ひねくれ少女のまっすぐな気持ち
「ひねくれているのと曲がっているの、貴方はどちらが好きですか」
あまじょっぱい物語を書きました、柑橘です。曲がりネギのように甘み成分多めです。
それではどうぞ、ごゆるりと。
少女はひねくれていました。
特別悪い環境下で育ったとか、幼少時に心的外傷を背負ったとか、そういうわけではありません。
ただ、今までずっとひねくれて生きてきました。
多分、「素直な気持ち」というものが生来苦手で、感情をぶつけられるのが怖くて、だからなんじゃないかと、少女自身は考えていましたが。
とにかく、天の邪鬼とか、嘘吐きとか、性根が曲がっているとか、そんなことを言われる程度なら十分に慣れてしまったくらいには、彼女はひねくれていたのでした。
*
「ルルってさあ、好きな人とかいるの?」
ふと、友人がそんな色めいたことを口にしたのは、高校二年になって間も無い春の日。窓から入る暖かな陽光と涼しい風のバランスが心地よい、昼休みのことでした。
ルル、という名は少女の本名ではありません。少女自身、そんな猫みたいな可愛い名前だったらいいなあと思うことはしばしばありましたが(もっとも、思っても口には決して出しませんでしたが)、悲しいかな、本名は百人に二、三人は同名がいそうな、ありふれたものでした。
なんでそんなあだ名をつけられたんだっけ、と彼女は数年間の記憶を掘り起こしながら、
「好きな人……か」
「おっ。その反応は、もしかして?」
「違う。いない」
にやつく友人に速やかに素っ気なく答えてから、まただ、とルルは心の中で反省します。
ひねくれ少女は、よく嘘を吐いてしまいます。
正確には、よく本心ではないことを口にしてしまうのです。
思ってもみなかったことを、言ってしまうのです。
(本当は、好きな人、いるのに……)
だけど、友人に打ち明けたところでどうにかなるでしょうか。良い方向に進むならばまだしも、話してしまうことで尾ひれをつけながら広まっていったら一大事です。
最悪です。
だからルルは、素っ気なく続けるしかありません。
「いない。好きな人、だなんて。……馬鹿馬鹿しいわ」
「ふーん。ま、そう言う考え方もアリか」
意外にも友人はさっぱりと受け止め、紙パックのオレンジジュースを一気に飲みきりました。
それ以上、友人が恋愛話を掘り下げることはなく。
ルルはまた、自身のあだ名の由来を思い出すことはできませんでした。
同じクラスで、右隣の席にいる少年――直{なお}くん。
住良木{すめらぎ}直くん。
ひねくれ少女は、直くんのことが好きでした。
クラスの委員長で、サッカー部に所属していて、クラスのムードメーカーで、でも真面目で、勉強はあまり得意じゃないようだけれど、授業中は率先して手を挙げ、積極的に授業に参加しようとして、
何より、名前の通り真っ直ぐな子で。
そんな住良木直くんのことが、ルルは大好きでした。
けど、それに比べて、とルルは思ってしまいます。
くじ引きでクラスの会計にさせられ、年に数回しか活動のないマイナーな同好会に所属し、思ったことを口に出せず、クラスではあまり目立たない。勉強はそこそこできるし、友達も何人かいるけれど、授業中は気が向いた時にしか先生の話を聞かず、窓側の席なのをいいことに街の風景や空ばかり眺めている。それが自分、ひねくれている自分なのです。
似ているわけでも全く違うわけでもない。二人の微妙な性格差が、そこにはありました。
(いっそ、正反対ならばまだよかったのに)
しかし、直と彼女は「正反対」というよりは、そう、空間図形でいう「ねじれ」の位置にいるようなのでした。
捻{ね}じれていて、どこまでも捻{ひね}くれている。
その事実がかえって、少女を落胆させるのでした。
駄目駄目だなあ、なんて、思いかけて、
「おい、ルル。聞いてるか、ルル」
声を、かけられました。
ルルはつい、体をびくっと震わせてしまいます。
(そういえば、今は授業中……!)
