03 変人窟の“刀匠”多々良 (上)
◆1
こうしてソウジとコンビを組むことになったんだが……今改めて当時を振り返ってみて、言いたいことを一言でまとめるなら、『騙された』。これに尽きる。
この初心者丸出しの素人小僧が、後にその名を〈エルダー・テイル〉の世界に轟かせる伝説的プレイヤーになるなんて――構成人員が女子だけで3ケタを超えるようなハーレムギルドの主になっちまうようなチート級のハーレム野郎だったなんて、それをこの時点で予想できたヤツがどこにいるというのか。
そんなもん、俺を含めて誰もいなかったさ。
なあ、考えてもみてくれ。“女”が原因で引退寸前にまで追い込まれてたのが、当時の俺なんだぜ?
その俺が、ハーレム体質男とコンビを組むだなんて……なあ?
そうなると判ってたら、絶対一緒に組もうだなんて誘わなかったっての!
思えば、アイツが〈エルダー・テイル〉を始めた最初の日に出会っちまったのが、間違いの始まりだったような気がする。本当、これしかないっていうタイミングで……。言いたくはないが、こういうのが“運命の出会い”ってヤツなんだろう。
――へ? なんで最初の日なのかって?
そりゃあ、出会った次の日には、早くも最初のハーレムフラグを立ててやがったからだよッ!
◆2
――おっと、続きを話す前に、暖炉の火、もうちょい強くしようか。長雨が続いてるせいか、微妙に冷えてるからな。
えーと……薪はどこに置いてあるんだ?
――ああ、悪いね。いやあ、そこのおっぱいちっちゃい君は気が利くね……って、あいたっ!?
――いやっ、待って、セクハラって言われればそうなんだけど、ついうっかり、とっさに判りやすい特徴を口走っちゃっただけで、性的嫌がらせをする意図があったわけでは……あっ、やめて、薪投げるのやめてっ!? ぼ、暴力はいけませんよ暴力はっ! ギブッ、ギブアーップ! ヘルプミー!!
うう……ひどい目に遭った……え? そんなのどうでもいいからさっさと続き喋れ? 半ば自業自得とはいえ、きっついなあ、もう……。
◆3
翌日、俺は再び〈エルダー・テイル〉にログインすると、前日の別れ際に待ち合わせ場所に指定した、アキバの街の中央広場に移動した。
待ち合わせの時間には、まだ1時間以上もあった。
いくらなんでも早く来すぎだとは思うが……久しぶりに純粋にゲームを楽しむことができるっていう高揚や期待感を抑えきれなくてなあ。
人間関係のしがらみにがんじがらめで、ギルドマスターの立場と責任に追われて、揉め事の後始末ばかりをやっていた鬱屈の反動か、これから始まる“新しいゲーム”への期待感で胸がいっぱいでさ。
そう、新しいゲーム。それは単にソウジとコンビを組んで再出発しようっていうだけの話じゃなくて、文字通りの再出発――つまり、〈エルダーテイル〉を始めてから2年間ずっと使っていたこの『ヨシテル』を削除して、新しくキャラクターを作り直すつもりでいたんだ。
“今の俺”でもある『ルーグ・ヴァーミリオン』をな。
――んー、もったいないって言われりゃ、まあそうなんだけど……引退決意するとこまでいっちゃってる時点で、すでに過去に未練はなくなってたからさ。別にもったいないとは思わなかったし……それよりも、もう一度新鮮な気持ちで〈エルダーテイル〉を遊べるんだっていう気持ちのほうがずっと大きかった。
まあ、それにしたって、やることもないのに1時間も早くログインして、俺は何をする気なんだっていうのは、自分でも思ったけどさ……先走りすぎだろうって。
――え? 『まるでデートの待ち合わせみたい』って、いやいやいやいや、よりによってその例えはねーだろうっ。男同士でそんなん気持ち悪いっての。そういう趣味はねえよ。
「すいませんっ、遅れちゃいましたっ!」
