『追手と戦火』
焼けた大地に、風が吹いた。
乾いた空気が、焦げた草を撫で、舞い上がった灰がリオ=アルドの髪に降り積もる。
学院を追い出されて、もう何日経っただろう。
辺境の村〈ルルカ〉からさほど離れていない廃街跡――かつて交易の要衝だったというが、今は瓦礫と崩れかけた石の残骸ばかり。リオはその中央を、ただ一人、ふらつくように歩いていた。
足元の泥は重く、乾きかけた血が靴と一体になっている。裂けた外套は風に翻り、頬を伝うのは汗か涙か、自分でももうわからない。
息を呑むたび、肺に煙の残り香が入り込む。
あの日――黒焔を使ってしまった、忌まわしいその日から、まだ二日しか経っていない。
それなのに。
(どうして……王国の追撃部隊が、こんなに速く……)
辺境の情報網など、王都からすれば盲点のはずだった。追撃が来るとしても数日はかかると思っていた。
だが実際には、足取りは完全に掴まれていた。
奴らの動きには、最初から一切の迷いがなかった。まるで、初めからこちらの逃走経路を知っていたかのように。
そして。
「リオ=アルド……貴様に帰る場所はない」
乾いた声が、朽ちた石柱の陰から響いた。
現れたのは、黒鎧に身を包んだ男。瞳には憎悪でも怒りでもない。ただ、任務を遂行する者の冷淡な決意だけが宿っている。
〈焔封の騎士団〉。
かつて五王国が共同で設けた、黒焔を封じるためだけの処刑部隊。
時代が変わっても、その役割は生き続けている。いや、今や“焔を狩ること”が彼らの存在理由だ。
「黒焔に触れし者は、万民を害す悪因。貴様は存在ごと、浄火に帰せられるべきだ」
その言葉に、リオは口元を歪めた。
「……勝手に決めるな」
足元を踏み締め、泥に埋もれた剣を引き抜く。
だが、彼自身もわかっている。剣術は人並み、術式は発動に長い時間がかかる。何より、黒焔――あの日発現したあの力は、まだ自分の意思で制御できる代物ではなかった。
今のままでは、勝てない、そう分かっていた。
足元を踏みしめる。
灰と血のにおい。空は低く、雲が重く垂れていた。
そして、騎士が剣を振り上げた、そのとき――
「観察開始。対象個体、接触レベルα。初期反応を確認」
女の声が、頭上から降ってきた。
直後、騎士の足元で爆風が弾けた。
「ッ……!」
「退けッ! 何者かが……ッ!」
煙の中に、黒衣の少女が舞い降りる。
銀の髪、紫の瞳。
身の丈に合わないほど大きな術式杖を背負い、無表情のまま敵を見下ろしていた。
「敵性存在三名。呪術術式、展開開始」
彼女が手をかざすと、空間に青白い“紋様”が浮かぶ。
それは、魔法とも術式とも異なる。
リオが一度も見たことのない、霊紋術――“呪い”の力だった。
「対象:駆除」
次の瞬間、地面から“影の腕”が現れ、騎士を地中へと引きずり込む。
「く、くそッ、なにを……ッ!」
「封殺完了。次」
手加減など、なかった。まばたきする間にだ。
少女の“呪術”は、冷たく、的確で、そして──容赦がなかった。
「……助けてくれたのか?」
戦闘が終わったあと、リオはようやく声をかけた。
少女はリオを一瞥したあと、無表情に言った。
「助けたつもりはない。観察していただけ」
「観察?」
「あなたの力。“黒焔”。私はそれに興味がある」
まるで、学者が珍しい虫でも見つけたかのような口ぶりだった。
「私の名は、セラ=フェンリス。旅の術士。黒焔に関わる“呪い”の研究をしている」
リオは思わず眉をしかめる。
「……俺の力は、呪いなのか?」
「分類的にはそう。“負の魔力”の強制発動。死との共鳴作用。あとは――あなたの体が、なぜそれに耐えられるか」
セラはじっと、リオを見つめた。瞳は微動だにせず、まるでリオの肉体の奥、魂の構造まで見透かそうとしているかのようだった。
「あなたは、おかしい。だから、私は観察することにした」
それが、彼女の“同行”の理由だった。
助けたいからでも、仲間になりたいからでもない。
ただ、“知りたい”という衝動だけ。
それでも――
「……好きにしろ。今さら、誰が傍にいても驚かない」
リオは背を向けて歩き出す。
セラは迷いもなく、数歩後ろに続いた。
足音は、ふたつ。
それでも、孤独ではないような気がした。
村に着いた。
その村は、丘の陰にひっそりと存在していた。
石積みの家々。干し肉の香り。子どもたちの笑い声。農民たちの視線。
どれも“普通”で、“穏やか”だった。
……ただし、俺が現れるまでは。