君の声の響くところ
君の声を頼りに僕は生きる
きょうは君に電話ができませんでした。ごめんなさい
一日の終わりに、聖からのメールを見るとほっこりする。
聖は多いときは五、六回、少ないときでも二回は電話してくる。
君の声が足りないんだ。
そういって掛けてくる。
声がたりないって?
ずっとききつづけてたいの。
声をきいてると落ち着くの。
聖は、そういって、じゃあまたね
とすぐ電話を切る。
話したいことがあるわけではないという。
ただ、君の声が聴きたいのだ。
それだけなのだ。
君がどんな暮らしをしているのかぼくはわからない。
でも、君の声は素敵だ。僕の耳にここちよい。
たとえるなら、そう、まだ赤ん坊のときに聞いたかもしれ
ない、聞かなかったかもしれない、母親の声に似ている。
母親の子守唄の、揺れるような、ぶらんこのような、風のよ
うな光のような、雨のような
虹のような、星のきらめきのような、
この世の中の、いいものすべてを盛り合わせにした、君のこ
え。
声、ね。
そう、声。
なんでかな?
ゆらぎ、かな
ゆらぎ?
f分の1のゆらぎ。
でも、そんなゆらぎなんてないよ
いや、ある。
聖は言い張る。
ほかの人にはどうだかわからないけど
僕の耳のなかでは、君の声はゆらぐんだ。
いいきもちになれるの。
落ち着けるの。
それはよかったね。
わたしは沈黙する
沈黙にもリズムがある。
さん、に、いち
呼ばれるから、またね。
はい。
またね。
きょうはもう掛けられないかもしれない。
いいよ、じゃあ、また明日。
またあした。
そういって電話が切れる。
意味のないようなあるような、声の羅列。
わたしはパソコンに向かう。文字をつづる。
意味のあるようなないような、文字の羅列。キーボードを
打つ、そのリズムだけがこの世界を支配する。それは、
時を刻むアナログ時計の秒針のリズに連なって眠気を誘う。
眠ってはいけないと思いながら、わたしはめぐりゆく時間
の流れのなかにたゆたい、うつうつと自分の心の中の時間に
身をゆだねている。流れの速い河のごう、という響きがわた
しの体内を駆け巡る。
時間というのはいのちそのものなのだ、と思う。
始まりもなく終わりもなく、流れてはめぐる、ごうと響く
大河の流れ。その流れの音の向こう岸、光あふれるいのちの
源流。
いったい、わたしは、どこからきたのだろう。
夜、テレビをつけた。
わたしは普段テレビは見ない。
なのに、そのときはなぜかつけていた。
ひざに白い猫がたわむように、しなるように丸まって寝ていた。
このこは最近、わたしのマンションの部屋の同居人となった。
同居人、というよりも、すっかり忘れ果てていた赤ん坊をそだてているみたいだ。
わたしは以前、母親もしていたのだ。
今は、独りで小説を書いている。
やっと独りになれた。そのことがうれしい。
しかし、幸せと不幸せは鏡の裏と表のようなもので
書く喜びを得た以上に失ったものは大きかった。
子供たちはみなそれぞれの道を独自に歩いている。
ひとりは床屋で、ひとりはスポーツジムでインストラクターをしている。
上が女で下が男の子。
いい年なのに、結婚をしようとはしない。
親の結婚生活に付き合って、ほとほと結婚というものに嫌気が
差したのだろう、と思う。
でも、そんな親を選んで生まれてきたのはあなたたちなのだ。
言葉に出して言い立てたりはしないが
ひそかにわたしはそのように思っている。
言い訳ではない。
わたしもそのように生きてきたからだ。
親にかわいがられない子は、その子自身に問題があるのよ。
あるひとにそういわれた。
カウンセラーではない。
もっと、深いところで生きている人たちのなかのひとり。
わかっている。それを宿業、とよぶ。
モノ書きになろうなんて女は、二重の意味で不毛な属性を持つ。
女、であること、そしてわずかながらでも知識に対して貪欲であるということ。
男女平等なんて、たかだか二十年か三十年の間に叫ばれたものだ。
DVも、ストーカー被害も、女性を守る法としては脆弱すぎる。
独りでノーと叫べない女性は、親を頼り、身内を頼るしかない。
行政も福祉も警察も、いのちに関わるくらいの暴力を受けない限り助けてはくれない。
あなたのほうにも、問題があるんでしょう?
必ず、言外にそのようなニュアンスをこめて非難される。
特に、男尊女卑の気風の強い地方ではそういう雰囲気が顕著に漂うのである。
顔を見ればわかる。支援する人間の自己満足が。
何事もないかのように、これまでのいきさつを尋問し、推量し、哀れむ。
自分は人に哀れまれる人間ではない。
こころがうずく。しかし支援を要しているのは事実だ。
保健所の福祉課の誇りっぽいデスクで
警察署の夏でも冷房の効かない取調室で
証拠となる傷を診て貰う病院の診察室で
わたしは何度も自分を失った。
そういう傷は、古くてもいまも生々しく心に刻み込まれている。
ときおり忘れた頃に古傷の元が現れて、痛みを主張する。
痛くて眠れない日がある。
それまで生きてきたすべての時間が
あるとき、ふっと脳裏によみがえり、めまぐるしくせめぎあ
い波打ち、広がり、深いよどみを作る。
下を見てはいけない。
わたしは、荒れ狂う夜の海で漂流している。
波浪が高くうねり、小船はもみくちゃにされ、しおれた桜の
花びらみたいに、ひらひらと波を漂う。
板子一枚は地獄なんだ。
昔、無線技師として漁船に乗っていた、父の声がよみがえる。
板子一枚は地獄。
そのような人生を、数知れず繰り返してきた。
この世の中は女は一人では生きていけないようにできている。
そういう社会のシステムに抗い、自分を主張すれば、必ず
しっぺ返しをくらう。
もっと強くなればいいのだ。
荒波に飲まれるような小さな頼りない船のようなこころでは
なく、立派な大きな豪華客船のような船に乗り換えればいいのだ。
それはシステムに飲み込まれるということではない。
自分のこころの問題だ。
自分の心、頼りない小船のような心を打ち砕いて、もっと確
かな材料を集め、もっと確実に大きな船のような心に作り変
えればよいのだ。
わたしがそう気がつけたのは、聖の声を効いたときからだっ
た。
つけっぱなしのテレビを看るともなくみている。
黒人の少年と少女たちが、戦争ごっこをしている。
北半球はそこそこ平和みたいだが
南半球は紛争が絶えないらしい。
アフリカの内乱はいつ落ち着くのだろう。貧困はいつ解消されるのだろう。
戦争ごっこだと思ってみていたら、少年兵のドキュメンタリー映画を作るために、実際に元少年兵だった子供たちを訓練して映画を作っているらしい。
見るつもりはなかったのに、しっかり見てしまった。
子供を使って人を殺させるなんてこれ以上悲惨なことが世の中にあるのか。
地雷を踏ませるよりも、枯葉剤をまいてべトちゃん、ドクちゃんみたいな奇形児を作るよりも、もっと残酷なことだ。
痛みが走った。涙が止まらず泣き狂ってしまった。
それだけはいけないよ。
それだけはいけないよ。
忘れていた母性がよみがえった。
忘れていた自分の子供たちの『今』を思った。
彼女の過去になにがあったのか