何して時間を潰そうかと、手持ち無沙汰にしていたら、慌てた調子でソウジがやって来た。
「いや、遅れるもなにも……1時間前だぞ?」
「えっ? あ……いや、その、待たせてしまったみたいで、申し訳ないなって思って、つい……」
「まあ、いいけどさあ。なんでそんな早く来てるんだよ」
「待ちきれなくって、つい。えへへ」
気持ちは判らなくもない。ゲーム始めて2日目じゃあ、買った直後の興奮が、1日遊んでみたことでより増してる状態だろうしな。
「ヨシテルさんもそうなんですか?」
「なっ、バカ、おまえと一緒にすんなっ。俺は前もってすませておきたい用事があってだな……」
無邪気な問いを返すソウジに、俺はルーキー同様の心理状態だなんてバレて、舐められたくはないと、つまらない意地を張る。
「ちょっと待ってろ」
あわててフレンドリストを開いてチェックすると、目的の名前がオンライン状態なのを発見して、これで言い訳が立つと心の中でホッと一息つく。
「あーもしもし多々良っちー? 俺だけどさー、予定より早くて悪いんだけど、今からそっち行っていい?」
フレンドリスト経由で回線を開いて話しかけた相手は、〈刀匠〉の多々良。アキバの街の〈変人窟〉に拠点を構える刀鍛冶専門の生産ギルド〈アメノマ〉のギルドマスターにして、今日これから俺たちが会いに行く予定の人物だ。
プレイスタイルも性格も、マイルドな言い方をすれば“個性的”、ストレートに言えば“変人”。生産系の大手ギルドのメンバーでもないクセに、マゾ職と名高いサブ職〈刀匠〉を上限レベルまで鍛えているような猛者で、こと刀の扱いに関してはアキバで右に出る者なしとまで言われる、生産職系のトッププレイヤーだ。
俺にとっては、古い付き合いになるゲーム仲間の一人で、俺のギルドがズタズタになっちまってギルドメンバー全員から見捨てられたような惨状でも、変わらぬ付き合いをしてくれる貴重な友人でもある。
「オッケーだ。じゃあ行くぞ」
到着が予定より早くなる旨を告げ、了承をもらうと、ソウジに出発を促した。
「昨日も話したが、人見知りの気があって、気難しいところのあるヤツだけど、悪いヤツじゃないから、そっけない態度を取られても気を悪くしないでやってくれ」
「はい。……あの、これから行くのって、〈変人窟〉ってところ、ですよね?」
ソウジのヤツはなんだか不安そうだった。まあ、これから行く場所が〈変人窟〉なんていかにもひどそうな名前で、会いに行く予定の人物のことを変人だの気難しいヤツだのと説明されれば、不安がるのも当然か。
「ああ。変わったギルドだらけで、最初は戸惑うかもしれないが、慣れちまえば楽しいとこだぞ?」
〈変人窟〉っていうのは、厳密には正式な地名や組織名ではない。アキバの生産ギルド街の奥のほうにある巨大な廃ビル、およびそこに拠点を構えるいくつかのギルドをひとまとめにして言う、プレイヤー間の俗称だ。
そこは場所が不便で客を取りにくいせいで不人気スポットなんだが、そのぶんゾーン購入費や維持費が安い利点があってだな。そのせいで、マトモな商売や稼ぎの効率なんか二の次って感じの、趣味に走って好き勝手に遊んでるような連中――要するに変人の溜まり場と化しちまった魔窟のような場所なんだよな。
そう言うと聞こえが悪いかもしれないが、〈変人窟〉の住人は他と比べて個性的すぎるだけで、悪どい連中ってわけじゃない。ソウジに言った通り、慣れが必要だけどそれなりに楽しい場所で、他じゃ味わえないような貴重な経験ができるちょっとした異世界でもある。
「えっと……僕なんかがついていって、いいんでしょうか?」
「おまえを紹介することも目的のひとつなんだから、ついてきてもらわなきゃ困るんだよ。別に普通にしてりゃ問題ないって」
微妙に腰の引けた感じのソウジを宥めつつ、俺たちは〈変人窟〉へと向かった。
