まゆるぎ
真夏の夜のファミレスは、気だるさと人工的な明るさに満ちていた。もう深夜の二時を回っているからか客はまばらで、店の奥の喫煙席に座っているくたびれた背広姿のおじさんの吐く煙が、窓際の席にいる私たちの所まで流れてくる。縦縞のエプロンを着けた店員たちはみんな疲れた顔をしており、満面の笑みがどこか引き攣って見えた。有線放送のチャンネルはヒット曲メドレーに合わされているらしい。最近流行っているアニメの主題歌が流れ始めると、花音の表情がほころんだ。曲のリズムに合わせて、人差し指でとんとんと机を叩く。
私はほっとして、アイスのほとんどとけてしまったクリームソーダを一口飲んだ。ストローで混ぜると、透き通った緑色のソーダにゆっくりと乳白色が広がってゆく。美しく、どこか退廃的だった。私はしばらくの間じっとグラスを見つめ、そして重く怠い頭を上げた。
お気に入りの曲が終わってしまい、花音の表情はまた暗く沈んでいた。白い蛍光灯の光が彼女の肌をべったりと塗り潰していて、まるで血の気のない仮面のようだ。ワンピースの黒と対照的だった。
現実感を欠いている。夏の夜というのはときどき、こんな夢のような空気の立ちこめることがある。夏祭りの夜とか、林間学校のサマーキャンプとか、田舎にあるおばあちゃんの家の庭でやる花火とか。
いつかきっと私は今日のことを思い出して、夢だったのか現実だったのかも分からないと思うのだろう。
クリームソーダをもう一口飲む。ねっとりとした甘さが舌に張り付いた。
「ねえ、沙織ちゃん。まゆるぎって、ホントに死んだのかな」
花音は目線を落としたままそう言って、皿の上のポテトを一本つまんだ。口に運ぼうとして、途中でゆるゆると腕を机の上に落とす。ポテトが煙草のように見えた。焦げた嫌なにおいは、まだ私たちの周りに漂っている。
「お葬式、終わったじゃん」
「そうなんだけど。そうなんだけど、さ。私たち、最後まであの子に会わないままだったから。いきなり亡くなったって言われても信じられないよ」
花音ののっぺりしていた顔が、くしゃりと歪んだ。ぽとり、と涙が落ちる。
まゆるぎ。眉村ゆるぎ。私たちの親友だった子。中学から高校までずっと同じクラスで、卒業した後もSNS上では交流を持っていた。ただし、実際に顔を合わせたのは十年前が最後。
病気だったわけでも、事故に遭ったわけでもない。ましてや、自ら……ということもない。
本当にいきなり、何の前触れもなく、彼女の訃報が届いた。
「ねえ、沙織ちゃん」
花音の声で、はっと我に返る。自分が奥歯を噛みしめていたことに、痛みで気付いた。
「実は私、同窓会のグループラインにお葬式の日付が貼られるずっと前に、まゆるぎから手紙もらってたんだ」
「え……?」
おずおずと、花音は黒いバックの中から青い封筒を取り出した。波打ち際がデザインされていて、半分が海、半分が砂浜の色に染められた封筒だった。
封筒を傾ける。すると、ころんと透明な玉が滑り出した。机の端に向かって転がっていくそれを、花音が慌てて拾い上げる。
「ビー玉?」
「分かんない。まゆるぎからの手紙には、これを三つ集めれば扉が開く、って書いてあった」
「三つ? 扉? 何それ」
花音が、私に玉を差し出す。手のひらでそれを受け取る。ひんやりと冷たい、透明なガラス玉。
「私、どうしたら良いのかな」
花音の涙混じりの声が、蛍光灯の無機質な白い光の中で溶けた。
私の実家は、山の麓にぽつりと建っている。両親は既に眠っているようだが、玄関のライトだけは付けたままにしてくれていた。帰って来たのは一年ぶりだったが、体に染みついた習慣で、ポストをなんとなく開ける。
「え……」
海の切れ端が、そこにあった。
さっき花音に見せられたのと同じ封筒が入っていたのだ。
いつ届いたのだろう。親が取り忘れていたのだろうか。
その場で、封を切る。不格好に破れてしまうが、それどころではない。
