33.過去と未来
「お兄さんって、ノールのこと……?」
アルクがソフィアに尋ねる。
しかしソフィアは、ゆっくり首を振る。
「ルアン、お兄さま……」
「え……。ノールの他にも、お兄さんがいるの?」
するとソフィアは小さな声で、ポツポツと話し出した。
かつて自分が大好きだった、もう一人の兄について。
ルアンはソフィアの、7つ年上の兄だった。
厳しいノールとは対照的に、ルアンは優しい兄だった。
引っ込み思案のソフィアは、物心ついた頃から、常にルアンにくっついていた。
ソフィアは幼い頃から魔力が弱かった。しかしルアンは、それでソフィアを責めることはなかった。
「王族だからって、気負う必要はないよ。ソフィアはソフィアだ」
ルアンはよく、ソフィアの頭をポンポンと叩いて言った。
父親は子供達に対して厳しく、長男のノールもそれに倣い、弟や妹に厳しく当たった。
ルアンはよく、叱られるソフィアの前に立ちはだかり、二人に向かって言い返した。
「父さんや兄さんのそういった態度が、ソフィアを押さえつけているんだよ!ソフィアは僕の前では、ちゃんと水魔法を発動できるんだ!」
しかし父も兄も、ルアンの話は信じなかった。
実際ソフィアは、ルアンの前だけでは、手のひらで小さな噴水を作り出せるようになっていた。
そんなソフィアを見て、ルアンは満面の笑みで喜んだ。
「すごいじゃないか!ソフィア、魔法は楽しい?」
ソフィアがこくりと頷くと、ルアンはまた頭をポンポンと撫でる。
「じゃあ7歳になったら、魔術学校に入るといいかもね。そこなら魔法についてもっと学べるよ。だけど、他の人と自分を比べて、落ち込んだりしちゃあだめだよ。ソフィアのペースで、楽しみながら魔法を学ぶんだよ」
ソフィアは目を輝かせて、また頷いた。
しかしそんな優しい兄は、12歳で命を落とした。
ソフィアが5歳の時だった。
ルアンには生まれつき、魔力がなかった。
しかしその代わり武術に優れ、その上聡明だった。
ルアンはまだ幼い頃から剣を使い、バルバトス家の護衛隊の訓練に参加していた。
将来は護衛隊長を任されるだろうと、誰もが期待していた。
しかし領地外での訓練に参加した際、部隊は魔物の群れに遭遇する。
そしてルアン含む多くの訓練兵が、そこで命を奪われたのだ。
ルアンがいなくなってから、ソフィアは魔法が使えなくなった。
振るえる手のひらをじっと見つめても、もはや一滴の水も作り出せなかった。
その代わりに両目からは、涙が留まることなく流れ続けた。
それでもソフィアは、魔術学校に入学した。
ルアンの言葉を覚えていたソフィアは、珍しく父に懇願したのだ。
しかし入学して一年間、ソフィアの魔法は一向に上達しない。
そしてついに、ノールから退学を勧められるに至る。
しかしソフィアは、あの日ルアンと交わした約束を守りたい。
例え周囲から遅れを取っても、自分の好きな魔法を、学び続けたいのだ。
アルクは話を聞きながら、思わず涙を流していた。
ソフィアは少し困った様子で、小さな手をアルクに差し出そうとするが、何もできずに引っ込める。
「……ごめんね、ソフィア……。僕、全然知らなかったよ……」
アルクは腕で涙を拭いながら言う。
「僕さ、ソフィアはどこか、昔の自分に似てるって思ってたんだ。だけどやっぱり、全然違う。ソフィアはすごく強い……」
ソフィアはそんなアルクの姿を、黙って見つめ続けた。
アルクは知る由もないが、実はソフィアも、どこかでその姿を重ねていたのだ。
生きていれば15歳になっていた兄の姿と、アルクの姿を。
その頃俺は研究室で、ウィルから同じ話を聞いていた。
「だからさ、ソフィアの魔力が弱いのは生まれつきだけど、たぶん家庭環境とか、兄の死も、その力を抑えつけてる原因なんじゃねえかな」
ウィルはペンを手に取り、複雑な魔法陣の図形を描きながら言った。
もう何枚描いて、何枚破り捨てたか分からない。
しかし今度は思うように完成したようだ。
「よし!今こいつを展開して、魔力を流してみてくれ」
ウィルが俺に向けて、紙を差し出しながら言う。
「しかし人間が使える転移魔法陣を作りたいんだろ。魔族の俺が実験して意味あるのか?」
「大丈夫だ、これには魔族専用の魔法回路は組み込まれてない。しょこらが発動できるなら、人間でも発動できるはずだ!」
よく分からないがそうらしい。
それから俺はいくつもの魔法陣を展開し、それに魔力を注ぎ込む。
しかし何度やっても、魔法陣は全く反応しないか、僅かに鈍い光を放って消えるだけだった。
二十個目の魔法陣が呆気なく消えると、ウィルは頭を掻いた。
「これもだめかあ。くそ、また基礎からやり直した方がいいかもな……。悪いなしょこら、付き合わせちまって。でも魔力がほぼ無限で助かるぜ……」
「問題ない。しかしお前、本気で異世界に行きたいのか?」
俺が尋ねると、ウィルは当然だというように頷く。
「もちろんだ!まあ、この調子じゃ、生きてるうちに成功するのは難しいかも知れねえけど……。いいんだ、そんでも未来の誰かが俺の後を引き継いで、完成させてくれりゃあそれで。
……それに言っただろ、いつか時空を操る魔法が完成したら、未来人が会いに来てくれるかも知れねえ。未来で異世界への転移魔法が確立されてたら、俺だって使えるかも……」
「時空を操る魔術というのは、難しそうだな」
俺は神王のことを考えながら答える。
もしそんなものが完成したら、過去が好き勝手に書き換えられて、世界が混乱に陥りそうだ。神王が決して放っておかないだろう。
しかしそんなことを知る由もないウィルは、俺に向かって答える。
「ああ。でも前よりは少し、希望が見えてきたぜ」




