表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/28

【第1課】ヨロシクって、ナンノ イミデスカ?

「オレは……死んだのか?」


気づけば、そこは石畳の上だった。頭の下には乾いた藁。見上げた空は、妙に青すぎて嘘みたいだった。


サラリーマン歴14年、しがないおっさん――永田タカシ(ながた・たかし)・36歳は、ある日の残業帰り、駅の階段で盛大に足を滑らせた。その次に目を覚ました場所が、まさか異世界の王宮のベッドの上だなんて、誰が想像するだろうか。


 


「目覚めましたか、賢者様……!」


そんな大仰な呼び方をしてくるのは、見目麗しい金髪の巫女装束の少女。後ろには、長耳のエルフやら獣耳の兵士やら、ファンタジー全開の面々がずらりと並んでいる。


永田は頭を抱えながら、ぽつりと漏らす。


 


「えーと、なんていうか……ヨロシク……?」


 


その瞬間だった。


 


「い、今なんと!?」「ヨロシク!?」「伝説の言葉が!!」


 


王宮が、どよめいた。


 



 


曰く、この世界では古代の高度文明を支えた言語――その名も「ニホンゴ」が、千年以上前に失われたという。


その“古語”を、目の前のおっさんが流暢にしゃべっている。しかも、文献でしか存在しないはずの「ミンナノニホンゴ」を手にして。


「おっさん」から一転、「伝説の古代教師」として祭り上げられたタカシは、翌日から王立学園の特別講師として『ニホンゴ教室』を任されることになった。


住居付き、食事つき、給料はやや渋め。でも、現代日本のブラックな日々に比べれば、まるで天国である。


 



 


教室:初日。


「あ、あの……センセイ、ワタシノナマエハ……リリィ デス!」


ドラゴンの血を引く少女、リリィが小さな声で名乗る。紫の瞳が揺れている。


「うん、バッチリだ! じゃあ次の人も――」


 


「センセイ、ヨロシクって、ナンノ イミデスカ?」


そう言ったのは、貴族エルフのヴァイス。金髪のカールを指でいじりながら、鋭い視線をこちらに向けてきた。


「古文書によれば、“ヨロシク”とは命令形。何かをさせる言葉では?」


「いやいや、命令っていうか……お願いっていう意味に近いんだよね。ちょっとややこしいけど」


 


……と言ったものの、タカシは内心、かなり焦っていた。


 


(お願い? いや、違うか。感謝? いや、それとも挨拶……?)


(ってか、“よろしく”って結局どういう意味だよ!?)


 


口では「近いです」と言いながら、自分でも説明できていないことに気づく。日本語教師として、これではいけない。けれど、今まで生きてきて、「ヨロシク」とは空気のように使ってきた言葉だった。


深く考えたことなんて……なかった。


 


「……パワーワード……」とつぶやいたのは、ユウト=カンジだった。眼鏡の奥で瞳が輝く。


「“ヨロシク”――すなわち、強制力なき服従要求……その曖昧な圧力こそ、古代ニホン人の闇……!」


 


「やめなさいユウト、クラスが変な方向に行くから!」


 


タカシは教卓に手をつき、ゆっくり深呼吸する。


 


(思い出してみろ……“よろしく”って、いつ使ってた?)


――初対面のとき。「よろしくお願いします」


――仕事をお願いするとき。「よろしく頼むよ」


――別れ際。「じゃ、よろしくね」


――部下に。「明日からよろしく頼むぞ」


 


(ああ……そうか)


タカシは、静かに言った。


 


「“ヨロシク”ってのはな――これから関係を築くときに、相手に心を預ける言葉なんだ」


 


教室が、しん……と静まりかえる。


「まだ何も頼んでない。でも、これからあなたとうまくやりたいっていう……そういう、気持ちの先払いみたいな言葉だよ」


 


リリィが、小さく手を挙げる。


「……ワタシ、“コレカラ ヨロシク”ッテ、トモダチ ニ ナリタイ トキノ キモチ?」


「そうそう! ピッタリ!」


 


ヴァイスが腕を組み、ふっと微笑んだ。


「曖昧だが、悪くない言葉だ。言葉にすることで、関係が始まる……ふむ。興味深い」


 


ユウト=カンジも頷く。


「コレハ、コミュニケーションノ マホウ……!」


 


最後は生徒全員で声を合わせて――


 


「センセイ! ヨロシク オネガイシマス!」


 


 


その日、タカシは人生で初めて、「よろしく」という言葉の重みと温かさを、教師として噛みしめていた。


 



 


夜、ベッドにて。


開いた文献のタイトルは――「ミンナノニホンゴ 第2課:コレ・ソレ・アレ」


 


「明日からは……物の指し方。これはこれで面倒そうだなあ……」


 


つぶやきながら、タカシは眠りについた。


異世界ニホンゴ教師、まだまだ先は長い。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