揺らぎの決壊、虹色の追跡 ②
凄絶な拒絶と懇願が混ざり合った魔力と共に、リュカはまゆを横抱きに抱え上げ、まっすぐ森の邸宅へ向かった。
十七歳の彼の腕は、かつてまゆが彼を抱いた時よりも遥かに太く、熱く、そして抗いようのない力強さに満ちていた。
リュカは一歩もまゆを歩かせようとはしなかった。
彼が歩むごとに、森の木々が意志を持っているかのように道を譲り、背後では虹色の霧が、通り過ぎた道筋を塗りつぶすように深く、濃く、立ち込めていく。
「……リュカ。……降ろして、……苦しいわ」
まゆがその胸に手を置いて押し返そうとしたが、リュカはそれを無視するように、さらに力を込めて抱きすくめた。彼のオパールの瞳は、もはや理性を失った獣のような、狂おしい虹色の光を湛えている。
「降ろさない。……あんたを地面に降ろしたら、また俺の前から消えてしまうだろ。……分かっているんだ、まゆ。あんたは俺を、一人の男としてではなく、ただの『拾い子』としてしか見ていない。だから、あんなに簡単に俺を置いていこうとするんだ」
邸宅の扉が開かれ、二人が中に滑り込むと、背後で重厚な音が響き、錠が降ろされた。
静まり返ったリビング。
リュカはまゆをソファに降ろすと、逃げ場を塞ぐように両膝をつき、彼女を閉じ込めるように身を乗り出した。
邸宅全体を覆う虹色の結界が、主の激しい独占欲に呼応して、かつてないほど鮮烈に、そして禍々しく輝き始める。窓の外の景色は歪み、もはやここが「外の世界」と繋がっていることさえ疑いたくなるほどの、完璧な隔離空間。
「……見てくれ、まゆ。俺が編み上げたこの世界を。……ここでは、あんたを脅かす風も、あんたの心を奪う古い図鑑も、何の意味も持たない。……あんたに必要なのは、俺の熱と、俺の魔力だけだ」
リュカはまゆの漆黒の髪を一房手に取り、その香りを吸い込んだ。
彼の放つ圧倒的な魔圧が、まゆの全身を震わせていた。
(……ああ。私は、なんて恐ろしいものを育ててしまったの)
まゆは、自分の喉が渇き、身体が震えている理由を、必死に「恐怖」だと定義しようとしていた。けれど、自分を見上げるリュカのオパールの瞳に宿る、捨てられた子供のような「脆さ」を目にした瞬間、彼女の中の理性が、致命的な亀裂を上げた。
「……リュカ。……貴方は、……私の……」
「『私の』何だ? ……息子か? 弟か?」
リュカは低く、落ち着いたトーンを保ちながらも、その言葉の端々に、隠しきれない刃のような渇望を滲ませた。
「……もう、そんな誤魔化しは通用しないぞ。あんたが俺に名前をくれたあの日から、俺たちは共犯者なんだ。……あんたが俺を狂わせたんだから、最後まで俺を『幸せ(リュカ)』にしてくれないと、俺、本当に……何をしでかすか分からない」
不敵に、けれど優雅に口角を上げたリュカ。
その瞳は、獲物を完全に檻に閉じ込めた悦びと、愛する者を略奪した背徳の光で、凄絶なまでに澄み渡っていた。
邸宅の外、虹色の霧はさらに深まり、世界から「森の邸宅」の存在を薄くしていく。
虹色の霧は邸宅の境界を曖昧にし、外界の音を優しく、けれど徹底的に奪い去っていった。
まゆはリュカの胸の中で、自分が育てた少年の熱情が、もはや「家族」という言葉では縛りきれない巨大な檻へと育ったことを、ただ震えながら受け入れるしかなかった。
あの逃亡劇の夜から、邸宅の空気は劇的に変わった。
リュカはあの日以来、一秒たりともまゆを独りにすることを許さず、彼女の視界の端には常に、銀髪を揺らす彼の精悍な影が寄り添うようになっていた。
もうすぐ十八歳になるリュカが編み上げた虹色の結界は、もはや「守護」の域を超え、邸宅を外界から切り離された独立した小宇宙へと変貌させていた。
窓の外には、季節を無視してリュカの魔力で咲き続ける花々が揺れ、まゆがかつて憧れた「母の図鑑で見た希少な花」さえも、リュカがどこからか根こそぎ持ち帰り、庭の特等席に植え替えてしまったのだ。
「……見て、まゆ。あんたが見がっていた花だ。もう、遠くまで行く必要なんてないだろ?」
リュカは、庭で花を眺めるまゆの背後に音もなく立ち、その細い腰を当然のように引き寄せた。
まゆは、自分の願いが「略奪」という形で叶えられたことに、形容しがたい恐怖と、抗いようのない甘い敗北感を覚えていた。
「……ええ、そうね。……ありがとう、リュカ」
まゆが力なく微笑むと、リュカはその漆黒の瞳を覗き込み、満足げにオパールの瞳を虹色に揺らめかせた。
ある日、まゆが古くなった筆記具を新調したいと零すと、翌朝には机の上に、王都でも手に入らないような最高級の品が揃えられていた。村のパン屋の香りを懐かしめば、数時間後には焼きたてのパンがテーブルに並ぶ。
(……あの子は、私の望みをすべて叶えてくれる。……けれど、それは私を『外』へ出さないための、美しき毒。私が望んでいるのは、花でもパンでもなく、自分の足で歩く自由だったはずなのに……)
まゆは、自分の理性が、リュカが与える「至高の安寧」によって少しずつ、けれど着実に削り取られていることに気づいていた。
夕食の後、リュカはまゆの膝に頭を預け、彼女の手を自分の頬に押し当てて、うっとりと目を細める。
「……まゆ。あんたのこの手は、俺を拾い上げるためにあったんだ。……そしてこの場所は、俺があんたを一生愛でるための檻なんだ。……いいだろ? 世界には、俺とあんたの二人だけで。……外の音なんて、もう聞こえないくらいに……」
リュカの声は、どこまでも優雅で、けれど逃げ場を塞ぐような冷たい熱を帯びていた。
彼は、まゆが抱く「育ての親」としての責任感さえも、自分の「孤独」という武器で巧妙に絡め取り、彼女をこの箱庭の宝として、そして自分だけの囚われの女神として祀り上げていく。
邸宅を満たす濃密な魔力は、主の執着を映してオパール色に怪しく揺らめき、二人の影を一つに溶かしていった。
まゆは確信していた。この静寂が破れるとき、自分たちは「親子」という名の仮面を脱ぎ捨て、後戻りできない奈落へと墜ちていくのだと。
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