自分がぼーっとしていたことを激しく後悔しかけましたが、あにはからんや、教壇上にいる国語教師の反応はというと、
「全く……ルルは時たまぼーっとしてる時があるからなあ、登下校は気をつけろよ」
などと、おどけるに留まってくれたのでした。
直後、どっ、とクラス中から笑いが湧きあがります。
――恥ずかしいけど、でも、怒られないだけましね。
他人からのダイレクトな感情が苦手な彼女は、怒られなかった、という事実に内心で安堵し、しかし、謝ることもおどけ返すこともしません。
代わりに、また、不貞腐れたようにそっぽを向いてしまうのでした。
放課後。
しばらく友人と教室に残っていましたが、その間、彼女からは国語の時間の件をからかわれ続けました。その度に少女もまた、「先生の話がつまらないのよ」とか「別に、誰かが迷惑したわけじゃないからいいじゃない」とか、相変わらず本心にも無いことを返し続けました。
放課後の雑談がお開きになったのは、クラスで「さようなら」をしてから約一時間後。友人が、「そろそろ塾に行かなくちゃ」と言い出した時のことでした。
友人とは帰る方向が違ったので、ルルは一人で帰路に就きます。
いつもそうですし、今日もそのつもりでした。
が。
「おーい、ルルー」
校門を出てから少しばかり歩いたところで、ルルは背後からやおら、声をかけられたのです。
なによ、と不機嫌そうに呟きながら振り返って見た、ママチャリに乗りながらこちらに近づいてきたひょろ長い影は、
「――直、くん?」
おう、と快活に言って、少女の想い人は屈託ない笑顔を浮かべて隣に並びました。
西にだいぶ傾いた太陽のように明るく、直はルルへと話しかけます。
「珍しいな、帰宅部がこんな時間に帰ってるなんて」
「厳密には帰宅部じゃないわよ、私。というより、あなたこそこんな時間に帰るなんて、珍しいわね。部活、辞めさせられたの?」
「あっははは、残念ながらクビになったわけじゃーない。今日の部活は、ちょっと長めのミーティングがあっただけで終わりだったんだよ」
そう、とぶっきらぼうに答えつつも、少女は今しがたの発言が彼の気に障らなかったことに安堵を覚えました。しかし、
「それで、チームメイトと交流するでもなく、たった一人で帰る途中、ってわけね」
口から出たのは、またしてもそんなイヤミで。
ああ、私は懲りずにまたなんて酷いことを、などと内心嘆くひねくれ少女でしたが、
「いやさ、ミーティング終わって帰ろうとしたら、お前が一人で帰ってるのが見えたからさ。友達置いて、追っかけてきたんだよ」
「ふーん、……って、え?」
冷たく返しかけて、ルルは思わず、直の顔を凝視しました。
「だーかーら。ルルを追っかけてきたから、俺は一人だったんだな」
――ちょっと待って。今、私、なんかすごいこと言われなかった?
「な、な、なんでっ、私なんかを追いかけてきたのよ」
「国語の時間」
「はい?」
「ルル、先生に注意されただろ。その前までお前、ずーっと俺の方を凝視してたからさ。なんか、言いたいことでもあったのかなって気になってたんだよ」
「な…………!」
体が一気に熱を帯びる感覚がして、少女は勢いよく直から視線を外してしまいます。同時に彼女の全身を支配していったのは、自身の正確に対するものとは比べ物にならないほどの、後悔と羞恥心で。
そんなことしてたのね、とか、うかつだわ、とか、どうやってごまかそう、とか……。ルルの頭の中で、ぐるぐるといろんな考えが一気に巡り始めます。
「何かあるなら、せっかくの機会だし心行くまで話してくれよ。な?」
一方の直は、これを機に、とばかりにとことん原因究明をしていく様子でした。
(中途半端なごまかしは、到底通用しそうにないわね……)
ためしに「な、なんでもないわ」とか「気にしないで」といつもの調子で突き放すように答えてみるものの、案の定、直は納得してくれません。どころか、その態度によってかえって「本当のことを知りたい」気持ちを高めているようにも思われました。
ルルはすっかり困ってしまって、どうしよう、と泣きそうにもなりかけて、
(――もしかして)
これって、チャンスかしら……?
