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【第22課】コトバは不要? 〜竜神族の授業参観〜

──朝、教師寮のキッチン。


異世界で、いつものようにトーストをかじっているのは――まあ、俺くらいのもんだろう。


「……ふぅ。今日も安定の“異世界小麦トースト”」


焦げ目がちょっと濃いめだったが、バターの代わりに地元産のフルーツジャムを乗せると、けっこうイケる。流しには昨日の洗い物がまだちょっと残っている。


窓の外を見ると、石畳の向こう、植物園の柵越しに小さな影が動いていた。


「あ、せんせーい! オハヨーゴザイマス!」

手を振っているのは、リリィだった。いつもの大きすぎるノートを抱えて、園芸用のローブ姿。朝の光の中で笑顔がまぶしい。


「おう、おはよう。今日も早いな」

「ハイ! マイニチ ミズヤリ スルノ、ダイジナ シゴト!」

「そうか。……なんか、最近とくに張り切ってるな?」

「……アノ、キョウ……オヤタチ、キマス」

「……ああ。」

「チチ ト ハハ、“ガッコウ” ミタイ、ト……。モンダイナイト イイナ……」

どこか落ち着かない様子で言うリリィに、俺はうなずくしかなかった。


(……竜神族の保護者か。昨日ミネル先生が言ってたけど、本当に来るんだな。)

俺はトーストを食べ終えながら、少しだけ深く息を吐いた。 


──前日・職員室。


「明日、リリィのご両親が授業を見学したいって申し出があったそうよ」ミネル=シェリアが、足を組んで紅茶をすする。

「……竜神族の保護者が? まじか」俺はトーストをのどに詰まらせそうになった。


「彼らは“言葉を超えた意思疎通”を常とする民族。コトバを学ぶという行為そのものに疑問を持っているわ」ミネルは静かに続けた。


「我々とは、価値観の次元が違う。気をつけるんだな。」ドラン=ザ=スケイルが腕を組んで言った。


「……やることは変わらないさ。“いつも通り”の授業を見せるだけだ」

(とはいえ、初の授業参観か。プレッシャーで胃がキリキリしてきた……)


──午前、教室。


扉の横、教室の隅に、巨大な影がふたつ。リリィの両親――竜神族の来訪に、生徒たちがざわつくのも無理はなかった。


「……デカくね?」「いや、マジでデカくね?」クーニャとグンゾがひそひそと騒ぐ。

「……本物の竜神……観察記録つけてもいいですか」とユウト。

「さすがに緊張しますわね……」とセイアもそっと口にする。


だが、彼ら(竜神族)は、何も言わない。ただ静かに、黙って、こちらを見ている。その視線は、まるで“空気に目が生えた”ような存在感だった。


俺は喉を一度鳴らし、黒板にチョークを走らせた。

「さて、今日のテーマは――“連体修飾文”だ!」


板書

・ハハガ ツクッタ ケーキ

 (文:普通形)+N


「これは、“ナニナニな〇〇”をつくる文だ。“誰がつくったの?”“どんなやつ?”って説明をどんどん前にくっつけて、最後に名詞が来る」


「つまり、“オレガ モッテイタ ノート”とか、“グンゾがカッタ ハンマー”とか、“セイアが アラッタ コップ”とか、な」


「“クーニャが タベタ ドーナツ”!」とクーニャが叫ぶ。

「自明のことはあえて修飾して説明しなくてもいいのでは?」とヴァイスが即ツッコミ。

 

「ニホンゴでは、説明をぜーんぶ前に置いて、最後に“これ!”って名詞が来る。“ハナシのオチが一番最後”なんだ」

 

「でも、それ……言ってる途中で忘れませんか?」とリリィが手を挙げる。


「いいところに気づいたな。でもそれが、日本人の話し方。実はな……これは“ニンジャの掟”にも通じてるんだ」

「ニンジャ……?」ユウトの目が光る。


「そう。“ニンジャ”はニホンの影の戦士。姿を隠し、心を隠し、最後の最後に真実を突く。“本心は最後まで見せるな”――それが彼らのルールだったらしい」

「つまり……連体修飾文は、ニンジャ文法……!」とユウトが勝手にまとめ始める。

「それ、カッコイイ!」とクーニャ。

「文化的背景としては理解できるけど、実用性にはやや疑問を感じるわ」とヴァイス。

「連体修飾文というものは、まさに“ことばの構築美”ね」とセイアがうっとりとつぶやく。

「……ふふっ」と、リリィがようやく笑った。

 

