表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とりつきがたり  作者: 仁野久洋
10/19

助けたいという我儘

「そう驚くな。俺は、少し特殊でな。今宵は戦いに来たわけでもない」

「う?」


 業刹は奪った命石を新兵衛に向けて放り投げた。ゆるやかな放物線を描き、命石が新兵衛の手元に戻った。呆然と口を開けた新兵衛と澄に、業刹は自分の目的を打ち明けた。


「他でもない。澄を俺に預けてくれ」

「えっ?」


 澄がきょとんと業刹を見つめた。


「……何のために?」


 新兵衛が声を落として聞き返した。ぎゅっと小さな拳を握った澄の喉が、ごくりと鳴った。


「……それは、澄を……」


 業刹の表情が悲しげに歪んだ。


「澄、を?」


 新兵衛が身構えてさらに尋ねる。新兵衛は素早く目を配らせて、刀の位置を確認した。刀は枕元に置いてある。


「澄を! この世から消し去る為に!」


 意を決した業刹が、力強く言い放った。


「逃げろ、澄!」

「ふぇ? ふえぇっ?」


 直後、新兵衛が刀を手に取り腰に引き寄せた。左手で鞘を持ち、右手は柄をすぐ握れる位置に置く、いつでも抜ける体勢だ。澄の大好きな優しくてユルい新兵衛はいなくなり、柳生家の”剣士”としての新兵衛がそこにいた。澄は初めて見せる新兵衛の戦う姿勢に戸惑うばかり。新兵衛は業刹をきっと見据えた。


「俺は、戦いが好きじゃない」

「ほう。貴様は剣の道で高名な、柳生一族の者だろう? それが、ずいぶんとぬるいことを言うのだな」


 業刹はゆらりとその身を揺れさせた。ゆら、ゆらと揺れる業刹の体は、まるで実体のない霞のような印象を新兵衛に与えている。新兵衛とて、天下一とも言われる剣豪たちの側で生まれ育った者である。体捌きや纏う空気を見るだけで、相手の力量はほぼ間違いなく予測出来た。新兵衛から見た業刹は。

 はっきり言って、”最悪”だった。

 これほどの”気”を見せる者など、新兵衛の記憶では兄十兵衛か父石舟斎しかいなかった。しかし、その二人をもってしても、この業刹という”魔物”に抗せるのかが疑問に思えるほどだった。


「し、んべー……?」


 新兵衛の後ろでは、澄の不安げな黒い瞳が揺れていた。


「ぬるい、か。兄者に良く言われるよ。でも、まさか魔物にまで言われるとはな」


 新兵衛がにやりと笑った。しかし、目はまるで笑っていない。見開かれた目は、瞬きを忘れたように業刹を映していた。


「ふ。それは失礼した。では、もう分かるだろう? 貴様は俺には勝てない、と」

「…………」


 新兵衛は答えない。これに答えてはいけない。認めてしまえば、後には敗北が待っている。新兵衛はそのことを知っていた。業刹も、新兵衛にそれくらいのことは分かるであろう力量を感じていた。だからこその問いかけだった。命石は通じない。刀でも敵わない。新兵衛に打てる手は限られていた。


「なぜ、澄を消そうとする? それは……、成仏させるって、意味なのか?」


 残された手段は”話し合い”だ。しかし、これは同等の力を持つ者同士でなければ交渉にすらなりにくい。詰まるところ、力の強い者は圧倒的に有利である。最後は力で従わせればいいだけなのだから。


「いや。それとはおそらく違うだろう。言葉通り、”消す”のだよ」

「それは、澄にとって、幸せなこと、なのか?」


 新兵衛はちらと後ろを見遣った。


「さぁ、な。だが、少なくとも。俺は、そうだと信じている」

「消えるのが澄の為だと? 澄の為に消すと?」

「そうだ。それが、我々魔性生物の為でもある」


 業刹はふっと赤い目を翳らせた。


「ふぅん。もしお前の言うことが本当だったとしても、そんなの納得出来ないな」

「貴様に納得してもらう必要は無い。そうする理由も俺には無い。邪魔だてするのであれば、ただ排除するのみだ」

「俺が簡単に排除されてやるとでも?」

「力の差は明らかだ。貴様の意思など関係ない」

「はいっ! 分かりましたっ!」

「む?」

「澄?」


 新兵衛の後ろで、澄が元気よく手を挙げた。


「じゃあ、私が消されれば全て丸く収まるってことですねっ。では、さっそくお願いしますっ」

「な! 馬鹿! 前に出るな、澄!」

「澄……」


 澄がずいっと前に出て、新兵衛と業刹の間に割り入った。


「お前、消すとか言われてはいそーですかって聞くのかよ!」


 新兵衛は怒っていた。この男が怒る事など滅多にない。新兵衛自身、こんなに腹が立ったのはいつぶりなのか覚えていない。だが、これは澄に対してのものではない。自身の無力さに対しての怒りだ。


「だって。そうしないと新兵衛が殺されちゃうもん。私、そんなのイヤだもん。新兵衛が死んだら、イヤだもんっ!」

「馬鹿野郎! 俺だってこう見えても侍だ! 柳生家の剣士だ! 死ぬことなど怖くない! 俺が怖いのは、誰も助けられないことなんだ! さぁ、分かったらそこをどけ! 俺の後ろに隠れてろ!」

「そんなの全然分かりませんっ! そんなの新兵衛の勝手じゃないですかっ! 新兵衛の自己満足の為に、目の前で死なれても我慢しろって言うんですかっ! 助けたいのは、私だって一緒ですっ! 勝手なこと……、勝手なこと、言わないでぇっ!」


 澄も、怒っていた。澄の笑顔しか見たことの無い新兵衛にとって、それはかなりの衝撃だった。それよりも、なによりも。澄の言うことは尤もだ、と気づかされている自分にも驚いていた。助けるのは自分の勝手。助けたいという我儘。自分はそれでもいい。だが、助けられた相手はどうか? それで本当に嬉しいと思うだろうか?

 全ての解決策は、新兵衛が業刹に勝つことだ。だが、それは出来ない叶わない。新兵衛が業刹に勝つことなど、絶対に無いことだった。

 業刹が動いた。


「偽善だな。どちらも」

「はっ!」

「きゃあああああっ!」


 業刹の朱鞘から、雷光のごとき青い光が煌めいた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