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とりつきがたり  作者: 仁野久洋
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幽霊でも、一人ぼっちは寂しいらしい

 澄は厳島神社で最高の地位を持つ巫女らしい。神職、しかも最高位を務めたほどの巫女が、幽霊として化けて出るなどということがあるだろうか? あまりにも何の変哲も無い場所で、軽く出会ったことが、更に不可解さを加速する。石舟斎にも澄の生前の職業までしか分からない。だが、これで十分だ。それは皆分かっていた。分かってはいるのだ。


「困ったのう。こういう時の頼みの綱は〈命石〉なのだが、まるで反応しないではどうにも使いようが無い。しかも元が高位の巫女とくれば、さすがの沢庵禅師でも手の施しようがあるまいな」


 十兵衛は口元に箸を送りながら嘆息した。時刻はもう夜だった。この時代、人々は不定時法で動いている。日の出、日の入りを元に生活しているため、夕食も日暮れ前から採り始める家が多かった。ここ柳生家でもそうなのだが、今日は少し遅めの晩餐となっている。理由は。


「わー。いいなー。おいしそうですねー。私も食べたいですーっ」

「幽霊が意地汚いこと言うなよ、澄」


 やはり澄である。澄の処遇をどうするか決めないうちは、出来るだけ家中の者にも知られないようにする必要がある。と、これは新兵衛の進言だった。十兵衛などは「構わんだろう! こんなにかわいいんだから!」と理由になっていないことを叫んでいたので、新兵衛が言うしかなくなったのだ。最初はちゃんと「許さん」と言っていた十兵衛なのに、と新兵衛は思ったが、その本当の理由を知れば、納得出来たに違いない。


「それにしても私、大名家の人々はいつもお城の天守とかにどっかり座って贅を尽くした四季折々の海鮮旬菜美味珍味を味わいつつ、横に座らせた愛人といやらしいことをしながら城下を見下ろして人がゴミのようだとか叫んでいるんだとばかり思っていましたけど、新兵衛たちの夕食って随分と質素で地味で少なくて、彩とかも地味ですねっ。ただ、匂いだけは美味しそうな気がしますっ」

「凄い先入観持ってんな、澄……」

「ふん。そんな阿呆大名を見つけたら、わしが真っ先に斬り捨ててくれるわ。領主が贅沢三昧などしていては、領民への示しがつかぬ」


 確かに、柳生家の食卓は地味だった。今夜は少し特別だったせいもある。新兵衛と十兵衛は、後事の策を練るために、いまだ奥の院の仏間にいるのだ。澄が見つからないように、食事も新兵衛が台所にまで取りに行き、今、こうして黙々と食している。門番の者にはしっかりと口止めしてあったので、これさえ気をつければ事が露見することはない。今は、まだ。

 仏間の燭台には火が灯され、煌々と仏像を照らしている。炎の赤と仏像の金色が混ざり合った光は、独特の厳粛さを醸し出す。新兵衛と十兵衛はそんな中、向かい合って食膳についている。今夜の献立は、前菜が小松菜の和物、メインが岩魚の塩焼き一尾、汁物がわかめのみのお吸い物、デザートに胡桃が一つ添えられたものである。それらでご飯を掻き込むだけだ。地味。


「へぇ。じゃあ、あれはどうするんですかっ」

「あれ? あれって何?」

「ぬ?」


 澄が指差す先には、実用性重視の無骨な山城、柳生城の天守楼から身を乗り出し、「見よ、おつう! 人がゴミのようじゃじゃも――!」と叫んでいる石舟斎がいた。横では肩を抱かれたおつうが「ゴミはてめぇだ――!」と怒鳴っている。新兵衛と十兵衛はしばしそんな様子を見ていたが、食膳に戻ると呟いた。


「「あいつ、斬れないんだよなぁ……」」


 十兵衛と新兵衛が残念そうに項垂れた。


「そういや澄。お前、帰るとことかあるの?」


 気を取り直した新兵衛は、岩魚の骨をきれいに抜き取り澄に尋ねた。


「え? さぁ? どうしてそんなこと聞くんです? 私、幽霊なんですけどっ」


 澄が不可解そうに小首を傾げた。澄には自分が幽霊であるという自覚がかなりある。新兵衛だって、それは理解しているはずだと澄は思っていた。普通、幽霊には家など無い。勝手に住み着いているか、元々の家にそのままいるか、あるいは心残りとなっている場所に縛られるか。幽霊の居場所など、相場はそんなところだろう。


