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とりつきがたり  作者: 仁野久洋
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石舟斎、じゃもじゃもと澄の正体を看破する

「ぬぅ。それにしても不可解な。反応しない〈命石〉に、明るい幽霊。悪い霊ではないにしろ、幽霊には相違無い。この大事な時期に妙な噂を立てられては、お家に危難が及ばぬとも限るまい。さて、どうしたものか……」


 これが十兵衛の真に心配していたことである。あっという間に幽霊と打ち解けてしまっている新兵衛に内心呆れながら、十兵衛はそのぶ厚い手で固い髭の生えた顎をさすった。その時。


「まだまだじゃのう、十兵衛。新兵衛と澄をどうするか、答えが出せぬじゃも?」

「親父殿か。いつの間に」

「父上」


 仏間の敷居に立つ黄色い頭巾を被った人影は、柳生石舟斎、宗厳むねよし。〈剣聖〉上泉信綱を師に持つ、新陰流二代目を継いだ男だった。〈但馬たじま入道にゅうどう石舟斎せきしゅうさい宗厳そうごん〉の斎号を名乗る石の船。浮かぶはずのない石の船を自ら名乗る石舟斎なのだった。


「澄とやら。お主は何も覚えておらんと言ってたじゃも? その服装のことも覚えてないじゃも?」


 曲がった腰に後ろ手を当て、ひょうひょうと滑るように音もなく仏間へと上がり込んだ石舟斎は、穏やかな笑顔を澄に向けた。


「しんべー。このおじいちゃん、なんかじゃもじゃも言ってますっ」

「やめろよ、澄。珍しい生き物を見つけた時みたいに俺を呼ぶな。それ、俺の父上だから。今や上泉信綱様とも並び評されているほどの剣聖だから」


 澄は興奮したのか、新兵衛の着物の袖をくいくいと引っ張って、目をきらきらと輝かせている。ツチノコとか見つけたら、たいていの人はこんな顔をするかも知れない。


「これ、澄。親父殿の問いに答えぬか。仕方がないやつよのぅ。ぐはははは」

「兄者……」


 十兵衛はもう自分の気持ちを隠す気もないらしい。


「ごめんなさいっ。あんまりにも語尾が気になったものですからっ」

「そこ突っ込むなよ。みんな我慢してるんだから」


 天然ならば許せるが、あざとく可愛さを演出するジジイなど痛すぎる。家中の意見はそれで一致していたが、老い先短い老人なのでどうにかこうにか許せている。おつうは「キモ」とはっきり言ってしまっていたのだが、それでも石舟斎は挫けず今も続けている。さすがは剣を極めた兵法者、それしきではへこたれない。どうしても許せなければ、後は殺すしかないのである。しかし、石舟斎ははっきり言って最強だった。タチの悪いジジイである。


「いいんじゃよ、澄ちゃんや。そうじゃも。もっと、もっとじゃも。もっと罵ってくれていいんじゃも――――!」

「なんか喜ばれてますよっ、しんべー!」

「もうイジるな! 事態がますます悪化する!」


 この親にして、である。石舟斎も特殊な性癖を持っていた。この家で生まれ育ちながらも常識的な新兵衛は、奇跡としかいいようがない存在だった。


「まぁ、冗談はおいておくじゃも」

「絶対冗談じゃなかったですよ、父上」

「そうだな。今の叫びは心からのものであった」

「ですよねっ。私、恐怖を覚えましたもんっ」


 幽霊にまで恐れられるとは、さすがは石舟斎である。彼はこうして若き日の疋田戦敗北以降の不敗伝説を築き上げていったのだ。剣を交える前に、もう相手の心は折れている。これではまるで勝負にならない。これが石舟斎の兵法である。


「で、澄の着物に何かあるのですか、父上? 確かに、少し変わった着物ではありますけど」

「うむ。新兵衛。おぬし、どこかでこの服を見たことがなかったじゃも? 昔、昔じゃも。おぬしが子供の頃のことじゃじゃも」

「じゃじゃもは無理がありますよっ」

「だから突っ込むなって、澄。もう無駄だってことは分かってるんだから」

「着物、か。新兵衛が子供の頃? むっ!」


 十兵衛が何かに気がついた。くわっと見開かれた隻眼が、こぼれ落ちそうになっている。澄が「ひゃああ! 怖いですっ!」と叫んで新兵衛の後ろに姿を隠した。


「あ。思い出した。澄のこの格好……。確か、厳島の!」

「そうじゃも。透けておるので一見して分かりにくいじゃもが、白装束、しかも、袴は紋様入りじゃも。これは」

「こ、これはっ?」


 十兵衛がごくりと喉を鳴らして石舟斎に詰め寄った。


「これは、厳島神社の神職の装いじゃも。それも、白袴はかなり高位の巫女だじゃも。職階は知らんじゃもが、階位は浄階じょうかい。身分は特級じゃろうじゃも。つまり」

「つまり?」


 あまり興味の無さそうだった新兵衛が、ここでとうとう食いついた。やはり気になるのだろう。澄は「?」と首を捻っている。意味があまり伝わってはいない。


「つまり、最高位の神官じゃも」


 じわじわとうるさい蝉時雨が止んでいる。静かに言い放った石舟斎の言葉だけが、仏間の中で木霊した。床にぽたりと落ちた新兵衛の汗の音までが聞き取れそうな静けさが、しばし奥の院を支配した。



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