【第17課】グンゾの決意 〜ヒトヲ マモラナケレバ ナリマセン〜
◆
──ある昼休み、教室の片隅。
「……だからオマエのその言い方がムカつくって言ってんだよ!」
「何よ、最初に茶をこぼしたのはそっちでしょ! ヒトのせいにしないでよ!」
クーニャとヴァイスが、机を挟んで睨み合っていた。小さなことがきっかけだったが、ふたりとも一歩も引かず、空気がピリピリと張りつめる。
こうした小競り合いは実はこれが初めてではなかった。性格も育ちも異なる異種族同士、ふとしたことで意見がぶつかることもある。とはいえ、ここまで激しい口論になるのは珍しく、教室内の誰もが戸惑っていた。
「や、やめようよ……」とリリィが止めに入るが、両者の言葉の応酬は止まらない。
そのとき。
「──やめろッ!!」
響いたのは、グンゾの怒鳴り声だった。
教室が静まり返る。
グンゾは、少し震えた声で続けた。
「……ケンカは、ヤメテクダサイ。そういうの、……よくない……」
珍しく真剣な顔で俯くグンゾ。その様子に、生徒たちは黙りこくった。
「……ゴメン」
ヴァイスがぽつりと呟き、クーニャも無言で頷いた。
(グンゾ……やればできるじゃん)タカシは思わず、彼を見直していた。
◆
午後の授業。
「よーし、今日は“ナイ形”の勉強だ」
黒板に書かれたのは:
〜ナイデクダサイ / 〜ナケレバナリマセン
「“食べない” “行かない” “しない”……否定の形だな。そこから“〜しないでください”って言えば、相手にやめてほしいことを伝えられる」
「“ここで タバコを すわないで ください”とか?」とセイア。
「そう、それでバッチリだ」
「“クーニャとケンカ しないで ください”……」と、リリィがそっとつぶやく。
「……う……」
クーニャとヴァイスが同時に目をそらした。
タカシは笑って誤魔化すと、改めて黒板に向き直った。
「“ナケレバ ナリマセン”は、義務の表現。やらなきゃいけない時に使う」
「“ベンキョウ シナケレバ ナリマセン”」
「“ゴミヲ ステナケレバ ナリマセン”」
「おおー、みんな、よくできてるな」
「そんな中、グンゾはふと真顔になる。
「センセイ……“ヒトヲ マモラナケレバ ナリマセン”って、これもアリか?」
「もちろん。どうした?」
「オレ、今日みたいに誰かがケンカしたとき、ちゃんと止めたいと思った。でも……ただ怒鳴るだけじゃなくて、もっと“伝えられる”ようになりたい」
タカシは少しうなずく。
「“やさしく止める”のも技術だからな。コトバで、相手を動かすってのは、簡単じゃない。でも、グンゾならできるよ。前より、ずっと“考えて話す”ようになってる」
グンゾは照れくさそうに頭をかいた。
「……ま、まだまだ べんきょう しなければ なりません、ってやつだな」
「その通り!」
◆
放課後、夕陽の差し込む教室。生徒たちは帰り支度を終え、教室にはグンゾとタカシだけが残っていた。
「センセイ……ちょっと、話していいか?」
「ん? どうした?」
グンゾは窓の外を見ながら、ぽつりと口を開いた。
「オレがさ、このニホンゴ学校に戻ってきた理由──ちゃんと話したことなかったなって」
タカシは静かにうなずいた。
「王都の南区、《雷鉄炉》って工房、知ってるか?」
「うん、有名だよな。魔法具とか武器の製造で──」
「オレ、そこで一級職人だった。古代ニホンの技術で作られた魔法部品の修復とか、設計図の再現とか、そういうのやってた」
タカシの目が少し見開かれる。
「そっか……だから、そんなに器用なんだな」
「でもな──その設計図とか文献が、ほとんどニホンゴで書かれててさ。読めねぇのよ、全然。先代の親方は少し読めたけど、オレは……まったくダメで。“読めなければ なりません”って、本気で思った」
グンゾは少し苦笑しながら、頭をかいた。
「だから、最初は正直、必要に迫られて来た。ぜんぜん“学びたい”とかじゃなかった」
「……でも、今は違う?」
「うん。今はさ──楽しいんだ。みんなと話すのが」
グンゾは、机の上を見つめながら続けた。
「オレ、口下手で、母語もあんまりしゃべんねーし、ずっと“自分の言葉”ってのが、ない気がしてた」
「でも、ニホンゴ、勉強して……だんだん、言いたいことが言えるようになってきてさ。この前の“ハ〜ガ”とか、今日の“ナイデクダサイ”とか……言葉って、すげぇって思った」
彼の手が、ぎゅっと拳を握る。
「ただ道具を直すだけじゃなくてさ。“人との距離”も、こう……直せるっていうか、繋げられるっていうか」
そして、グンゾは静かに笑った。
「言葉を学ぶと、なんか心があったかくなるなって。……ちょっと、豊かになった気がするんだ。オレみたいなヤツでも」
タカシはしばらく何も言わず、グンゾをじっと見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「……いいこと言うじゃん。その気持ち、ぜったい忘れんなよ。言葉ってのは、そういうもんだ」
「へへっ、忘れナイデクダサイってやつだな!」
ふたりは、笑い合った。
──つづく