「うん。一応、聞いておこうと思ってさ。もしも帰る場所があったなら、俺と離れられないのはまずいだろ?」

「新兵衛……」


 ずず、と汁をすする新兵衛に、澄は驚いた表情を向けていた。自分は、幽霊なのだ。人に疎まれこそするものの、気を使われることなどない。それは街道の人々の反応から、澄はちゃんと分かっていた。だからこそ。


「……優しいですねっ、新兵衛はっ……」


 澄は困ったように笑っていた。


「そうかな? 俺は普通だと思うけど。特別優しいとは思ってない」

「えへへ。そうなんですか。えへへへへ」

「お、おい。くっついて来るなよ、澄。飯が食いにくいだろ」


 新兵衛は心底そう思っている。新兵衛とはこういう男だ。山で傷ついた熊を見つけた時も、平気で近寄り手当てしたこともある。思い出して欲しい。新兵衛が澄に出会った時を。そして、街道の人々の反応を。あの時、新兵衛は考えるまでもなく澄を受け入れてしまっていた。”怖がるなんて酷いじゃないか”と。怖がるのは、それ相応の理由を見つけてからでいい。新兵衛はまずそう考えてしまうのだ。

 もちろん、これは危険な考えだ。この世界には、凶暴な獣どころか魔性生物だって存在する。危険かどうかを悠長に見極める暇など無い場合だって発生する。死ぬ確率が跳ね上がる。それでも新兵衛はそうするのだ。”死んだらそれまでのことだろう”。こんな、投げやりとも思える”覚悟”一つだけ携えて、新兵衛はこれまで生きてきた。


「んじゃ、うちにいても大丈夫だな。行くとこないなら、俺に取り憑いてても澄的には問題ないはずだから」

「嬉しい……。本当に、嬉しいですっ……」

「お、おい? 泣くほどのことはなかろう、澄よ」

「うえ? え? 俺、泣かすつもりじゃなかったのに」


 二人の目も憚らず、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた澄に、新兵衛と十兵衛はうろたえた。二人共、女の涙に弱かった。それを”武器”とする女だって知っている。しかし、二人はそれでも、そんな女の涙でさえ乾かそうとしてしまう。それはここ大和の国でしか通用しない甘さだ。十兵衛は、特にそれが分かっていた。だから十兵衛はこの国が好きなのだ。何が何でも守りたくなるほどに好きなのだ。


「だって、だって……、一人ぼっちは、寂しいからぁっ……。幽霊だって、一人ぼっちは寂しい、ですっ……」


 澄は新兵衛の懐に飛び込むと、そのままわんわんと泣き続けた。


「参ったな……」


 新兵衛は澄の頭を撫でた。通り抜けそうになる手が、澄の頭に沿うように。少しでも、温もりが伝わるように。


 柳生城の夜は更けてゆく。空には叢雲。その雲間には、細い月が浮かんでいる。城も山も川も街道も、月光を浴びてまだらな紫に染まっていた。蝉も今は泣き止んで、静かに夜の帳を見つめていた。


 光あれば闇がある。


「こんなところまで来たのか、澄……」


 柳生城を見下ろす二つ向こうの山の上、ひときわ高く聳え立つ檜の木の枝に、一人の男が立っていた。……男? それは、人間で言えば男性に近い姿だろう。引き締まった胴体からは腕が二本、足が二本、ちゃんとある。真っ黒く染め上げられた着物の上に、真紅の長羽織を羽織っていた。身なりの立派なその腰には、赤い鞘に収められた刀が提がっている。

 そして、血のように赤い瞳孔を持つ瞳が見開かれた。


「今度こそ楽にしてあげるとしよう。お前は、もうこの世にいてはならんのだ……」


 そう呟いた朱鞘の男の額には、禍々しい長い角が生えていた――



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