手のひらの上に、透明な玉が転がり落ちた。一緒に入っていたのは小さなメッセージカードで
「沙織、花音、××。玉を三つ集めたら、私たちの行きたかった世界の扉が開くよ。私は先にそこに行ってる。会いに来て」
と、ブルーブラックのインクで書かれていた。
喪服のポケットをまさぐる。花音から預かった玉と、私に送られてきた玉を、両手に掲げる。その瞬間、しゅわーっと玉の内部がサイダーのように泡立ち、みるみるうちに青い薔薇のような花が咲いた。
私はそのとき、やっと気付いた。
これは夢だ。そして多分、玉を三つ集めるまで覚めない。
この世界は今、夢を見ている。
東京へと向かう飛行機の中で、私は何の変哲もない二つのビー玉を、窓から射し込む日光に透かしていた。気泡がきらきらと輝き、楕円形の影がスカートに落ちる。
昨日あったことが全て、悪い夢だったような気がする。真っ黒な服の群れ、揺れながら溶けてゆく線香の煙、むせび泣く高齢の女性……
それらは紛れもなく現実だった。信じたくないけれど。
そして、現実であるはずのない夜の夢の名残が、今こうやって手の中にある。
数十分前に、私と花音は空港で別れた。花音も東京行きに乗るが、私より一本遅い飛行機の予約を取っていた。話をするために、わざわざ早く来てくれたのだ。
観光客でごった返すターミナルの隅で、私たちは立ったまま向かい合っていた。彼女の胸元でリボン結びされた花柄のスカーフが、ひらひらとエアコンの風に揺れていた。夜のファミレスと同じ白い蛍光灯に照らされているのに、健康的で現実的なぱっきりとした光景だった。昨日幼い子どものように泣きじゃくっていたのが幻かと思えるほど、花音は日々に疲れた大人の顔をしていた。
「まゆるぎからの手紙、沙織ちゃんも見た?」
「うん……」
「花音、沙織、そしてもう一人。インクが滲んで読めなくなってたけど、その子にもビー玉が送られてるってことだよね。沙織ちゃん、心当たりある?」
「全然ない」
学生時代、私とまゆるぎ、花音はいつも三人で行動していた。登下校も、授業でのグループ活動も、どんな時でも三人でぴったりくっ付いていた。他の誰かが入る隙間なんてなかったはずだ、少なくとも私の記憶の中では。
「高校のときの知り合いで、まだ連絡先の分かる人はあんまりいないけど、できるだけ当たってみる。沙織ちゃん、東京帰ったらちゃんとご飯食べて寝るんだよ」
「えっ?」
花音は微笑んで、自分の目の下を指でなぞった。
「くま、できてるよ」
「あれ……寝たはずなんだけどな」
そのとき、搭乗ゲートが開いたことを知らせるアナウンスが鳴った。
「じゃあね、また近いうちに会お」
花音が手を振る。彼女が住んでいるのは北海道で、しかも幼い子どももいる。今度会うための時間を作れるのなんて、何年後になるか分からない。
いつもなら空虚な約束だと思うけれど、今は予感があった。
――まゆるぎが、私たちを引き合わせてくれる
「うん、またね」
私はリュックサックを背負い直し、歩き出した。
私の記憶の中のまゆるぎは、いつも何かと戦っているような少女だった。
校則の厳しい学校だったが、彼女は自分の納得したルールにしか絶対に従わなかった。膝下丈と決まっているジャンパースカートの裾から膝小僧をのぞかせていたし、肩についた髪をゴムでまとめもせず、切りもしなかった。ただ漢字を数百回書き取りするだけの宿題は一切やらなかった。
教師に殴られることは幾度となくあった。しかし、彼女は決して自分を曲げなかった。遺影は最近撮られた写真のようだったが、目の下に傷跡が残っていた。化粧で隠しきれない痣。
あれは確か、中学二年生のときだったと思う。何が原因だったのかは、今となっては思い出せない。担任の教師にひどくなじられている花音を庇おうとしたまゆるぎを、教師が殴りつけた。
白い床に、真っ赤な血が飛び散った。転んだときに机の角で目の下を切ってしまったまゆるぎは、すぐに立ち上がり、涙のように鮮紅色の血を流しながら教師の顔をにらみつけた。