◆4
「あっ、ヨシテルくんじゃない。最近、顔見なかったけど、大丈夫? 元気?」
〈変人窟〉の俗称で呼ばれる廃ビルに入るなり話しかけてきたのは、ここの1階で〈古書店ひよこ堂〉を営む女性プレイヤー、通称“ソリティアーナ”こと〈筆写師〉の比翼子さんだ。
まるでどこかの企業の事務員か秘書のような緑色の制服っぽい衣装とタイトスカートに身を包んで、いつもと変わらず受付のところに座っている。場所といい、服装といい、その見た目は受付嬢そのものだ。
中世ヨーロッパ風ファンタジーの世界観からすると本来ありえない衣装だが、近年のRPG、特に日本のものは中世的なリアリティにあまりこだわらない大らかな路線が主流で、〈エルダー・テイル〉もその例外ではない。従って、こうした現代風の格好をしているプレイヤーも珍しくはない。
ちなみに、この種の職業ごとの制服系アイテムは、例えば比翼子さんが着ている事務員風の衣装なら、〈筆写師〉や〈会計士〉といったデスクワーク系のサブ職業にボーナスがつくといった実用品としての機能もあるため、ただのコスプレというわけではなかったりもする。
「あー、お久しぶりっす。まあ、そこそこ元気っす」
「ねえねえ、そっちの彼は? 見たことない子だけど……」
「……あ、はいっ! 今度ヨシテルさんとコンビを組むことになりました、新人のソウジロウですっ! よろしくお願いしますっ!」
突然話を振られたソウジは、緊張丸出しのぎこちない口調で、精一杯に礼儀正しい挨拶をした。
その行動自体に悪いことは何もないんだが、比翼子さんの性癖を知る俺には、この初々しさ全開のソウジの喋りが確実に彼女のセンサーに引っかかったと予感できた。
「へえー。新人の子と組むことにしたんだぁ」
「まあ……そんな感じで」
なんだか思わせぶりな口調の比翼子さんに、やる気なく返す俺。もうこの後の展開はだいたい読めている。
「これは……新しい恋の予感ッ!!」
ほーら始まった。
この比翼子さんがどういう人種かを一言で説明するなら、“腐女子”とか“貴腐人”とか、そういう感じのアレだ。男と男を並べてどっちが攻めでどっちが受けだのと妄想するのが人生の全てみたいな人。そういう内容の薄い本を書いて売って買い漁る人。彼氏いない暦=年齢の筋金入り。ちなみに“ソリティアーナ”ってのは、“独り遊びをする女”って意味だ。
――なんか君ら、わりと興味ありそうな感じだが、それ以上訊かれても俺には答えようがねえぞっ!? そっちは専門外だっ。
「邪悪な腐れビッチの陰謀によって信頼と友情で結ばれたギルドメンバーとの関係を引き裂かれ、孤独へと追いやられる剣豪将軍……部下の裏切りによって死地へと追いやられるその様は、燃え盛る二条城での最期の時を思わせる……裏切り、孤独、そして絶望……心が闇色に染まっていく彼の元に訪れたのは……太陽のような笑顔をたたえた一人の若きサムライ……陽の光に照らされて、絶望の闇へと沈んだ彼の心もかつての輝きを取り戻していくの……そして二人はいつしか……デュフフwwwデュフフフwwwフォカヌポゥwwwww」
完全にスイッチが入った比翼子さん、こうなっちまったらもう誰にも止められない。
「えっ? ええっ? あ、あの、その……」
「おいソウジ、行くぞ」
「えっ? でも……」
「アレにつきあってたらそれだけで今日1日が終わっちまう」
さっきも言ったように〈ひよこ堂〉は1階にある。つまり、この近辺に用があるヤツは、全て〈ひよこ堂〉の前を通過することになる。この格好のウォッチング・スポットに拠点を構えて、妄想に耽るのがこの人の愉しみなのだ。
いわば〈変人窟〉の門番。
彼女の妄想の具材になることに耐えられない者には、ここから先へ行くことは不可能……ッ!
