第3章 1.歓楽街
第3章 1.歓楽街
「あ、えっと、トモヤ、ちゃんと眠れた?」
「え、ああ。普通に寝れたよ。大丈夫」
昨日の夜は色々なことがあって緊張する。
でもトモヤのことが心配でもあった。
普通の人はいきなり街が消えるとか聞かされたらどう思うのかよく分からなかった。
不安になったり、夜眠れなくなるかもしれない。
でもそんなことなかったのかな。
もしかすると現実味が沸かないというのもあるかもしれないけれど。
「よかった」とだけ返した。
学校に着くと月代さんが『昨日の続きをしませんか』と声をかけてきた。
授業は平凡に過ぎていって給食の時間が終わってお昼休み。
トモヤと月代さんと3人になるときはやっぱり屋上だった。
「人形ってのが信じられねぇ……」
トモヤは屋上のフェンスに手を掛けて校舎前の花壇を見下ろしている。
私も金網のフェンス越しに下を覗いた。
イオリと月代さんとあと4人が花壇に水やりをしている。
あれは……シンかな?
イオリの横にシンもいた、別の班なのに。
「そうですよね。私も同感です。ですが」
隣に立つ月代さんが答える。
下の月代さんが人形で、今一緒にいる月代さんが本物。
お昼ごはんを一緒に食べていた月代さんはもしかすると人形だったのかもしれない。
あまりしゃべらなかったから。
でも見た目だけだと見分けがつかない。
「ナタリアさん、木下くん。時間、あまりないですから」
月代さんが昨日の夜と同じように半透明なマップを開く。
私達はそれを覗く。
「術式の配置が東西南北に置かれているなら、東だと……北の工場地帯から丁度90度……この辺りですね。
ここは……あ、楽しみですね。歓楽街ですよ、歓楽街」
……カンラクガイ?
「いや、ちょっと待った。あまり行きたくないんだけど」
「あら、楽しそうじゃないですか。それに女の子2人で行けというのですか? それはあんまり……」
頬に手を当てて小首を傾げる。
「いや、お前な……」
「でも術式がある可能性があることは確かですよ」
「……お前、1人で行けよ」
「いえいえ、私では見つけられないと思うので。
ところで、どういうところか知ってるんですね。ネットですか?」
「トモヤ、どんなところ?」
私も聞いてみた。
でもトモヤは「えーと」と困っているみたいになって、そっぽを向いてしまう。
「あー、えーと、大人が、遊ぶ場所?」
「木下くん、かわいー」
「うるせえっての」
こういうときのトモヤは可愛い。
頬を少し赤らめているところとか。
トモヤはそっぽを向いたまま。
やっぱり可愛いと思う。
だから月代さんもシオリもみんなトモヤをからかうのが好きなのかも。
でもいたずらっぽい顔をしていた月代さんの表情が少し真剣になる。
ようやく本題。
「ですが、行かないわけにはいきませんよね。
それに本当は私一人でなんとかするはずだったんですよ。
ですが、ナタリアさんの眼はすごいですから。この際、大人たちの都合は無視します」
大人たち……やっぱり月代さんも私と同じ……。
でもそれでみんなのことを助けれないの嫌だから。
私も組織の人たちの都合なんて構いたくない。
「眼ってあれのことだよな?」
「うん」
「あらご存知でしたか。それなら話が早いですね。早速ですが、今夜、行きましょう」
「昨日聞いた。なあ、本当に街が消えるってんなら、平日は学校があるから、なんて悠長なこといってらんないだろ。行くなら行くで今からでもいいんじゃないか?」
「結構乗り気ですね? まあ、早いに越したことはないですけど、やはり駄目です。
木下くんの妹さんが厄介なんですよね。昼間動くとどのような努力をしても妹さんにばれます。
とても友達思いの方なんですね。見つけられてしまうんですよ」
「ち、あのバカ……でもやっぱり昼間の方がいいんじゃないか? 俺ら子どもだろ?
