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【第3課】「ハ」は土台なんだ。

「まさか、“校内宿舎付き”ってのが、こういう意味だとはな……」

 

異世界に来て数週間。俺――永田タカシ(36)は、いまや王立学園の「特別語学教師」として、生徒たちに《ニホンゴ》を教えている。


“住居付き”という言葉に期待したのは、ちょっとした離れの一軒家とか、せめて下宿の一室。ところがどっこい、実際に与えられたのは――学園の地下にある小部屋だった。


窓はなく、狭いベッドと机と、あとカビ臭い棚がひとつ。元・魔法薬保管室だとか言ってたが、今でも夜な夜な何かがきしむ音がしていて怖い。

 

食事は一応、学園の食堂で出る。質素なスープと硬いパン、謎の緑色の煮物。給料は……まあ、贅沢しなけりゃ生きていけるレベル。たまに校舎の外れで干し肉を焼いてるオーク族の売店に行くのが、最近の楽しみだ。

 

それでも、不思議と不満はない。

教室に入れば、今日も待ってくれている生徒がいるからだ。

 

 

「オハヨウゴザイマス、センセイ!」

 

教室の奥から元気な声。誰よりも早く席に着いているのは、竜人族の少女――リリィ。

紫色の髪に小さなツノ。しっかり者で素直で、たまに詰まるけど、一生懸命話すその姿はちょっと見習いたくなる。

 

「オハヨウ、リリィ。今日も元気だな」


「ハイ! キョウハ、“ココ・ソコ・アソコ”!」

 

そう、今日のテーマは《ミンナノニホンゴ》第3課――「ココ」「ソコ」「アソコ」+「~ハ~デス」の文型。

 

教卓の前に立ち、古文書ミンナノニホンゴを掲げる。

 

 

「まず、“ココハ、キョウシツデス”」


「ココハ、キョウシツデス!」


三人の声がそろう。リズムも発音もばっちりだ。


「ソコハ、リリィ ノ セキデス」


「ソコハ、ワタシ ノ セキデス!」


「アソコハ、オーク センパイ ノ コウチャ ノ ミセデス!」


ユウトがなぜかテンション高く叫ぶ。貴族っぽい店名じゃないが、よしとしよう。

 

「じゃあ、これも。“リリィハ、ココデス”」


「リリィハ、ココデス!」

 

ここまでは順調……だった。

 

「センセイ、ワカラナイコト アリマス」


リリィが眉をひそめて手を挙げた。


「“ドコハ、ココデスカ?”……というのはおかしいデスカ?」

 

「……!」


ああ、来たか。その質問。


「リリィ、“ココハ、ドコデスカ?”は言えるよな?」


「ハイ。ワカリマス」


「でも、“ドコハ ココデスカ?”は……」


「ワカリマセン。オカシイ ノカ、オカシク ナイノカ、ワカラナイ……」

 

「センセイ、“トイレハ ドコデスカ?”ハ、普通に言います」


ヴァイスが補足する。


「デモ、“ドコハ トイレデスカ?”ハ、ヘン……」

 

「……言えるけど、変なんだよな。理屈じゃ説明できないけど、変」

 

俺は黒板を見つめながら、考えた。


(なんで“ココハ ドコデスカ?”は言えるのに、“ドコハ ココデスカ?”はダメなんだ?)

(“ドコ”も“ココ”も、“バショ”をさす言葉……でも、順番が違うだけで意味が変になる……?)

 

「……ユウト、“ハ”って何の役割だ?」


「“ハ”は、“ワダイ ノ ジョシ”と書かれています」


「話題、ってなんだ?」


「エート……“ナニ ニ ツイテ ハナスカ”、ということ……?」

 

(話題……何について話すか……)

(ってことは――)

 

「“ココハ ドコデスカ?”の“ココ”は、“話題”なんだよな。“ココ”って場所について、知りたいってこと」


「“ココハ……ドコ?”」


「そう。“ココ”という話題について、“ドコデスカ?”と説明を求めてる。だからこの文では、“ここ”が言いたいことの中心じゃなくて、話の土台なんだ」

 

リリィが、首をかしげたままぽつりとつぶやく。


「でも、“ドコハ、ココデスカ?”って言ったら、なんでヘンナノ……?」

 

「それはね……“ハ”っていうのは、“そのあとにいちばん言いたいことが来る”っていう助詞なんだ」


「いちばん……言いたいこと?」

 

「たとえば、“ココハ キョウシツデス”っていう文は、“ココ”っていう場所がどんな場所なのかを説明してるんだよな。つまり、“ココ”が話題で、言いたいことは“キョウシツデス”のほうなんだ」

 

「ウン、ワカル」

 

「でも、“キョウシツハ ココデス”になると、今度は“キョウシツ”が話題になって、その教室がどこにあるかが言いたいことになるんだよ。だから、“ドコハ ココデス”って言おうとすると、“ドコ”っていうわかってない情報が話題になっちゃう。わからないことを土台にするって、おかしいだろ?」

 

「あ……!」

 

リリィの目がぱっと開いた。

「“ドコ”は、知りたいことなのに、話題にしちゃったら、オカシイ……!」

 

「そう。“ドコ”とか“ダレ”とか、“まだわからないこと”は、“ハ”の前に置いちゃいけない。“ハ”のあとに来るのは、言いたいこと。だから、“ココハ ドコデスカ”は言えるけど、“ドコハ ココデスカ”は言えないんだ」

 

「“ココハ キョウシツ デス”と、“キョウシツハ ココ デス”も、ちょっとちがうってこと……?」

 

「うん、よく気づいたな。“ココハ キョウシツ デス”は、“この部屋って何?”って聞かれて答えるとき。“キョウシツハ ココデス”は、“教室ってどこ?”って探してるときに使う」

 

ユウトが、がたっ、と立ち上がった。


「ナルホド……“ハ”のうしろが言いたいこと! だから“疑問詞は話題にできない”……!」


「お前、突然ノッてきたな……」


「すごい……すごいです、センセイ!」


リリィが両手でノートを押さえながら、きらきらした目で見つめてくる。

 

ちょっと照れる。


「いや、お前らがいい質問してくれたからだよ」

 

(教えるって、やっぱり面白いな)

 

 

その日の黒板には、こう書かれた。

 

●「ココハ ドコデスカ」→◯●「ドコハ ココデスカ」→×

※「ハ」のあとは、いちばん言いたいことが来る。だから「ドコ」「ダレ」などの疑問詞は、「ハ」の前に来てはいけない。

 

「ココハ キョウシツデス」


「キョウシツハ ココ デス」


リリィはその二つを何度も声に出して読んでいた。

 

「“ハ”って、すごく……ふしぎ」

 

「うん。でも、それが“ニホンゴ”ってやつなんだよな」

 

――つづく。


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