まあ、俺はすっかり慣れたし、ソウジはソウジで意味を理解してないようなので、さっくり無視して〈アメノマ〉へ向かうことにした。
◆5
〈変人窟〉はだいたい、上の階に行くほど“濃さ”が増していく傾向にある。
いちいち全部挙げてるとキリがないが……例えば、『メイド道を極める特訓施設』と称して日々謎の活動に勤しんでいるサブ職〈メイド〉オンリーのギルド〈メイドのあな〉とか。
横を通ると『萌~え萌~えキュンっ☆』などといった謎の呪文の合唱が延々と聞こえてきて、そこにずっと立っているだけで精神をやられること請け合いだ。本人たちが言うには、『料理を美味しくする魔法をかけている』らしいのだが、少なくとも俺には邪神復活の儀式か何かにしか聞こえない。
あとは、よく判らないセンスや基準でファッション性だとかスタイリッシュさだとかオサレ度合いを追求して、性能を度外視してとにかく見た目がカッチョイイアイテムの作成に専門化したギルド〈魔装院ヴティクリウム鳳凰〉――ギルドのネーミングからしてオサレすぎて訳が判らない――とか。
俺はアートとかヴィジュアル系とかそういうのサッパリなんで正直よく判らないんだが、見る人が見ればその価値が判るんだろう……たぶん。
いろいろな意味できわどい領域に踏みこんじゃう路線としては、同性愛者の人らで結成されたギルド〈アキバ2丁目〉なんてのもある。
――その説明だけだと冗談みたいに聞こえるだろうが、頭の中で妄想してるだけの比翼子さんと違って、現実の問題として、えーと、セクシャル・マイノリティっていうんだっけ? そういう、特殊な性の問題を抱えてる人らにとっては、自分の顔や名前といった個人情報を隠しつつ、性癖のほうは隠さずさらけ出して遊べる趣味の世界として、オンラインゲームの需要があるらしい。
――いや、こういう社会問題に踏むこむような重たいテーマも俺の専門外だから、くわしいことは判らないんだけど。今の話も又聞きの知識しかないし。
まあ、通りすがりに顔を合わせて挨拶したり、ちょっと世間話したり、たまにパーティ組んで遊んだりする程度の関係で判る範囲では、皆さんいい人でした。いや、だからってさすがに、ギルドの門を叩いてみようとまでは思わないが……。
幸いなことに、と言うべきか、刀鍛冶専門ギルド〈アメノマ〉は、上階よりもスペースが広い地下1階を、鍛冶場と売り場とギルドルームの3区画に改修して使っているため、最初の関門である〈ひよこ堂〉を突破するだけで到達できる。比較的、初心者向けのエリアと言えるだろう。(なんかダンジョン攻略の説明みたいになってるなァ……)
入り口のところにいる、売り場担当の顔なじみの〈交易商人〉に軽く挨拶しつつ、奥にあるギルドメンバー用のプライベートルームへと入ると、 そこには、褐色の肌に黒髪の、ドワーフ族の女性キャラ特有の幼い顔をした小柄な少女――〈刀匠〉の多々良が、俺たちを待っていた。
もっとも、この外見はあくまでゲームのキャラクターモデルのものだ。リアルで直接会ったことはないから、彼女が実際に褐色肌で小柄な童顔少女なのかどうかまでは知らない。
――ああ、そうだな、〈大災害〉後の今なら、プレイヤーの素顔とキャラクターモデルの中間みたいな見た目になってるから、ある程度察しがつくかもしれないが……あいにくと〈大災害〉後にアキバに行くことはなかったからなあ。
まッ、機会があれば確認してみたいとは思うが……〈都市間転送門〉も〈妖精の輪〉も使えない今、九州から東京へ行くのは困難極まりないから、その機会はなさそうだ。
「おいーっす、多々良っち。来たぜー」
「えっと、は、はじめましてっ! 今度ヨシテルさんとコンビを組むことになりました、新人のソウジロウですっ!」