夜にそんなところ歩いてたら補導されるぞ。でもそうなると土曜とか日曜になっちまうか」
「そうですね。今日が、ええと」
昨日が月曜日だから、
「火曜日」
「ですね。火、水、木、金。4日も無駄にはしたくないですね。
大丈夫ですよ。変身しましょう、変身。魔術で姿を大人に変えましょう」
「いや、変身って……。もう本当に漫画みたいだな」
大人……トモヤが大人になったらどんなだろう。
「魔術というのはだいたいがそういうものですよ。どうです? ナタリアさんはできますか?」
「え? あ、うん。だいじょうぶ。そういう悪魔もいるから」
「悪魔? あ、ナタリアさんはそういう魔術を使うのでしたね」
「うん、力を借りるだけだけど」
「そういうのもあるよな」
「木下くんはどうして納得できているんですか?」
「ゲームとか漫画だと思えばいいんだろ。だったら、そういうのもあるし」
「そうですね。魔術は人が創り出すもの、ゲームなどの魔術も人が創り出すもの。
結局、創りだされるものは似てるんですよね。人の発想を超える魔術はないですから」
確かにそうかもしれない。
それなら私の未来を確定させる魔術も。
この魔術を教えてくれたあの人は、母さんが創ったって言っていた。
何を想って創ったんだろう。
唐突にチャイムが聞こえてくる。
「時間ですね。それではこの辺で解散しましょう。私は帰りますね」
「また中断か。てか、お前はサボるなよ」
「いいんですよ、別に。授業はお人形さんにお任せします。
お二人は真面目に受けるんですよ。それでは」
言いながら月代さんはフェンスを超えて屋上から飛び降りた。
「うそだろ!? っていねえし……」
トモヤが驚いて下を見てそう呟いた。
反射的に私も下を見た。
でも、月代さんの姿は見えなくなっていた。
視点を変えて魔眼で見下ろす。
月代さんは校門に向かって歩いていた。
透過の魔術だ。
着地も魔術のアシストかな。
昨日、2階にジャンプして登ってきたのすごいなって思ったけど、あれも魔術のアシストがあったのかもしれない。
***
夜の11時。今日の夜の風は少し暖かい。
雲が少なくて、月が綺麗に見える。
「もう少しで着きますね。ナタリアさん、その眼で見える範囲と能力について簡単でいいので教えていただけますか?」
簡単な説明でいいのかな。
魔眼のことは、まだちゃんと話していなかった。
そのはずなんだけれど。
月代さんは本当は色々知ってそう。
「半径100メートルを見下ろせて、建物も透視できる。あと声とか音も聞こえるようにできる」
「なるほどなるほど。では、今回は絶対に建物を透視しないで下さい。声も音も今回はなしで」
「どうして?」
なんだかいたずらっぽい顔に変わった。
「それはですね、R18に抵触するからですよ」
「おい……お前な」
「あら、大事なことですよね?」
「それは……そうだけど。ったく」
アール、18?
月代さんからはよく分からない言葉がたくさん出てくる。
「まあまあ。そろそろ着きますよ。この辺りで姿を変えておきましょう」
「うん」
「俺はどうすればいいんだ?」
「トモヤ、任せて。手、出して」
「ん?」
差し出されたトモヤの左手を取って姿を変えるためのオセーの紋章を描く。
トモヤが大人に成ったら……。
背は180くらい……、足が長くて……。
顔つきも少し大人っぽく。
服は大人だと、スーツみたいなのでいいのかな?
イメージして魔力を通す。
「オセー、人を欺く偽の影、偽りの1時間」
目の前がけむりに包まれる。
「うわ、けほ。なんだ、これ」
ちゃんとできたはず。
けむりが少しずつ風に流されて晴れいく。
「わー、ちゃんとできてますね。へー、木下くんて大人に成ったらこうなるんですか?」
「うん、えっと……きっとそう」
私の勝手なイメージだから。
「ナタリアさんの中では木下くんってこうなるんですね」
月代さんはくすくすと笑う。
もう、なんか恥ずかしくなる。
でもけっこう自信作なんだけど。
トモヤは変わった自分の手足をまじまじと見ていた。
こっちに目が向く。
「これ、スーツ? なあ、どうなってんの、俺?」
「こんな感じですよ」
コンパクトを取り出してトモヤに見せる。
「誰だよ、こいつ」
「ふふふ、どう見ても木下くんですよ。目つき変わってませんもの」
月代さんはトモヤから離れて、
「それでは、私も」
クルッと一回転。
光に一瞬包まれて次第に薄れていく。
私とは術式が違うんだ。
光の中から現れたのは綺麗な女性だった。
切り揃えられたさらさらの髪は変わらないけど、可愛くて綺麗な感じ。
それに大人っぽい服装。
これが月代さんの本当の姿なのかな?
