【第8課】ニホンゴハ、ヘン(ナ)コトバ?
――この世界で、“ニホン”という国は、もう存在しない。
今の歴史書には、ニホンという地名は記されていない。ただ、“遥か昔、文明の中心だった謎の島国”として伝承や遺物にその名が残る。
古文書に刻まれた回路図。光を発する魔導機(らしき箱)。「ミナサン コンニチハ」と書かれた、誰も解読できない自動音声の記録球――
「あの日、ニホンが“何か”によって姿を消した――」
研究者の中にはそう信じる者もいる。そして、今でもいくつかの「封印された遺構」がこの世界のどこかに眠っているという噂も……。
だが、いったいなぜ滅んだのか?なぜ言語だけが不自然に残り、文法だけが“遺産”として広がったのか?
タカシ自身、異世界に来た時から抱いていた疑問だった。
「もしかして、これ全部……“言葉”に何か仕掛けがあるんじゃ……?」
だが今は、それを調べる余裕はない。目の前の生徒たちに、日本語を届けるのが先だ。その先に、真実がある――そんな気がしていた。
◆
「オハヨウゴザイマス!」
「オハヨウ!」
今日も元気に4人の生徒が登場。タカシはいつものようにチョークを手に取る。
「さあ、今日は第8課。“ケイヨウシ”!」
「ケイヨウシ……?」
リリィが首をかしげる。
「カンタンに言えば、“キレイ”“オイシイ”“シズカ”とか、“どう感じるか”をあらわす言葉だな」
「キモチ……?」
「そう。“タノシイ”とか“コワイ”とか。“ヘヤガ キレイ”とか、“オチャガ アツイ”とか。人やモノの“ようす”や“気持ち”をあらわすニホンゴだ」
タカシは黒板に見出しを書いた。
● イケイヨウシ:「タノシイ」「アツイ」「オオキイ」……など
● ナケイヨウシ:「キレイ(ナ)」「シズカ(ナ)」「ユウメイ(ナ)」……など
「この“イ”と“ナ”のグループに分かれてるのが、ニホンゴのちょっと面倒なとこだな」
「センセイ、“キレイ”ハ“イ”デオワルノニ、“ナケイヨウシ”?」
ヴァイスが不満そうに眉を寄せる。
「うん、そこが“ヘンナ”ところだよな。たとえば“オイシイ”も“イ”で終わるけど“イケイヨウシ”、“キレイ”も“イ”で終わるのに“ナケイヨウシ”……これはもう、“そういうもの”として覚えるしかない」
「なぜ、ニホンゴハ、フベンナホウヲ エランダ……」
ユウトが天を仰ぐ。
「でも……センセイ!」
ユウトがぱっと顔を上げた。
「コレ、“カンジ”ニ スルト、ワカル カモシレマセン!」
「カンジ?」
「“オオキイ”ハ、“大きい”――“イ”ハ ヒラガナ。でも、“キレイ”ハ、“綺麗”。“イ”マデ カンジ。“ユウメイ”モ、“有名”デ、イマデ カンジ」
「おお……!」
タカシは目を見開いた。
「たしかに、“イケイヨウシ”の“イ”は送りがなになるけど、“ナケイヨウシ”は”イ”までが一つ語としてカンジに含まれるんだ!」
「でもユウト、よく”綺麗”なんて漢字知ってたな。初級レベルじゃないぞ、あれは。」
「”綺麗”は カクスウ が多くて、ウマク カケナイカラ、マイニチ 10回 カク。」
「……こいつ、マジでカンジ変態だ」
「じゃあ今日は、ひとりで文を作るんじゃなくて、“ペアワーク”をしよう」
タカシは二組に分ける。
「リリィとヴァイス、ユウトとクーニャ。相手の“キモチ”や“ようす”を、ケイヨウシを使って言ってみよう」
【リリィ × ヴァイス】
リリィ:「ヴァイスサンノ コエ……キレイナ コエ!」
ヴァイス:「アリガトウ。リリィハ……タノシイ ヒトネ。イツモ ワラッテル」
リリィが赤くなって俯く。
「……ヴァイスサンノ ハナ、イイニオイ!」
「ちなみに、”ハナ”も漢字で書くと2つあるからな。」
【ユウト × クーニャ】
ユウト:「クーニャサンノ ウゴキ……トツゼンデ、キケンナ ケモノ」
クーニャ:「ユウトサンノ ハナシ……ナガイケド、チョット オモシロイ!」
「チョット……!?」
クーニャ:「ケイヨウシ、タノシイネ。タベモノ、ヒト、モノ……ミンナ、コトバニ ナル!」
ユウト:「“ニホンゴハ、カンジト キモチノ マホウ”……カモシレナイ」
◆
黒板にタカシは書いた:
● イケイヨウシ: 〜イで終わる(アツイ、タノシイ、コワイ)
● ナケイヨウシ: 〜ナをつけて使う(キレイな、シズカな、ユウメイな)
→ キレイ/ユウメイは“イ”で終わるが“ナケイヨウシ”!
「今日は“言葉で気持ちを伝える”っていう練習だったな。ニホンゴはやっぱり、“気持ちの言語”だ」
タカシはふと、昨日図書塔で見つけた古い文献の一節を思い出していた。
『セイシン ト コトバ ガ ムスビツイタトキ、モノハ カタチヲ カエル』
「“言葉が気持ちと結びついたとき、モノが動く”……か」
まるで、それが“呪文”のように書かれていた。
……まさか、文法を極めると、何かが起きるとか?いや、まさか――
タカシは首を振り、笑った。
「さて……つぎの課は、“ナニガ スキデスカ?”だな」
――でも、“言葉にはチカラがある”。そんな確信が、ほんの少し、胸の奥に残っていた。
――つづく。