30.ソフィアの兄
「なあ、そういえばさ、ハジメって誰だ?」
魔術学校に来てから4日目、ウィルの研究室に顔を出した俺達に、突然ウィルが尋ねた。
その日まで俺達は3日続けて授業に参加したので、一日休みをもらっていたのだ。
「えっ!?な、なんでその名前を……」
「なんでって、お前が俺に言ったんだろ。俺との模擬戦の後で、しょこらやハジメさんほど速くない、って」
「あ、そうだっけ……?」
アルクは覚えていないようだ。
しかしウィルは、さらにアルクに質問する。
「それにさ、いつかお前、前世がどうとか呟いてただろ。それについてもちょっと気になるんだよな」
どうやらウィルは記憶力が良いようだ。
アルクが発した言葉を、一々覚えているらしい。
「ええ、えっと、そんなこと言ったかな……」
アルクはとぼけて答えようとしない。
ウィルはじっとアルクを見つめていたが、やがて諦めて言った。
「まっ、話したくねーならいいけどさ。気にすんな、ただ興味本位で聞いただけだ」
アルクはどこかすまなそうな顔をした。
神が時空を操れることは、本来人間には知られてはならないと女神は言った。
そのため俺達は、過去に遡ってハジメに会ったなどとは安易に話すことができない。
話してしまって、また神王とやらの面倒事に巻き込まれたらそれこそ厄介だ。
しかしアルクは、少しの間考える。
そして何かを決めたように口を開いた。
「えっと、最初の質問には答えられないけど……。でも、前世のことなら、話してもいいよ」
『ねえ、しょこら、いいよね……?』
『いいも何も、お前が決めることだろ』
アルクはなぜかわざわざ俺に、念話で同意を求めてくる。
しかしアルクが話すと決めたのなら、俺に異論があるはずがない。
「え、本当か?おい、別に無理しなくていいんだぞ……」
「ううん。ウィルになら、話してもいいよ」
そしてアルクは語り始めた。
自分には前世の記憶があることを。全くの異世界で生まれ育ち、そこでどのように育ち、命を落としたのかを。
そして、勇者として選ばれるのは異世界から転生した魂であるらしいことや、女神の手違いで俺が勇者になってしまった経緯までも、全て説明する。
全ての説明を終えても、ウィルはしばらく何も言わず、茫然としてアルクを見つめていた。
しかし次の瞬間、急にガタっと椅子から立ち上がる。
「すげーーーーーーー!!お前、異世界って、まじかよ!!やっぱりここ以外にも世界はあるんだな!俺の思った通りだ!!しかも魔法が存在しない世界って、お前、そんなことありえるのかよ!!」
ウィルはまた、少年のように目を輝かせている。
アルクはそんなウィルを見て、思わず笑った。
「いや、お前の前世がすげー辛いもんだったのは分かる。ごめん、興奮するなんて不謹慎だよな。
けど俺、小さい頃からずっと異世界について考えてたんだ。親父や兄貴からは馬鹿にされたけどさ。それが存在するって確証を得られただけで、俺に取っては大事件だ……」
ウィルはバサバサと、机に積み上げられた大量の紙をかき分ける。
「俺、しょこらの転移魔法見てから、何とか人間が使える転移魔法陣を作れないか考えててさ。それができりゃ、俺が異世界に行くことだって夢じゃない……」
「でも、ウィル、転移魔法は転移先の座標を指定しなきゃいけないんだよね?」
アルクが尋ねると、ウィルはピタリと手を止める。
そして、バサッと紙の山の上に突っ伏した。
「そうなんだ。それが一番の問題だ。やっぱ神じゃなきゃ、そんな真似はできねーか……」
それでもウィルはしばらく、興奮で気を高ぶらせていた。
ウィルの研究室を後にして、俺とアルクは町中へと足を伸ばす事にした。
ずっと学校にいるのも気詰まりだし、まだ町中をじっくり見ていなかったからだ。
しかし校門を出ようとした俺達は、門の外に立っている大小二つの人影に目を止める。
小さなほうはソフィアで、下を向きじっと俯いていた。
もう一人のほうは見たことがない。
ソフィアと似た灰色の髪を持つ男で、ウィルの兄であるシドと同じくらいの年齢に見える。
見た目から察するに、おそらくそれはソフィアの兄だろう。
俺達がそれとなく門に近づくと、兄の声が響いて来る。
「……もう一年経つ。これ以上は時間の無駄だろう」
「…………」
「それにお前は女の子だ。無理に魔術を学ばなくたって、いずれどこかに嫁ぐんだ。父さんの言うことなんて気にするな、秀でたものがなくたって何も困りはしない……」
「ねえ、あれ、ソフィアのお兄さんだよね……」
アルクは思わず、門の陰に身を隠しながら囁く。
俺はいつかユリアンが言っていたその名を思い出した。
「ああ。確かノールって名前だったな」
俺達は出るに出られず、二人のやり取りを陰で聞いていた。
どうやらノールはソフィアに、退学を勧めているらしい。
「ソフィア、金の問題じゃない。これは時間の問題だ。このまま通い続けても、将来のためにならないだろう。時間は金より貴重なんだ。もっと別のことに使ったほうがいい」
しかしソフィアは首を縦に振らない。
ついに見かねたアルクが、門の陰からさっと飛び出した。
「あ、あの……!!」
ソフィアとノールは、同時にアルクに目を向ける。
するとソフィアはアルクに駆け寄り、体の陰にさっと身を隠した。
「すまないが、君は誰だ」
「え、えっと、アルクです。こっちはしょこら……」
アルクはまた丁寧に、猫の俺まで紹介する。
ノールは少し怪訝な顔をするが、やがて合点がいったように挨拶を返した。
「ああ、君はあの勇者か。俺はバルバトス家のノールだ。すまないが、今は妹と話をしてるんだ。家族の話に口出しは……」
「すみません。でも、あの、ソフィアはすごく頑張ってますし、毎日少しずつだけど、上手になってます。ソフィア自身が望むなら、無理に退学させなくても……」
ノールは眉を上げ、意外な顔をする。
「……本当か?君、誇張は良くないよ。ソフィアは俺達家族がどんなに教えても、一滴の水さえ作り出せなかったんだ。気にかけてくれるのはありがたいが、これ以上は……」
「ほ、本当です!それにたとえ上達が遅くても、一番大切なのは、ソフィアの気持ちじゃ……」
しかしノールはやれやれとため息をついた。
視線をやや鋭くして、アルクをじっと見つめる。
「君は子供じみたことを言うんだな。善人ぶるのは結構だが、先程も言ったようにこれは家族の問題だ。そこをどいてくれ」
「で、でも………」
アルクも負けじと見つめ返す。
するとノールは、一段と大きくはあっとため息をつく。
「まったく面倒だ。分かったよ。なら次の試験でソフィアに学年3位以内に入らせるんだ。そうすれば認めてやろう。それができないなら退学だ。いいな」
そう言い放つとノールは、踵を返して立ち去った。
アルクは言葉も出ず茫然として、ただその背中を見送っていた。




