The greatest risk is standing still
「それってどういう……」
カイは無意識のうちに問いかけていた。
「着いてきて」
女の子は唖然としているカイの腕を突かんでハッチの中に連れ込もうとした。
「ちょっと待て!」
慌てて腕を引きはがすと、女の子は目を大きく開いてカイを振り返る。
「それを使うことは禁じられているんだ」
都市毎の完全鎖国。他と交わればまた世界が広がり、秩序が制御できなくなる。閉鎖された楽園を守る為に必要なことだ。
「……知ってる」
女の子は静かに答え、続けた。
「それでも私は助けが必要なの。味方が欲しい」
「味方って……」
何も自分でなくても。ただの小国家の一般市民なのに。それなら首相や本の中にいる王様みたいに位が高い人を誘うべきだ。
「僕が君に協力して、何とかなる程度の問題なの?」
その問いに何を思ったのか、女の子の表情が一段と明るくなった。
「聞いてくれますか?!」
「は、話だけは一応」
その答えに少し顔が陰ったが、それでも彼女は話を続けようとしていた。
「それでは長い話になりますので何処かに座りません?」
少女は辺りを見渡して適当に腰掛けられるものを探した。しかしこの部屋はそもそも人が住むためのものではないので椅子なんて置いてあるはずがない。
そこで彼女が近くに置いてあるかつての大型兵器に寄りかかろうとしたり、手頃な大きさのものに座ろうとしたのを慌てて引き留めた。使われてはいないが、それは超重要機密の技術を秘めた破壊兵器なのだ。下手に触って貰っては困る。
かといって彼女を居住区に連れて行けば大騒ぎすることは必至だろう。カイ自身の責任問題──向こうが勝手に来たのだが──にもなりかねない。
カイは仕方なく掃除機を取り出して来て自分たちの周りだけ綺麗にすると床にそのまま座るよう促した。
「えーっと……どこから話そう」
正座を崩した姿勢で女の子は思案していると、カイは頬をひきつらせた。
「どこからでも構わないから、周りの物には触らないで欲しいな」
「あ、はい。それではお話しますね」
どうやら方針が固まったようで、少女は拙い言語で話し始める。
「私の祖国は『ランカシア』と言って、古い地図では東南アジアという地域に含まれていたの」
「それはまた遠くから……」
ヴァール・フリューゲルは昔、ヨーロッパと言う区分に含まれていた。それはユーラシア大陸の西に位置していて、彼女の言う東南アジアというのは大陸の東だったはずだ。
「空中庭園都市化に伴い、嘗ての国のあり方が再評価されてきたことは知っているよね? それでランカシアは王政で国を統治してる」
珍しい話ではなかったそうだ。元々王室や皇室のあった国はそれに戻ろうという考えが流行ったようだ。とある西の島国はそれが特に顕著だったという。
「それと、ランカシアには子供が多い方が幸せになれるっていう言い伝えがある」
「……あのさ、全く先が見えないんだけど」
口を挟むと彼女は「話はここから」と口元に指をたてた。
「今、ランカシア王家には24人の王位継承権を持った子供がいる。王様がたくさん子供を作ったから。それで、今王位継承権をめぐって争いが起きようとしている。多くの派閥が出来て、色んなことが渦巻いていて一触即発の状態。なかには武力行使も辞なさい人たちもいる」
「……はあ」
聞いていて突拍子もない話だ。王様なんて言うのはここでは絵本のなかだけの存在で、更にそれが王位継承権──つまり跡継ぎ問題で荒れている。そもそも王政は長い間行われていなかったといえど、それ以前の歴史は残っていたはずだ。だから──
「何故防げなかったんだ?」
「元々代々女王が世継ぎだったの。出産は負担が大きいでしょ? 女王ならそう跡継ぎを何人も産めなかった。だけど先代の王女様は女の子に恵まれなくて、それで今は男の王様なの。そうしたら、ね?」
「まさか、一夫多妻制が普通にまかり通っているのか?」
「そうじゃないけど。婚姻関係の無い間の子供だって。空中庭園都市化で人口統制の為に特に推奨されることは無くなったけど、かつては少子化対策として有効だったのよ」
つまり婚外子のことか。とカイは納得した。嘗て少子化が進行した際にその当時欧米と呼ばれていた範囲でよく行われていたらしいことは、学校で学んだ覚えがある。現在は人口増加よりも今の人口を保つことに重きが置かれるため、あまり見られなくなった。