ついさっきも聞いたセリフをそっくり再現するように、ソウジが緊張した様子で挨拶をする。
「……いらっしゃい」
対する多々良っちは、キャラクターモデルの見た目こそ可愛らしさ全開の媚びっ媚びなロリ系美少女なのに、そこから発せられるプレイヤーの声はそうした可愛さや媚びとは一切無縁、クールそのものだ。
彼女がドワーフ族を選択した理由は、鍛冶や細工などの生産関連に種族ボーナスがつくからという武骨極まりない理由なので、見た目に忠実に可愛いキャラクターを演出する気などさらさら無い。
人によっては不機嫌だと受け取りかねない様子の彼女だが、俺はそうした無愛想な態度が素の喋りだと知っているので、気にせずいつもの調子で話を振る。
「ほい、コレが昨日話したソウジな。将来のお得意さん候補だ。よろしくしてやってくれ。
で、ソウジ、こっちが多々良っちな。マゾ職で有名な〈刀匠〉を上限レベルまで極めた変人だ。刀に関する知識なら、ゲームのアイテムだけじゃなく、実在する日本刀のほうにも超くわしい。判らないことがあったら、なんでも訊くといいぞ。
……じゃあ、面通しがすんだところで、ふたりとも何か一言、挨拶とか」
ソウジはいいとして、多々良っちはほうっておくとだんまりだろうから、多少強引に仕切って会話を促す。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「……よろしく」
元気いっぱいなソウジに対し、テンション低い多々良っち。対極的な二人だが、声色に緊張感がにじむのは双方同じ。まッ、そのあたりは初対面だししょうがない。そこは仲介役の俺が話題作りをしなくちゃな。
「さて、せっかく知りあったんだし、時間も余裕あるし、ちょっとだべろうか。なんか話題ない? ……あ、フレンドリストの登録も忘れないようにな」
「そういうの、いいから。用事、早くすませてよ……」
「あっ、じゃあ、さっそく質問があるんですけど……」
さっさと話を切り上げたそうな多々良っちの機先を制するネタ振り、ナイスだソウジ。当然、俺はソウジのパスを拾いに行く。
「おう。なんでも言ってみ?」
「〈刀匠〉がマゾ職とか、〈刀匠〉を極めるのは変人って言われても、よく判らないんですけど……」
「おッ、いい質問だねえソウジくん! じゃあ多々良せんせー、回答をどうぞー」
多々良っちが受けられないと判っていてボールを投げる俺。これもコミュニケーションだ。
「…………」
「先生ー、回答をどうぞー?」
「……繰り返さなくても聞こえてる。そんなの、ヨシテルが説明してよ……」
「えー? 俺が喋るのー? まあいいけどさー」
さすがに、無口な多々良っちに喋り役をやらせるのは酷だと俺にも判っているから、適度に弄ったところでバトンタッチして、素人のソウジに生産職の仕組みや〈刀匠〉というサブ職の困難さについての説明をしてやった。
そのへんの細かい話は省略して、話を続けるとだな――
――え? 君らも説明が必要? さっきから〈刀匠〉がどうとか言われてもさっぱり判らない?
ああ、考えてみれば、そうか。ゲーム始めて2日目の当時のソウジと比べれば、それなりに遊んではいるだろうけど、君らは生産系ギルドってわけじゃないし、刀使いもいないから、〈刀匠〉なんてマニアックな職業には縁が無いか。
〈刀匠〉ってのはその名の通り、刀専門の鍛冶職人だ。〈鍛冶屋〉の派生系のサブ職業だな。
刀系の武器しか生産できないという制限があるかわりに、武器の性能や付加効果に〈刀匠〉固有のボーナスをつけられる。簡単に言うと、普通より強力な刀を作ることができる職業だな。
ある程度ゲームに慣れてれば、この説明だけで〈刀匠〉がマゾ職だって判るんだが――あー、判んない?
