤解していませんか? ……もう一度整理しますよ、オレは、スパゲッティが食べられなくて怒っているんじゃないんです。 材料がなくて作れないなら作れないと、はっきり言ってくれということです。 じゃないとオレは貴重な昼休みの中、待てども待てども出てくることのないスパゲッティを待つはめになるじゃないですか。 それに対し、どう思いますか?」


 二人はまだよく理解していないような、ボケーッとした顔をしてオレを見ていた。少し、困惑している感じもする。

 オレは何だかこの二人にどうしても自分の主張を理解してほしくて、半分意固地になっていた。

 この時、当然時間もなかったし、諦めて会社に戻ろうかとも考えた。でもそれは自分の中でモヤモヤする、スッキリしない何かが生まれるようで、それだけはできなかった。


 店主はまるで厄介な客を相手にするように、言った。

 「お客さん、スパゲティの材料がなかったのは我々のミスです。 ……ですが注文が来なかった時点でお客さんの方からもう少し早めに聞きに来るとか……作るのはシェフであって、我々は把握していないわけで、それはこちらばかりが責任とは言い難いですしねぇ。 ボンゴレビアンコはあまり注文するお客さんがいないですし、材料がないことにも気づきにくかったと申しますか、まぁそんなに責められてもこちらとしても対処しかねます」


 店主の言い方だと、自分達が悪いばかりじゃない、多少はオレにも責任があると言いたげだ。

 実を言うと、オレも注文を待って15分を経過した時点で帰ろうとは思ったが、それはそれで悔しいような、負けたような気持ちになるではないか。


 「はあ!? 何言ってんすか、アンタ! そんな言い方……まるでオレの方がクレーマーみたいじゃないか!」

 店主とウェイトレスは互いに目を合わせる。

 「しかしですね、いくら言われてもできなかったものは仕方がないんです」

 そしてまた振り出しに戻る。


 彼らは表情こそ申し訳なさそうな態度で接するが、内心自分達が悪いだなんてこれっぽっちも思っていないようだ。

 それに先ほどから気になっていたのだが、彼らは一向に謝る気配を見せない。こちらが何を文句言っても、上手く丸め込まれては、結局一番言ってもらいたいことを何一つ言わない。それが余計に腹立たしい。


 「いいか、つまりはな、オレは謝れって言ってんだよ。 べつに材料がなかっただとか、あまり注文されない品だとか、言い訳なんていいから『すみませんでした』って一言いやぁいいんだよ!」


 先ほどまでうなだれていた雰囲気だった店主は、今度はあからさまに迷惑な顔をしている。


 「こちらは十分謝罪しているつもりで……あの、一体どうすれば満足していただけますかね?」

 理不尽にも、少し怒りを見せているようだった。何だその言い方は。それで謝罪しているつもりなら、一度そのままの態度でサラリーマンになってみろってんだ、この自由業者風情が。飄々とした表情が煮えくりかえるほど腹が立つ。


 「てめぇ、コラ……何だよ、その顔は」


 ついにはオレも悪態をついてしまった。社会人になってからというもの、人に向かって「てめぇ」なんて言ったのはこれが初めてだった。

 オレは相当、頭にきていたのだ。


 「オレは謝れって言ってんのに、何でそれすら満足にできねぇんだよ。いいから、自分達が悪いと認めて、謝れよ!」

 「ですから、こちらとしてもシェフに厳重注意を……」

 「だから、注意とかもうこの際どうでもいいの、謝れって言ってんの! どう考えたってオレが悪いんじゃないでしょ、これは!」

 「はぁ、あの……」


 店主は意地でも謝らない。客に謝ってはいけないという、接客マニュアルでもあるのだろうか。


 「お客さん、私達は店主とウェイトレスであって、料理をするわけじゃないんです。 そこのところ、おわかりいただけます?」


 オレはこれを聞き、とうとう堪忍袋の緒がブッチ切れた。

 「オレはなぁ、『わかります?』って言葉が大っ嫌いなんだよッ! まるで相手を見下したような、自分の説明の悪さを棚に上げてさ、相手の理解力の低さに責任転嫁して! 10歳の子どもにもわかるように説明できるのが……っていうだろ! 何故オレの言ってることがわからないッ!?」

