第1章 2.黒い影と白い瞳
第1章 2.黒い影と白い瞳
駅北口前の大通りを10分くらいまっすぐ歩くと、左手にショッピングセンターやブランドショップが立ち並ぶ区画が見えてきた。
週末はもちろん、平日の夕方には中高生もよく来るらしい。
「イオリンリン、ひさしぶりー」
「やっほー、栞。智也も」
「よー」
「ナタリアさん、でいいんですよね? へー、栞の話って本当だったのね。初めまして」
「あ、はい。そうです。シオリにはホームステイでお世話になってます」
「へへー、可愛いでしょー。さ、いこ♪」
『伊織っていうの。苗字は高柳。
小学校からずーっと友達でね、なんかキリっとして、シャキーンって感じの女の子』
と昨日シオリに教えてもらっていた。
そのときは何を言っているのかよく分からなくて首を傾げてしまった。
実際には背の中くらいまで届くココア色のストレートヘアに整った顔立ちの女の子だった。
ショッピングモールの通りを歩く。
すごい人。
それにたくさんの音楽が流れている。
「ナタリアさんはこっちにはもう慣れました? あ、ナタリアさんって呼び方でいいのかな?」
「うん、ナタリアでもシオリみたいにナタリーでも呼びやすいので呼んでください」
「あ、うん。そうだなあ。栞はナタリーで、ナタリアさんはシオリって呼んでいるのよね」
「そだよー。敬語なんていらないの、えい!」
「きゃ」
そう言ってくるりと一回転して後ろから抱きついてくる。
もう、シオリは……。
「ほんと、栞って裏じゃこうだよね」
「まあねー」
ウラ? どういう意味なんだろう。
「ね、私もナタリアさんのことナタリーでいいかな?」
「うん」
「それじゃあ、私のことは伊織でいいよ。そのほうが気楽だものね」
素直に頷いて伊織さんのことをイオリと呼ぶことにした。
親しくしたい人は昔から名前で呼んでいたような気がする。
「あ、そうだ。信一くんは部活で来れないってメール来てたよ」
「なんだ、信一のやつ、来ないのか」
信一くんは……
『信っては男の子。野球やってる。でねー、ふっふふー。
どうしよっかなー。あー、うーん、でも確証ないし、やっぱりなんでもないかな』
とやっぱりよく分からない説明があったような気がする。
「そういえば、智也が来るの珍しいよね」
「引っ張り出してきたの。だってお兄ちゃん、ほっといたらネット廃人になっちゃうもん」
シオリがおどける。
「うるせえよ」
トモヤの顔が不機嫌そうになった。
「智也も大変よね」
イオリの口から呆れたような小さな呟きが聞こえた。
「トモヤ、ネットハイジン?」
よくわからない単語を口にしてみた。
「おい……」
トモヤはシオリを睨む。
イオリが隣でくすくすと笑っていた。
しばらくアクセサリーや洋服を見ていく。
「よーし、イオリン、勝負しよ!」
「ん? なになに?」
シオリがイオリの耳に唇を近づけてないしょ話。
昨日、シオリが言っていたとおり、この2人は本当に仲が良さそう。
「おっけー、負けた方、オゴリよ。ジャッジは智也ね」
「2人とも、ちょっと待っててねー」
「はいはい。好きにしろ」
イオリもシオリも楽しそう。
2人は洋服屋さんに入っていった。
トモヤは疲れたように歩道に設置されたベンチに座った。
私はみんなから少し離れて道路に沿って植えられた木の近くにしゃがみ込む。
眼を見られることは避けないといけない。
この体勢だと見られにくいと思う。
一応、周りに誰もいないか確認。
視点を変える。
自分を中心に半径100メートルを斜め上から見下ろす。
やっぱり視界が狭くて不便に感じる。
あまり時間をかけずに違和感を感じるような場所は無いか観ていく。
表通り、商店街、路地……。
残念……今見える範囲に魔術的な痕跡は何もなさそう……。
……あれ?