ぶんぶん、と急いで首を振る。それはさすがにいきなりすぎるわ、と。いくらこんな状況とはいえ、それにかこつけて伝えてしまうのはさすがに迷惑よ、と。ルルは一瞬浮かんだ考えを、強引に振り払おうとしました。
でも、
「お、何か思い出したか?」
……素直になれるのは今しかないかも、という気持ちも、同時に芽生え始めてきました。
バレンタインでは駄目だと思う。
ひねくれ者の自分は、直の親友あたりにチョコを渡してしまうそうだから。
クリスマスでも駄目だと思う。
万が一デートなんかをしても、ことあるごとに雪玉を投げつけてしまいそうだから。
文化祭でも駄目だと思う。
自分で呼びだしておきながら、散々忙しいアピールをした挙句何も言えずに終わりそうだから。
だから、
(ひねくれ者の私が素直になれるとしたら)
それはきっと、今しかない――。
明確な根拠なんか、何もありません。だけど、「今しか」と思った時には既に、彼女は直の行く手を阻むように前に飛び出していました。
両手を広げ、通せんぼをするようにして。
「あ、あの、ねっ」
どうした? と直が笑顔で問うてきます。「また、お得意のひねくれは勘弁してくれよ」
なんて茶目っ気のある悪態を吐いて、
「って言っても、ルルのそれ、嫌いじゃないけどな」
「……え?」
突然言われ、少女は思わず通せんぼしていた両手を降ろしてしまいます。
「ひねくれっつうか、素直じゃないところっつうか、それがさ。ほら、自分で言うのもなんだけど、俺って馬鹿正直な人間だからさ。そういう悪態とか曲がってるとことかが、ちょっと羨ましいんだよ」
「う、羨ましい……?」
「キツい言い方だから、他の人からいろいろ言われてるかもしれないけどさ。人間、ひねくれてることも大事だと思うんだよな」
「……じゃ、じゃあっ」
直本人に他意は全くないのでしょうが、「好きな人が褒めてくれた」というその事実だけで、少女の心を動かすには充分過ぎました。
ここしかない。そんな思いよりもはやく、ルルは口を開きます。
何度も言葉に詰まりながら、言います。
「わ、私が素直になったら、真っ直ぐになったら、……だっ、だめ、かしら」
ん、と直は訝しげな顔をします。ルルはわずかな罪悪感に苛まれ、一瞬、そんなことを言ってしまったことを後悔しかけました。しかし彼女は、
「私、ね……!」
――でも、今しかないと思うから――!
「な、直くんっ!」
「お、おう。なんだっ」
「私の、一つだけ、ま、真っ直ぐな気持ち! ひねくれて、ないけど!」
顔を真っ赤にさせながら、直の顔を直視して、力強く、彼女は、
「聞いて、くださいっ」
ルルは。
「直くんのことが……大好きですっ!」
*
その少女は、ひねくれていました。
特別悪い環境下で育ったとか、幼少時に心的外傷を背負ったとか、そういうわけではありません。
ただ、今までずっとひねくれて生きてきました。
そしてこれからも、私はひねくれ続けるのだろう――少女自身、そう思っていました。
だけど、今は違います。
少女はちょっとだけ、真っ直ぐを知ることができたから。
少女は、ただひねくれているだけではなくなったのですから。
その後のことは、語るだけ野暮ではないでしょうか。