そこのおっぱいちっちゃ……じゃなくて! えーと、モデルのようにスリムな体型のよく気の利くお嬢さんが、〈調剤師〉のサブ職持ってるから伝わるかなーと思ったんだけど……。
じゃあ、ちょいと話が脇道にそれるが、〈エルダー・テイル〉の生産系サブ職業の仕組みについても、ざっくりと説明しておこうか。
退屈かもしれないが、〈大災害〉後の世界を生き抜く上では〈エルダー・テイル〉の仕組みを知っておくことは大事なことだろうし……何より、〈刀匠〉多々良という人物や、俺との関係を説明する上でも欠かせない話だしな。
まず、『基本的に生産職はマゾい』と覚えておいてくれ。極めようと思うと難易度が高く、大変な努力が必要になる職だと。
理由は単純で、強力なアイテムを簡単に大量生産できたら、ゲームバランスがめちゃくちゃになるからだ。
だから、生産系のサブ職は簡単にレベルが上がらないようになってるし、アイテムの生産に必要な〈レシピ〉を入手するのも、高レベルかつ強力なアイテムになるほど難しくなってる。
まあ、生産系っていってもモノによるしピンキリなんだが、ゲームバランスを左右するような強力なアイテム――例えば、強力な武器を作れるような職は、その中でも特に極めるのが難しい仕組みになってるな。〈刀匠〉もこの条件に見事にあてはまる。
しかし、生産職がマゾいっていうのは、裏を返せばそれだけやりこみ甲斐があるとも言えるわけで、だからこそ冒険そっちのけで生産職を極めようってプレイヤーは多い。生産専門のギルドが大小無数にあることからも判るだろう?
で、そこの〈調剤師〉の君が、このへんの感覚を認識してないのは、まだレベルが低くて、そこまでの苦労が必要な段階まで行ってないからだろうな。
それと、本格的に生産メインでプレイしてないから、ってのもありそうだ。
たぶん、『基本的な回復薬くらいは自前で生産できるようにして経費を節約しよう』みたいな感じで補助的に使ってる程度で、積極的に〈調剤師〉のレベル上げとかしてないだろ? 適当に薬作ってれば自然に上がるだろう、くらいに思ってるんじゃないの?
――へへっ、見事的中! まッ、こう見えても俺様はベテランプレイヤーなんだぜ? 君らが考えそうなことは、だいたいお見通しよ。
まあ、生産メインでやる気が無いなら、そのくらいがちょうどいいよ。サブ職の選択といい使い方といい、自分のことだけじゃなくて、パーティ全体への貢献まで考えた良い選択だと思うぜ。
だが、そんな〈調剤師〉の君が、『これから本格的に〈調剤師〉を極めるぞ! ありとあらゆる霊薬、秘薬を作れるようになってみせる!』とか言い出すと、話は違ってくるんだな。
〈守護戦士〉や〈施療神官〉といったメイン職業のレベルを上げるには、自分のレベルに見合った難易度のクエストをこなす必要があるのは知っているだろう? 弱っちいザコ敵を何体狩ろうが、経験値は1点たりとも増えない。
生産職のレベルアップもそれと同じで、低レベルの簡単に作れるアイテムを何百個作ろうがレベルは上がらない。自分のレベル相応の難易度のアイテムを生産しないといけないんだが……レベルの高いアイテムほど、〈レシピ〉の入手難度も高くなるし、作るのにも高価で希少な素材を要求される。レベルを上げるには、それを何個も作らないといけない。高レベルになると百個単位だ。
――な? 大変だろう?