今でも、あの姿を忘れることはできない。
私の貸したタオルで傷を押さえて、一言も喋らずに三人で保健室へと歩いたあの日の燃えるような夕焼けを、私は決して忘れない。
羽田空港からは、電車で自宅まで帰る。観光客でかなり混んだ車内で、私は窓に向かって立っていた。電車がトンネルに入り、窓ガラスが鏡に変わる。
「ほんとだ……」
私は、くまのできた目の下をそっとなぞった。不意に涙があふれ出す。
「絶対、会いに行くからね」
ポケットの中のビー玉を取り出す。それは無色透明で、昨日見たはずの薔薇は影すらなかった。
仕事の昼休み、私は自分のデスクでコンビニ弁当を黙々と食べていた。窓の閉じられたブラインドの隙間から、ぼんやりとした光が漏れている。お誕生日席の部長が日光に縁取られながら大きく伸びをして、部屋の外に出て行った。それを待っていたのか、隣の席の浅田さんがぐいっと私の顔をのぞき込んで来た。
「沙織センパイ、なんかつかれてません?」
「あ、友だちにも言われたわ、クマができてるって。やっぱり長旅だったからかな」
「違いますよー! つかれてる。霊的なものに」
「は?」
浅田さんの目は真剣そのものだった。
「なんか……霊感とかあるんだっけ?」
困惑する私の服の袖を、彼女はちょいちょいと引っ張った。
「ちょっと、あっちで話しませんか?」
薄暗い廊下を、浅田さんは私に背を向けて早足で進んでいく。ポニーテールにされた茶髪の先が、ぱたぱたと揺れている。チェック柄の事務員服が体にぴったり張り付いて、肩甲骨の動きがはっきりと分かるのがどこか奇妙な感じがした。普段はそんなこと、全く気にならないのに。
図書室のドアを浅田さんが開ける。ほこりっぽい空気が、喉に引っかかった。思わず咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「うん」
内側から鍵をかけ、彼女は壁際のソファにどんと腰掛けた。腕と脚を組み、むっつりとした表情で床の辺りをにらむ。
「……私の家は代々、きょうかいもりなんです」
「きょうかいもり?」
「そう、境界守。あっち側から来るものをあっち側に戻すのが役目。それは冥界の霊のこともあるし、地球外のインベーダーのこともあるし、そして」
浅田さんの視線が、私に向けられる。正確には、私の腰の辺りに。ハッとして、ズボンのポケットを押さえた。そこには、ビー玉が二個入っている。
「それが、どこから来たものなのか私には分かりません。今までに見たことがないものだから。ただ、とてつもないエネルギーを内包していることは分かります。適切に供養しないと、大変なことになりますよ」
「亡くなった友だちにもらったの。三つ集めて欲しい、って。でも、三つ目がどこにあるのか皆目見当も付かなくて」
「なるほど……。それなら私、協力しますよ。そこにあるのと同じ種類のエネルギーに鼻がきくので」
浅田さんと目が合う。彼女はにんまりと笑った。
「センパーイ! 海、すっごく綺麗ですね!」
麦わら帽子に結ばれた紺色のリボンと、白いワンピースの裾が、潮風にさらさらとなびく。フェリーの展望デッキの柵にもたれかかり、彼女は行く手の島をながめている。
ぴっかぴかのマリンブルーの海に、真っ白な彼女の姿は映えていた。
私は目を細め、そしてため息をついた。
特に仲が良いというわけでもない後輩との二人旅に、既に疲れきっている。何しろ彼女は元気で騒がしいのだ。
やれやれと天を仰いだ後、視線を前に戻すと、いつの間にか浅田さんがすぐ側に寄って私の目をのぞき込んでいた。表情が強張っている。
「私たち、今、境界を越えてしまいました」
ドキリ、として、上着のポケットの中のビー玉を取り出した。
透明な球の中に、海よりも濃い真っ青な薔薇が咲いていた。
日本海に浮かぶその島の人口は、約三万人だそうだ。
