理性の残火、略奪の夜 ①
その夜、森の邸宅を包む虹色の結界は、呼吸をするように脈動し、かつてないほど鮮烈なオパール色の光を放っていた。
時は満ち、リュカが十八歳を迎えた冬。
かつて雪の中で震えていた幼子は、見る者を平伏させるほどの峻烈な美貌と、一国をも滅ぼしかねない強大な魔力を備えた、完成された「雄」へと変貌を遂げていた。
深い夜、森を揺らす吹雪の音が遠くに聞こえる寝室。あなたが眠りにつこうとした時、鍵をかけたはずの扉が音もなく、けれど絶対的な力で押し開かれた。
「……リュカ。夜中に勝手に入るのはやめて、何度も言ったはずよ」
まゆは、震えそうになる指先を隠すように自分の手を握りしめ、冷徹なまでに端正なリュカの貌を見据えた。彼女の中にある「育ての親」としての理性が、必死に最後の防波堤を築こうとしていた。
「……まゆ。風の音がうるさくて、眠れないんだ。……あの日みたいに、また隣に置いてくれないか?」
リュカの声は、十八歳の青年らしい低さと、幼い頃の無垢さを精巧に模倣した甘さが混ざり合っていた。彼は迷うことなくまゆのベッドの端に腰を下ろし、シーツ越しに体温を探り当てる。
オパール色の瞳は、暗闇の中で潤んだ虹色に発光し、かつての「拾われた子供」としての悲哀を、最高に狡猾な武器として使いこなしていた。
「バカなこと言ってないで……戻りなさい。貴方は私の大切な……家族よ。こんなの、間違っているわ」
諭そうと体を起こした瞬間、リュカの長い指先が、まゆの手首を優しく、けれど逃げ場を塞ぐような確実さで捕らえた。
「間違い? ……ああ、そうだな。拾われたガキが、育ての親を組み敷いて愛を乞うなんて、これ以上の間違いはないだろうな」
リュカは自嘲気味に、けれど凄絶なまでに優雅に口角を上げた。
「……でもな、まゆ。その『家族』という名の檻に俺を閉じ込めて、安全な場所から愛でていたのは、あんたの方だろ? 俺はあの日、雪の中で拾われた時から、あんたに救われることじゃなく、あんたを略奪することだけを夢見て生きてきたんだ」
「……っ、リュカ、やめて……!」
リュカは、まゆの困惑を愉しむように薄く唇を歪めた。その表情はどこまでも優雅だが、掴まれているまゆの手首に、熱い魔力が脈動と共に伝わっていく。
逃げ場のない、至近距離。
「……もう、お姉さんごっこはやめろ。俺はあんたの弟でも、息子でもない。……あんたを狂おしいほどに欲している、一人の男だ」
「……離して! 貴方はどうかしているわ!」
まゆは必死に抵抗した。彼の胸を突き、その強い視線から逃れようともがく。
しかし、リュカはびくともせず、むしろその抵抗を愉しむように、まゆの手首を頭上へ固定した。
「……いいよ、もっと拒絶しろよ。あんたがそうやって必死に理性を保とうとすればするほど、それをめちゃくちゃに壊して、俺の色だけで塗りつぶしたくなるんだ」
リュカの瞳から、一筋の虹色の涙が零れ、まゆの頬に落ちた。
支配者のような強引さの裏側にある、捨てられた子供のような「絶望的なまでの孤独」。
「……まゆ。あんたが俺をこんな怪物に育てたんだ。……責任、取ってくれるだろ? あんたの慈愛で俺を狂わせたんだから、最後まで俺を『幸せ(リュカ)』でいさせてくれないと……俺、本当にあんたを殺して、自分も死んでしまいそうだ……」
その剥き出しの狂気と、悲痛なまでの愛。
まゆは、自分の理性が、彼の「涙」と「強引な体温」の境界線で、音を立てて崩れ去ろうとするのを感じていた。拒絶しきれない情愛が、彼女の身体を内側から焼き尽くしていく。
リュカは知っている。自分がどれほど美しく、そしてどれほど「まゆの良心」に深く根を張っているかを。
「……リュカ、……私は……」
まゆを優に超える逞しい体躯が、月光を遮り、視界を自分の銀髪だけで塗りつぶしていく。
「……言わせない。拒絶の言葉なんて、一言も。……今夜、あんたのその綺麗な理性を、俺の愛と執着で塗りつぶしてやる」
リュカはまゆの言葉を奪うように、深く、重い、そして「家族」という名の仮面を粉々に粉砕するような、略奪の接吻を落とした。
