はじまり
7月12日それは父親の誕生日だった。いつものように家族でお祝いをしケーキを食べそんな何気ない日常を送っていた。そうそれが永遠に続くと思っていた。
7月13日、いつものように朝を迎え、この日は愛車の点検。父と私は一緒に車屋に行き、点検後はお昼ご飯を食べ、趣味の御朱印を集めているため、神社を参拝。父と一緒の時間を楽しんだ。だが、その日の夜、発熱、後頭部痛、食欲不振の症状が出た。水分は取っていたが、夕飯はなんだかいらないと訴えがあった。
7月14日、父親が自分の足でかかりつけ医を受診し風邪の診断を受け漢方薬だけもらった。私はその日夜勤であったため、夜は仕事にいった。その日の夜はやはり薬を飲んでも症状改善しなかったので、母付き添いのもと急患センターを受診しインフルエンザ、コロナの検査をして陰性。風邪の診断を受け、風邪薬、鎮痛薬を出されそのまま様子を見た。
7月15日頭痛、発熱持続し症状改善されなかった。別の病院に連絡したが、初診は受け付けていない、ほかの病院をあたってほしいと言われてしまった。最後に私のかかりつけ医のところに連絡すると来てほしいと話あり。私は父親を乗せて病院に迎った。そこでも風邪の症状の診断を受けた。そこの医師は、明日は病院が休みであるため症状改善しなかったら病院に明後日来てほしいとのことだった。
7月16日、解熱し頭痛はまだあるが落ち着いた。父が仕事に行くと訴えた。母と私はとめたが父は仕事に行くと聞かず、19時30分まで仕事をした。帰宅してから私に名前が書きづらいんだと訴えた。次の日病院に行こうと父に伝え、次の日病院に行くことにした。
7月17日再度病院に来院し、解熱していたが頭痛は変わらずあった。車から降りるときは右足に違和感がありバランスがとれずふらつく様子があった。診察してもらい、脳梗塞、脳炎の疑いがあるすぐに、医師会の病院に行きましょうと話あり。医師会まで行き、MRI検査をしてもらう。そして、脳外科の先生に診てもらうが重度の熱中症と診断される。17日からはごはんも水分もとれるようになった。
そして7月18日の夜中、その日を境に幸せな日常が終わる。その日は、私は夜勤でいなく、両親二人だけだった。母が夜中に物音したため様子を見に行くと、父がふらつきながら歩いている姿を発見する。寝室2階であったため、転落の恐れもあると思い一階で寝るように本人に促すが、廊下で寝たり、トイレの蓋を閉めたままトイレに座ったりと異常な行動があった。その後、体の震えが起こり体温測定すると、40.6度。母がすぐさま119番。母の付き添いのもと車で地元の病院に行き、救急外来にかかった。採血、点滴してもらう。尿意があるがおしっこ出ず。CT、レントゲンを撮り、尿閉、急性腎機能障害、尿路感染症の疑いと診断される。治療が必要であるためその病院に緊急入院した。
19、20、21日は連休であったので、専門医には見てもらえず様子を見ていた。私は夜勤明けで初めて父が入院したことを知る。
そして、ここからが命を考える時間が始まるのです。