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【第25課】“カエッテモ”、ボクタチ ニホンゴ ワスレマセン!



──実際は半年ほど前だが、もうずっと昔に感じる、本来の世界。


午前7時すぎの山手線。

車内には、いつもと変わらぬ人の波。

永田タカシ、36歳。都内の語学教材出版社で営業と編集を兼ねる、いわゆる“何でも屋”だった。


「……間に合った。ふう……」


ぎゅうぎゅうの電車の中、抱えたカバンには、日本語教育の教材サンプル。


その日、タカシはある日本語学校に営業に行く予定だった。

新しく出た『みんなの日本語・初級Ⅱ』の補助教材のプロモーション。AI教材の台頭で古いテキストの存在感が薄れつつあるなか、彼は「やっぱり“人が教える”って価値があるはずだ」と一人、粘っていた。


「俺は……ニホンゴを“教える人”になりたかったのかもしれないな」


そのとき、車内の吊り広告が目に入った。

『特集:世界で広がる日本語学習』


(ああ、そうだ。世界のどこかで、日本語を学ぶ誰かがいる。

 言葉が、人生を変えることもある)


そんなふうに思った――その瞬間。


耳鳴り。

眩暈。

そして、視界が白く染まっていった――。



──目を開けたとき、空は青すぎるほど青かった。


「オレは……死んだのか?」


気づけば、石畳の上。頭の下には乾いた藁。異様な静けさの中、タカシはうめくように身を起こした。


あれは……どれくらい前だっただろうか。


──もっと昔、異世界転移直後。


「目覚めましたか、賢者様……!」


金髪の巫女服の少女が、嬉しそうにタカシの手を握る。


「えーと、なんていうか……ヨロシク……?」


「い、今なんと!?」「ヨロシク!?」「伝説の言葉が!!」


王宮がどよめいた。


「あなたは……“コトバノ賢者”!伝承にある“ニホンゴヲ操る者”に違いありません!」


巫女服の少女――名をナビィ・ゲータというらしい――は、やや興奮気味に続けた。


「この世界には、失われた“古代文字”――ニホンゴが、あらゆるロストテクノロジーに使われているのです。完全に読み解ける者はおらず、ましてや話すことができる人なんておりません。」


(文字は残っているが、会話はできない。現代でいう古文みたいな存在か?)


「賢者様、お願いです。庶民のために“ニホンゴ”を教えてはいただけませんか!」


「この“ニホンゴ”を教え、多くの者に継承できたなら……おそらく“門”が、再び開かれるでしょう」


老いた賢者のような存在がそう言ったのを、タカシは今でも覚えている。


「“門”って……元の世界に帰れるってことか?」


「はい。“最初の学び”が完結すれば」


そう言って渡されたのが、あの一冊──

《ミンナノニホンゴ》だった。


そして、連れてこられたのが、今の「ニホンゴ教室」だった。


“教える”ことで、何かが動く。

それが“帰る鍵”になると、タカシはどこかで感じていた。



──現在、教室。


「さあ、いよいよ25課。“最終課”だ」


黒板に書かれた今日の文法:

 〜タラ / 〜テモ


「たとえば、“アメがフッタラ、でかけません”とか、“アメがフッテモ、でかけます”みたいに使う」


クーニャが手を挙げる。


「センセイ、タラって……サカナノ?」

「それは“鱈”だ!よく知ってるなそんな言葉。教科書には出てこないぞ」


● 雨が フッタラ、 さんぽを しません。

● テストが ムズカシクテモ、 がんばります。


「“〜タラ”は、“もし〜したら”って意味。

 “〜テモ”は、“〜でも”って、逆の状況でも気持ちが変わらないって表す」


セイアがふと顔を上げる。

「……センセイ。“コノ クラスガ オワッタラ”、センセイ ドウナルノ?」


タカシは一瞬、言葉に詰まる。


「……たぶん、帰る。“モトノ セカイ”ニ」


教室が静まり返る。


ユウトが口を開く。

「“カエッテモ”、ボクタチ ニホンゴ ワスレマセン!」


「“サヨナラヲ イワナクテモ”、キモチハ ツウジマス」リリィが続ける。


「……みんな、ありがとう。

 でも、まだ授業は終わってないぞ。最後まで、ちゃんとやり遂げよう」


──ペアワーク:仮定文の練習


「じゃあ今から、“〜タラ”“〜テモ”を使って、自分たちのことを話してみよう!」


【セイア&グンゾ】

「グンゾが コエ デナクナッタラ……ワタシが キモチ ツタエマス」

「セイアの キモチ、コエガナクテモ、オレ カンジラレル!」

(おいおい、グンゾ、お前が一番ロマンチックじゃねーか)


【リリィ&ヴァイス】

「ヴァイスが トツゼン トンデッタラ……ワタシ、オイカケル!」

「オイカケテモ、トドカナカッタラ?」

「トドカナクテモ、サケビマス! “マッテ!”」

(それ、絶対ヒロインのセリフだろリリィ……ヴァイス、顔が赤いぞ)


【ユウト&クーニャ】

「ワタシ、マホウ ツカエナクナッタラ、ユウト、オボエテ クレマスカ?」

「モチロン! クーニャガ オボエタカッタラ、ボク、ゼンブ オシエマス!」

(いや君、将来“日本語教師”向いてると思うよマジで)


教室には、小さな笑い声と、あたたかい静けさが満ちていた。

それぞれの“もし”と“たとえ”が、確かに未来を照らしていた。


──授業終了時


タカシは教卓に立ち、黒板を軽く叩いて全体に声をかけた。


「よし、今日はここまで!」


生徒たちが一斉に顔を上げる。


「明日はお休みだから、今日の“〜タラ・〜テモ”はしっかり復習しておけよ。明後日はいよいよ、期末試験だ」


「キマツ……!」とリリィが小さくつぶやき、周囲もざわつく。


「大丈夫。今までやってきたことを出すだけだ。いつも通り、やればできる」


タカシの声に、クラスは少し安心したようにうなずいた。




──放課後、校舎の裏庭。


「……“もしここを去ったら”、俺はまた、あの満員電車に戻るのか?」


タカシは呟いた。

ふと、カバンから《ミンナノニホンゴ》を取り出し、最終ページをめくる。


分厚い紙をめくる指先に、少しだけ力が入る。


思い出すのは、かつての日常。

電車に揺られながら、ふと思ったこと。

“教師になれたら”――ただの憧れだった。


けれど、今。


「……まさかこんな形で“日本語教師”になるとはな」


異世界、言葉の通じない地で、気づけば誰かに言葉を伝えることが“仕事”になっていた。


「……悪くない。悪くないけど」


タカシは教科書の背表紙をそっとなぞった。

《ミンナノニホンゴ 初級Ⅰ》


「家族も、友達も……俺の居場所は、やっぱりあっちの世界にある」

「帰りたいのか、帰りたくないのか……まだ、わからないな」


──つづく。


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