9.それぞれの朝
『しょこら。しょこら、しょこら……』
アルクは翌朝、俺に念話で呼びかけ続けていた。
しかしもちろん、俺からの応答はない。
黒曜石の腕輪を取り外せない俺は、念話を使うことができないのだ。
『しょこら、しょこら。……なんで返事しないんだよ、しょこら……』
アルクはほとんど泣きそうになる。
俺が念話に応じないことなど、これまでなかったからだ。
『ほ、本当に、捕まっちゃったの……?』
アルクはしばらくベッドの上に膝を抱えて座り込み、腕に顔を埋める。
しかしふと思いつき、再び念話をつなぐ。
『……ムック、聞こえる?』
『おう、久しぶりダナ!無事だったカ!』
ムックが応答したことで、アルクはほっとする。
『よ、よかった!ねえ、しょこらがどこにいるか知らない?念話の応答がなくて……』
『あいつなら昨日、お前を助けに王宮に行って、そこで急に姿を消しちまったんダ!』
『そ、そんな!どこに行ったか分からないの?』
アルクは愕然とする。
ということは本当に、捕まってしまった可能性が高いからだ。
『俺モ探してるが、まだ見つからン!お前も、自力でそこを出るんだゾ!』
『う、うん……』
それでムックとの念話は切れた。
アルクは再び腕に顔を埋めて考える。
『もし、本当にしょこらが捕まったのなら……僕が婚姻届けに署名しないと、しょこらは……』
そこまで考えて、アルクは頭を振る。
『い、いや、駄目だ!なんとか脱出して、僕がしょこらを助けるんだ!!』
そしてアルクはガバっとベッドから飛び降りる。
するとその時、誰かがコンコンと部屋の扉を叩いた。
アルクはピタリと動きを止め、警戒しながら答える。
「……はい?」
すると、カチャリと扉を開けたのは、ユリアン王女だった。
少なくともあの執事ではないので、アルクは少しほっとする。
「おはようございます、アルク様。昨夜はあれから、よくお休みになられましたか?えっと、その……」
王女は再び昨夜の失態を思い出し、少し顔を赤らめる。
しかし気を取り直して言った。
「あの、朝食のご準備ができています。せっかくなのでご一緒に……」
「ねえ、しょこらがどこにいるか、知ってるんですか?」
アルクはユリアンの言葉を遮って尋ねる。
その言葉の底に冷たい怒りを感じ、ユリアンは少し怖気づく。
しかし気を取り直して、はっきりと首を振った。
「いいえ。私は何も存じません。ですが信じてください、私の執事は、むやみやたらに人の、いえ猫の命を奪ったりしません。少し手段を選ばないところはありますが、それでも……」
「だけど、実際しょこらは、どこかに捕らえらえてるんでしょ?君からあの執事に指示して、すぐにしょこらを解放してよ!」
アルクは思わず、ユリアンに対して敬語を使うことすら忘れていた。
するとその時、またあの執事が現れる。
全く、いつも恰好のタイミングでその場に現れるのだ。
「おはようございます、アルク様。失礼ですが王女様に対して無礼な物言いはおやめください。頭は足りないとはいえ、仮にも一国の王女ですよ」
「ちょ、ちょっとミーシャ、あなたの方がよほど失礼よ!!」
「あら、私のこれは愛情表現です。決して罵倒している訳ではありません」
二人のやり取りを、アルクは力なく見つめる。
そして今度はミーシャに向かって尋ねた。
「あの、しょこらは、どこにいるんですか!もししょこらに何かあったら、例え王室の人が相手でも、僕は容赦しない……」
しかしミーシャは手でアルクを制した。
そしてなぜか、気の毒そうな目をアルクに向ける。
「仕方ない、そこまで言うなら、教えて差し上げましょう。あなたが傷つくと思って、真実を隠しておいたのですが……。