リュカはまゆの唇を離すと、肩で荒い息をつきながら、額を彼女の肩に預けた。
握りしめられたまゆの手首には赤みが差し、漆黒の瞳は、涙と困惑、そして認めがたい熱情で潤んでいる。
リュカのオパールの瞳は、拒絶されることへの凄絶な怯えと、それでも力ずくで奪い去ろうとする「狂おしいほどの恋心」が混ざり合い、美しくも恐ろしい虹色の光を放っていた。
「……っ、リュカ……、離し……っ」
「……嫌だ。そんな目で見ないでくれ。……拒まないで、まゆ」
拒絶の言葉を遮るように、リュカが絞り出した声は、驚くほど脆く震えていた。
あれほど傲慢にまゆを組み敷いていた力がふっと抜け、彼は縋り付くようにあなたの肩に顔を埋める。まゆの首筋に落ちたのは、冬の夜気よりも熱い、リュカの「涙」だった。
「あんたが俺を突き放すなら、俺はまた、あの雪の中で独りぼっちで死ぬのと変わらない。……そんなに残酷なことを、俺にするのか?」
彼は顔を上げ、涙に濡れた虹色の瞳で、あなたの漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、一人の男としての「飢え」と、捨てられることを何よりも恐れる「子供」の絶望が、狂おしいほどに混ざり合っている。
「……覚悟しておけよ、まゆ。あんたの理性が、俺を『一人の男』として求めざるを得なくなるまで、俺、一歩だって引いてやらないからな」
リュカはそう言い残し、翻した銀髪を月光に光らせて部屋を去った。
一人残されたまゆは、震える唇を指でなぞりながら、自分がもう「純粋な親」には戻れないことを、絶望と共に確信するのだった。
十八歳となったリュカの仕掛ける「日常」は、もはや平穏とは程遠い、鋭利な刃物のような緊張感を孕んでいた。
「……まゆ。髪が乱れている。……俺が直してやるよ。あんたは、じっとしていろ」
朝のダイニング。リュカは当然のようにまゆの背後に立ち、その細い首筋に触れそうな距離まで顔を寄せた。
精悍な貌は、かつての幼さを微塵も感じさせず、放たれる虹色の魔力は、まゆの漆黒の静寂を力任せに抉り取るような熱を帯びている。
(……怖い。……リュカの指先が触れるたび、私の境界線が、リュカの色で塗りつぶされていく……)
まゆは食事の手を止め、強張った背中で彼の気配を感じていた。
リュカは、まゆの髪を一房ずつ、わざと時間をかけて指先に絡まる。それは手入れという名目を超えた、明らかな「マーキング」だった。
「……リュカ、もういいわ。……自分でするから……」
「ダメだ。……あんたの体に触れていいのは、俺だけだって決めたんだ。……忘れたのか? あの夜俺が言ったこと」
リュカのオパールの瞳が、至近距離でまゆを射抜いた。
逃げ場を塞ぐようなその光は、かつての「捨てられた仔犬」の瞳ではなく、獲物を檻に追い込んだ捕食者のそれだった。
食事、読書、そして眠りにつくまでの僅かな時間。
リュカは「守護」という大義名分のもと、まゆのパーソナルスペースを徹底的に破壊していった。
彼が部屋に入ってくるたびに、空気が虹色の魔力で飽和し、まゆの呼吸は浅くなる。
「……さあ、今夜も俺が隣で寝かしつけてやる。……あんたが俺以外の夢を見ないように、俺の魔力をあんたの枕元に満たしておいたから」
リュカはまゆの寝室の扉に手をかけ、不敵に、けれど最高に艶やかな微笑を浮かべた。
それは、暴力的ではない、けれど一寸の隙もない「精神的な略奪」。
まゆの心は、二十四時間絶え間なく注がれるリュカの峻烈な視線と、彼が放つ圧倒的な「男」の熱量に削り取られ、次第に一睡もできないほどの極限状態へと追い詰められていった。
自分の育てた光が、自分を飲み込む巨大な影へと変わった絶望と、抗いがたい甘美な恐怖。
この「侵食」の果てに、まゆの理性は悲鳴を上げていた。
リュカの独占欲が、牙を剥いています。
『可愛い拾い子』だったはずの彼に、ここまで容赦なく追い詰められるまゆ……。
ですが、ご安心ください。神凪の巫女は、ただ流されるだけの存在ではありません。




