1-3 母娘と晴②
「でも、晴くんホントに強いよね!どうしてそんなに強いの?」
「どうしてと言われても……困りますね。分からないと言うのが本音です」
「そうなの?」
「ええ。なんて言うか、体が勝手に動く、という感じです。攻撃も回避も、考えるよりも先に体が反応するんです」
それは晴自身、奇妙に思っていることでもあった。
『先読み』と言うほどでないにしろ、相手の体――筋肉や関節の動きを見るだけで、次にどのように攻撃が来るのかを理解することが出来、脳が理解すると同時に、体はその情報に合わせて、自然に回避、あるいは反撃を行うのだ。
「へぇ~。動きが身体に染み付いてるんだねー! あ、もしかして、何か格闘技とか習ってたとか?」
「そうですね。そうなのかも知れません。……覚えてはいませんが」
晴が苦笑混じりに返すと、
「あ、ご、ごめんっ!」
自分の犯した失態を知り、慌てて頭を下げる琳。
「あぁ、いえ。謝るようなことでは」
「でも……」
しかし、琳は「しまった」という顔をして、ひどく後悔しているようだった。
晴も何と言っていいか分からず黙ってしまう。
やにわに訪れる、静寂。
カチャカチャと食器と箸が立てる音だけが食卓を満たして行く。
そんな時、
「……忘れていた」
先ほどから黙々と栄養摂取に没頭していた理詠花が、箸を止める。
「え、どうしたのお母さん?」
「思い出した。お代をもらっていない」
「おだい?」
「そうだ。あのチンピラ、商品の代金を払っていないのに帰してしまった」
「……」
「迂闊だったな。お陰で500円の損だ」
理詠花は大真面目な顔で言うが、晴と琳は唖然としていた。
“確かに買うとは言ってたけど……”
“結局、商品はまだウチにあるじゃん!”
「ウチってそんなにお金ないの?」
琳が、半ば呆れた様に尋ねる。
「……いきなり何を言い出すんだ」
「いきなりじゃないじゃん!だってあの怖い人たち、土地を渡せって言ってるんでしょ?」
「琳」
「それって、ウチにお金がないから、担保に入ってるこの家をお金の代わりに、」
「琳、今はご飯の時間だ。その口は、ご飯を食べるためについてるんであって、余計なことを喋るためのものじゃない」
「何よその言いかたー!心配してるだけじゃない!」
「だから、その心配が余計だと言ってるんだ。お前は詰まらないことなど考えず、しっかり17歳をやっていれば良い」
むむむ……、と琳が唸るも、理詠花は素知らぬ顔で相手にする気すら見せない。
「もう!お母さんのわからずや!」
湧き上がる不満諸共、目の前の料理をガガガっと、一気に平らげる琳。
「……理詠花さん、あの、」
「晴くん」
理詠花は晴の言葉を遮って、
「君もだ。箸が止まってるぞ。冷めて不味くなる前に食べなさい」
「……はい」
恐ろしいまでの無表情には有無を言わせぬ気迫が込められている。
「冷めたって美味しいわよ!!」と料理を作った張本人の琳が吠える。
そして、ばちんと手を合わせて「ごちそうさまでしたっ!」
「琳、もう少し行儀良く、」
理詠花の注意を無視し、
「いってきまーす!!」
学校指定の鞄を掴んで、琳は駆け足で家を出て行ってしまった。
夏休みの午後を部活動へ捧げに行く娘の背を見送り、
「まったく。忙しない子だ」
理詠花は薄く微苦笑した。
◇
「じゃあ、私も仕事に戻るから、お店の方は頼んだよ」
理詠花は食べ終えた食器を片付け、家の奥の工房へ姿を消した。
食器を洗い終えると、晴は店舗部に出て、レジ横の椅子に腰掛ける。
午後からの店番は、家事以外で、晴が任された数少ない仕事の一つだった。
午前中は基本的に客数が少ないため、開店時に理詠花が商品の陳列をいじるなどした後は、店には誰もいない状態になる。
店の戸にはセンサーが付いていて開閉時に鐘がなる仕組みなので、音が鳴れば理詠花が接客をする。
午後は理詠花が商品を作ったりと、本格的な作業をするため、晴が接客や店内清掃を行うことになっている。
普通の平日ということもあり、この日も客は少なかった。
街外れの商店街の、さらに外れにある小さな雑貨屋なのだから、仕方がないと言えばそうだが…………
琳が心配するのも肯ける。
客が居なくなった店内には、家の前をたまに通る車の音と、工房から聞こえてくる作業音以外は何の音もない。
静寂は、晴の不甲斐なさ、後ろめたさを頻りに駆り立てる。
半年ほど前、晴も一度「外に働きに出る」と理詠花に言ったことがあった。
もしその申し出を理詠花が承諾していれば、晴も多少は自分の存在理由を肯定的に考えられただろう。
『君は何も心配しなくていい。ただ居るだけでいいんだ』
鼓膜に焼き付いたその言葉が脳裏で反響する。晴は下唇を噛んだ。
家計や店の経営のことを、琳や晴に明かさないのは、理詠花の矜持の表れなのかもしれないが、そのプライドの副作用が、晴に苦痛を与えてもいた。
「僕は……何のためにここに……」
この1年、幾度と無く考えてきた問いを、もう半分口癖のように晴は独り言つ。
空虚な一日は音も立てずに去っていった。