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0-1 「別れ」

浅い眠りを厳寒の隙間風がこじ開け、私は目を覚ました。

半覚醒のまま瞼を開けると、ピンと張り詰めた真冬の空気が目にしみる。

外にはまだ闇が帳を下ろしていたが、放っておけば骨の髄まで凍りつきそうな寒さに、眠気はすぐに奪い去られた。

予定していた起床時刻よりは多少早いが、早い分には問題ない。


ベッドから抜け出ると、息が白く色づくほど冷えた部屋の空気が、容赦なく体温を奪っていく。

外を闊歩する北風に煽られて、ガタガタと鳴く建てつけの悪い窓。

煩い窓をちら、と見ると、ガラスには、世界の果てまで続く満天の星空が映し出されていた。

雲一つない。天の支配権は完全に星たちのものだ。

極限の晴天。絶好の旅立ち日和。

風は少し強いが、陽の光さえあればどうということはない。

私は手早く身支度を済ませ、静かに部屋を出て玄関へ向かう。

直に陽が昇る。その前に館を出なければならない。


首尾よく玄関までは来た私は、そこで一つのアクシデントに見舞われた。

家主の自己顕示欲の大きさを象徴するような巨大な玄関戸と、それに釣り合うように造られた、私の部屋の数倍はある広々としたロビー。

絢爛の限りを尽くした装飾は、灯りを点けずとも、明かり窓から取り込まれた微かな星明かりを反射して煌めいている。

他にも、絵画や銅像、ソファ、鏡など、玄関の本来の目的からは外れた品が、ここには点々としている。

その中でも一際異彩を放つ物体に、私は目を奪われた。

ソファの上に乗った、大きな布の塊。

こんなものは昨日まではなかった。


……まさか


私の中の第六感が働き、脳裏にこの物体の正体がよぎる。

もし、この推測が正しければ、このまま看過するわけにはいかない。

少し躊躇ったが、近づいて確認すると、それは何重にも重ねられた毛布の束であることが分かった。

触ると暖かく、中に何かが入っている様子だった。


私は毛布をゆっくりと揺する。

すると、んん……、という小さく細い音が漏れた。

どうやら、直感は正しかったらしい。

私が一枚一枚毛布をめくっていくと、中から出てきたのは、体を丸くして眠る幼い少女だった。


なにをしてるんだ、この子は……


少女は細くサラサラした銀色の髪をくしゃくしゃにし、スヤスヤと小さな寝息を立てている。

毛布の間から覗かせた寝顔はとても愛らしく、時間を忘れて見入ってしまいそうになるが、そういうわけにもいかない。


 ほら、起きな。風邪をひくぞ


軽く肩を叩いて呼び掛ける。

よくこんな寒いところで寝ていられるものだ。

並の人間なら寒さに耐えかねて眠ることなど不可能だろう。

まして、幼い子供ならば命を落とす危険性すらある。

これも『抵抗(レジスト)』の高さがなせる業か。つくづく、この子の才覚には驚かされる。


何度か名を呼ぶと、彼女はやがて目を覚ました。


 “―――?”


寝ぼけまなこのまま、彼女が私の名を呼ぶ。

そして、小さな手が私の冷えた手を、弱く握り締めてくる。


私が返事をすると、彼女は柔らかく微笑み、


 “いつもとはんたいだね”


嬉しそうに言った。

反対、か。確かにそうだ。


思えばこの娘の寝顔を見るのは初めてのことだった。

……もっとも、それも今日が最初で最後になるのだろうが。

この笑顔を、もう見ることが叶わないと思うと、やはり少しうら寂しいと、感じざるを得なかった。


 どうしてこんなところで寝ていたんだ?


 “まってたの”


 待ってた?何を?


 “…………”


少女は黙って、私の鼻っ面を指差した。


 私?私を待っていた?


もう私の部屋には入ることが出来ないと知り、私が出て行くのを、必ず通る玄関で待っていたのか……?


 お父さまにバレたら一大事だぞ。早く部屋に戻らないと


呆れ気味の私の諫言に、少女は答えなかった。代わりに、哀しそうな、寂しそうな目で、


 “もう、いっちゃうの……?”


消え入るような声で問う。

今にも溢れ出しそうな涙を、必死に堪えていることがありありと感じられ、私は胸の奥が締め付けられる思いだった。


 ……ああ。すまない


私は少女の幼い体を抱き、その綺麗な髪を撫でた。

もしも願いが叶うなら、この子が大きくなるまで側にいてやりたかった。

側にいて、ずっと守ってやりたかった。孤独を奪い去ってやりたかった。


 “また、あえる?”


耳元で震える幼い声。


 ああ、必ず


私は硬く肯き、力強く答えた。ただ一心に、その震えを止めてやりたい思いで。


私の言葉に呼応し、少女は安堵を呈して笑む。


 “おまじない。かあさまにおしえてもらった”


そう言って、少女の小さな手が、私の前髪を掻き分けた。

そして、仄かに暖かい柔らかな感触が額に触れる。


少女が私の額に口づけをしたのだ。


 “これで、ぜったいにあえるよ”


少女ははにかみながら言い、私はそんな彼女の体を再び引き寄せた。

込み上げる感情を抑えきれなくなった面を隠すように。



陽の光が景色を色付けるまでの間、私は彼女の頭を撫で続けた。

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