『黒焔』
この世界では「強大すぎる力」は忌み嫌われる存在だ。
「おい聞けよ、リオ、また最下位だったらしいぞ」
昼休みの訓練場、模擬戦績の結果が張り出された瞬間、背後からそのような声が聞こえてきた。
視線を向けるまでもなくその声の持ち主は分かっている。カイル=デロス。かなりの成績優秀者だ。剣術、魔術、学科成績、全て上位。教師たちの期待を一身に受けている男だ。
「逆にさ、ここまで最下位を貫けるってのも才能だよな」
……まぁ返す言葉もないさ。もうとっくにその悔しさと怒りはすり減っている。
どうせ不幸中の幸いが続いたんだ。記憶も血筋も才能もなくただただ拾われた孤児。
俺、リオ=アルドは、ここ〈セントアナ中央訓練学院〉に入学して半年。
剣術は平均以下、魔術は発動すらままならず、座学も壊滅的。
他の生徒が「次の王国騎士団はどこに配属されるか」で悩んでいるなか、俺だけは「いつ退学になるか」を気にしていた。
「お前、いつまでここにいるつもりなんだ?」
カイルが笑いながら肩を叩いてくる。
「剣も魔術もまともに扱えないなら、さっさと出ていけばいいのに…… いっそ黒焔にでもやられちゃえばいいのに」
その言葉に、周囲の空気が凍った。
“黒焔”――この世界では最も忌み嫌われる言葉。
かつて世界を焼き尽くしたとされる第六の王家が扱った、呪われし炎。
今やその存在すら「禁忌」とされ、教科書からも消された。
「おい、やめろよ……。その名前を口にしたら処罰対象だぞ」
別の生徒が慌てて止めに入る。
だがカイルはにやついたまま、俺の顔を覗き込んだ。
「お前さ……黒焔となんか関わりがあるだろ。雰囲気が似てるんだよ。“忌み子”って雰囲気と」
その瞬間、俺の体に熱が走った。鼓動が跳ねる。やめろ。
……その名前を、呼ぶな。俺は、そんなんじゃ――
「やめろ!」
気づけば、俺はカイルの胸ぐらを掴んでいた。
喧騒が静まり返る。
「……は? てめぇ、俺に手ぇ出したのか?」
次の瞬間、カイルの拳が飛んできた。反射的に身を引いたが、頬に軽く擦る感触と衝撃が走る。
生徒たちの声が一斉に上がり、誰かが教師を呼びに行った。
だがその瞬間だった。
――「啼き声」が、聞こえたのは。
「っ……な、なんだ、あれ……」
学院の敷地内、第二訓練場の壁が爆ぜる。土煙の向こうに、赤い目が見えた。
「魔獣だ……!」
「なんで市街地に……!?」
現れたのは、五体の“フェルゴア狼”。通常は深緑地帯にのみ生息する高位の魔獣だ。
鋭利な牙、黒鉄の毛皮、そして何より、人間に対する異常な攻撃性。
「全員、武器を取れ! 第一防衛陣形を――!」
教官の指示が飛ぶ。
……だがもう遅い。教官の声より早く、魔獣のうちの一体は一人の生徒に襲いかかっていた。
「危ない!」
その瞬間、俺の体が勝手に動いた。
距離は六十メートルほどだろうか。どちらにしよ間に合わないは許されない。
……焼けつけるような熱が腹の奥深から駆け上がる。
そして、俺の右腕から"黒い炎が噴き出した。
ごう、と音がした。
炎は一瞬で魔獣を包み込み、その巨体を跡形もなく灰へと変えた。
時間にして、わずか数秒。
音が消える。
俺の手にはまだ黒い焔が揺れている。その熱は心地よいほど馴染んでいた。
「……あれ、黒焔じゃ……」
誰かが呟いた。
「うそだ……黒焔って、もう滅びたはず……!」
突如、誰もが一斉に後ずさる。
助けたはずなのに、命を救ったはずなのに……
誰一人近付くことはなかった。
「そうか、これはそういう力なんだな」
“使えば、拒絶される”。
それが、黒焔という存在の宿命。
俺の鼓動は、まだ早鐘のように鳴っていた。
でもその奥で、もうひとつの声が囁いている。
「ようやく、目覚めたな。――我が王よ」
その声が誰のものかも、なぜ“王”と呼ぶのかも、わからない。
ただ――
俺の中の“何か”が、動き出したのは確かだった。
「……うわぁぁぁ!なんで俺が独房なんかに……!」
このとき俺は、牢屋にひとり、閉じ込められていた。
罪状は簡単。
“黒焔を使ったこと”。
それだけで、この世界では処刑対象とされてもおかしくない。
なんという理不尽さだ。
あのとき使わなければあの子は間違いなく死んでいたのに。
……でも、使わなければ俺は今ごろこんなことには……
少し後悔もしてしまった。ひ弱な男だよな。
「そもそもなんで俺はこんな力を持っている……」
午後、独房の鍵が開いた。
「立て。判決が下った。お前は学院を追放される」
事務的な口調で教官が言う。護送用の鎖を渡されるかと思ったが、それはなかった。
「処刑じゃないのか……?」
「お前の力が“制御不能”である可能性が高いと判断された。処刑対象になって変に暴れられても困るからな。いずれどこかで死ぬだろう、とのことだ」
「ふーん」
「荷物は門の前に置いてある。それで全部だ」
無言でうなずき、俺は学院の敷地を出た。
冷たい風が吹き抜ける。
外套も剣もなく、持たされたのは僅かな金貨と、食料袋ひとつ。
もう、ここに戻ることはない。
背後で門が閉まる音がした。
数歩、歩いたところで、木の影からひとりの少女が飛び出してきた。
「あの……!」
声をかけてきたのは、俺がさっき助けた人だった。
焦った顔、肩で息をしている。
何かを抱えていて、それを俺の荷物袋にぐい、と押し込んだ。
「水と……パン。あんまり持ってこれなかったけど……これ、あげる」
「……」
言葉がでない。
彼女だけは、黒焔を見て怯えながらも、最後まで逃げなかった。
「……みんな、怖がってた。私も……ちょっと、怖かった。でも、助けてくれたよね。私……ほんとは、ちゃんとお礼、言いたかった」
言葉が、胸に突き刺さる。
それは救いであると同時に、苦しさでもあった。
「……ごめん」
出てきた言葉は、それだけだった。
助けたのに、追い出された。
守ったのに、誰もそばにいない。
彼女が何か言おうとした声を、振り切るように歩き出した。
一歩、また一歩。
学院の街並みを背に、知らない道をただひたすら進む。
ポケットの中、ずっと握りしめていたのは、首飾りだった。拾われたときに、唯一、身につけていたものだ。
俺の過去は? 家族は? この力は、何のためにある?
誰も教えてくれない。
だから、自分で確かめるしかない。
「俺は……俺が何者なのか、知るために生きる」
風が冷たい。
だが、胸の奥は不思議と熱を帯びていた。
それはまるで、焔のように。