【第19課】セイアの記憶 〜キミの声を キイタコトガアリマス〜
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──ある昼休み。教室の隅。
タカシは、今日もまた俳句の本を片手にうんうん唸っていた。
「センセイ。次はこれです」
セイアが差し出したのは、ページの角がしっかり折られた俳句集。彼女はこの一週間で、すっかり“俳句の人”になっていた。
「ほう。“菜の花や 月は東に 日は西に”……うーん」
「この“や”は、なんの“や”ですか?」
「それは……えーと、“や”は感動詞で……いや、たぶん感嘆の“や”で……あ〜……」
「……わからないんですね」
「うん。わからない」
「……では、次の句」
「ちょっと待って!オレが読むスピードより、君の“意味聞くスピード”の方が速い!」
セイアはきょとんとした顔で言った。
「センセイが“意味がなくても感じていい”とおっしゃったので、“意味”を感じられるまで、たくさん読んでみようと思いました」
「真面目か!」
だが、タカシはその頑張りをどこか嬉しそうに見ていた。
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午後の授業。
「さて、今日の文法は“〜タコトガアリマス”だ」
黒板にチョークが走る。
・日本へ 行った コトガ アリマス
・さしみを 食べた コトガ アリマス
・まほうで 飛んだ コトガ アリマス(!?)
「“やったことがある”っていう“経験”を言うときの表現な。ふつう、動詞の“た形”を使う。『たべた』『行った』『読んだ』みたいに」
「“こわいモンスターに おいかけられた コトガ アリマス!”」
「“おふろで ネタ コトガ アリマス”」
「“グンゾに タスケラレタ コトガ アリマス……”」
リリィのひと言に、生徒たちが「おお〜」とどよめいた。
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「じゃあ、セイアはどう?」
そう聞かれて、彼女は静かにうなずいた。
「……わたし、“センセイのこえを キイタ コトガ アリマス”──ような気が、します」
一瞬、教室の空気が止まった。
「え、オレの声?」とタカシ。
「……この世界に来てからじゃありません。もっとずっと前、子どもの頃──かすかに、“外の世界のことば”を語る声を、夢で聞いた気がして。……センセイの声、それにすごく似ているんです」
クーニャが「せ、せんせ〜、実はおばけだったとか?」と震えながら聞く。
「ちがいます。これは……“音の記憶”です」
セイアはそっと、自分の胸に手をあてた。
「わたしの一族は、“記憶の音”を継ぐ民。古くから、特定の“声”を代々聞いてきたという記録があります。その声の主は、“外の知をもたらす旅人”──とだけ、伝えられています」
タカシが、ごく小さく息をのんだ。
「……オレ、そんな立派なもんじゃないけど……でも、声が似てるってのは、ちょっとゾクッとしたな」
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授業の最後。
「“経験”ってのは、実際にやったことだけじゃない。聞いたこと、感じたこと、覚えてること──それ全部が“コトガアリマス”なんだと思う」
タカシの言葉に、セイアは静かにうなずいた。
「……じゃあわたし、“おなじ声を きいた コトガ アリマス”。それが“今”につながっている気がします」
「それでいいよ。記憶も、経験のひとつだ」
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放課後。
セイアが詩の本を閉じながら、ぽつりと言った。
「センセイ……“こえ”って、意味より先に届くんですね」
「うん。たぶん、それが“言葉”の、はじまりなんだろうな」
窓の外では、また一匹、せみが鳴いていた。
──つづく