「若くね?」
「あら、いくつに見えます?」
「18とか19とか」
「鋭いですねー」
「どういう意味だよ?」
「秘密ですよ」
それじゃあ私も。
どんなイメージだろう。
大人、大人……。
背が高くて、胸も膨らんでて……。
紋章を幻視する。
体がけむりに包まれて、次第に晴れていく。
けむりがなくなってようやく周りを見ることができるようになると、2人がすごく見てきているのに気づいた。
「ナタ、リア……」
「……あの、ナタリアさん……どうして、ドレス?」
「えっと、なんとなく……。変?」
「いえ、まあ、いいんですけど。カジュアルですし。それと木下くん、見過ぎです」
「そんな、見てない!」
やっぱりそっぽを向く。
姿が大人でも変わらないだ。
「ナタリアさんには一本取られちゃいました。――さて、それでは行きましょう」
月代さんが振り返って歩き出す。
でもトモヤはこっちに向いて立ち止まったまま。
月代さんとの距離がちょっと離れた。
「えーと、ナタリア、似合ってる」
!? いきなりそんなこと。
どきっとした。
けど、大人らしく上品さを演じて微笑んで「トモヤも」と返した。
照れくさそうに笑う。
ちょっとして2人で月代さんの背中を追った。
***
「夜なのにここは人が多いですね」
「なんか普通のサラリーマンみたいなの多いんだな」
「ですね。木下くんも大人になったらこういうところ来るんですね。嫌ですね、ナタリアさん?」
「おい」
「え、うん。トモヤは来るの?」
「いや、絶対来ない。あいつらの目見ろよ。腐ってんだけど? 同じになりたくねえ」
突然、前を歩いていたトモヤがよろけた。
前からきた柄の悪い男の人たちとぶつかったんだ。
「トモヤ、大丈夫?」
「ああ」
よかった。
大丈夫そう。
「木下くん、気をつけなさいよ」
「ああ、悪い。すいませんでした」
ぶつかった人たちに謝る。
でも「おい」と低い声。
ぶつかってきた人たちから。
「は、なんだこいつ。女2人連れなんざ、いい身分だな、おい」
「あー、いや、すいません。もう行くんで」
あまり関わりたくない人たちだ。
プラハで何度も見た光景と似ている。
「なんだ、どっちも最高じゃん。なあ、兄ちゃん、譲ってくれないか?」
舐めるように見てくる視線。
なんか不快。
トモヤの服を掴む。
「あら、あなた方より彼の方が素敵ですよ」
なんだか艶かしい声色。
月代さんを見るとそんなことを言いながら、トモヤの左腕に両腕を絡ませていた。
すごく不敵な笑みだった。
この人達への挑発?
少し緊張するけど、私も真似してトモヤの右腕に絡ませる。
「この野郎、ナメてんのか」
「いや、そうじゃなくて、てか、2人とも、ちょっと放して」
男の人たちは額あたりに青筋を立てていて、ちょっと怖い。
そのうちの1人が腕を伸ばしてきて、トモヤの襟首をつかもうとする。
――このままだと。
すぐ先の未来を幻視する。
トモヤが襟首を掴まれて怒鳴られる未来。
殴られてしまう未来。
腕を伸ばしてきた男の人の上にビルの看板が落ちてくる未来。
大怪我してしまう。
どれもだめ。
あ、これ、月代さんが刀を取り出して、腕を切落と……。
だめ。
次。
刀を取り出して、腕に寸止め。
袖が切れて男の人がたじろぐ未来。
これだ。
確定。
幻視を止める。
ヒュンと空気を斬る音。
左手に鞘、右手に刀。
刃は男の伸びた右腕の手首に当てられていた。
「この辺で戯れるのは止めにしましょう?」
月代さんは目を細める。
正直、怖い。
「名前、出させないでくださいね?」
「名、前……? げ、その家紋……、す、すいませんシタァ!」
カモン? 家紋? ファミリーエンブレム?
