1-3 母娘と晴①
「晴くん。君の行いを、あえて否定するわけではないが……」
早めの昼食を取っている時のことだった。
四人掛けのテーブルの斜め向かいに座る理詠花が、不意に口を開いた。
「どうして出てきたりしたんだい?」
理詠花は弁天組とのいざこざに、晴は関わるなと言っていた。
それは、関わってしまえば荒事になるであろうことを、予期していたからだろうか。
「すみません、理詠花さん。でも、僕にはお二人をお守りすることくらいしか出来ません。置いてもらっている身としてこれくらいは当然の義務です」
「ふむ。君の気持ちも分かる。しかし、もう少し穏便に、事を済ますことも出来たんじゃないかな?」
理詠花は料理を口に運びながら、淡々と説く。
「もちろん、不条理なことを言っているのは相手方だし、先に吹っ掛けて来たのも向こうだ。でもね、こっちがそれに腹を立てて、わざわざ乗っかってやる必要はないんだよ。違うかい?」
「それは……」
無表情な面持ちからは、その言葉の裏側を読み取ることは難しい。
「すみません……余計なことだったでしょうか……?」
「いいや、謝られるような道理はないよ。ただ……ああいう手合いは、恨みの根が深い。性根が腐っているからね。一度叩いたくらいでは大人しくはならない。むしろその逆だ。分かるだろう?」
「はい……」
相変わらず、理詠花の論理には隙がない。
淡々と自分の非を突き付けられるのは、ある意味怒られるよりも精神的につらいものだ。
晴がすごすごと頭を下げると、
「お母さんひどーい!せっかく晴くんが守ってくれたのに、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
隣で話を聞いていた琳が、ぶーぶーと母に抗議する。
「晴くんがいなかったら、お母さん何されてたか分からなかったんだよ!?」
「それは晴くんも同じことだ。今回はたまたま何事も無く終わったが、場合によっては、取り返しのつかないことになっていたかも知れない。――お前も、さっきそう言ってたじゃないか」
「うぅ……。だけど、お母さんだってケンカ腰だったじゃん!それなのに、晴くんばっかり責めるなんておかしい!」
「いいかい、琳。挑発に乗って言い返すのと、毅然として突っぱねるのとは、見た目では似ているかもしれないが、その意味や、相手に与える印象はまるで違う。ああいう連中には、後者の対応をすべきなんだよ」
「うぅ~……でーもー」
「ありがとう、琳さん。でも、理詠花さんの言う通りです。あの時は僕もカッとなってしまった。反省しています」
「晴くん……」
理詠花の言う通り、今回の一件で、弁天組が手を引くとは思えない。
むしろその逆で、晴への報復を画策し、この店に更なる危害を加えようとする可能性もある。
晴のお節介は、藪を突く行為だったのかも知れない。
「ふむ……。晴くん。それに琳も。勘違いして欲しくないんだが、私は別に責めてなどいないよ」
「え……?」「そうなの?」
「そうだとも。私は、君たちに覚えておいてもらいたいだけさ。『力』に対抗するためにはどうすれば良いか、を」
「力に……」「たいこうする?」
理詠花は一呼吸おいてから、真剣な面持ちで、
「振りかかる『力』には、簡単に流されてもいけないし、単純に抗うだけでもいけない。『力』には、ただ、対等であればいい。そうすれば、無駄な争いは回避出来る」
二人の心に深く刻み込まれるように、低くゆっくりとした声で言った。
「……」
含蓄に富んだ言葉たった。
晴は黙って数度肯き、その言葉の重みを反芻する。一方の琳は、
「んー?」
と、首を傾げ、頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「それより、気をつけなければならないのは、むしろ晴くんの方だ」
「僕、ですか?」
「ああ。おそらく、奴らは私や琳に、簡単に手出しはしない。――が、君は違う。奴らに取って、君に手出しをしない理由がない」
チンピラ共が、コケにされたままでいるはずがない。
復讐心を滾らせて晴の前に現れるということは十分考えられる話だ。
「街中では、背中に気をつけた方が良い」
その冗談のような科白が、晴には嬉しかった。
軽率な行動を咎められてもおかしくないはずなのに、理詠花は自分の身を案じることを優先してくれた。
それがとても嬉しかった。
「ありがとうございます。でも、心配には及びません」
だからこそ、晴が自信に満ち満ちた声で宣言する。
「僕は強いですから」
「ふふ。頼もしいね」
理詠花は、今日初めて、笑った顔を見せた。
「そうよお母さん!晴ってばめっちゃ強いんだから!」
「なんで琳が得意げなんだ?」
やけに鼻高々な娘に母が冷静なツッコミを入れる。