「とは言っても異常な多さに変わりないのは確か。王様の権力や周りの思惑が絡んでいることには否定できないかな」
「それで僕にどうしろと……」
専門の知識が有るわけでもない。そんな地位もなければ力もない。自分一人で彼女にできることは無きに等しい。
「だから、一人でも仲間が欲しい。信用できる味方が欲しいの。私の周りは皆それぞれ何か企んでいて、何を考えているのかわからない。ただ私と一緒に考えて、力になってくれる人が欲しいの」
彼女は座ったままカイに深々と御辞儀をした。
「お願いします。私に──ミーシア・エル・ランカシアに力を貸して下さい」
彼女は──ミーシア・エル・ランカシアは顔を上げて名乗る。
「ミーシャ?」
「そう呼んでくれて結構です。親しい者は私をそう呼びますから」
いや、そんなことより──
「ランカシアって、確か君の祖国の名前は」
「その通り。その『ランカシア』です」
それはその、つまり非常に短絡的かつ単純に思考すればそれは、
「君は……お姫様?」
まさか。
己の考えを否定しながらも、その考えを口に出した。
ミーシアはそれに頷いて肯定の意を示す。
「嘘だ」
「本当」
即座に出した言葉を瞬時に彼女は否定した。
「それならどうして国外なんかに来てるんだ」
そんな立場ならこんな所に来ることは言語道断。世界的に禁止されていることを、一国の姫が破ればそれはそのまま国際問題に発展しかねないではないか。
「いいえ、私だから来れたの」
責める言葉を並べていたカイは、そのことにようやく気がつく。
「私だから長距離転送装置を使う機会を作れた」
長距離転送装置はカイのように特別に許された人間以外は目にすることもできない物。厳重に管理されて当然の機械なのだ。普通の市民ならここまでたどり着けなかっただろう。
カイの表情の変化に、事の次第を飲み込んで
「本当に外の世界に通じていて良かった。出来なかったらどうしようって……」
安堵の息をつく彼女にカイは別の意味で息をついた。
「そんな博打みたいなことしなくたって良かったじゃないか」
もし事故があったら誰も助けられない。半分化石のような天然記念物もいいレベルの機械に体を任せるとは……
「でもこうして来れましたし」
それはそうだけど。
日頃の定期点検の甲斐があったということなのか……しっかりこの都市の長距離転送装置は機能した。ある意味自分たちの日頃の行いで一つの命が護られたとも言えるのかもしれない。
「……少なくとも、僕より他の人に来てもらった方がいいよ」
カイは出来る限り優しい言葉を選ぼうと心掛けた。
「ほら、大統領とか。もっとそういう人に頼んだ方が」
「そんな偉い人を巻き込めば、あなたが指摘したように国際問題ですよ」
先ほどのカイの発言をそのままミーシャは返した。
「だから貴方がいいの」
カイに口を挟まれないようそのままミーシャは続ける。
「貴方を国際法違反にしてしまうことも重々承知しています。でも、急がなければ本国の誰かに私の出国が露呈してしまいますので……」
時間がない。早く帰らなければ、ミーシャが『外』に出たことがバレてしまう。罪は免れないだろう。
カイ個人としても罪に咎められないようこの子を一刻もはやく国に返したい。
「一人で帰るってい──」
「私の苦労を水に流せというのですか」
予想通りの反応だ。ミーシャは連れて行くつもりでいる。一人で帰るという選択をとらせるのは難しそうだ。
「……わかったよ」
カイは深呼吸を一つすると周りに置いたままの工具を拾う。
「いいのですか?!」
ミーシャが喜色満面で立ち上がった。彼女に背中を向けながらカイは頷く。
──転送先まで着いていくだけ。そうしたら僕はさっさと帰ればいい。
一応部屋にあるカイの持ち物をすべて回収してカバンやポケットに入れると、カイは転送装置の傍にしゃがんだ。
「何をしているの?」
ミーシャがカイの背後からそっとのぞき込む。カイは転送装置の螺子で締められている部分を外してボタンを弄っていた。
「転送装置の履歴、一応消しておくだけ」
犯罪対策用の過去の機能。それがまだ残っているため、技術者が触れば過去に何処に誰が移動したのか自動的に記録される。
「そんなことできるの?」
「多分……この履歴機能再開を五分後にセットしておいたから、今なら痕跡が残らないはず」