見学していた竜神の両親は、一言も発しなかった。ただ、じっと、見つめていた。


──授業後、教室前。


チャイムが鳴り、今日もにぎやかに授業は終わった。生徒たちが順に退出していく中、リリィの両親が俺に声をかけた。


「……我らは、“十分”に見た」

「え……?」

「この子には、学びなど不要だと、改めて確信した」

「な、何を……!?」

「我ら竜神族にとって、“言葉”は補助にすぎぬ。我らは“見る”――」

その金色の目が、俺を真っ直ぐに射抜いた。


「いや、そう言われてもまずはリリィ本人とも話し合って……」

「お前は今、“止めなきゃ”と焦っている。“どう説得しようか”と、心の中で言葉を探している。だが、その言葉は、真実ではない」

「それは――」

「“言葉は飾れる”。“嘘も言える”。“沈黙より騙しやすい”。だからこそ、“真実の理解”には適さぬ」


リリィが、両親の傍に立っていた。小さな手でノートを抱えながら、でもその目は揺れていた。


「……待ってください。リリィは、ここで……ちゃんと、学ぼうとしていて――!」

「感謝はしている。この子にとって、良い経験だったろう。だが、“そろそろ終わり”だ。これからは、“竜神としての修行”を始める」

 

「そんな、勝手に――」


「タカシセンセイ!」

クーニャがドアの前で叫んだ。「勝手に持ってくなんてズルい!」

「彼女の選択の余地は……?」とセイア。

「リリィは……自分で“決める”ことを学びたくて、ここに来たんです!」とユウト。

 

その声に、竜神の父はわずかに首を傾けた。

「選ぶ? 決める? それは、“本当に望んでいたこと”なのか?」

 

鋭く、しかし静かに続ける。

「……授業の中で、お前たちが語った“ニンジャの話”――あれは、根拠も曖昧な娯楽だ。真実として伝えるには、あまりに軽い」

「……っ!」

確かに、今日の“ニンジャの掟”の話は、面白がらせるための半分ジョークだった。それを、今まさに“授業の根拠が甘い”と突きつけられるとは――

 

「そして、クーニャ」

「えっ、な、なに……?」

「授業中、お前の頭にあったのは、“次のドーナツの味”と“誰がくれたか”だけだった。“文”ではなく“おやつ”を見ていた」

 

「セイア」

「……。」

「“響き”に酔い、“構造”は見ていなかった。“言葉の旋律”に浸るだけで、仕組みを解明しようという意志はなかった」

 

「ユウト」

「……ッ」

「“リリィ”ではなく、授業を見に来た“我々”に目を奪われていた。“観察”していたつもりで、“彼女”は見ていなかった」

 

「お前たちの言葉は立派だ。だが、その“言葉”の裏にある“本当の想い”が、この場では、リリィに届いていなかった」

「それが、我らの結論だ」

 

誰も、何も言えなくなった。

自分の“心の中”をすべて見透かされたような感覚。それは、“恥ずかしさ”とも、“怖さ”とも違う、“無力さ”だった。

 

「だから言葉は、信じすぎてはならぬ。“通じたつもり”は、“通じていない”のだ。もう一度言う。我らには “言葉は不要”である。」

 

リリィが、俯いたまま、小さく言った。

「……ミナサン、アリガトウゴザイマシタ。ワタシ……チョット、カエリマス。デモ……」

クーニャは悔しそうに唇を噛んでいた。セイアは目を伏せ、ユウトはノートを握りしめたまま立ち尽くしていた。

 

俺は、それでも最後に、言葉を探した。

「……だけど……それでも……!」

けれど、その先の言葉が出てこなかった。なぜなら、それもまた、“ごまかし”になると、自分が一番分かっていたからだ。

 

リリィは、一礼して、両親のあとを静かに追った。いつも抱えていたノートは彼女の机の上に置かれたままだった。


 

──その夜、寮のベッドの上。


俺は眠れぬまま、天井を見つめていた。

机の上には、“リリィが 置いていった ノート”。

丁寧な字で、連体修飾文の練習が綴られていた。最後のページには、小さくこう書かれていた。

 

「センセイが オシエテクレタ コトバ」

 


(つづく)

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