フェリーから降りた私たちを待ち受けたのは、なだらかな山を削って造られた、灰赤色のレンガ造りの町並みと、その頂上に立つベールをかぶった女性の石像だった。最初見たときはマリア像かと思ったが、十字架がどこにもなく、片目に眼帯をしているという奇妙な造型だった。彼女は両手を広げて、町全体を見守っているようだ。
「それで、浅田さん。【気配】はどうなの?」
そう聞きながら彼女の方を見る。ぎょっとした。浅田さんは目を大きく見開いて、驚愕したように固まっていた。
「あ、浅田さん?」
ハッと我に返ったのか、生気の戻った笑顔で振り向く。
「取りあえず、観光案内所に行きましょう。私、お腹空いちゃいました。美味しいお店、教えてもらいましょ」
「遊びに来たんじゃないんだから……」
「まあまあ、そう言わずに」
浅田さんに引っ張られながら、レンガの敷かれた坂道を上ってゆく。盛り上がっている所や、レンガの剥がれた所が何カ所もあって、足を取られそうになる。足下ばかりを見ながら歩いていると、ふと浅田さんが立ち止まった。転びそうになりながら、顔を上げた。真っ青な空と、赤い町で、くっきりと二つに分かれた視界。その中央を貫く女性の像……私は、息を呑んだ。
像が首を傾けて、明らかに私たちの方を見ている。
「う、動いた……」
そのとき私はやっと、今自分が夢の世界にいるのだということを自覚した。
上着のポケットの中のガラス玉を取り出す。真っ青な薔薇の花弁は、今まさに開いたばかりのように潤んでいる。
「お嬢さん、気を付けなされ」
年配の男性の声に、ギョッとして振り向く。民家の玄関の前にあるステップに、白髪のおじいさんが座っていた。縦縞のシャツの上にモスグリーンのジャケットをはおり、足下は使い込まれた革靴だった。この町で初めて見た人間だった。
「あの像は、失った片目の代わりになるものをずっと探している。そのガラス玉も、狙われとるぞ」
思わず、玉をぎゅっと握り直した。浅田さんが、おじいさんに向かって一歩踏み出す。
「私は境界守です。こっち側じゃなくて、あっち側の。だから分かります。あの像の本当の目玉が、この町のどこかにあることが」
「そうか……お嬢さんらは訳ありのようだから、話しておこう。我々の先祖が、強大な力を持った彼女をこの町にとどめるために、片目を奪って隠したんだ。彼女の力を恐れた悪いものが、この町に寄りつかないように。平穏が訪れた。しかし、我々は呪われた。こちら側の世界におとされてしまった。さあさあ、お嬢さんらは早く元の世界にもどりなさい! 彼女に大切なものを奪われる前に!」
浅田さんが私の手をとる。
「センパイ、行きましょう!」
がたがたしたレンガ道を、私たちは全速力で駆け抜ける。港に、ちょうどフェリーが到着したところだった。桟橋に足をかけたとき、
「あちらに見えますのが、××島です。数百年前までは人が住んでいた記録が残っていますが、地下から湧き出す有害物質のせいで島民は死に絶え、今でも人の近付くことのできない状態となっております」
スピーカーから流れ出す、観光ガイドさんの声。
いつの間にか、私はフェリーの展望デッキの柵に体を預けて立っていた。すぐ隣で、浅田さんが目を細めて荒れ果てた島を眺めている。
「はずれでしたねー。限りなく近いエネルギーの気配だったんですが……。ごめんなさい、旅費は全部私が出します」
「いいよ、別に。浅田さんとの旅行、けっこう楽しかったから」
ぼふん、と浅田さんの頬が上気する。何を照れているんだろう、この子は。よく分からない。ただの社交辞令なのに。
上着のポケットの中からガラス玉を取り出す。それは何の変哲もない、透明な玉だった。
浅田さんとの旅行が終わってから一カ月、私の日常はいたって平穏であり、あのガラス玉に関する不思議な現象も全く起こらなかった。ただ淡々と仕事をこなして、台所のシンクの中にコンビニ弁当の殻を積み重ね、面白くもないSNSのショート動画を延々と回し続ける日々。そんな毎日に一つだけある彩りは、浅田さんがそ昼休みに手作りのお菓子をわけてくれるようになったこと。