自分に重なるように黒い何かを見つけた。
――拡大。
長さは20センチくらい、太さは10センチくらいの黒いよく分からないものがそこにあった。
違う。
生き物?
でも実体はなくて輪郭がもやもやと揺らいでいる。
これはこの間見た黒い影と同じ……だと思う。
草の生えた地面を芋虫みたいにもぞもぞとが動いていた。
この眼でないと見えないくらいの微弱な魔力を帯びている。
この街では普通にいるものなのかな。
それともこの街に仕掛られた魔術のせい?
ゆっくりと黒い影が前進する。
――黒い影が退けた部分だけ草が枯れていた。
……これは、生気を吸い取っている。
消してしまった方が良さそう。
でもどうしよう。
人目が多い。
いつも使うソロモンの魔術は強力すぎる。
少し考えて初等魔術を使うことにした。
黒い影を囲うように魔女を表す逆三角の形に指でなぞる。
その中に悪魔を捕らえる円。円の中に黒い影が収まるように。
最後に、円の中に悪魔を表す逆五芒星を描いていく。
基本的な意味は『魔女は悪魔を閉じ込める』。
低級な悪魔、魔物ならこれで自由にできる。
描いた魔法陣に魔力を通し、
「消えて」
と小さく呟く。
魔法陣は一瞬だけ淡く銀色に輝いて黒い影を消し去った。
魔術をとく。
……この街は、異常だ……。
でもまだ軽微……修正できるかな。
ガサっと葉っぱの掠れる音がした。
黒、茶色、白色の猫がいた。三毛猫さんだ。
三毛猫さんが私の顔を見たまま右前足を上げて一時停止。
少しして何もなかったかのように地面に顔を近づけて何かを咥えるような動作。
そのまま行ってしまった。
なんだろう?
気になってまた、視点を変えて上から見下ろすことにした。
咥えていたのは黒い塊。
さっきと同じ黒い影だ。
さっき見た時はいなかったのに。
三毛猫さんは木の影に隠れて黒い影を放し前足で押さえつけてむしるよう食べてしまった。
た、食べちゃって大丈夫なのかな……?
そのあとすぐにどこかへ行ってしまった。
この街は、何か不思議だ。
「なあ、そこの白いのー。お金、チョーダイ♪」
魔眼で見るのをやめると、短めの金髪を逆立てた男の人がトモヤに絡んでいた。
トモヤよりいくつか上くらい。
「露骨だな……。ろくでもない……。中学生が金持ってるわけないだろ……。
全部課金に消えんだよ。今のネトゲは金がかかるんだ」
「ハア?」
トモヤは、真っ直ぐ、男と目を合わせる。
少しはらはらする。大丈夫かな……。
「金は、ない」
「ああ、そうか。そうだよな。悪かった悪かった」
男の人はそのまま行ってしまった。
トモヤ、すごいなあ。戦ったら強いのかな。
「ナータリー♪ こっちきてー」
お店の方からシオリが呼ぶ。
なんだか楽しそうなシオリとイオリ。
何をしていたのかなと思っていたら2人が選んだ服のどっちが私に似合うかという勝負らしかった。
そして審判はトモヤ。
私は着せ替え人形じゃないのに…………。
でも、いいかな、楽しそうだから。
そう納得することにした。
勝負の結果は、シオリがトモヤを睨んで、トモヤがシオリに一票。
私もシンプルな色にフリルのあしらわれた衣装を選んでくれたシオリに一票。
イオリの選んだものは大人っぽいデザインで私には少し早いと思った。
その後は仕事とか黒い影とかそんなことは忘れて楽しんだ。
友達との初めてのお買い物なんだから。
***
その日の夜。
トモヤがお風呂から上がる。
入れ違いにシオリが出て行って、リビングにトモヤと2人きりになった。
センターテーブルの前に座ってテレビを見ていた。
テレビからはバラエティ番組の音声。
私には分からない人ばかりでよく分からない。
トモヤもなんだか興味なさそう。
彼とはどんな話をしたらいいんだろう。
少し考えて、気になっていたことを話してみることにした。
私はトモヤの方に体をずらして少しだけそばに近づいて声を掛けた。
「ね、トモヤ」
トモヤがこっちに振り向く。
彼の瞳を覗く。
背の高さが全然違って下から覗きこむような感じになる。
彼の瞳は白い。
髪の色、肌の色と一緒。
神話と同じ……。
「えーと……なに?」
「トモヤのそれ、ほんとうに…………ノアみたい」
「ノア……?」
鋭い目の奥の瞳がなんだか戸惑ったように泳ぐ。
白い肌が少し赤みを帯びている。
人より白いからよく分かる。
お風呂あがりだからかな?
