業刹、登場シーンをリテイクす
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「俺の名は業刹。人間どもが、”魔性生物”と呼ぶ者だ」
寝室の障子を引き開けて、業刹が新兵衛たちの前に現れた。赤い瞳がぎらりと光る。
「やり直すんだ」
「さっきのは無かったことにする気ですっ」
「なかなか思い切ったことをするやつだ。俺なら恥ずかしくて出来ないけど」
「私だって、あんな真似は出来ませんっ。業刹さん……。恐るべき魔性生物さんですっ」
澄に恥ずかしい指摘をされた業刹は、一旦寝室から退却すると、また何事もなかったかのように戻ってきていた。ここで撤退しない辺り、かなりの胆力であると褒めねばならない。さすがは魔性生物である。目的の為には、恥も外聞も捨てされる潔さが備わっているのだろう。ただの恥知らずなのかも知れないが。
「俺はそこの澄を知っている。いいか、人間よ。澄の為を思うのであれば、」
「俺たちの話も聞こえていないふりで通すつもりだぞ」
「凄いですっ。こんなに心の強い人、私、見たことないかもですっ。記憶が無いので多分ですけどっ」
「黙れ。俺は大事な話をしているのだ。貴様等、少ししつこいぞ」
業刹の精悍な顔に朱がさした。そろそろ耐え切れなくなっている。業刹は、魔性生物の中でもかなり上位にあるのだが、そんな剛の者でも、これだけ言われれば参るのだ。新兵衛と澄の突っ込みコンボ、恐るべしである。
「ああ、悪かったよ。確かに少ししつこかったかも知れないな」
「……貴様、人間の割には結構いいやつなんだな」
新兵衛から殊勝に頭を下がられた業刹は、ちょっと感激しているようだ。そんな業刹に、新兵衛は内心ちょろいと思っていた。怒り出した機先を制して敵意を削る。新兵衛の計算通りである。あれだけ辱められておきながら、侘びの一つであっさり心を開いてしまう業刹も、かなりの人、というか、魔性生物の良さである。澄は新兵衛の後ろに隠れて「まだ物足りないですぅ」とか言っているが。
「で、魔性生物が何用だ? 澄のことを知っているようだけど」
「ふ。よくぞ聞いてくれました」
「なんか意外と軽いですっ。ふざけて話されても困るのですっ」
「お前に言われたくはない」
「ああ。確かに」
「ちょ! しんべー! 新兵衛はどっちの味方なのですかっ!」
「いや、味方も何もないだろう? そんなの、業刹の話を聞いてからじゃないと決められないし」
「……ほう。貴様、変わった考え方をするやつだ。もう長いこと生きているが、貴様のような人間は珍しい」
業刹は心の底から感嘆していた。普通の人間なら、魔性生物など頭から悪い者だと決め付ける。その理由は業刹にも理解出来ている。たいていの魔性生物は、容姿が醜悪、または凶悪なのだから。人間はひと目見ただけで拒絶反応を起こしてしまう。それは、本能的に呼び覚まされる”恐怖”ゆえ。戦いでは人間よりも圧倒的に強い魔性生物たちだ。人はそれを本能で感知して恐れるのだ。それは、澄に対する反応と、ほぼ同じだ。
「そうなのか? 俺はこの国を出たことがないから、他所の国の人々が、お前たち魔性生物にどんな対応を取るのか知らない。だからなのかも知れないな」
「ふ。国など関係ないのだが」
業刹は新兵衛の説明を一笑に付した。まるで見当違いな答えだからだ。人の感性など、国が違うくらいでそうそう乖離するものではない。それが命に関わることなら尚更だ。
「ま、いざとなれば、俺にはこの〈命石〉があることだし。どんな魔性生物が相手でも、これさえあればなんとかなるさ」
新兵衛は手に持った命石の袋を高く掲げた。命石の光は強く輝きを放ったままだ。
「ふむ。確かにかなりのものではある。が」
「なにっ?」
「しんべー!」
一瞬で新兵衛の懐に飛び込んだ業刹が、命石の袋を掴み、奪い去った。目にも止まらぬ早業だ。新兵衛は、完全に業刹を見失ってしまっていた。
「そんな馬鹿な! 有り得ない……、魔性生物が、命石を手にするなんて!」
新兵衛が驚きのあまり後ずさった。新兵衛の言うとおり、これは有り得ない事態だった。命石とは、魔を”拒絶する”存在だ。時には人に魔の在り処を示し、時に護りの盾となり、時には討ち滅ぼす剣となる。大人しく魔性生物の手に収まることなどあるはずの無いものなのだ。それでも、もし手にしたなら、その魔性生物は一瞬で灰になることだろう。