虹色の温室、漆黒の救済
まゆが二年に及ぶ「秘密の背信」を秘めたまま、ついに迎えた三度目の結婚記念日。
青年としての鋭さに「一族を統べる長」のような落ち着いた色気が混ざり始めたリュカ。
彼は、強大な魔力を、相変わらず途方もない形へと変貌させていた。
リュカはこの日、まゆを驚かせるために、数ヶ月前から邸宅の離れに巨大な魔力を注ぎ込み続けていたのだ。
「……まゆ。……あんたに、どうしても見せたい場所があるんだ」
夕闇が迫る頃。リュカは背後からまゆの漆黒の瞳を大きな掌で優しく覆い、期待に満ちた少年のように声を弾ませて、彼女を邸宅の奥へと導いた。
重厚な扉が開かれた瞬間、全てを一瞬で忘れさせるような、芳醇な花の香りと柔らかな熱気がまゆを包み込んだ。
「……ここだ。まゆの好きな、北方の青い薔薇も、南の果ての陽だまりの花も……全部、俺の魔力で時を止めて、ここで咲き続けるようにしてやった」
そこは、リュカがまゆへの独占欲を形にした、新しい広大な「魔法の温室」だった。
透明な魔力の結晶で覆われた天井からは、彼の瞳と同じ虹色の燐光が降り注ぎ、世界中のあらゆる珍しい花々から、市場では滅多に手に入らない貴重な薬草まで、まゆの足元で咲き誇っている。
「……ここなら、あんたがわざわざ外の森へ行かなくても、世界中の美しさを俺の腕の中で見せてやれる。……もう、外の毒に触れる必要なんてないだろ?」
一輪の、瑞々しい雫を湛えた花を摘み取ると、まゆの漆黒の髪にそっと飾り、耳元で低く、甘く囁いた。
剥き出しの独占欲が、熱い魔力となって、まるでまゆの肌を灼くかのように。
(……ああ。リュカ、貴方は本当に、私を閉じ込めるためなら世界中を切り取ってでも持ってくるのね)
まゆは、目の前に広がる美しすぎる檻に溜息をつき、同時に、二年間温め続けた「漆黒」を握りしめた。
「……ありがとう、リュカ。本当に綺麗。……あのね、私からも貴方に、どうしても受け取ってほしいものがあるの。」
まゆは懐から、小さな黒いベルベットの小箱を取り出した。
中には、二年の歳月をかけて、まゆが生命を削るように魔力を練り込んだ、一対の漆黒のピアス。
まゆの瞳と全く同じ、深く、吸い込まれるような温かな闇を宿した魔石が、温室の虹色の光を飲み込むように艶やかに発光してる。
「……これは、……まゆの、瞳の色……?」
リュカのオパールの瞳が、驚愕と、それに続く凄絶なまでの予感に激しく明滅した。
「ええ。……リュカ。貴方はいつも『私を誰にも見せたくない』と言うけれど。……私も、貴方のその綺麗な虹色を、誰にも渡したくないの。……だから、お願い。私のこの色を、貴方の側に置いて。……貴方のその激しすぎる不安も、孤独も、全部私のこの色で守って(縛って)あげたいの」
まゆは、リュカの強すぎる力を鎮め・寄り添うために編み上げた「愛の呪縛」の結晶を、リュカの耳たぶにそっと穿った。
その瞬間。
リュカの全身を駆け巡っていた、制御不能なほどの虹色の魔力が、驚くほど穏やかに、そして深く……まゆの慈愛に包み込まれるように鎮まっていく。
「…………っ、……あ……」
耳元から伝わる、まゆの鼓動と、二年にわたる執念の熱量。
自分の「檻」を、まゆの「支配」が上書きしたのだと悟った瞬間、リュカは歓喜と陶酔に満ちた涙を流した。
「いつの間にこんなもの…………あぁ、……ずるいな、まゆ。……俺がまゆを閉じ込めているつもりでも、最後にはあんたのその深い黒の中に、俺を永遠に繋ぎ止めてしまうんだな……」
リュカはまゆを抱き寄せ、温室の花々が放つ香気のなかで、勝利を確信した魔王のように、けれど最高に救われた子供のように微笑んだ。
「……いいよ。あんたのこの色に守られて、俺……一生、言いなりになってやるよ。……あぁ、愛してる、まゆ……。これでようやく、俺、本当の安らぎを手に入れたんだな……」
温室を包む虹色の光は、漆黒のピアスの輝きと溶け合い、二人の「終わることのない蜜月」を、世界で最も美しく、重い沈黙で塗りつぶしていった。
漆黒のピアスがその耳元で重厚な光を放ち始めてから、数ヶ月。
邸宅を包む空気は、以前のような刺すような殺気を孕んだ独占欲から、深く、底なしの湖のように静謐な「慈愛の監禁」へと変貌を遂げていた。
完成された美貌を誇るリュカは、今、温室のソファでまゆを膝に乗せ、あの日贈られた漆黒の石を愛おしそうに指先で転がしていた。
「……リュカ。貴方、本当に最近……穏やかになったわね。前なら、私が庭の向こうを見ようとしただけで、世界が滅ぶような顔をしていたのに」
まゆが可笑しそうに、けれどどこか感慨深げにリュカの銀髪を撫でると、彼は不敵に、けれどかつてないほど穏やかに微笑んだ。
耳元のピアスが、まゆの魔力と共鳴して、トクトクと脈打つように艶やかな黒を放っている。
「……ふん。あんたの『色』が、俺の頭の中に常に流れ込んでいるからな。……まゆの穏やかな心音が、俺の狂気をずっと宥めてくれているんだ。……おかげで、あんたが窓の外を見ても、もう『逃げ出そうとしている』とは思わなくなったよ。……どうせ、まゆの魂の鍵は、俺のこの耳元で鳴っているんだからな」
リュカはまゆの首筋に顔を埋め、深く、深く、その花の香りを吸い込んだ。
かつての彼は、まゆを失う恐怖から彼女を縛り付けていた。
しかし今のリュカは、まゆが自分に授けた「支配」という名の愛を確信し、初めての「心の余裕」を手に入れたのだ。
「……でもな、まゆ。穏やかになったからといって、あんたを放してやるつもりは一ミリもないぞ。……ほら、今日はこのまま、俺と一緒に新しい魔導書の翻訳をしてくれ。あんたの手を、一秒も離したくないんだ」
リュカはまゆの指先を絡め取り、自分の漆黒のピアスを重ねるように見つめた。
かつては「嵐」のようだった彼の愛は、今や「深淵」のような静けさを持って、まゆを優しく、逃げ場のない安らぎの中へと沈めていく。
「……愛してる、まゆ。……あんたが俺をこうして『飼い慣らして』くれたおかげで、俺……ようやく、あんたと一緒にいることが、ただただ幸せ(リュカ)だと思えるようになったよ……」
虹色の温室に降り注ぐ光は、まゆの漆黒とリュカの虹色が溶け合い、完璧な調和を保っていた。
それは、一族の長い歴史の中で最も平和で、そして最も「濃密な執着」に満ちた、奇跡のような昼下がりだった。