刀はクルッと半円を描いて鞘に入る。
同時にすぅっと刀が消えた。
「はあ、やっちゃいましたね。ここから離れましょう」
周りからたくさんの視線。
ざわめきが聞こえてくる。
急いで、喧騒を抜ける。
「お前、いったい何者だよ?」
「なにと言われても月代理都ですよ。それ以外の何者でもありません」
「……月代って、まさか……」
「あら、もしかしてご存知なんですか?」
「いや、ネットでちょっと調べたことがあって……てことは月代さんって」
「はい。月に代わって、お仕、」
「ストーップ! やっぱりいいわ」
「あら、私、今、中学2年生ですし、」
「いや、いい。もういい。何も言うな。紛らわしやがって。てかお前、今の見た目18とかだから。さ、術式だったか? 探そうぜ」
そう言って、トモヤは先に歩いて行った。
2人の会話が全然分からない。
「木下くんはからかい甲斐がありますよね。妹さんの気持ちがよくわかります。ナタリアさんもそう思いません? 木下くん、かわいいですよね」
可愛いのはよく分かるけど今のはからかっていたのかな。
よく分からないけど「うん」と頷いておいた。
「ところで、私にああさせたの、ナタリアさんですか? 私、あんなことする気なかったんですけど。自分の行動に違和感があるんですよね」
分かるんだ。
やっぱり月代さんはすごい。
「そうしないとトモヤが可哀相だったから」
「ナタリアさんは、木下くんに優しいですねー」
月代さんが笑う。
私は、うん、と返した。
「あら、素直なんですね」
「せっかくこういう姿になったのですけど、姿を消すことにしますか? もうああいう輩の相手をするのは面倒ですし」
「うん、その方が私も魔術を使いやすいから」
「そうなんですか? まあいいです。それではお先に。木下くんは任せますね」
月代さんの姿が消えた。
見えないけど、隣にいるんだと思う。
ちょっと小走りになってトモヤに追いつく。
大人の姿だと歩幅が広くて楽だ。
「トモヤ」
「あ、悪い。あれ、あのバカどこ行った? 痛っ」
トモヤの耳が斜め下に引っ張られて、すぐに元に戻る。
痛そう。
「木下くん、バカバカ言い過ぎですよ」
「な、居んのかよ」
見回す。
「まさか、透明化!?」
「現代人の魔術に対する敷居って本当に低いんですね。正解です。
あ、それよりも早く行きましょう。ナタリアさんも木下くんも早く姿を消して下さい」
「どうやってだよ」
「トモヤ、手」
差し出された右手を取る。
指でなぞって手の甲にバエルの紋章を描いてあげる。
握ったままトモヤに魔力を通わせた。
「ちゃんと消えましたね」
「ん? 消えてんの? 普通に見えるけど?」
「自分自身はさすがに見えますよ」
「そういうものか……」
私も自分の右手の甲に紋章を幻視して姿を消す。
「ナタリアは? 見えるけど、消えているの?」
「うん。消えてる。見えちゃうのは私達が繋がっているから」
私にはトモヤが見える。
トモヤにも私が見える。
魔術的にちゃんと繋がっている。
半径100メートルを見下ろす。
この眼だと月代さんの姿もはっきり見えた。
月代さんもちゃんと私達についてくる。
月代さんにも私達のことちゃんと見えているんだ。
道には黒い影がぽつぽつとある。
輪郭が揺らいでいるよく分からないもの。
もそもそと動いてる。
黒い影が通ったあとはやっぱり草とか花が枯れていた。
「月代さん、この黒いのはこのまま?」
「あ、ナタリアさんにも見えますよね。この黒い影は街から魔力を集めてるんだと思います。
でも街中を見てみると分かるんですけどそこら中にいるんですよね。
一々相手していられないので無視しましょう」
「うん、分かった」
魔眼で見てやっと見えるくらいの弱い魔力の塊。
普通の目だと見えないけど、この黒い影はやっぱり街中にいるんだ。
魔力を集めてる……。
「黒いのって何?」
「よく分からないけど影みたいな感じ」
どう説明したらいいのか分からない。
「影?」
「さ、歩き回りますか。探すのはナタリアさんに任せていいですか?」
「うん」
短く答える。
「では、私は辺りの警戒ということで。木下くんは、ナタリアさんを守って下さいね。きっと今のナタリアさんは無防備でしょうから」
「ああ……って言いたいけど、どうやってだよ……」
「大丈夫、そんなに無防備ってわけでもないから」
「あら、そうなんですか。あ、さっき言いましたけど、建物の中見ちゃダメですよ? 精神攻撃を受けますから」
「え、そうなの?」
「お前な……。間違ってないかもしれないけど」
一応、言われたとおりに見ないことにする。
それと声も音も聞いちゃだめ。
向かってくる人を避けながら通路に沿って歩く。
全体を見回していく。
この地区の端の方まで行って、1本通り道をずらしてまた戻る。
何度か繰り返す。
端の方に青いモヤのようなものが見えた。
狭い路地を入ったところの開けた空間。
「あった。青いモヤがかかって見える」
「青、ですか?」
「うん。青い。こっち」
「はい、木下くん、行きますよ」
「おう」
裏路地に入る。
透過の魔術を解いて、魔眼で観るのも止めて視点を元に戻す。
いつの間にか月代さんの左手には刀が納めた鞘があった。
「ああ、次の角を曲がったところですか。とても嫌な感じです」
「うん。トモヤ、大丈夫?」
「え、なんともないけど」
そっか。
工場のときも近くを歩いていた人は何とも無さそうだった。
でも目を向けられたら胸を苦しそうにしていた。
直接会うのはやっぱり危険。
「場所だけは確認できましたね。上出来です。今日はもう帰りましょう。対策を練るのは明日以降に」
「え、なにもしないのか?」
「ええ、木下くんにはわかりませんよね。強すぎます。手持ちの刀で相手するのはちょっと。
それに下手に触れて相手に私達の存在を教える必要もありませんから」
「そうか。ナタリアは、それでいいのか?」
「うん」私も今は絶対に相手をしたくない。
「さ、戻りましょう」
振り返って、表の通りに向かう。
ア"ァァアア
――――!
