2−3 薬屋①
理詠花の言う薬屋は、上都市の中心部に在った。
貿易港として栄えて、常に新しい文明や文化を取り入れて、それを発信してきたという歴史を背景に持つ上都は、今なお国内の主要な文化の発信地としての位置付けがある。
その街並みもまた独特で、洗練された文化の息吹が華やぎ、そこに少し異国情緒が残る特徴的な街だった。
ただ、あらゆる物事に裏表が在るように、上都の街にも裏の部分が、当然存在する。
店を出て30分ほど歩いた頃、晴は上都中心街を抜けて、とある区画に入る。
すると、街並みは今までの優雅な雰囲気とは一変する。
薬屋の周辺は、有り体に言って治安が良くなかった。
そこは、洗練された文化によって排除され、居場所を追われた大衆文化の掃き溜めだった。
アブノーマルが集約されたアンタッチャブルな危険な街区、薬屋はそのど真ん中にある。
薄暗く汚れた路地を進むと、怪しげな店が立ち並ぶ中で、一際異彩を放つ店の前で立ち止まる。
打ちっぱなしのコンクリートの建物。壁は黒く塗られていた。
周りの店々が薄汚れたカラフルな看板を掲げる中、来客を全く歓迎しない風体は見る者に大きな違和感と不安を与えて止まない。
何も知らない人間がここにわざわざ足を踏み入れることはまずないだろう。
「こんにちは」と挨拶し、ドアを開ける。
店内は暗く、ひんやりと冷たい空気が流れている。そして外界と隔絶されたかのように物音一つしない静謐さを保っていた。
中は手狭で、壁際に棚が並んでいた。棚には見たこともないパッケージの、薬かどうかも怪しい小箱たちが所狭しと並んでいる。
奥には山積みの段ボールが雑多に置かれ、さらにその奥は段差があって一段高くなっており、建物の中へと通じているようだ。
土間を店舗として使用している、昔ながらの駄菓子屋のような造りだった。
雰囲気や商品から何から何まで違うが。
「いらっしゃいませ……」
と、奥の段ボールの山から声がし、箱を掻き分けて人影がヌッと姿を見せた。
髪の長い、長身の女性だった。
女性は来客が晴であることを目視確認し、
「あら……ハルさん……」と小さな音吐を漏らす。
「ご無沙汰しています。祭さん」と晴が一礼すると、女性――祭は長い前髪に隠れた目元を細めて、微笑を返してきた。
「ごめんなさい……散らかっていて……。まさかハルさんが来るなんて……思ってなかったものですので……」
祭は丁寧にお辞儀をし、長い後ろ髪がふわりと揺れた。
祭は段ボールを崩さないようにゆっくりとゆっくりと体を引き抜き、晴に正対する。
「久しぶりですね……。半年ぶりくらいでしょうか……?」
「そうですね」
「リエカさんからも壮健なご様子は伺っていましたが……。その後……どうですか……?お体の調子は……」
「ええ、おかげさまで」
「それは……良かったです……」
祭は嬉しそうに、セーターの袖に半分隠れた両手を合わせ、笑みを濃くした。
“しかし、なんて暑苦しい格好をしているんだ”
祭は、上はタートルネックの紺のセーター、下は厚手のロングスカートという、おおよそ真夏には相応しくない、見ているだけで汗ばんできそうな格好をしていた。
祭は、体形は標準的であるにもかかわらず、胸の大きさだけは標準サイズを大きく逸している。
セーターがピッタリとしたタイプであるせいか、祭の胸部には、暗がりでもハッキリと分かるほどの大きな2つの曲線が、締め付けによって強調され、弧を描いていた。
――琳が見たら羨ましがるだろうな。晴はそんなことを思った。
「でしたら……今日はどういったご用向きでしょうか……?」
「これを、」晴は薬瓶を取り出して見せる。「切らしてしまいまして」
「あらあら大変……。すぐに新しいものをお持ちしますね……」
「お願いします」
祭はパタパタとスリッパを鳴らして、棚や段ボールの中を探し始めた。
「……そういえば、流はどこにいるんですか?」
薬の捜索に予想以上に手間取っている祭の背に、晴は懸案だったことを尋ねた。
「リュウくん……ですか……?リュウくんなら……今はお買い物に行ってもらってます……。先生に頼まれて繁華街まで……」
「あ、そうですか」晴は内心安堵した。
流というのは、この薬屋に住み込みで働いている少年だった。
理由は不明だが、流は何かと晴に因縁をつけて突っかかって来るため、晴は辟易していた。
「リュウくんに……何かご用があったのですか……?なんでしたら呼び戻しましょうか……?」
とんでもない話だった。晴はすぐに
「あ、いえ、それには及びません」と断りを入れる。
「本当ですか……?よろしければ……奥でゆっくりしていっていただいても……」
「いえいえ、結構です。用とかではないので」
「そうですか……」
どうやら祭は、晴と流との関係性を正確に捉えられていないらしい。
いや、関係性の誤認は、晴と流とのものに限った事では無い。
でなければ、「奥で待つ」などいう提案は行わないはずだ。
流が不在なのは僥倖だったが、晴が今すぐにでもこの場を立ち去りたいと思うことには変わりなかった。
祭が探し終えるのを今か今かと待っていると、
「フェス~どこだ~」
奥から聞き覚えのある声が、祭の所在を問う。
その一言は晴の背に悪寒を走らせ、暗澹の気の底へと引きずりこむ。
「あら……先生が呼んでる……。ごめんなさいハルさん……。少しお待ちいただけますか……?」
祭は人の気も知らず、晴がYesともNoとも言う前に、奥に引っ込んでしまった。
程なくして、祭のほとんど聞き取れないほどの小さな声と、共に「えーっ!ハルくんが来ているだとぉー!」という、男の声がした。
――このまま理詠花からのミッションを放棄して、退散したい。そんな衝動に駆られる。
しかし、決断できず迷っているうちに、災いはすぐに晴へと近寄って来た。




