『空を泳ぐ魚亭』へ
気を取り直して『空を泳ぐ魚亭』へ向かう。
うん、どうせ明日も『金の雲雀亭』に行かないと行けなかったし、馬車に乗せてもらえるなら丁度よかったかもしれない。
昨日は結局、飲んで食べて騒いだだけで、ラナレスさんと全然お話できなったのだ。途中、あまり酔う前に、と世話役をお願いしたいことだけは伝えたけど、他のお客さんを放っておくわけにはいかないし、お店も忙しい時間帯だったし、ラナレスさんからも「最初の話だけは、酒を抜いてもらってから話すことにしている」と言われて、また後日、ってことになってる。冒険者と世話役との契約ともいえるような大事な話だから、酒抜きで、というのも十分納得できる。
目の前には『太古の雨亭』。
エンブレムは、雨が水面に落ちた時の波紋をデザインしたものらしい。
建物は決して新しくはないが、この街らしく頑丈で手入れが行き届いている。世話役の名に相応しく立派ものだ。
中は……ちらりと覗いたら、若い女性が十数人居た。冒険者らしい人もいるし、驚いたことに普通の街のお嬢さん、といった感じの人もいる。
冒険者が多いのはいいことなんだろうけど、今は昼少し前。冒険者に常識なんて求めたらいけないとは思うけど、依頼を請けているのであれば「お仕事」をしてるであろう時間帯だ。仕事と仕事の合間の休養期間というのもあるが、あの人たちはきっと違う気がする。
カッコいい2代目目当ての女性冒険者が多いって話だったけど、あの中にまともな依頼をこなせる人はいるのだろうか。あんな様子じゃ世話役続けてられるのかな、とちょっと心配になった。
ま、私は『金の雲雀亭』にお世話になるから、別に関係ない訳だけど。
地図によれば、『空を泳ぐ魚亭』は、『太古の雨亭』の通りから、脇の道に入り、更にもう一本細い道に入った所らしい。確かに近そうだ。
昨日のこともあるので、もう一度『太古の雨亭』とこの通りをよく観察する。4軒ほど先に、さっきお世話になったイエンツおじさんとおじさんのお兄さんのお店『ファルコ食料店』も見えた。ファルコさんが初代の名前なんだそうだ。
それから、脇の道に入る。周りもよく見て景色もしっかり覚える。で、最後の細い道も、曲がる場所、道の様子などをしっかり頭に叩き込んで忘れないようにする。
うん、昨日今日と失敗続きだけど、今度は大丈夫な気がする。ちゃんと覚えた、たぶん。
たどり着いた先にはちゃんと『空を泳ぐ魚亭』。
外見は『金の雲雀亭』や『太古の雨亭』とは比べるまでもない。頑丈なだけで、無骨な建物。宿を示す印と共に羽のついた魚のエンブレムが掛けられている。あのエンブレムは可愛い。
「こんにちはー。」
中も、外と同様に無骨で飾り気がない。まあ、冒険者相手の宿にそんなものを求める方が間違ってるかな。
昼が近いせいか、奥の厨房らしきスペースから、いい匂いがしている。
先ほどの『太古の雨亭』とは対照的に、お客さんはゼロ……、いや、隅の目立たない所に一人だけ。建物の中なのにフードを被ったままなのが怪しい感じだ。
お店の人を探してキョロキョロしていたら、奥のいい匂いがする方から、ドワーフの男性が現れた。
ドワーフというのは一般的に人間よりも背が低いものだけど、この人は人間の成人女性と同じ位の身長があった。つまり、ドワーフにしてはとても背が高い。そして、ドワーフ男性らしく、がっしりとして筋肉質な体型。身長は同じで、見た感じ横幅は3倍といったところだろうか。厚みも2倍くらいありそうだから、単純に考えて体重は6倍? いや、筋肉質だから、もう少しあるかもしれない。
そして、その顔がなんといっても特徴的といえるだろう。イエンツおじさんの息子さんが「恐い」と繰り返していたのも頷ける。顔の下半分を覆うひげに、ぎょろりと睨むような目。更に今まで料理をしていたのだろうが、手に持った包丁が凶悪さを倍増させている。
「何の用だ?」
唸るような声まで恐ろしい。
確かに、悪役とか悪人を絵に描いたような人だ。
おまけに客商売で、やってきた客(であろう人物)に対して言う台詞ではない。普通は「いらっしゃい」あたりだろう。
