表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/28

【第2課】コレ・ソレ・アレって、どこが違うの?

この世界には、「言葉」が二つある。


一つは、この世界の共通語。王国の民も、森のエルフも、ドラゴン族、リザードマンなども――皆が当たり前のように話す“異世界語”。もう一つは、過去に失われた古代語。学者たちはこう記す。

 

――《ニホンゴ》は、かつて神々の言葉だった、と。


今、その神語を教える者がひとり。

サラリーマン歴15年のしがないおっさん、永田タカシ(36歳)。駅の階段から転落したはずが、目覚めれば異世界。なぜか彼だけが、この《ニホンゴ》を理解し、話せるのだ。

今日もまた、彼の教室に、生徒たちが集まってくる――。

 

 

「こいつらの言葉、なんで普通に聞き取れるんだ……?」

異世界に来てからしばらく経つが、いまだに不思議に思うことがある。俺――永田タカシ(36)、元サラリーマン、現異世界ニホンゴ教師は、この世界の住人たちと普通に会話ができている。まるで、彼らが日本語を話しているように聞こえるのだ。

 

でもそれは違う。

実際には彼らの言葉は、この世界の共通語らしい。何百年も前から広く使われてきたらしく、書き言葉も話し言葉も、俺にとってはなぜか自然に翻訳されて耳に入ってくる。

 

つまり――

「異世界転生って、自動通訳機能つきらしい」

すごいのか便利なのか気持ち悪いのかはさておき、とにかく今、俺は“言葉の通じる世界”で教師をしている。


王立学園 ニホンゴ特別教室

「はい、では今日も始めます! 第2課、“コレ・ソレ・アレ”!」


教卓の前で、タカシは元気に教科書――古文書『ミンナノニホンゴ』を開く。見た目はボロボロだが、れっきとしたこの世界の“禁書”である。

 

今日は第2課、「コレ・ソレ・アレ」。“物の指し方”ってやつだ。シンプルなようで、意外と奥が深い。

生徒は、いまのところ3人だけ。王立学園の中でも“禁書”扱いの《ニホンゴ》を扱うクラスだからか、生徒の数は少ない。しかも、今いるのは一部の「コアな人材」だけらしい。


噂によると、「本物のネイティブ教師が来た」と聞いて、休学していた生徒たちが戻ってくるかも、なんて話もある。……怖いような、楽しみなような。


今日も生徒はこの三人:

 

◆リリィ=フロリーナ

竜人族の少女。まだ10代前半って感じで、紫色の髪に小さなツノ。真面目でよく笑う、癒やし系。語学のセンスはあるが、助詞と発音がちょっと苦手。ノートの書き方が丁寧すぎて、逆に遅れがち。今日も大きなノートを抱えてニコニコしている。


◆ヴァイス=アルセリナ

長寿のエルフ。見た目は16〜17歳くらいのクール系美少女だが、たぶん俺より年上。

金髪のウェーブに深い青のマント、貴族出身らしく言葉遣いも態度もいちいち尊大。でも、たぶん一番この授業を楽しんでる。口調は高圧的だが、実は一番ノリノリで発音練習している。 前回「ヨロシクって、ナンノ イミデスカ?」と詰め寄った張本人。


◆ユウト=カンジ

人間族の魔導士候補生。眼鏡、マント、分厚いノート。まさに“言語オタク”。「カンジ」とかいう謎の文字体系に異常な執着を持ち、「曖昧」「憂鬱」などの意味を延々と語る癖がある。……でも案外いいやつだ。今日も眼鏡の奥で目がキラついている。

 

「じゃあまず、“コレ”は、ワタシの近くにあるものだね」


タカシは手に持っていたチョークを掲げて言う。


「コレハ、チョークデス」


「“コレハ、チョークデス”!」と、三人は復唱。いい感じだ。


「じゃあ“ソレ”は、キミたちの近くにあるもの!」


リリィが机の上の羽ペンを持ち上げる。


「ソレハ、ペンデス!」


「グッド! で、“アレ”は、遠くにあるもの!」


窓の外の樹を指さすタカシ。


「アレハ、キ!!」


「アレハ、キィィィィ!」


ヴァイスが叫んで、全員大笑い。

 

(うん、今日は調子いいな)


――教室は和やかな空気に包まれていた。発音もバッチリ。ここまでは順調だった。

 

「……でさ、みんな。“コレ”は“私の近く”。“ソレ”は“あなたの近く”。“アレ”は“遠くのもの”。」


俺はそう説明しながら、ふと違和感を覚えた。


(……ん? じゃあ、あの机の上の本は?)