「センパイ、お菓子っていうのは普通の料理と違って、テキトーっていうのが通用しないんですよ。繊細なんです」
職場から徒歩十分の公園のベンチに並んで座っている。初秋の日差しはどこか儚げなのに、気温はまだまだ高い。浅田さんの羽織っている淡い水色のカーディガンが、木陰で少しだけ冷めた風に揺れる。
私は小さなビニール袋に詰められた白い金平糖を、一つずつすくっては歯で潰した。
「金平糖って手作りできるんだねぇ」
「美味しいですか?」
「うん」
こんなのんびりした会話をしていると、何もかもが夢だったような気がしてくる。まゆるぎの死も、花音の涙も、遠い過去の学校生活も。
現実が薄れて、ガラス玉の中の薔薇や女神のいる島の風景と混じり合って、何が本当に起きたことなのかも分からなくなる。
ぼんやりと、空を見上げる。羊雲……
そのとき、カーディガンのポケットの中のスマホが鳴った。慌てて画面を開く。
「花音?」
電話に出たとたん、スピーカーから焦った声があふれ出した。
「三つ目の玉、見つけたかもしれない!」
花音との待ち合わせ場所は、まゆるぎの実家のすぐ近くにあるコンビニだった。烏羽色のワンピースに身を包んだ花音は、初対面である浅田さんを目をまん丸にしながら見て、それから私の方に神妙な顔で向き直った。
「まゆるぎのお母さんには、もう連絡してるから」
「うん」
それ以上の言葉が出なかった。浅田さんに、境界を越えてしまったかどうか確かめたかったけれど、花音に不審がられるのが嫌でできなかった。ポケットの中のガラス玉は、ただの透明な玉だった。
まゆるぎの家は、ひいおじいさんが建てたというそこそこ立派な日本家屋だ。玄関から出て来たお母さんは、魂が抜けてしまったようにうつろな目をしていた。
日本家屋特有の、甘くどこか重みのある空気が懐かしかった。お母さんは浅田さんの存在には特に触れてこなかった。恐らく、自分の知らないまゆるぎの友人だと思ったのだろう。
ふすまを開けたとたん、線香の香りが漂った。仏壇には、年配の方々の写真と並んで、まゆるぎの写真もあった。大学の卒業式の写真だろう。桜の柄の振り袖と袴を着て、幸せそうにピースしている。その笑顔から目を離せなくなっている私の肩を、花音が軽くつついた。
「ほら、これ」
「あ……」
仏壇の隅で、白い玉が光っていた。
「義眼……」
「中学生のときに、私をかばって教師に殴られて、失明したんだったよね。なんでもっと早く、気付かなかったんだろう。まゆるぎはただ、私たちに会いに来て欲しかっただけだったんだね」
花音が嗚咽を漏らす。私はただ呆然と、その潰れたような形の眼を見つめ続けていた。
「まゆるぎ……」
花音の肩を抱いて、ぎゅっと引き寄せる。私たちは額を寄せ合って、ひそやかな声で泣いた。
浅田さんと二人、新幹線が来る予定のホームに立っていた。
吹き抜けた風が、彼女の髪をかき上げる。
「まゆるぎは産後の肥立ちが悪くて、亡くなった。父親は誰か分かんないらしいけど……手紙に書かれてたもう一人って……」
浅田さんは何も言わず、泣きそうな目で私を見た。
ポケットの中には、もう何もない。ガラス玉は二つとも、仏壇に供えてきた。私たち三人は昔よく、学校の帰りに駄菓子屋で瓶ラムネを買っては分け合っていた。そのことを思い出すのにも、ずいぶん長い時間がかかってしまった。
「センパイ。あっちの世界であったことはきっと、すぐに忘れてしまうと思います。私は境界守だから立ち会えてしまうけれど、本当はその人の夢の中だけで起こることだから」
「そっか……」
「私は、役目が終わったので」
そう言って、背を向けようとした彼女に、私は思わず声をかける。
「お願い! これからも、あなたの手作りのお菓子が食べたいの」
振り返った彼女の目元には、きれいなガラス玉みたいなしずくが光っていた。
【おわり】