そして〈刀匠〉は、その『基本的に全部マゾい』と言われる生産職の中でも、最強クラスにマゾいと言われている、極めるのが困難なサブ職の筆頭候補だ。
その理由も、最初に説明済みだ。『刀しか作れない』。これがポイントだ。
さっきも説明したが、生産職を高レベルにするには、高レベルのアイテムをいくつも作らないといけない。しかし、高レベルのアイテムを作るのには金がかかる。高レベルアイテムの〈レシピ〉や、その作成に必要な高レベルの素材アイテムを買うのに大量の金がいる。
その莫大な金額をどうやって稼ぐのか、ってのが問題になるのさ。……どうすればいいと思う?
――うん、その通り、『作ったアイテムを売る』が正解だ。作ったアイテムを売って、その金で素材を買ってアイテム作って、それを売って金にして、その金でまた素材買って……って流れを回していくのが、生産職の基本だ。
で、〈刀匠〉が作れるアイテムは刀しかないんだが、刀ってどの程度売れると思う?
装備品を作れる生産職でも、〈鍛冶屋〉や〈細工師〉あたりなら、金属製の装備やアクセサリの類は大半のプレイヤーが使う、というか使わないヤツの方が珍しいくらいだから、取引相手は無数にいる。需要の高いアイテムなら、作れば作っただけ売れるだろう。
しかし、〈刀匠〉は刀を使うプレイヤーにしか売れないわけだ。自分が使うつもりのないアイテムに大金を払う物好きなんて、普通はいないからな。
じゃあ、刀を使うプレイヤー、即ち〈刀匠〉の取引相手が、具体的にどのくらいの人数か、ざっと計算してみようか?
まず、メイン職業から、刀を装備できる職業を絞りこむ。〈武士〉〈暗殺者〉〈神祇官〉の3つだな。12のうちの3つだから、この時点で全人口の4分の1、つまり25%程度にまで減ってしまう。
実際は、職業ごとに人気不人気の差があって、12職の人口比率にはバラつきがあるから、ぴったり25%じゃないとは思うが……まあ、厳密に統計取ろうって話じゃないから、細かい部分はいいだろう。
で、その3つの職業のヤツが全員刀使ってるかっていったら、そんなことはないよな?
〈武士〉は刀が人気ナンバーワン武器だが、槍や斧なんかの広範囲をカバーできる長柄武器系の人気もそれなりに高いし、他にも和弓使うヤツとかいろいろいる。多数派ではあるが、そうみんながみんな刀使ってるってわけでもない。
〈暗殺者〉は武器の選択肢が豊富だから、そのぶん武器1種類当たりの人口は少なくなるだろうな。隠密奇襲や急所攻撃向きの小型軽量武器か、飛び道具の人気が高い職だから、刀系だと短刀や小太刀の需要は高い。俺みたいに打刀や太刀を使うタイプは少数派だな。
〈神祇官〉は、前線に立って接近戦もこなすタイプなら刀が鉄板とされるから、前衛型の中では使用率が高い。ただ、回復職が前線に出るのはリスクがあるし、〈神祇官〉は和弓も使えるから、後衛型のほうが多い。職全体で見たら、刀の使用率は普通くらいに落ちつきそうだ。
そのあたりを踏まえると……おそらく全人口中の10%にも満たないだろうな。5%……はさすがに少なく見積もりすぎか? 間を取って7~8%ってとこか?
まあ、この時点でも、『ほぼ全てのプレイヤーに需要がある一般生産職』と、『全体の10%未満のプレイヤーにしか需要が無い〈刀匠〉』の差は明確だろう。
それに加えて、『別に刀を作れるのは〈刀匠〉だけじゃない』って問題もある。
刀だって金属製品だから〈鍛冶屋〉が普通に作れるし、他にも武器全般の作成を専門にする〈武器職人〉とか、芸術性の高い和風アイテムを作れる〈数奇者〉とかがあるんだよな。そういった他の生産系サブ職の連中に客を持ってかれるぶんも含めると、さらに少なくなる。
そうすると、〈刀匠〉のレベル上げっていうのは、『身銭を削って、売れるアテの無い刀を延々と何本も作り続ける作業』になる。
――なに? 『プレイヤーに売れないなら、NPC(大地人)に売ればいい』って?
