【第22課】コトバは不要? 〜竜神族の授業参観〜
◆
──朝、教師寮のキッチン。
異世界で、いつものようにトーストをかじっているのは――まあ、俺くらいのもんだろう。
「……ふぅ。今日も安定の“異世界小麦トースト”」
焦げ目がちょっと濃いめだったが、バターの代わりに地元産のフルーツジャムを乗せると、けっこうイケる。流しには昨日の洗い物がまだちょっと残っている。
窓の外を見ると、石畳の向こう、植物園の柵越しに小さな影が動いていた。
「あ、せんせーい! オハヨーゴザイマス!」
手を振っているのは、リリィだった。いつもの大きすぎるノートを抱えて、園芸用のローブ姿。朝の光の中で笑顔がまぶしい。
「おう、おはよう。今日も早いな」
「ハイ! マイニチ ミズヤリ スルノ、ダイジナ シゴト!」
「そうか。……なんか、最近とくに張り切ってるな?」
「……アノ、キョウ……オヤタチ、キマス」
「……ああ。」
「チチ ト ハハ、“ガッコウ” ミタイ、ト……。モンダイナイト イイナ……」
どこか落ち着かない様子で言うリリィに、俺はうなずくしかなかった。
(……竜神族の保護者か。昨日ミネル先生が言ってたけど、本当に来るんだな。)
俺はトーストを食べ終えながら、少しだけ深く息を吐いた。
◆
──前日・職員室。
「明日、リリィのご両親が授業を見学したいって申し出があったそうよ」ミネル=シェリアが、足を組んで紅茶をすする。
「……竜神族の保護者が? まじか」俺はトーストをのどに詰まらせそうになった。
「彼らは“言葉を超えた意思疎通”を常とする民族。コトバを学ぶという行為そのものに疑問を持っているわ」ミネルは静かに続けた。
「我々とは、価値観の次元が違う。気をつけるんだな。」ドラン=ザ=スケイルが腕を組んで言った。
「……やることは変わらないさ。“いつも通り”の授業を見せるだけだ」
(とはいえ、初の授業参観か。プレッシャーで胃がキリキリしてきた……)
◆
──午前、教室。
扉の横、教室の隅に、巨大な影がふたつ。リリィの両親――竜神族の来訪に、生徒たちがざわつくのも無理はなかった。
「……デカくね?」「いや、マジでデカくね?」クーニャとグンゾがひそひそと騒ぐ。
「……本物の竜神……観察記録つけてもいいですか」とユウト。
「さすがに緊張しますわね……」とセイアもそっと口にする。
だが、彼ら(竜神族)は、何も言わない。ただ静かに、黙って、こちらを見ている。その視線は、まるで“空気に目が生えた”ような存在感だった。
俺は喉を一度鳴らし、黒板にチョークを走らせた。
「さて、今日のテーマは――“連体修飾文”だ!」
板書
・ハハガ ツクッタ ケーキ
(文:普通形)+N
「これは、“ナニナニな〇〇”をつくる文だ。“誰がつくったの?”“どんなやつ?”って説明をどんどん前にくっつけて、最後に名詞が来る」
「つまり、“オレガ モッテイタ ノート”とか、“グンゾがカッタ ハンマー”とか、“セイアが アラッタ コップ”とか、な」
「“クーニャが タベタ ドーナツ”!」とクーニャが叫ぶ。
「自明のことはあえて修飾して説明しなくてもいいのでは?」とヴァイスが即ツッコミ。
「ニホンゴでは、説明をぜーんぶ前に置いて、最後に“これ!”って名詞が来る。“ハナシのオチが一番最後”なんだ」
「でも、それ……言ってる途中で忘れませんか?」とリリィが手を挙げる。
「いいところに気づいたな。でもそれが、日本人の話し方。実はな……これは“ニンジャの掟”にも通じてるんだ」
「ニンジャ……?」ユウトの目が光る。
「そう。“ニンジャ”はニホンの影の戦士。姿を隠し、心を隠し、最後の最後に真実を突く。“本心は最後まで見せるな”――それが彼らのルールだったらしい」
「つまり……連体修飾文は、ニンジャ文法……!」とユウトが勝手にまとめ始める。
「それ、カッコイイ!」とクーニャ。
「文化的背景としては理解できるけど、実用性にはやや疑問を感じるわ」とヴァイス。
「連体修飾文というものは、まさに“ことばの構築美”ね」とセイアがうっとりとつぶやく。