机はリリィとヴァイスの中間、俺から見れば少し遠いけど、リリィからは近い。じゃあ、“ソレ”か? “アレ”か?


「せ、センセイ……?」


リリィが困惑した顔で指をさす。

 

「え、えーっと……その本は……ソレ……いや、アレ……いや……ソレか?」


自分でも何を言ってるのか分からなくなってくる。


(やっぱり、ただの距離の問題じゃない……? 誰の視点で見てるか? “近い・遠い”って何を基準にしてるんだ……?)


そのとき――


ポトンッ。


「あっ、ごめんなさい、ケシゴム、落としちゃった……!」


リリィが慌てて、椅子の下をのぞき込んだ。


「……ああ、“アレハ、ケシゴムデス”だね」


俺は無意識にそう言っていた。


「センセイ、ドレガ アレデスカ?」

ヴァイスが、ちょっとズレた文法で指さしてくる。


そのうちに、リリィはサッと消しゴムを手に取った。


「ソレだよ、ソレ。ソレは リリィの ケシゴムだ」


「ソレ? アレ?」

 

混乱するリリィと、ヴァイス。俺も少し混乱してきた。


そのとき――ユウトが椅子の下をのぞきながら、ぽつりとつぶやいた。

「……でも、さっきは“アレ”って言ってたのに、今は“ソレ”って言いましたね、センセイ」


「え? ……ああ」


言われて気づく。


さっき、リリィの机の下に落ちた消しゴムを、俺たちは「アレ」って呼んだ。でも、リリィが手を伸ばしてそれを拾い上げた瞬間――自然と“ソレ”って言っていた。


誰かに教えられたわけじゃない。説明書を読んだわけでもない。ただ、気づいたら言葉が勝手に切り替わってた。

(うわ……こわっ。日本語って、こわっ)


距離で判断してるつもりが、そうでもない。リリィの位置は変わってないのに、俺の言い方だけがスルッと変わっている。しかも無意識に。

 

(……あっ)


俺は思わず、リリィの手元の消しゴムを見つめた。


(たぶん、変わったのは“距離”じゃない。“所属”だ――)


 

「……!」

 

思わず、言葉がこぼれる。


「“コレ”は自分のエリア、“ソレ”は相手のエリア、“アレ”は誰のものでもない場所にあるもの――か……!」


全員がこっちを見る。


「今、誰も手を出していない“落ちてる消しゴム”は、“アレ”だった。でもリリィが拾って“自分のエリア”に入れた瞬間、それは“ソレ”になった」


「なるほど!」


ヴァイスが目を細めてうなずく。


「“アレ”は宙に浮いた存在。“コレ”にも“ソレ”にもなれる、立場未定の物体ということか……」


「“無所属のもの”……オモシロイ!」


ユウトがまたノートに意味不明な図を描き始めた。


「センセイ、ヨク ワカッタ!」


リリィが笑顔で言う。なんだかんだ、俺も少し嬉しい。

 

(言葉の意味って、文法書じゃなくて使われる瞬間に宿るのかもしれないな)

 

リリィが感動したようにうなずいた。


「スゴイ……センセイ、アタマ イイ!」


「ううん、リリィがヒントくれたおかげだよ」

 

タカシは照れながら笑った。


(教えるって、教えながら学ぶことなのかもしれないな)

 

 

その夜、また一人、ノートに「コレ・ソレ・アレ」を繰り返し書いている生徒がいた。ユウト=カンジ。すでに彼は、新たな問いをつぶやいていた。

 

「“コッチ”と“ソッチ”と“アッチ”は、どう違うのか……」

 

――その謎が明かされるのは、もう少し先のことだった。


 

――つづく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