弱い。
でも確かに魔力を感じた。
「なあ、なんか聞こえたけど?」
「ええ、そうですね。振り向かないほうがいいですよ。気持ち悪いんで――――」
振り向く。
片目が垂れた男の人がのそのそと向かってきていた。
包丁がお腹に刺さっている。
少しだけ魔力を帯びている。
死んだ人?
月代さんの言うとおりけっこう気持ち悪い。
月代さんは前に出て一度しゃがみこんでバネみたいに勢いをつけて下から上に刀を抜いた。
私もトモヤを守らないと。
――相手の体にハウレスの紋章を幻視する。
相手の右腕が落ちた。
落ちた右腕にも紋章を幻視。
相手は少しだけ動きを止めたけど、また向かってくる。
「止まりませんか。それでは、」
トモヤが「うげ……」と漏らす。
トモヤにも見えてる?
「――三日月、」
閃光が右回りに円を描いて、左腕、両膝に走る。
左腕が落ち、膝から上下が別れて、胴体も落ちてくる。
……さっきより気持ち悪くなってる……。
右腕、両足にも紋章を追加。
魔力を加える。
「ハウレス、灼いて」
青い炎が右腕、左腕、胴体、右足、左足、すべてを飲み込む。
すぐに炎が消えてコンクリートに黒いすすが残った。
「ナタリアさん、なかなか冷静ですね。慣れてます?」
刀を鞘に戻しながら言ってくる。
「そうじゃないけど、これくらいなら」
これくらいなら問題ない。
「なあ、おい、あいつなんだった?」
「きっとですが、痴情のもつれでお腹を刺されちゃったんですよ。結婚してくれるって言ったのにー、みたいな感じで」
「いや、え?」
「きっと、死んだ人の思念が使い魔に引き込まれて実体化したんだと思う」
「そうですね。それとたぶんですが、私達を狙ったわけではないと思います。近くにいた人をたまたま、といったところかと」
今度は真面目に答える。
月代さんもけっこう冷静。
きっと、こういうことにすごく慣れてる。
――――!
今のとは違う。
膨大な魔力。
来る。
これは、――術式を守る使い魔……魔術を使ったせいで気付かれた――。
鼓動が早くなる。
足が震える。
逃げないと。
トモヤもいるんだから。
でも、体が……。
「まずいですね。ナタリアさん、木下くん、逃げますよ」
手が強く引かれる。
一瞬、躓きそうになる。
なんとか立て直す。
右手は月代さんの手に引かれて、左手は戸惑うトモヤの手を引いて、走った。
裏路地を出てもまだ走る。
大通りに出てようやく止まる。
息が切れる。
「追ってはこないようですね。
はあ、あれを何の対策もなしに相手することはできませんね。ね、ナタリアさん」
そういってきたけどすぐに答えられなかった。
「ナタリアさん、大丈夫ですか?」
息が切れてるし、あれはやっぱり怖い……。
私は、かろうじて「うん」とだけ答えれた。
左手が軽く持ち上がる。
暖かい感触。
繋いだままのトモヤの手だった。
一緒に顔を上げると、トモヤの顔。
「えーと、やっぱよく分かんないけど、もう大丈夫なんだろ、な?」
元気づけてくれるような、そんな表情。
なんだかほっとした。
魔法みたい。
---
歓楽街を後にする。
私はあれと戦うことができるのか、やっぱり少し不安だった。