それが、そういうわけにもいかないんだなー。
〈エルダー・テイル〉では、単純作業の繰り返しだけで簡単に稼げないように、NPCへのアイテム売却価格が低めに抑えられてるっていうのもあるんだが……一番デカいのは、NPCごとに取引可能な金額の上限が設定されていて、取引限度額を超えて売り買いすることができない仕組みがあることだな。その人物の所持資産や生活能力を超えるような買い物はできない、無い袖は振れない、っていう現実っぽさがゲームシステムに盛りこまれてるんだ。
低レベルのうちなら、作れるアイテムの金額もたいしたことないから、プレイヤーに売れなきゃNPCに売ればいいか、ってできるけど、レベルが上がるにつれて作るアイテムの金額も高くなっていくから、次第に売れなくなっていく。
実際、NPC――〈大地人〉の側に立って考えてみるといい。『装備レベル90のメチャ強い刀があります。金貨1万枚でどうですか?』って言われても、『そんな金がどこにあるんだ』『買ったとして、誰が使うんだそんなもん』ってなるだろう。
――『アイテム売って稼げないなら、普通にクエストこなして自力で稼げばいい』?
あー……まあ、最終的にはそうするしかないから、それが正解っていやそうなんだが、考えてもみてくれ。
高レベルのアイテムを作るのに必要な資金や素材アイテムを自分で調達しようとしたら、今度はそれ相応の難易度のクエストをクリアできるくらいにメイン職業の強さも必要になってくるよな?
メイン職のレベルも上げて、スキルや装備も整えて……そのためには鍛える時間もいるし、金だってかかる。生産やらずに普通に戦闘だけこなしてても、金が足りなくて困るなんてことはしょっちゅうあるしさ。生産と戦闘の両方を同時にこなそうと思ったら、必要な手間や資金が2倍になる計算だ。
とはいえ、生産だけでやっていけない以上は、2倍しんどかろうが、メイン職も鍛えて戦闘もこなさなきゃいけない。
多々良っちもサブ職の〈刀匠〉だけじゃなく、メイン職の〈武士〉も上限レベルまで鍛えてるし、〈アメノマ〉の他のメンバーも同様だ。活動内容からは生産ギルドに分類される〈アメノマ〉だが、資金や素材を自力調達する必要があることから、普通に戦闘もこなせるハイブリッド系ギルドに近い。
もっとも、多々良っちの場合は、自分で作った刀を自分で振り回したい、試し斬りしたい、っていう趣味の面も大きいとは思うけど。刀剣マニアだからな。
――だいぶ長くなったが、生産職を極めることの難しさや、〈刀匠〉が最強のマゾ職と言われる理由やその背景は判ったと思うが、どうだい?
たぶん、〈刀匠〉やってるヤツなんて、日本サーバー全体でも百人以下じゃないかなあ。その中でも、上限レベルまで極めたヤツってのは、十人にも満たないと思う。〈海洋機構〉なんかの一部の大手生産ギルドが1人か2人抱えてるとか、そんなもんくらいじゃないか?
ああいう大手ギルドは、『あらゆる職人がそろっているので、どんな注文にも応えられます』っていうのを売りにしてるからな。それに、マゾくて死にそうなレベル上げだって、『上限レベルの職人をそろえるために、儲けを度外視してギルド全体でサポートします』みたいな力技もできるしな。
そう考えると、有名な大手生産ギルドのメンバーでもない多々良っちが〈刀匠〉を極めているっていうのが、どれだけすごいことかってのも判るだろう? ここまで行くと、日本サーバー全体で3人いるかどうかも怪しいレベルの希少価値っぷりだと思う。