05/14 健康診断
「服を脱いで下さい」
と、整った顔の看護師に言われて、俺は恥ずかしながら従い、全裸になる。看護師はまだ二十代だろうに、若い男の体など見慣れた様子だ。
「では、そちらの台の上へ」
「はい」
言われるまま、俺はその、でかいコピー機の様な台に寝そべった。背中に当たるガラス面が冷たい。「そのままじっとしていて下さいね」と言われるや、背後で機械音がして、光の筋が通り過ぎていった。
「次は眩しいので、目を閉じていて下さい」
目を閉じると、一瞬瞼に強い光が当たって、赤く透けて見えた。それで体のスキャンは終わった。
「もう降りて結構ですよ。次は消毒です、あちらの部屋にお願いします」
「はい」
裸のまま隣の部屋に移る。そこは老年の医師が待ち構える、診察室だった。彼は俺の主治医だった。
「近頃はどうですか?」
「お陰様で、健康そのものと言った感じです」
「それは良かった。じゃあ、心臓の音を聞かせて貰いますね」
「はい」
聴診器をペタペタ胸や背中に当てられ、次いで口を開けて棒を突っ込まれる。
「うん、良さそうですね。それじゃあ採血を」
奥からさっきの看護師が、注射器やらゴムチューブやらの道具を持ってサッと出てきた。
採血を終えて次の部屋へ通される。そこはタイルが全面に張られた、小さな部屋だった。壁と天井の所々に小さな穴があって、床には排水溝がある。前後のドアがガチャンとロックされ、ブザーが鳴った。途端、壁中天井中の穴から霧が吹き出した。やや鼻にツンと来る臭いがしたが、口に入っても無味だった。
一頻り霧吹きされた後、今度はゴーッと温風が吹いてきた。俺の体は一気に乾いた。
消毒室を出ると、薄ピンク色の長襦袢が用意されていた。「こちらを着てお待ち下さい」と表示にある通り従い、服を着て椅子に腰掛けた。
ほんの数分、その殺風景な部屋で待っていた。すると、またあの看護師がやって来る。
「お待たせしました」
看護師に続いて、別の看護師の男が二人、ベッドを押して入ってきた。
「どうぞ、こちらにお願いします」
「はい」
ベッドに寝そべるが、期待する程柔らかくなかった。手すりの触り心地はやはり冷たい。それがたぶんきっかけで、急に、俺の胸は不安で溢れかえった。堪らず、声を上げる。
「あの、看護師さん」
「はい?」
「すごく迷惑なのは解っているんですが、どうしても言っておきたくて」
「何でしょう?」
俺は意を決して言った。
「前から気になってたんです。付き合って貰えませんか?」
そう言い切った時、看護師はキョトンとしていたが、すぐに目を泳がせて言った。
「ごめんなさい」
俺の告白は呆気なく断られたが、俺は寧ろ、この答えを期待していたのだと思う。
「いえ、ありがとうございます。おかげで落ち着きました」
ガラガラとベッドが動き出す。
誰も居ない、部屋も無い廊下を進み、ベッドはエレベータに入る。誰もが押し黙っていた。俺にはそれが耐えきれず、また声を出す。
「ねえ、君」
話しかけた相手は、ベッドの舵を取る男性看護師だ。
「昨日の野球の試合、見た? 最後の逆転劇、凄かったよな」
男は答えない。
「普段野球なんか見ないんだけどさ、思わず、オオ、って言っちゃったよ。あれは、凄かった」
男はやっぱり答えない。
その内に、目的の階に到着して、エレベータのドアが開いた。すぐ目の前は手術室だ。
真っ白な空間に差し掛かって、俺の心臓は早鐘の如く打った。こういうのは、そうそう覚悟出来るものじゃない様だ。
ベッドは手術室の中程に進む。停まったところで、横にもう一つ別のベッドが並んだ。そこに寝そべっている、麻酔か何かで眠ったその横顔には、見覚えがある。
毎朝鏡で見る顔。俺の顔だ。
いや、俺じゃないのは解っている。彼からしたら、俺の方がまがい物なのだろう。遺伝子的に全く同じ彼が、俺のオリジナル。
マスクを被せられ「深呼吸してください」と促される。言う通りに深く息を吸うと、直ぐ様頭がぼうっとしてきた。意識が深いところへ落ち込んでいく。俺の生涯で一番の、初めての安らぎだ。
もう、『いつか』に怯えなくて済むのだ。
一日一話・第十三日。
日付変わってるなんて騒ぎじゃねーし日数と日付が一致しなくて訳わかんねーしで困ったもんだぜだぜ。
「健康診断」のお題をくれたひろみさんに感謝を。