【第11課】フタリ=ソバ ニ イル ヒト。
王立学園の昼休み。図書塔の片隅、薄暗い書庫室で、ヴァイスはひとり文書を綴っていた。
彼女は貴族評議会の書記官見習いとして日々働いているが、先日、若手補佐書記官への昇格候補に推挙されたばかりだった。表向きは栄誉とされる立場――しかし、その推薦が“自分の実力”ではなく、“母親の後ろ盾”によるものであることを、ヴァイス自身が一番よくわかっていた。
彼女の母は、評議会内でも一目置かれる存在であり、エルフの中でも政治手腕に長けた大公爵夫人。娘への期待は大きく、その強い意志が、無言の圧力となってヴァイスに降りかかってくる。
机の上の羊皮紙には、こう記されていた――
――評議会・補佐書記官推薦 辞退届。
推薦者の欄には、母の名。
「……“選ばれる”って、“望まれてる”ってことじゃないのよ」
小さくつぶやいて、ヴァイスはペンを置いた。
◆
「ヨーシ、キョウハ“ジョスウシ”ダ!」
午後の《ニホンゴ特別教室》。
チョークを勢いよく走らせるタカシに、教室のテンションがわずかに温まる。
「“ヒトリ”“フタリ”“サンニン”“イチマイ”“イチダイ”……今日は“かぞえる”ニホンゴだ!」
「ジョスウシ……“マイ”ハ、ウスイ モノ、ペラペラナ モノ ノ カズ」
「“ニン”ハ、ヒト!」
「“ダイ”ハ、キカイ! ドーナツ ツクル マシンモ、“イチダイ”!」
「それは“ダイエットの敵”!」
元気な掛け合いが続く中、ヴァイスの様子だけがどこか冴えない。
「……センセイ、“ヒトリ”は“イチニン”じゃだめなの? “フタリ”は“ニニン”じゃないの? 覚えにくい……」
「え?」
唐突な問いに、タカシが思案する。
「イチニン、ニニンって言っても意味はわかるんだけどな……」
そして、タカシは懐から小型の語源辞典を取り出した。異世界で拾った魔導翻訳具つきのそれは、“ニホンゴ”の語の成り立ちを記した貴重な文献である。
「……ええと、“ヒトリ”……あまり情報は出てこないな……“イチニン”との違いは書かれてないか……」
パラパラとページをめくるタカシの指が止まる。
「あった。……“フタリ”って言葉、“傍”から来てるって説があるらしいぞ。」
「“ハタ”……?」
「“そばにいる人”って意味。“フタリ”って、単に“2人”じゃなくて、“そばにいてくれる存在”って感覚があるんだよな」
クーニャが「ワタシ、イツモ リョウテ ニ ドーナツ。イツモ ソバニ イル……ソレ、“フタリ”?」とニヤリ。
教室に笑いが広がる中、ヴァイスはそっとノートに書き込んでいた。
> フタリ=ソバ ニ イル ヒト。
> ソレハ、チョット コワイ。ダカラ、タノシイ。
◆
授業後、セイアが彼女にそっと近づいた。
「ひとりで歩くのも素敵よ。でも、“ふたり”で歩くと、見える風景が変わるわ」
ヴァイスは一言も返さなかった。
けれど、その夜、彼女の手元にあった辞退届は……静かに破り捨てられていた。
――つづく