「うん。白い髪、白い肌、それと、白い瞳。
『ノアの方舟』って聞いたことある? ノアもそうだったから」
「そうなのか?」
「うん。きれい……だね」
思ったことをそのまま口にした。
魔術的な魅惑を感じる。
「そんなこと、言われたことない」
当のトモヤはそっぽを向いてしまった。
戸惑ったようなそんな声だった。
謝ったほうがいいのかな……?
「ごめん。気分を害した?」
「いや、そんなことないけど」
頬がさっきより赤くなっているような気がした。
でも彼の顔はこっちを向かない。
どうしようかなと思ったけど、気にすることをやめて続きを話すことにした。
「昔、みんな悪いことばかりしていてね、かみさまが全部、壊すことにしたの」
「全部?」
「うん、全部。人間も動物も全部、洪水で」
「ひでーな」
「うん。でも、ほんとは全部じゃなくて、ノアの家族と、すべての動物のつがい。
ノアは方舟を作って、それに乗せたの。かみさまの言うとおりに」
「神さまは、どうしてそんなことしたんだ?」
「全部なくすんじゃなくて、リセットしたかったんだと思う。次は大丈夫って希望があったんだと思う」
「けっこう、身勝手なのな」
「うん……そうだね」
トモヤの言うとおりかみさまは身勝手かもしれない。
沢山の人を殺しているもの。
トモヤを見ていてちょっとしたアイディアが頭に浮かんだ。
トモヤがノアだったら……。
周りを指示して方舟を作らせる聖人……トモヤが? なんか変。
すこし笑いがこみ上げてきた。
「な、なに?」
なんだか、変な想像をしてしまった。
髪も肌も白いけれど、そんなイメージじゃない。
そう思っていると背後でキィーっと音が鳴った。
「へー。おにーちゃん、なんかナタリーと仲良くなったね。てか、顔赤いね―。どうしたのかな―?」
にやにやとイタズラっぽい顔をしたシオリがリビングに入ってきた。
「何でもねーよ。それとその呼び方、止めろっての! てか、もう出たのかよ?」
「いや、まだ入ってないしー」
「とっとと入れよ。ナタリアさんが入れないだろ」
「いや、私は別に……」
「はいはい、わかったわかったー、でもその前にー♪」
こっちに向かってきて、がばーっと抱きついてくる。
横に倒れそうになって「きゃ」っと声が出る。
「ナタリーはー、私のものだからねー? あげないよ?」
どういういみ……?
「はあ? いいから早く行け、ばか」
「はいはーい、じゃあねー、ナタリー」
そう言って行ってしまう。
少ししてバスルームのドアが開く音がした。
トモヤはそれを見て、
「ったく、あいつは」
と悪態をつく。
トモヤを媒体にすれば奇跡を真似できるかな。
そうすれば、シオリやトモヤの家族だけは助けられるかもしれない。
でも、やっぱりだめ。
きちんと解決して、ちゃんとみんなを助けないと。
---
明後日は月曜日。
学園生活が始まる。