第13話(小話)「ハードボイルドでいきましょう」
誰でも一度は、ウーロン茶や麦茶を使ってハードボイルドを装ったことがあるはず!
偽理学園という名の高校には購買、食堂などの定番な売店とは違うちょっと変わった店がある。
その店は第七号館地下一階にある洒落たドアの先にあった。
『バーYAMAZAKI』
そこは教師から生徒までこの学校の者なら誰でも入れる飲み屋だ。
生徒には出さないが教師がたまに来るのでさまざまな種類の酒が置いてある。
教室くらいの広さで明かりは少し暗めに設定されており、落ち着いた雰囲気を楽しめるお店としてちょっとした人気がある。
だが、あまりにも隠れたところにあり知ってる生徒が少ない。
今日もまた、店が静かに開店した。
今日いる店員はマスターである山崎さん、バイトである田中くんの二名だけだ。
学校が始まったばかりということもあって今日はほとんど客がいない。だが、いつも静かなので普段とそれほど変わりはない。
(チリーンチリーン)
店内に流れるBGMが入り口のドアに付いてある鈴の音でかき消される。
「いらっしゃい」
マスターがガラスのコップを拭きながら入ってきた客を見ると、長い髪が特徴の可憐な男子生徒だった。
「おや、あなたは噂の……。いえ、気にしないでください。ただの独り言です」
マスターはカウンター席に腰掛けたその生徒の前に水とお絞りを置いた。
「何か飲みますか?」
「ウーロン茶を」
「かしこまりました」
マスターは曇り一つないコップに氷を三つ入れ、ウーロン茶を注ぎ込む。
「どうぞ」
その生徒はウーロン茶を一口飲みコップを置く。氷がカランと心地よく鳴った。
「……」
マスターは再びコップを拭き始める。
「……ちょっと独り言に付き合ってくれますか?」
「独り言に付き合ってください」とはこの店での隠語のようなものだ。この言葉を使う人は誰しも悩みを抱えており、誰かに伝えにくい状況に陥っている。その悩みを、グチを静かに聞いてくれるのがここのマスター山崎だ。
「実は今日大掃除があったんです」
その生徒は話を始める。
「入学式からここは不思議なことが多かったんですけど、今日は特に酷かったんです。和室にあった人形が動き出したり、掃除場所が崩壊したり、友人が黒板の後ろに隠されていた襖に引きずり込まれていったり。私、もうわけがわからなくて」
その生徒は頭を抱えるようにうずくまった。そうとう溜め込んでいたようだ。
「……」
「もうこの学校にいられる気がしないんですよね」
「……」
「親は旅に出ちゃうし。友達は皆他の学校で新しい生活を始めているのに私はまだ立ち止まっているようで」
しばらく黙って聞いていたマスターはコップを別のに持ち替えながら言った。
「もう、はじまってますよ」
「えっ?」
「あなたはこの学校に入った時点でもう始まっているんです。自信を持っていいですよ。貴方のご両親が旅に出たように、ご友人が新しい生活を始めたように、貴方もとても個性的な道を歩き出してますから」
マスターは拭いていたコップを置く。
「お茶のおかわりはいりますか?ちょうどおいしいお茶が入ったんですよ」
「あ、はい」
マスターは先ほどの冷たいウーロン茶ではなく温かい緑茶を入れ始めた。
「どうぞ」
マスターがテーブルに置いたのは綺麗な翠色の湯のみに入った、明るい黄緑色をした緑茶だった。
「まだ夜は寒いですから」
その生徒はお茶をゆっくりと啜った。
「おいしい」
その言葉に満足したようにマスターは笑顔を浮かべる。
「お会計は結構ですよ。その代わりと言っては何ですが、この学校を辞めないでくださいね。人がやることで一番いいことは最後までやり遂げること。一番やってはいけないことは途中で投げ出すことです。どうか、この学校を好きになってください」
その生徒は「はい」と呟いた。
「少し喋り過ぎましたね。忘れてください」
マスターは少し恥ずかしそうに言う。
「ありがとうございます。お茶、とってもおいしかったです」
その生徒はそう言って満足そうに店を出て行った。
店に最終下校時刻を告げる『ほたるのひかり』が流れる。
「そろそろ店じまいにするか。山田くん、あがっていいよ」
「お疲れ様です」
客が来ないと感じた山崎さんは後片付けを始める。結局先ほどの可憐な生徒以外今日は誰も来なかった。
「マスター、今日はちょっと多く喋っていましたね」
「ああ、不思議なものだね。あの子と喋っているとつい限度が過ぎてしまう。これからは気をつけるとするよ」
「そうしてください。あまり干渉しすぎるのもよくありませんから」
「そうだね。私達はあくまでも聞き手だからね」
マスターは楽しいことを思い出したように笑いながら、高い位置に設置された小さな窓を見上げる。
「おや、今日は綺麗な月が出ているようだ」
「ほたるのひかり」を聴きながら読むことをお勧めします。
別に意味はないですが。