「……ふふっ」と、リリィがようやく笑った。
見学していた竜神の両親は、一言も発しなかった。ただ、じっと、見つめていた。
◆
──授業後、教室前。
チャイムが鳴り、今日もにぎやかに授業は終わった。生徒たちが順に退出していく中、リリィの両親が俺に声をかけた。
「……我らは、“十分”に見た」
「え……?」
「この子には、学びなど不要だと、改めて確信した」
「な、何を……!?」
「我ら竜神族にとって、“言葉”は補助にすぎぬ。我らは“見る”――」
その金色の目が、俺を真っ直ぐに射抜いた。
「いや、そう言われてもまずはリリィ本人とも話し合って……」
「お前は今、“止めなきゃ”と焦っている。“どう説得しようか”と、心の中で言葉を探している。だが、その言葉は、真実ではない」
「それは――」
「“言葉は飾れる”。“嘘も言える”。“沈黙より騙しやすい”。だからこそ、“真実の理解”には適さぬ」
リリィが、両親の傍に立っていた。小さな手でノートを抱えながら、でもその目は揺れていた。
「……待ってください。リリィは、ここで……ちゃんと、学ぼうとしていて――!」
「感謝はしている。この子にとって、良い経験だったろう。だが、“そろそろ終わり”だ。これからは、“竜神としての修行”を始める」
「そんな、勝手に――」
「タカシセンセイ!」
クーニャがドアの前で叫んだ。「勝手に持ってくなんてズルい!」
「彼女の選択の余地は……?」とセイア。
「リリィは……自分で“決める”ことを学びたくて、ここに来たんです!」とユウト。
その声に、竜神の父はわずかに首を傾けた。
「選ぶ? 決める? それは、“本当に望んでいたこと”なのか?」
鋭く、しかし静かに続ける。
「……授業の中で、お前たちが語った“ニンジャの話”――あれは、根拠も曖昧な娯楽だ。真実として伝えるには、あまりに軽い」
「……っ!」
確かに、今日の“ニンジャの掟”の話は、面白がらせるための半分ジョークだった。それを、今まさに“授業の根拠が甘い”と突きつけられるとは――
「そして、クーニャ」
「えっ、な、なに……?」
「授業中、お前の頭にあったのは、“次のドーナツの味”と“誰がくれたか”だけだった。“文”ではなく“おやつ”を見ていた」
「セイア」
「……。」
「“響き”に酔い、“構造”は見ていなかった。“言葉の旋律”に浸るだけで、仕組みを解明しようという意志はなかった」
「ユウト」
「……ッ」
「“リリィ”ではなく、授業を見に来た“我々”に目を奪われていた。“観察”していたつもりで、“彼女”は見ていなかった」
「お前たちの言葉は立派だ。だが、その“言葉”の裏にある“本当の想い”が、この場では、リリィに届いていなかった」
「それが、我らの結論だ」
誰も、何も言えなくなった。
自分の“心の中”をすべて見透かされたような感覚。それは、“恥ずかしさ”とも、“怖さ”とも違う、“無力さ”だった。
「だから言葉は、信じすぎてはならぬ。“通じたつもり”は、“通じていない”のだ。もう一度言う。我らには “言葉は不要”である。」
リリィが、俯いたまま、小さく言った。
「……ミナサン、アリガトウゴザイマシタ。ワタシ……チョット、カエリマス。デモ……」
クーニャは悔しそうに唇を噛んでいた。セイアは目を伏せ、ユウトはノートを握りしめたまま立ち尽くしていた。
俺は、それでも最後に、言葉を探した。
「……だけど……それでも……!」
けれど、その先の言葉が出てこなかった。なぜなら、それもまた、“ごまかし”になると、自分が一番分かっていたからだ。
リリィは、一礼して、両親のあとを静かに追った。いつも抱えていたノートは彼女の机の上に置かれたままだった。
◆
──その夜、寮のベッドの上。
俺は眠れぬまま、天井を見つめていた。
机の上には、“リリィが 置いていった ノート”。
丁寧な字で、連体修飾文の練習が綴られていた。最後のページには、小さくこう書かれていた。
「センセイが オシエテクレタ コトバ」
(つづく)




