1−1 諍い③
パシッ
乾いた音が、小さく響く。
――結果から言えば、叩き付けられた商品は砕けることはなかった。
「なっ!?」
リーゼントが思わず驚嘆する。
粉々に砕くつもりで放り投げた小物は、硬い床には到達し得なかった。
商品が高速で描いた直線上には、いつの間にか手の平があった。
その動物の形をした理詠花の作品は、唐突に現れたその手に受け止められたことにより、地面との衝突を免れたのだ。
「! 晴くん!?」
振り返って手の主を見、理詠花も驚きの声を上げる。
そこには膝を付いてしゃがみ込んだ晴が、薄っすらと怒りを顔に浮かべて、理詠花の作品を握り締めていた。
店の棚の陰でずっと晴が構えていたことを、誰も気が付いていなかった。
晴は、立ち上がって商品を元の位置に戻すと、理詠花を庇うように、弁天組との間に割って入る。
「なんじゃい、小僧」
リーゼントは晴の動きに明らかな驚きを見せていたが、すぐさま表情を作り替え、晴に鋭くガンを飛ばす。
「……ぇれ」
「はあ?何か言うたかぁ?小僧」
「晴くん、やめな。君は下がっていなさい」
理詠花が止めるも、晴は一歩も引かず、鋭い眼光を据えて男どもを睨む。
「……帰れ。失せろ」
「んだとこのガキィ!!」「ナメた口利いとんちゃうぞ!!」
晴の言葉に、取り巻きの2人が声を荒らげる。
「小僧。えらい粋がっとるとこ悪いけどなぁ、コイツらの言う通りや。あんま大人を嘗めん方が良い」
「アンタらみたいなのは大人でも何でもない」
「あぁン?」
「自分の思う通りにならなかったら駄々をこね、大声を上げて、暴力によって相手を従わせようとする。そんなヤツらのことを大人とは呼ばない。ガキってのはアンタらみたいなヤツのことを言うんだ」
「なんやと……?」
「止せ、晴くん。コイツらは話が通じる相手じゃない」
その忠告にも、やはり晴は聞く耳を持たなかった。
もちろん、例え、今ここで晴が素直に引き下がったとしても、最早それを弁天の連中が看過できるような状況ではなかったのだが。
「何か勘違いしとるみたいやのう、小僧。大人のセカイはそんな綺麗なもんやない。……まぁ、お前みたいな小僧に言うても詮無いことやろうけどな」
リーゼントの口調は静かだったが、そこには明確な怒りが携えられていた。
「表へ出ろや、小僧。いちびったこと抜かしたからには、覚悟は出来てるんやろ?大人を嘗めたらどうなるか、教えといたるわ」
リーゼントの促しに、真っ先に反応したのは取り巻きの角刈りと坊主頭だった。
待ってましたと言わんばかりに、ニタァ、と汚らしい笑みを浮かべ、煮え繰り返ったハラワタの熱の捌け口を、瞳孔の開き切った眼に映していた。
応じなければ何をしでかすか知れたものではない。そんな雰囲気だった。
晴は黙って店の外へ出た。その後ろで、理詠花は頭を抱えて溜息を吐いた。
理詠花の店は、商店街の端の路地を少し入った所にあった。
開店後ならばまばらにも人通りがあるのだが、朝方となれば人目はほとんどない。
道理で弁天が好き勝手するわけだ。
対峙する晴に向かってリーゼントは、
「本来ならお前みたいな小僧なんざ相手にせんが……運が悪かったな。ま、これは今後の人生の良い教訓になるわい。そう思たら、ぶん殴られるのくらい安い授業料やろ」
言い終わると同時に合図して一歩下がると、坊主頭と角刈りは指をパキポキと鳴らして晴に近づく。
「観念せーよ、クソガキ」「好き勝手言いやがったこと、後悔させたるわ」
いやに得意げな態度のチンピラ共を見て、晴は思わず吹き出してしまった。当然、チンピラ共は「何笑ろとんじゃ、ワレ!」と吠える。
晴は大人たちに向かって、
「ダッセェ科白」
その言葉が合図になった。
チンピラ共は、怒りに任せて言葉にならない音を発し、晴に飛び掛かった。
先行した角刈りが走った勢いのまま殴りかかり、大きな拳が晴の顔面に向かってくる。
そこに躊躇はない。人を殴ることに慣れている証拠だ。
猛スピードで振り抜かれた角刈りの拳は、
スッ
晴の前髪を僅かに揺らすことに成功した。
「!?」
手応えのない右腕に、角刈りが声無く困惑する。
右手の軌道は確実に晴の鼻っ面を捕らえていたはず。
なのに、拳はそれを掠めもしなかった。
チッ、と角刈りは舌打ちを一つするや否や、次の攻撃を繰り出す。
二撃、三撃と拳は晴の体を突き破ろうと唸る。
そして、その全てが空を切るに留まった。
「なに遊んでんだ!さっさとヤッちまえ!」
「わーっとるわい!」
後ろから飛ばされる相棒の檄も、角刈りの苛立ちを増幅させ、突きの精度を更に鈍らせるだけだった。
次第に角刈りの額にじんわりと汗がにじみ始める。
それもそのはずだ。角刈りのパンチモーションはバカみたいに大振りで、その上それを空振っているのだから、運動量はかなりのものだろう。
対照的に晴は涼しい顔をしている。寸前を通り過ぎる拳の風圧が心地よいくらいだった。
「このガキィ!!」
苛立ちに駆られ、角刈りが大きく振りかぶった拳に全体重を上乗せし、渾身の一撃を放つ。
さっきよりも拳の速度は格段に上がっていた。――が、そんなことは晴とっては関係のないことだった。
いや、むしろ好都合だったと言えるだろう。
“今っ……!”
拳の軌道を正確に見切り、紙一重で角刈りの右腕をすり抜ける。そして、その剛腕を左手で掴み、右手で服の襟首を掴んで、
「っらあっ!」
掛け声と共に体を反転させ、大きな体を持ち上げた。パンチの勢いを最大限に利用して、そのまま背負い投げる。
「ぐわっ!」
背中をアスファルトに強く打ち、角刈りの情けのない声が響く。
それは、鮮やかな一本背負だった。
全身に大きな衝撃を受け、角刈りは起き上がることが出来ない。
“まず、一人……”