カイはその部位を元に戻して転送装置の転送先指定を行う。
「ランカシアだよね? 国番号は?」
「え……っと、国番号って?」
「……ごめん。忘れて」
カイは都市名リスト一覧からランカシアを検索する。本来は国番号──転送装置のナンバーを入力して転送するものらしいのだが、国外の概念が喪失した今。そんなものを覚えている方が珍しい。ちなみにカイは数年ほど転送装置のメンテナンスをしていて自然と自国の番号だけは覚えている。
「ランカシア……815」
転送装置内蔵コンピューターのリストからナンバーを検索するとその数字を打ち込む。
「あ、旅立つ前にいいですか?」
「……何?」
「お名前。ないと不便ですから」
そういえば。
今更になってすっかり忘れていた。
「カイ」
「カイ?」
その名前をミーシャは復唱する。
「カイ=ファーレンハイト」
カイがそこまで答えると転送装置の青いランプが緑色に変色する。
「転送を開始します……転送者は中に入って下さい」
機械音声のアナウンスが流れる。ミーシャが勢いよくカイの腕をひいて中に入った。重量を感知してハッチが閉じる。
もう戻れない。
「転送します。転送します。強い光が発生します。必ず目を閉じて下さい。繰り返します……」
初めての転送に不安を感じながらカイは目を閉じた。隣の彼女がうまく転送されてきたのだから、大丈夫なはずだ。
「粒子化開始──」
目を閉じていてもわかるほどの眩い閃光。それに晒されて、自分の質量がなくなる感覚。そしてそのまま引っ張られるような、強大な引力。それが一瞬で押し寄せる。
「転送完了、転送完了」
そして二人はそこから居なくなった。
****
海風香る、空中都市。この時期は雪も積もり、昔は北部の漁業地帯では身のしまった良い獲物がとれたそうだ。
昔といえど、空中都市化する前になる。
部屋の薄型液晶に映し出された新着メールを確認して、大きく伸びをした。
今日は以前から欲しかった品が到着する日なのだ。
彼は毛先だけ青く染まった黒髪を頭の上で結い、赤いヘアピンで前髪を作る。
目の色は青に近い紫に見えるが、本当の色ではない。カラーコンタクトだ。
動きやすいように黒の膝下までの長さのズボンを吐き、同系色の長袖を着た。更にそこから鮮やかな薄目の水色によく祭りで売られている赤い魚の模様が描かれた民族的衣装を羽織り、腰の帯を締める。
「ま、こんなもんかね」
鏡の前で一回転すると袖や裾が舞い上がる。
玄関でブーツを吐いて外に駆け足で飛び出す。道行く人がその姿に手をふるため、その子も手を振って笑顔でそれに答えた。
──あと三十秒!
目的地への角を曲がり、そこに立ち止まる。
臨海部三区の転送装置前。今日そこに通信販売で頼んだものが届くことになっている。自宅まで届けてもらうこともできたが、料金がかさむ。転送装置前受け取りならその分安い。人の手が介在せず、転送装置で送るだけだからだ。業者はとても時間に正確だから、時間ぴったりに品物が転送されてくるはず。
腕時計を見て、時間の秒読みを始める。
──5…4…3…2…
来る!
受け取りのためにハッチの前を陣取ると、急に転送装置のアラームが鳴り出す。
「容量オーバー、容量オーバー」
「はっ? 何言ってんの?」
あの注文は確かにサイズは大きいが、それでもまだまだ転送には余裕があったはずだ。
「強制搬出します。ハッチに近寄らないで下さ──」
アナウンスが言い終わる前にハッチが開いた。
「うえっ?!」
四角いダンボール箱の山がその子に向かって投げ出される。箱そのものには重さがあまりないため衝撃はそんなに強いものではない。
ダンボール箱だけなら。
「──!」
「……っ」
そのダンボール箱の合間から二人の人間の姿を捕らえて、その子は息を止める。
すべての重みが上にのしかかった。
「──? ────?」
女の子の耳になれない言葉。意味不明な言語が体の上で飛び交う。
「──、────」
男の方も同じような言語で話している。
男が指さして、女の子はようやく誰かの上に乗っていることにきづいたようだった。
二人が退いて、更に周りのダンボール箱を近くに並べた。そして女の子の方がその子に手を差し出す。
「──?」
差し出された手をとって、はっきり二人の姿を見てその子はようやく気づいてしまった。
あの子達、『外』から来たんだ。