98.王都での散策
「あれ、のりたい………」
ソフィアが突然、アルクの手を引っ張って言った。
王都の中心地には巨大な池があり、その周囲の公園は緑に溢れ、人々の憩いの場となっている。
ソフィアは池に浮かんでいる何艘もの小舟を見つめていた。
「え?ああ、あのボートのこと……?」
アルクは小舟に目を向けながら言った。
それは二人乗りの小さなもので、人が櫂を使って漕がなければならないようだ。
「ああ、あれは王都の名物の一つだ。せっかくだから乗って来ると良い」
エレーナはそう言って、ソフィアに笑いかける。
ソフィアはエレーナを見上げて頷いた。
「そうだね、じゃあ一緒に乗ろうか……。ねえ、しょこらも一緒に行こうよ」
「だがあれは二人乗りだろ」
「猫の姿のままなら、きっと大丈夫だよ。……ねえお願い、一緒に来てよ………」
アルクは最後の言葉を、小声で俺に囁いた。
俺はやれやれとため息をつきながら、結局一緒に小舟に乗り込む事となる。
「えっと………せっかくだし、俺たちも一緒にどう……ですか?」
ウィルはまた少し赤面しながら、エレーナに声をかける。
返事をするまでのほんの数秒間に、エレーナの胸には怒涛の勢いで考えが去来した。
『ええっ!ど、どうしよう、それは予想していなかったわ………。ふ、二人っきりなんて気まずすぎる、一体何を話せば良いの?そもそもこれは恋人同士に人気の乗り物で……。こ、断ったら感じ悪いかしら?でも待って、断っても結局、アルク達が戻るまで二人っきりという事よね?それはそれで気まずいわ、それならいっそ舟に乗った方が会話も弾むかしら……。ああ、しょこらにこちらの舟に来てほしいと言うべきだった!でももう遅いわ、とにかく返事をしないと、黙っていたら余計に感じ悪いかも………』
切り忘れた念話から、またその声が俺の頭に響いていた。
「……ああ、そうだな、では乗ってみようか………」
結局エレーナは、そう一言だけ返事をする。
ウィルは先に小舟に乗り込み、後から来るエレーナに手を差し出す。
するとエレーナは顔を真っ赤にして断った。
「い、いや、気遣いは不要だ。私は普段から鍛えているし、体幹はしっかりしているから………」
しかしその時、波打つ水面に揺られて舟が僅かに傾く。
体勢を崩しかけたエレーナの手を、ウィルはしっかりとつかんだ。
「そっちこそ、気遣いは不要だぜ」
そう言ってニッと笑うウィルを見て、エレーナはさらに顔を赤くした。
そんな二人の様子を、アルクは舟を漕ぎながら観察している。
向かいにはソフィアが座り、俺はアルクの足の下に収まっていた。
「ねえしょこら、ウィルは本気でエレーナさんが好きなのかな……。どうしよう、もしウィルが、元の世界に戻りたくないとか言い出したら………」
アルクは遠目に二人に目を向けながら、不安げに呟く。
「さあな。ウィルも馬鹿じゃないんだ、その辺はわきまえてるだろ」
「そうかなあ……。だけどここには獣人だっているし、ウィルにとっては天国なんじゃ……」
するとその時、アルクは正面から不穏な空気を感じ取る。
ビクっと体を震わせて視線を前に戻すと、ソフィアが膨れっ面でアルクを見つめていた。
「お兄ちゃん、ウィルのことばっかり………」
「あ、ああ、ごめんねソフィア……。あ、ほら見て、そこに鴨がいるよ」
アルクは何とかソフィアの機嫌を取ろうと話題を変える。
しかし、ふと視線を下に向けたアルクは、俺の姿を見て笑い出した。
「あはは、ちょっとしょこら、なんでそんなに尻尾を振ってるんだよ」
「鳥を見ていると狩猟本能が掻き立てられるんだ。本当に捕まえたりしないから安心しろ」
「やっぱりしょこらは猫なんだね……」
そう言って笑うアルクは、またハッとして視線を前に向ける。
さらに頬を膨らませているソフィアを見て、アルクはまた慌てて話題を変えようとした。
その頃、ウィルとエレーナは完全に沈黙していた。
『ど、どうしよう、沈黙が気まずいわ……。そもそも6つも年下の相手と一体何を話せば……』
ガチガチに緊張しているエレーナの様子に、ウィルは思わず頬を緩める。
そして気遣うように声をかけた。
「……あの、なんかすみません。いや、すまなかったな。俺が変なこと言ったせいで……」
「えっ!?あ、ああいや、構わない。安心しろ、冗談だということは分かっている」
「いや、冗談ではないんだけどな……」
「………そ、そそそそうか………」
ウィルの言葉に、エレーナは余計に固まってしまった。
二人は再び無言になり、ウィルはただ櫂を動かし舟を漕ぎ続ける。
キラキラと輝く池の水面に目を向けながら、エレーナの深い紫色の髪は風に吹かれている。
その穏やかな表情を、ウィルはただじっと見つめていた。
小舟から降りると、俺達は宿屋を探して再び町を歩き出す。
その日は王都に宿を取り、滞在することにしたのだ。
王都には観光客も多いらしく、空室のある宿屋を探すまでに多少時間がかかった。
三軒目に訪れた宿屋で、やっとエレーナは部屋を四つ確保する。
俺とアルクで一部屋、残り三部屋をそれぞれウィル、ソフィア、エレーナが使う事となった。
アルクは部屋に入ると、そのままバタンとベッドに倒れ込む。
うつ伏せになり、くぐもった声でぶつぶつと呟いた。
「はあ、なんか、すっごく疲れた…………」
あれからほぼ一日中、ソフィアの機嫌を取りながら王都を歩き回ったのだ。
気疲れしたアルクはそのまま肌着姿になり、ベッドへと潜り込む。
風呂に入る気力はないようなので、俺はアルクに浄化魔法をかける。
そして俺もベッドに飛び乗り、アルクの隣で丸くなった。
やがて夜は更ける。
ぐっすり眠っていたアルクは、暗闇の中でふと目を覚ました。
誰かが隣で、もぞもぞと動く気配を感じたからだ。
「………しょこら………?」
ぼんやりとした頭でアルクは呟く。
すると、アルクの胴体に誰かがぎゅっと抱き着いて来た。
まだ半分寝ぼけながら、アルクは天井を見つめる。
そして次の瞬間はっとして、隣の人物に目を向けた。
それはもちろん俺ではない。
アルクに抱き着いているのは、同じく肌着姿になっているソフィアだった。
「ちょ、ちょっとソフィア、何でここに………」
アルクは慌てて体を起こそうとするが、ソフィアがしっかりとしがみ付いている。
眠っていたソフィアは、アルクの声を聞いてその目を開いた。
「………いっしょにねる………」
そう言ってソフィアはアルクの首に腕をまわし、再びぎゅっと抱き着く。
アルクは完全に動揺して、何とかソフィアを引き離そうとした。
「ちょ、ちょっと、だめだって、自分の部屋に戻って……」
「やだ」
「でも………」
「やだ」
「な、ならせめて離れて、そんなくっつかないで……」
「どうして?」
「ど、どうしてって………」
アルクは助けを求めるように俺に目を向ける。
俺は半分起きていたのだが、面倒なのでそのまま眠りに戻った。
結局ソフィアは、再びそのまま眠りに落ちる。
アルクはソフィアがぐっすり眠ったことを確かめると、そっとその体を自分から引き離したのだった。