あの黒猫娘は、既に新しい相棒を見つけたようですよ。すでにその相棒と、ここを離れました。これであなたが結婚を拒否する理由は、もうなくなりましたね」
ミーシャはニコッと微笑んで言う。
「な、そんな……。そんな事、信じるわけ……」
「あら、嘘だと思うのなら、ご自分の目で確かめてみられてはどうですか?王女と二人で町にお出かけになると良いでしょう。もちろん護衛付きですが」
そう言ってミーシャはくるりと振り返り、部屋から出て行こうとする。
振り向きざまに、再びニコっとしながら声をかける。
「朝食が冷めないうちに、お二人とも食堂へおいでください」
アルクは茫然と、その姿を見送った。
俺はその日の朝、宿屋で目を覚ました。
結局昨日はアルクを連れ戻せず、宿屋へと帰るしか無かった。
そしてなぜかウィルの奴も、宿屋に付いてきていた。
昨夜ミーシャから追い出された後、ウィルが懇願したのだ。
「なあ、今から俺の家まで歩いて帰るのは不可能だ、馬車で半日はかかるんだ。頼むよ、俺もいっしょに泊まらせてくれ……」
「何でだよ、お前一人なら宮殿に入れてくれるだろ、そっちに戻れよ。」
「お、お前は俺の協力がなきゃ、今後一切王宮には近づけないぞ!それでも良いのかよ!」
「お前の協力が役に立つとは思えない。とりあえず帰れ」
そのようなやり取りを繰り返しながら、結局宿屋まで付いてきたウィルは、アルクの代わりにその部屋に滞在したのだ。
俺はウィルに床で寝るよう指示したが、それでもウィルは嬉しそうだった。
全く、王族には頭のおかしい奴しかいないのだろうか。
そして今日、俺は再びアルクを連れ戻す方法について考えていた。
「宮殿内への侵入は絶対無理だ。あの執事がいない時に、勇者のほうから出てきてもらうしかないんじゃないか?」
もちろんそれが一番早い。
念話が使えたら簡単なのだが、忌々しい腕輪は今も俺の腕にくっついたままだ。
とにかく俺たちは宿屋を出て、再び宮殿へと向かうことにした。
その道すがら、俺はウィルに尋ねる。
「お前、あのミーシャって奴のこと、何か知ってるのか」
ウィルはその名を聞いただけで、苦い物を口にしたような顔をする。
よほど苦手のようだ。
「俺、本当にあいつ苦手なんだ。いつも人の心を見抜いてるみたいな、弱みを握られてる感じでさ。
それにユリアン王女への愛が異常だ。王女の言うことは何だって聞くんだ。頭は切れるようだから、どんなに非現実的な願いでも、あの執事の手にかかれば実現させられちまう。
これはただの噂だけど、怪しい薬か何か使って、人の心を操ってるんじゃないかって言われてる。俺は絶対近づきたくないね」
「ほう」
俺はアルクが突然従順になった姿を思い出す。
もしかすると、そこに奴の弱みを握れる手がかりがあるかも知れない。
精神干渉ができるのは、闇魔法が使える魔族だけだ。
仮にそのような薬があっても、この世界では確実に違法だ。
俺が考えていると、ウィルが俺に声をかける。
「なあ、良かったらさ、俺が宮殿に入って、勇者の奴を連れてきてやろうか?」
俺はウィルの方をジトっと見る。
「で、またお前の仲間になれって言うんじゃないだろうな」
「いや、それはもういい、流石に受け入れてくれねーだろ。……だけど、一つ頼みが……」
「なんだよ」
俺が変わらず不審な目を向けていると、ウィルは目を泳がせる。
「え、えっとだな、その…………み、耳を触らせてもら」
「断る」
「お、おい、いいじゃないかそれぐらい!!」
全くこいつ、本当に猫耳フェチのようだ。
後ろで喚くウィルを無視して、俺は王宮に向かってスタスタと歩き続けた。