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【第4課】フン・ブン・プン?

王立学園《言語文化研究棟》の南側、一番奥。


そこが、俺――永田タカシの“職場”であり、“戦場”でもある。


異世界に転生してからというもの、ネイティブ話者として《ニホンゴ》を教えるという、わけのわからん役割を任され、俺は毎日必死に黒板と向き合っている。

 

だが、俺が来る前――この教室は、別の姿をしていた。

 

 

「実践授業……? フン。まるで冒険者ギルドの訓練じゃないか」


そう言って目を細めたのは、職員室の隅で大きな尻尾を揺らしていたリザードマン――ドラン・ザ・スケイル。筋肉と鱗に覆われたその体はまるで鋼鉄の要塞。口調は厳しいが、真面目で根は優しい熱血漢。かつて武術指南役だったが、今は“文献読み取り”専門でニホンゴの断片的知識を研究している。

 

「まあまあ、そんなカタイこと言わないで。彼が来てくれて、教室の空気も少し柔らかくなったでしょ?」


妖艶な微笑みを浮かべたのは、もうひとりの教師――ミネル・シェリア。妖精族の出で、いつも胸元の開いた服に軽やかなスカート。学園内でも“お姉さん先生”として人気を集めている。専門は古文の詩の韻律解析……要するに、めちゃくちゃ詩的な言葉の言い回しばっかり分析してる。

 

「ありがたいことに、俺は“読める”し“書ける”し“話せる”……らしいですからね」

タカシは苦笑しながら、コーヒーならぬ“黒き豆汁”をすすった。


彼ら二人もまた、ニホンゴの“研究者”ではあるが、どちらも会話を扱う授業はできなかった。過去の断片的な文献を写し取り、その文型や語彙を解析する日々――いわば“古文解釈”だ。


俺がやっているのは、“現代語”としてのニホンゴの、実用指導。


それがどれほど珍しくて、危険なことなのか……未だに自分でもわかってない。

 

 

「オハヨウゴザイマス!」


今日も教室には、いつもの元気な声が響く。今日一番乗りのリリィが手を振ってくる。


「オハヨウ、リリィ」


「センセイ、キョウハ“ジカン”ノ ニホンゴ、ヤルノ?」


「そう、第4課。“イマ、〜ジ〜フン デス”だな」

 

そのあと続々と入ってくるのは、例によって個性豊かな面々。


ヴァイスはいつも通り無言で自席に座り、鏡で前髪の流れを確認。ユウト=カンジはすでに「五分」「五ふん」「五フン」と書いたメモを取り出してブツブツ言っている。

 

 

「じゃあ、まずこの文。“イマ、ヨジ イップン デス”」


タカシが黒板にカタカナで書きながら言う。


「“イップン”……?」


ヴァイスが静かに手を挙げた。

「なぜ“ブン”ではなく、“ップン”なのですか?」

 

「う……」

出たな、“発音警察”。


「いい質問だ。でも正直、理由は……わからん!」

「……」


一瞬、教室の空気がピタッと止まる。


「いやいや、待て! こういうときは、言ってみるのがいちばんだ!」

タカシはチョークを置き、堂々と宣言する。


「では皆さん、“イチブン”と、“イップン”……両方言ってみて!」

 

「イチブン……」「イップン……」「イチブン……」「イッフン……?」「ニブン……ニフン……ニッフン……?」

 

教室内は、混乱と笑いで満ち始めた。

「センセイ、“ニブン”って、なんかもごもごする!」

「“ニップン”モ 言いにくい!」

「“ニッフン”ハ、なんだか、さらに雰囲気 だけ!」

「“イチブン”より、“イップン”ノ ほうが、イイ」

 

ヴァイスが眉を寄せる。

「……たしかに。“イチブン”は“チ”と“ブ”がぶつかって、声が滑らかに流れません」

「発音が自然じゃないってことか……!」

 

タカシは手をポンと叩いた。

「つまりな、“イップン”とか“ロップン”とか、“チ”や“ク”のあとに“フン”が続くとき、音がつながりやすいように変化したってことだ!」


「おん……がくてき な へんか?」


「そうそう。舌とか、口の形とか……言いにくいものは、言いやすい形に進化してきたんだよ。ニホンゴってやつは、そうやって自然に変わってきたらしい」

 


「……まるで、水が流れるみたいに?」

リリィがぽつりと言った。


「そう! すごくいい例えだな、それ」

 

「……言葉も、変わるものなのですね」

ヴァイスが少し納得したように、目を伏せた。

 

「言いやすさ」って、見えないけど大事なルールなんだな。

 

 

その日の黒板には、こう書かれた:

 

● 1分 → イップン

● 3分 → サンプン

● 6分 → ロップン

● 8分 → ハップン

→ 言いにくいとき、音が変化する!

 

ユウトがノートの端に「口唇・歯音変化」と勝手な名前をつけて記録していた。


「センセイ、ワタシ、“ジュウニジ サンプン”マデ ガッコウ!」

「お、それは“イイ ハツオン デス”!」

リリィがちょっと得意げに笑った。

タカシも自然と笑みを返す。

 

(今日もまた、ひとつ“音”の謎がとけた)

 

――つづく。


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