 「だいたい注文した料理ができないなんて、ふざけるな! 店主やウェイトレスだから料理には責任ないってか!? あるっての! 店主なら店主で店開ける前に材料の在庫調べるなり、ウェイトレスも料理の出来時間とか見計らって様子見るなり、なんだって対応できるだろうが! そんで、できないならできないって言えばいいだろう~!」

 オレはもう自分が何を言っているか、ワケがわからなかったし、まとまらずに矛盾していることを言っているような気もした。でもお構いなしだった。

 しまいには店のテーブルクロスを引っ張って花瓶やメニュー表を倒したり、椅子を投げ飛ばして店の食器を数えきれないぐらい割ってしまった。


 「ちょっとお客さん! やめてください、警察呼びますよ!」

 店主は叫び、ウェイトレスは慌てて奥のキッチンに逃げ込んだ。

 「うおおお、謝れッ! うおおおおお!」

 雄叫びをあげながら、オレは店のものを破壊して回った。もう店も、オレの心理状態もメチャクチャだった。貴重な蓄音機は床に倒れ、レコードは割れる。出窓の白いカーテンは引きちぎれ、グリーンの植物は無残にも床に散り散りになってしまっている。

 「うおおおおおおお!」

 オレはもう何が何だかわからなかった。これではオレの方が謝罪すべき犯罪者。心のどこかで、もういいじゃないか、もう料理が出てこない15分でコンビニでも行けばよかったんだと、自分を責め立てる。


 気がつくとオレは店主によって店から追い出され、ドアに鍵をかけられた。


 外に出てもオレの反撃は留まることを知らなかった。

 「なんで謝らないんだよ! なんで謝らないんだよ!」

 オレは店のドアを激しく叩いた。

 「ごめんなさいって、すみませんって、言えよ!」

 オレがわめけば、昼飯を終えて会社に戻っていく人々がオレを見ていく。

 「お前らッ何見てんだよ! オレの何がいけないっていうんだよ! オレは悪くない! オレは悪くない!」


 わあわあと泣き叫び、地面に転げまわる。スーツはボロボロ、顔は涙でぐしゃぐしゃ。

 こんな人生は嫌だ、こうはなりたくないと、蔑んだ表情でオレの横を通り過ぎていく人々。


 「オレは……オレは……! 何もしてないんだ……! だから、だから何も悪くは……」


 オレはあまりにも自分の思い通りのいかなさに、何故こんなにも謝罪に執着していたのかもわからなくなってきた。

 それにこんなにボロボロのスーツでどうやって会社に戻ればいいのだろう。先輩達も待っている。結局昼飯もろくに食べられなかった。空腹のまま、終業までいろというのか。そもそも、こんな格好じゃ、もう今日は仕事なんてできやしない。



 オレは諦めて地面から立ち上がり、のそのそとカフェの前から離れた。


 このまま自宅に戻るのだ。これ以上、店の前で粘ったところで謝罪してもらえることはないし、こんな格好ではどの道帰るしかないのだ。

 先輩には後で何て言い訳をしよう。「昼飯に行った店が謝ってくれなかったから、スーツがボロボロでもう仕事できません」ってか。そんな馬鹿な話があるか。



 オレは何も悪くはなかった。実際何もしてないし。


 そう、何もしていない。オレの人生において、オレが何かしたことなんてないのだ。

だからいつだって何も起きることがない。

何もやりたいことなんてないし、何かを頑張りたいと躍起になったことだってない。いつだってとりあえず、とりあえずのその場しのぎ。



 だから本当の望みだって叶ったためしがない。





 「おわかりいただけましたか?」



 わからねぇよ、どうしてこうなるのか。だってオレは、オレは……




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― 新着の感想 ―
[一言] リアルにありそうなこと……と言うか自分が実際に体験したことに似ていて胸糞が悪くなりました(作品を非難している訳ではない) こういうことを平然と言ってのける人が本当にいるから困る。 主人公が不…
[良い点] 登場人物ほぼ全員が「おわかりいただけましたか?」と、自分の主張を相手に押し付けているところ。 [一言] すっかり忘れ去られた先輩……。
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