4−4 本物の死闘②
単なる逃避ではこの状況は打破できない。
晴は長く大きく息を吸って、短く勢いよく吐き出す。
新しい酸素を取り込んだ体が、神経の鮮度を入れ替え、四肢を操舵する感覚を研ぎ澄ます。
五臓六腑から手足の先までが、全て自分の意のままに、思い通りの動きをするように。
晴は構えを取った。
無数にある切傷の痛みは徐々に薄れ、やがてはその残滓すらも感じられなくなっていく。
「おいおい。なに?やる気満々?この状況でよくそんな目が出来るなァ?」
嘲笑うような声も、今の晴の精神を濁すには至らない。闘志のフィルターを厚く塗り重ね、勝利へ続く情報のみを透過させる。
どんな僅かな相手の動きも見逃さぬよう、目の前の敵だけに意識を集中する。
「じゃ、次行くぜ?つまんねぇからよ、簡単に死ぬなよ?」
言葉尻から既にアラドの初動は始まり、銀色の靴が地面を蹴ったということを晴が認識した時にはもう、剣を振りかぶったアラドが目の前にいた。
斬ッ
高速の縦斬りに裂かれた大気の悲鳴が空間を奔る。
眼前を通り過ぎる銀色の一閃を、晴は紙一重のところで回避する。
「!」
アラドが面食らったような顔をした。
無理もない。晴の動きは、先刻までのものとは明らかに違うのだ。その差異は十分驚愕に値する。
アラドは空振った体制を即座に立て直し、凶刃を振るって晴の体を裂かんとする。
二撃、三撃、四撃……。
刃は振るうごとにその速度を増していたが、晴はそれら全てを、ギリギリのところで躱し切った。
今の研ぎ澄まされた精神をもってすれば、避けられない速度ではない。徐々に目も慣れ始め、剣の軌道を追えるようになってきた。
敢えてきわどい回避をしているのは、反撃のチャンスを伺うため。
敵が一瞬でも隙を見せようものなら、剣戟の隙間を縫って懐に潜り込み、その頬骨を砕いてやる腹積もりだった。
しかしながら、身の丈の半分以上ある長剣を振り回してなお、アラドは簡単に反撃の隙を与えはしない。
攻撃の際に、ほんの一瞬だけの隙が生まれるのだが、その隙を突こうものなら、次の瞬間には晴の腹に剣が突き刺さることになるだろう。
今はひたすらに回避するよりない。
持久戦に持ち込み、アラドの疲労が現れた時にその剣を落とす。そう考えたのだが――
――アラドは剣を振るうのを止めた。
晴はすぐに、剣が届かない間合いまで距離を開ける。
「なるほどねぇ。今となっては悪名だが、英雄の名は伊達じゃないってか」
遊び半分で剣を振るうことの無為を悟ったか、アラドは長剣を下ろした。
だが、油断は出来ない。晴はむしろ警戒心を高め、僅かな動きも見逃さぬよう、アラドを注視する。
「まったく、さっきから気に食わねぇぜ、その面ァ。己の立場を、状況を、結末を、一切弁えてない、そんな面だ……」
アラドは薄ら笑いを浮かべて、晴を睨め付ける。
「お前たちは、何者なんだ」
今更になり、晴は問うた。裏を返せば、漸く、相手の素性を気に掛ける余裕が生まれたのだとも言える。
「『何者』、ねぇ」
アラドはおうむ返しするだけで問いには答えず、嘲るような笑みを見せるのみ。
「……弁天組の関係者か?」
「『ベンテン』?聞きなれない単語だなぁ、そりゃ」
“やっぱりそうか……”
予想通り、この男たちは弁天組とは無関係。
弁天組のような野良のチンピラ風情にしては、戦闘のスキルが高すぎる。
この男どもは、弁天組とはまた違う――いや、奴らなどとは比べ物にならない、新たな脅威だと認識すべきだろう。
「だったら、お前たちは誰なんだ」
「何?急に質問責め?二、三発躱せたくらいで、もう余裕綽々かよ?」
心底、人を馬鹿にする口調だった。
図星ではあるものの、晴は表情を変えずに受け流す。
「……素性を知られたらまずいってことか?」
「はァ?なに粋がってんの?単純に、んなことお前が知る必要なんかないってことだよ。知ったところで何が変わる訳でもない。話すだけ無駄だ」
「そうか……。そっちがその気なら、」
晴は再び構えを取る。
「僕はお前たちを倒す。お前たちを倒して、無理矢理にでも聞き出してやる。お前たちの正体を。どうして僕たちを襲うのか、その目的も含めてな」
吐き捨てたその言葉は、見え透いた安い挑発だった。冷静な人間からは買い手が付かない、屑みたいな喧嘩文句。
しかし、この挑発にもしもアラドが乗ってこようものならば、その分だけ晴にも勝機が見えてくるというもの。
心に怒りや苛立ちが芽生えれば、応じて太刀筋も乱れると晴は考えた。
少しでも勝率の底上げを画策するのならば、少々の言葉の叩き売りも厭わない。
使える策は使い尽くす。端っから分の悪い戦いなのだ。綺麗な勝ち方を望むのは欲が深いだろう。
今はこの場をしのげれば、大切な人を護れれば、それでいい。それだけが全てだ。