が、この、子どもが見たら泣き出しそうな悪人っぷりは私にとっては懐かしさを感じさせた。具体的にはここからひと月ほど離れたところにいる偏屈な魔術師を思い起こさせた。
この2人と同じチームだったのなら、イゼベルさまも、さぞ大変だっただろう。いや、イゼベルさまのあの人当たりの良さは、この2人と一緒だったからこそかもしれない。
「あ、はい。
私、セレスト・モニエと言いますが、ジェロニモ・バッシさんにお手紙と伝言を預かってきました。ジェロニモさんですか?」
ほぼ、確信はしていたけど、一応聞いてみる。
「ジェロニモは俺だが、誰からだ?」
「“南の交易都市”のイゼベルさまからのお手紙です。あと、伝言はエリヤ師匠からです」
イゼベルさまからのお手紙を渡しながら、先を続ける。
「あの、私、エリヤ師匠の弟子なのですが、この度、こちらの“東の砦”で冒険者をすることにしたんです。で、こちらでご厄介になりたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……」
沈黙は、手紙を読んでいる間中続いた。顔を上げもしない。が、目元が僅かに緩んでいるので、全く恐くない。師匠なら、こういう時、読みながら愚痴や不平不満が山のようにでていることだろう。僅かに変わる目元を見ながら、内容を想像するのは楽しいとさえ思えた。
「で、イゼベルは元気なのか?」
ようやく顔を上げたと思ったら、全く別の話だ。まあ、師匠にもよくあったことだ。
「はい、エリヤ師匠もイゼベルさまも、とてもお元気でした。
こちらに出発する少し前にも3人で薬草の採取に行ってきたんです」
「……あの偏屈魔術師は別にどうでもいいが」
「はい。
『お前の宿屋が潰れてなければ、うちの馬鹿弟子を泊めさせてやるといい。数少ない常連客になるぞ、よかったな』と仰ってました。
エリヤ師匠とイゼベルさまの冒険者仲間だと伺いました。私も、師匠やイゼベルさまの昔のお話が聞けたら嬉しいです」
「あの偏屈魔術師は、相変わらず減らず口ばかり言いおって……。
まあ、偏屈魔術師の弟子というのは気に食わんが、イゼベルの頼みなら泊めてやっても構わんだ――」
「やった!
久々の常連さんになってくれそうなお客ですね!」
ジェロニモさんを遮るようにして奥から歓声が聞こえた。
同時にパンとシチューを持って現れたのは焦げ茶色の髪の青年。
ロイ、と名乗りながら、立ったままだった私を手近な椅子に座らせ、前のテーブルに食事を置いていく。「果実水と蜂蜜酒、どっちがいい?」と聞かれて、思わず「果実水を」と答えてしまった。さすがに昨日の今日で「酒」と言うほど馬鹿じゃない。て、そうじゃなくて。
「ロイ、誰が食事を出せと言った?」
ああ、ジェロニモさんの目元がまた険しくなっている。
「え? だってそろそろお昼の時間ですよ。
食べるよね?」
「あ、はい。じゃ、いただきます」
朝は結局ほとんど食べられなかったし、ようやく二日酔いも抜けてきたから、食べられそうだった。むしろ、お腹がすいてきた。
ジェロニモさんがぶつぶつ言いながら奥に戻っていく。どうやら、食べてもいいらしい。
「あ、なんか、イゼベルさまの味に似てる……」
「当たり前だ。俺がイゼベルに教えたんだからな」
どん、と目の前に置かれた皿には甘い匂いのパイが一切れ。
試作品だから味の保障はない、と言われたけど、こんないい匂いで不味かったら、それこそ詐欺だと思う。
「ジェロニモさんが、イゼベルさまに?」
「『ジェロ』でいい。ジェロニモさんなんて長ったらしく呼ぶやつは、この辺にはいないからな」
「はい、ジェロ親方」
うん、さっきは判らなかったけど、確かに『親方』って感じかもしれない。
ジェロ親方も顔を顰めたけど、何も言わなかったということは、いいということだろう。
少し恐いけど、それ以上に懐かしいジェロ親方に、イゼベルさまを思い出す美味しい食事。
とりあえず、まだまだ判らないことも多いけど、宿だけは当たりだ。
口の悪い偏屈魔術師と悪人顔ドワーフ戦士がいたら、恐くてまともな依頼が(というより依頼人が)こないと思います。人当たりのいい美人のイゼベルさまが交渉を一手に引き受けていたんでしょう。
今回も読んでいただき、ありがとうございました!