柳生十兵衛がグランドラインを目指したら
新兵衛と澄は、城へ入るなり門を固める出入改役の柳生新陰流門弟に「すわぁ! 坊ちゃん、幽霊が憑いてます!」と叫ばれてしまい、問答無用で仏像のある奥の院の広間へと連れ去られた。
そして、今。新兵衛たちの目の前には、仁王様よろしく柳生家の当主、三厳が立っていた。三厳とは、かの有名な十兵衛のことである。我々の世界ではこの時代、宗矩が当主なのだが、この物語では宗矩の代わりに三厳が生まれている。右目は柳生家の替紋(家紋の代わりに使われる略式紋)二枚笠が金で描かれた、黒地の眼帯で隠されている。ただでさえごつい容貌が、これでさらに恐ろしくなっていた。近所の幼子など、十兵衛を見ただけで泣くくらいだ。おかげで城には住民からの苦情が絶えず来る。これはロリコンの十兵衛にとって、この上ない苦しみだった。仕方がないので、居室には精巧に子供を象った抱き枕が置いてある。これで何をしているかは内緒だが、夜な夜なおかしな声は聞こえてくるようだった。……話がかなり脱線したが、これは幼い頃に新陰流〈飛燕〉第四〈月形〉の太刀を習得中に失明したからだとされている。話みじかっ。
が、実は父石舟斎から「伊達政宗は幼少期に豌豆瘡(天然痘)を患って失明した時、自らの目を抉り出して飲み込むことで母の心労を癒したもじゃ」という話を伝え聞き、対抗して考え出した嘘である。ちなみに最近の石舟斎は語尾をいつも「もじゃ」としていた。これは武蔵の幼馴染であるおつうが、現在柳生の郷に逗留している為である。「かわいい」とでも言ってもらいたかったのだろう。おつうはドン引きしていたが。ああ、そうそう、十兵衛が失明した実際の理由は、虫眼鏡で太陽を見るという、児子でもやらないような下らないミスによるものだ。アリなど焼いていたから天罰が下ったのだろう。神様は子供にも容赦ない。この後しばらく家中で「うっかり十兵衛」などと呼ばれて笑われたことが、今でも十兵衛のトラウマである。先頭に立って笑っていた石舟斎になど、マジで殺意を抱いたものだ。それも今ではいい思い出になっている。嘘だろ。
そんな十兵衛は、二人を見ると開口一番言い放った。
「許さん」
「は? 何が?」
「なんなんでしょうねっ」
世紀末の覇王ですら逃げ出しそうな憤怒の形相の十兵衛に、新兵衛と澄は呆然と聞き返した。ぱんぱんに膨張した筋肉で、着物が破れんばかりの十兵衛の前に、二人はちょこんと正座している。が、幽霊である澄は安定が悪いらしく、気を抜くとすぐにふわふわと漂いだした。
「こら、小娘。人が怒っておるというのに、浮かぶとは何事か。不真面目にもほどがある!」
「えー? そんなこと言われてもー」
「そうだな。別にふざけて浮かんでいるわけじゃないと思うけど」
十兵衛は今や石舟斎に代わって大和、どころか天下を守る立場にあった。兵法を修めた十兵衛の言は、大大名たちでさえ尊重する。それもそのはず。この時の十兵衛は、幕府監査役という大名たちの動向にまで意見できる重職に就いていたのだ。その一喝には、胆力の弱い者など気絶する。今で言うところの〈覇王色の覇気〉である。もし十兵衛が「海賊王に俺はなる!」などとほざいていたら、日本の歴史は変わっていたことだろう。そして、グランドラインも新世界も大変なことになっていたはずである。名前は〈柳生・D・三厳〉だ。是非ともゾロやミホークと戦って欲しかったが、それは見果てぬ夢である。残念。
「そもそも、幽霊ということ自体がふざけておる」
「えー? それはちょっとひどいですっ」
「そうだな。別にふざけて死んだわけじゃないんだろ?」
「さぁ? 私、生きてた頃のことって何にも覚えて無いんですっ。あ、名前だけは覚えてたっけ。良かったー、名前だけでも覚えててっ」
「澄ってかなり前向きな性格してるよな。俺、今びっくりするほど尊敬したよ。ひょっとして『死んで良かったー』とか思ってない?」
「え? それは、ちょっと。どうでしょう?」
「悩むか、普通? 死んでいいことってなんかある?」
「あー」
「あーじゃないだろ。お前、悔しいとか、もっと生きていたかったとか無いの? そういう未練て全然無いの?」
「はぁ、心当たり、ないですねっ。だって、何にも覚えてないしっ」
「おい、うぬら。わしを無視するんじゃない。そこの幽霊。仏像の頭の上を飛ぶんじゃない。そしておかしな会話を繰り広げるな。頭がおかしくなってくる」
十兵衛三厳は、眉間を押さえて嘆息した。残念な性癖は置いといて、十兵衛とてあの関ヶ原に参陣していたほどの武将である。自藩の苦難も度々経験しては乗り越えて見せている。智力胆力ともに他の武将たちと比べても抜きん出ている男である。それが、たかが幽霊ごときでこれほど弱るにはわけがあった。