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2-1 朝①

遊覧を終えた意識は、境界線を超えて夢から現実へと帰還する。

気がつけば、晴は部屋に差し込む朝日に照らされていた。

「……また、か」

晴は乾いた声で呟いた。

朝を歓迎するような小鳥のさえずりと無表情な天井が、脳裏のビジョンを上書きしようとする。

それに抗うように再び目を閉じ、薄れゆく映像を引き戻そうとするが、手を伸ばせば伸ばすほどに、夢は霧となって姿は判然としなくなる。

さっきまで感じていた肌を刺すような寒さは、今は嘘のように消え去り、痛いほど苦しかったはず胸の内には、その苦痛の残滓すら感じられない。

ただそこには、もよもよとした形の無い感情が、行き場を失って喉の奥に突っかえているだけだった。


晴は目を開けて、起床する。朝の空気を胸いっぱい吸いたい気分だった。



  ◇



洗面台ではパジャマ姿の琳が歯を磨いているところだった。

「んぐっ!!」

歯ブラシを加えたまま、琳の顔は驚きを呈し、

「……げほっ!げほげほっ!」

「おはようございます、琳さん。……その、大丈夫ですか?」

勢いよくむせる琳の背を晴がさする。

「うぐ……。うん、だいじょうぶだいじょうぶ」

息を整えると、琳は気恥ずかしそうにしながら、寝ぐせ気味のセミロングの髪をするすると梳き始めた。


「ごめん、ちょっとびっくりしちゃった。晴くん、今日は昨日にもまして早いんだね」

「そう、ですね。また自然と目が覚めまして」

「そうなんだ。……もしかして、怖い夢でも見たの?」

と、琳は冗談めかして言う。

「ええと、怖いというよりは…………寂しい、っていう感じですかね」

「あ、ホントに夢で起きたんだ」

晴は照れくさそうに肯く。

「それ、どんな夢だったの?」

「それが……よく覚えてなくて」

「そうなの?でも、寂しいって、」

「はい。何となくの感覚は残ってるんですが、詳細なところまでは……。ここじゃない別の場所で、誰かと離れ離れになるんですが、その場所がどこなのか、誰と別れたのか、そもそも夢の中の主観が誰なのか……。そういった諸々のことが何も分からないんです」

思い出そうにも、ビジョンは靄が掛かったように霞んでしまう。

辛うじて掴めるのは、薄く広がった寂寥感のみだった。

「何か、過去への手掛かりになると思ったんですけど……ダメみたいです。やっぱり記憶の扉は、自力では開けないのかもしれません」

「そうなんだね……」

晴が自嘲気味に苦笑すると、琳は気の毒そうに俯いた。


「あっ、でもでも、夢ってそういうものじゃない?」

「そういう、というと?」

「ほら、あんまり長い間は記憶に残らないっていうか、すぐに思い出せなくなるものだと思う!あたしもよく夢見るんだけど、朝の支度とかしてるうちにすぐ忘れちゃうし!だからきっと、晴くんだけがそうなんじゃなくて、夢っていうのがそういうものなんだよ!」

「ね?」と琳は口角を上げてニッコリと笑む。

琳がこういう笑顔を見せるのは、相手を気遣っている時だということは、この一年の経験から、知っていることだった。

「ありがとう、琳さん」

晴が礼を言うと、琳はもう一度微笑んだ。

その表情には、どこか安堵も含まれているように見えた。



  ◇



何週間振りかの三人の朝食の時、

「ねえ、上都だって」

テレビから流れるBGM替わりのニュースを見て、琳が少し不安そうに言った。

その言葉に、晴と理詠花も液晶画面に目をやる。

『昨日午前二時ごろ、○○県上都(じょうと)市にあります剛羽(ごうう)山付近で、近隣住民から「地響きを伴った大きな音がした」と通報がありました』

女性キャスターの淡々とした声が語った住所は、この家と被る部分があった。

「これって、ウチの近くなんじゃない?」

晴には地の利が無い。代わりに理詠花が答えた。

「近いってほどではないが、剛羽山はここからでも見えるからな。北に見えてる山々がそれだ」

「ええ~すぐそこじゃーん」

神崎家が在るのは、南を海、北を山に囲まれた東西に長い都市の外れだった。

剛羽山へは、神崎家からならバスを使えば三十分と掛からず山麓までたどり着く。

琳が近いと思うのももっともだが、ニュースに映された地図を見る限り、現場は幾分山の奥の方で少し離れた位置だった。


三人はキャスターの読み上げるニュースを傾聴する。

『昨日の昼から警察が山中を捜索していましたが、原因は依然として不明のままで、近隣住民からは不安の声が上がっています』

『「ちょうど仕事終わって、家に帰った所だったんですよ。そしたら急に『どーん!』っていう大きな音がして……。夜中の一時半くらいだったかな?」』

と、20代くらいの青年がインタビューに答えた。

『「爆発っちゅうよりかはね、なんかを思い切り叩いたような音だったね。最初はね、近くでトラックがどこかに突っ込んだんかと思いましたよ」』

と、50代くらいの男性。

『「原因が分からないのは怖いですね~。ほら、この間も近くのロボット工事で大きな爆発事故?か何かあったでしょ?だから余計にね……。それとは関係無いみたいだけど……」』

と、30代くらいの女性。

『剛羽山の南側には大規模な泥炭層が形成されていますが、現段階では関連性は確認されていません』

『この現象による火災や山崩れはなく、けが人も出てきません。警察は自治体と共に、引き継ぎ捜査に当たるとのことです。 次のニュースは……』

不明点が多いためか、地元民の関心度とは裏腹に、報道は意外とあっさり終わってしまった。

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